人族の時代 13
サイが次に訪れた国は帝都をも凌ぐ世界最大の観光都市だ。
この都市は他国程産業は優れていないものの、大きな湖と緑豊かな森を擁しており、災害も少ない比較的穏やかな土地柄もあってか多くの娯楽がこの国に集まっている。
その理由は単純に災害が少ないという所にも起因しているが、土地柄的にどんな種族でもこの国に長期間滞在することが出来るからだ。
地竜種や翼竜種等の種族は特に住む場所も選ばないため、世界中何処を見ても当たり前にその姿を見ることが出来るが、水竜種や窟竜種といった種族は住むのに適した土地が存在するためあまり何処にでもいる種族ではない。
水竜種は名の通り、水辺に住む種族で泳ぎを得意とし、漁や海辺で採れる特産品などを売買している種族であるため都心部から離れており、長く水を浴びなければ免疫力が落ちてくるためあまり水が豊富にない土地は訪れない。
別に他の種族を排他していたわけでもないが、その種族的特徴の為にあまり土地を移動しないこともあってあまり文化交流が無いため技術も伝播しにくいので、海岸沿いや大きな湖の傍などに村はあれど彼等の国というものは存在しない。
窟竜種も山岳などに穴を掘って生活していた種族であったため、あまり日光に長く当たると体表が炎症を起こす為山や鬱蒼とした森林に囲まれた土地を好む。
最近は建物の隠蔽性も上がった事で水竜種ほど世界進出していないわけではないが、それでも生来の特性である暗視能力を活かした炭鉱夫として生活する者が殆どなので、商人等でなければあまり馴染みのない種族だろう。
そういったあまり見かけない種族にとってもこの土地は非常に居心地が良いため、最も多種多様な種族が入り乱れている土地でもある。
住んでいる者と対比しても国外からの来訪者数が非常に多いため必然的に来訪者へ向けた施設が増えてゆくようになり、同時に他の土地ではあまり見受けられない変化も多い。
世界的に見ても種族の垣根はあまり崩れておらず、異種族同士での結婚は非常に少ないか、種族によってはかなり否定的なのに対し、この土地では寧ろ異種族同士の夫婦や混血ではない物の方が少ないほどだ。
解放的なのは何も種族感だけではない。
この世界での娯楽施設といえば一般的には闘技場で定期的に開催される人族の剣闘か武術大会ぐらいだが、この国では闘技場は勿論のこと、遊泳施設や繁華街に加え巨大な多目的劇場まで存在する。
中でもこの劇場は世界的に見ても長い歴史を持っており、娯楽を世に広めた療王セラフィスがしげく通ったと言われる大舞台である。
この劇場で開かれる演目は多岐に亘り、演劇に歌謡、音楽祭、サーカスなど見るものを飽きさせない程の技能を持った者達が毎日のように演目を開いている。
当然この国も人族を利用しており、その価値観は種族感の薄さも相まってとても中立的な扱いであるため、道具としても種族としても扱われている人族を見ることが出来る不思議な空間だ。
「お、見た事の無い劇が増えてる。金に余裕が出来たら見に来たいなぁ」
「駄目だ。先に道具の新調をしないと足元を掬われるぞ?」
「エレイアはそういう所はやたらと厳しいよな」
「娯楽なんてのは富裕層だけの為にあるものだ。日銭稼ぎの冒険者では到底無理な話ってだけだろ?」
「やだねぇ……。現実を突きつけるなよ」
「『炎の流星旅団』はかなり名のある旅団だと覚えているのですが、そんなあなた方でも厳しい状況なのですか?」
アーサー達の話を聞いていたサイが不思議そうに首を傾げる。
それを聞いたアーサーは何とも気まずそうな顔をし、他の皆はあからさまに顔がにやけた。
「お恥ずかしい話ですが、かなり稼ぎはいい方だと思います。ただ……」
「団長の浪費癖が酷いんですよ。旨い物には目が無い。ちょっといい事があれば浴びるように酒を飲む。使いもしない武器を買っては自慢するだけして飽きたらすぐに他の奴に渡す……。私が団の財布の紐を握っても相変わらずなんです」
「今回もサイ様の護衛依頼がなければ資金が底を突いていた所ですからね。医師なのに薬草が無くて治療が出来ないなんて面白い事をしでかそうとしてくれたのがサイ様と出会う数日前の出来事です」
「あー……。経済を回すのはいい事ですが、他の方に迷惑を掛けるのは避けるべきですね」
「返す言葉もありません……」
サイが苦笑いをしながらアーサーに注意を促すと、彼は深々とサイや他の団員達に向けて頭を下げた。
どうもこのやりとりも日常茶飯事の事らしく、彼等としてはアーサーという人物のひととなりやこの団の関係性を端的に表せる一つの持ちネタのように扱っているようだ。
