挿話 マナと精神界
マナ及び精神界について
我々竜族も含め、この世界の全てに生きる生命の魂はマナと呼ばれる大いなる存在より生まれたとされています。
マナより命を授かり、この世に生を受け、様々な経験をし、老いて命の尽きる時、魂はまたマナの元へと導かれてゆきます。
これが『輪廻転生の理』です。
マナは決して我々の目には映ることはなく、魔導師であってもその全貌を知る者はいません。
にも関わらず、なぜマナという存在を知っているのでしょうか?
それは皆さんもよくご存知の、法王マイラス様が書き残したマナについての書物のおかげです。
マイラス様ほどの魔導師になると、その存在を認識することはできるそうです。
マイラス様に限らず、魔導師達は精神界という世界を共有しています。
『目で見ることは出来ず、心でのみ見ることの出来る世界』
マイラス様の書き残した書物にも記されている一文ですが、精神界とは心のみで見ることのできる世界であり、どんなものでもその世界を見ることができるのだそうです。
しかし、著者は以前知り合いの魔導師に聞いた所、『精神界を認識することのできない種族だ』と言われました。
なんでも、精神界やマナは決して目には見えない世界であり、見せたくても見せることのできない世界であるため、見えるものしか信じない私のような種族には伝える術がないのだと残念そうに語っていました。
とても残念ですが、その精神界とはとても美しい世界なのだと彼は語っていました。
その精神界にはマナからある一定の意志を持ったことによって生命のようにマナから離れ、精神界を漂っている美しい光の粒子のようなものがあるそうです。
その光の粒子は魔素と呼ばれており、この世で起きる様々な現象の元になっている存在であり、魔導師達が使っている魔法の元になったりするそうです。
自然発火やつむじ風、雨や雷もそういった魔素が引き起こしているのです。
そう言われるととても恐ろしいものに感じますが、魔導師曰く、当たり前の現象なのだそうです。
魔導師達が使っている魔法もそういった自然現象を起こしているだけのものに過ぎず、なんら奇跡の技でもなんでもないというのが魔導師達の本音のようです。
こうやって見ていくと、精神界が認識できている種族と認識できない種族で、魔法や魔法使い達の認識のずれが多々起きていることがよく分かります。
著者も事実、この本を書くにあたって様々な魔導師達や科学者達に話しを伺いましたが、そうすることによって見ることができなくても知ることができるというのを実感しました。
魔導師と科学者は我々一般的な者たちからすればどちらも理解するのがとても大変なことをやっているように見えます。
本書ではひとまず科学者の見ている世界よりも先に、『見ることのできない世界』である魔道士達の世界を分かりやすく解説しましょう。
『全ての生物はマナより生を受ける』
それだけ言われると分かりにくいですが、つまり全ての命が生まれる所であり、帰ってゆく所である。
まだ難しく聞こえるかもしれませんが、これはつまり全ては輪のように廻っている、『輪廻転生の理』の事を指しているのです!
『マナとは輪廻転生の理のスタート地点』
こうまとめると大分スッキリするでしょう。
すると精神界も魔素も分かりやすくなるのです。
精神界は見ることのできない世界であるということに囚われると分かりにくいのですが、分かりやすく言うと別にもう一つ世界があると思えばいいのです。
その世界に住んでいるのが魔素なのだと考えてみましょう。
魔素は一つ一つでは何もすることができないのですが、一定数同じ色の魔素が集まると上記したように様々な現象を発生させるのです。
魔素には様々な色があり、色と起きる現象には関係性があります。
これが先ほど述べた、『ある一定の意志』です。
雨を例に挙げると、我々認識することのできない種族は水が巡っているようにしか感じないのですが、水気の側には必ず青の魔素があり、魔素が多くなりすぎたり、少なくなりすぎたりしない限り水は水のままでその場に留まります。
青の魔素が減少すると水のままにさせようとする魔素が減るため、水は日光などに耐えられず蒸気になって無くなってしまいます。
それに伴い青の魔素も何処かへ飛散してしまうそうです。
逆に上空に停滞している青の魔素と雲が一定量集まると、雨が降り、集まりすぎると大雨になってしまうそうです。
そのように魔素も一所に停滞したがるものや、フラフラと何処かへ行きたがるものがあるようです。
さらに魔素によっては他の色の魔素が多くなりすぎて、色が変わってしまうようなあまり意志がしっかりとしていない魔素もあるようです。
我々の周りにも様々な竜族がいると思いますが、同じ種族でも考え方が全く違う者もいるでしょう?
そのように捉えてもらうのがおそらく一番分かりやすいと思います。
そして同じ意志を持つ者が一定数集まれば、我々でも『みんなでやろう!』という気持ちになるでしょう?
そして同士が少なすぎたり、熱量が違いすぎると思えば自然と去っていき、なかったことになりますし、逆に多すぎればやりすぎるような事もあります。
こう捉えると分かりやすくないでしょうか?
『魔素とは精神界の小さな住人』
そうやって考えるととても可愛らしいものに感じます。
そしてこの世界を知るために最初に理解してもらいたい事がもう一つあります。
それは最初に述べたように、我々の中にもマナだったものが宿っているということです。
これを魔導師達はマナや魔素と区別するために魔力と呼んでいます。
魔力は魔素とは違い、色を持っていません。
魔素の中にも色を持たないものはあるのですが、魔力との決定的な差は、意志を持たないということです。
魔力は意志を持っていません。
そのため我々は自分の意志で様々なことを考え、行動することができるのだそうです。
我々の行動や意志、記憶などは全て魔力に蓄積されており、マナへと還ってゆく時にその知識を全てマナに渡し、またまっさらな状態になってこの世に生を受けるのだといいます。
そのためマナにはこの世の全ての知識があると言われていますが、それに触れることは魔導師にとって最大の禁忌とされているそうです。
魔導師の見ている世界 ~マナとはどんな存在か?の項より抜粋