しかし彼等が口にした言葉も冗談ではなく、大半の冒険者は定職に就いている市民に比べると手取りが悪い方だろう。
自由業故、と言ってしまえばそれだけの話だが、彼等の存在は治安維持に大きく関わってくる。
国家警備員や各国々の自警団が出動するにはそれなりの資金が掛かる。
故に緊急事態とも呼べるような大事でも発生しない限り、国の兵士達は動けない。
緊急事態でなければ放置してよいレベルなのかと言えばそういうわけでもなく、殺人や窃盗といった大なり小なりの事件は常に発生しているためそれらの治安維持は必要不可欠となる。
そこで必要となるのが冒険者への依頼であり、腕の立つ者がそういった不届き者に掛かった懸賞金を貰う代わりに個人単位での取り締まりを可能にするのだ。
また冒険者による治安維持の必要性はそれだけではなく、元々縛られるのを嫌う質の者が多いため、例えどれだけ困窮しようと定職に就こうという者はあまりおらず、そういった者達が辿り着くのが多少立つ腕を利用した山賊や窃盗団と成り果ててしまう。
ミイラ取りがミイラにではないが、一つでも多くの犯罪を減らすためには冒険者の活発な活動が必要不可欠なのだ。
そういった意味でもこの土地は縁が深く、捕り物以来の大半はこういった観光地か何処かの国の富裕層を狙ったものが多く、金が巡る場所にはそれだけ良くも悪くも人の縁も巡る。
観光で来る者、仕事で来る者、はたまたよからぬ事をするために来る者……と多種多様な思考と種族が入り乱れるこの地は全てにおいてある意味一番開放的な国なのだろう。
「これはこれはサイ様。遠路遥々お越しいただきありがとうございます。この国は楽しんでおられますか?」
「いえ、こちらこそ貴重な時間を頂いていますのでピアト様をお待たせするような真似は出来ません」
「なんと! 私としては是非とも人族としては初のお客様のご意見も聞かせていただきたかったところだったのですが……まあサイ様がまだ娯楽に興味を持たれていないようでしたら、いつかお暇が出来たら今度は遊びにいらして下さい。ではこちらへ」
ピアトと呼ばれたこの国の王は今までの王達と比べると格段に若く見え、王独特の威圧感が殆ど無い。
その風貌にサイも驚いていたが、サイがこの国までやって来てただ王との会談のみが目的ということだった事にピアトも驚かされていたようだ。
他の国との会談とは違い、どういうわけだかジュースやデザートがサイとピアトの前へと持ち込まれてゆく中、人族法の話が進んでゆく。
奴隷からの脱却から始まり、常識の浸透、最低限の生活保護までをこれまでの法へと組み込んでゆくというサイの考えている大まかな流れを話し、これまでの反省点を踏まえて現状の資料には反映されていない、既に変更することを決定している内容を口頭で捕捉しながら全ての内容を話した。
「如何でしょうか?」
「そうですね。率直な意見を申し上げさせていただくならば、大筋は問題無いと思います。ただまだ端々の考慮までは手が回っていないといった印象ですかね」
「まだまだ人族を取り巻く環境と感情の全てを把握できてはいませんので……申し訳ありません」
「謝られるような事ではないでしょう。まだこの草案も駆け出しの状態。煮詰めてゆく時間は十分にあるはずです」
「ええ、向こう二十周節までには公布できるように考えています」
「二十!? いくらなんでも遅すぎるでしょう!?」
「え? 遅いですか?」
「人族の寿命は大体百歳ほど、竜族でも小竜種等は五百歳ほどです。人族の為の法を公布するのであれば最低でも五節程でなければ意味を成しませんよ!」
「でもそれでは長命の種族には急すぎるのでは……」
「長命の種族はそもそも世間の変化に疎いです! 短命種と違ってのらりくらりと生きているので時代が変わろうと特に気にしていないものの方が多いのですよ!」
今の人族に関する法を公布するまでの期間をピアトに説明すると、彼はかなり驚いていた。
元々多くの種が訪れるこの地で、彼も一商会を持っている立場としての経験もあるため世の中の動きというものには目聡く、時代の流れをサイよりもしっかりと感じている事はまず間違いないだろう。
だからこそ今回のターゲットは人族であるため、時間にして二百年という長過ぎる期間はとても現実的ではない。
その点に関してはずっと長命種である魔竜種に囲まれて生きてきていたことと、自分の命に対する執着の無さが生み出したサイの慣性に起因する部分ではあるが、お陰でピアトから通常の世間的な法や流行の流れがどれほどの速度で、どんな寿命の長さの種族に合わせられているのかを詳しく聞くことが出来る機会となった。
また、ピアトの意見が全てにおいて肯定されるべきであるとは言い切れないが、彼はこの観光地として人気の高い国を統べていることもあってか、様々な種族の長所も短所も知っているため、その言葉の殆どに嘘が無い上に十分に信用に値する根拠も添えられている。
話せば話すほどサイはこの地を観光の名所としてではなく、様々な種族の入り乱れる世界の縮図のような場所として興味が湧き、出来る事ならば数日程この地に留まってピアトや町の人々の意見を聞いてみたいとも思える程だった。
元々知的好奇心が旺盛だったサイは予定していた時間を大幅に過ぎても彼との会談を続け、実に充実した時間として過ごすことができた。
「おや、サイ様。もう暫く是非とも議論させていただきたいところですが、もう私も次の予定の時間となってしまいましたので、今日はこの辺で終わらせていただいてもよろしいでしょうか?」
「えっ……えっ!? すみません! 今何時でしょうか!?」
「今ですか? もうすぐ午後の七時ですね」
「すみません! こんなに長々と! 私も人を待たせているのですぐに戻ります!」
「おやおや。それではお気を付けて」
ハッと我に返ったサイは放置したままのアーサー達の事を思い出してバタバタとピアトの元を去った。
屋敷の外へ出ると既に陽は沈んでおり、夜の活気が町を賑わせている。
「すみません! 大変お待たせしてしまいました!」
「随分と遅かったですね。何かありました?」
頭を振り下ろす勢いでそのまま地面にぶつけてしまいそうなほど勢いよくサイは頭を下げて謝ったが、その場にいたのはローレンスとラルフの二名だけがおり、遅かったサイに対して特に起こった様子も無く不思議そうに言葉を投げかける。
サイにとって一番の懸念点であった政策の公布までの期間という議題だったこともあり、思わず話し込んでしまったことを素直に話すと二人はただただ感心していた。
「熱心ですねぇ。逆に話し合いだけで何時間も経っているのが分からないほど夢中になれるってのが冒険者をやっている身からすると分からないですよ」
「そうですか? 自分の興味のあることだと話している内に何時間も経っている……なんてことは昔から多かったので、あまり気に掛けた事がありませんでした」
「酒を飲みながらってことは多いが、ただただ話すってのは性に合わないって性格の奴の方が多いと思いますよ。考えるよりまず動け、って感じですかね」
「行動力が高いのもいい事ですね。どうしても自分の場合は余計なことまで考えてしまっているようですので。ところで話は変わりますが、他の方々はどちらに行かれたのですか?」
「ああ、サイ様が戻ってくるのがかなり遅かったんで、交代で休憩がてら食事しに行ってます。多分もうそろそろ戻ってくると思いますよ」
二人は先に食事を済ませて戻ってきていたらしく、アーサー達残りの三人は軽く食事を済ませてついでに消耗品の充填に出ているはずだと語った。
言葉の通りアーサー達は十分もしない内に戻ってきたが、どうにも三人の様子がおかしい。
「お! サイ様も戻ってきてる。だったら丁度良かったな」
「丁度良いものか……なけなしの金だというのに……」
「言った傍からこれだもんなぁ……」
見るからにアーサーは上機嫌でサイに向けて手を振っているが、ぼやいているエレイアとテルトの様子を見る限りアーサーの浪費癖がまた出たのだろう。
エレイアは呆れた様子で顔を押さえており、テルトの方は諦めを含んだ苦笑いを浮かべていた。
ローレンスとラルフもその様子は見慣れているのか既に何かを察しており、小声で諦めの言葉を発している。
「ほい、サイ様にお土産」
「お土産? ありがとうございます」
そう言ってアーサーが手渡したのは一本の万年筆だった。
しかし見るからにその万年筆は出来が良く、安い品ではない事が分かる。
「あの……もしかしてこれって」
「仕事で使うだろうから折角だから良い物を選んだ! 折角こんな観光地まで来たっていうのにこの国の思い出が何も無いのは淋しいからな!」
「お気遣いありがとうございます」
「嘘ですよ。この人、任務中に自分で遊んで余計な買い物までした事を誤魔化そうとしているだけですから」
「おい!」
「大体何かやらかした時はアーサーの贈り物のセンスが映えるんだよなぁ」
「そういうことをバラすなって!」
アーサーを中心にして少しだけ茶化した後、笑い合ってからサイ達は帰路に就いた。
機械駆動車の運転手にもサイは謝りを入れたが、彼としては慣れているのか特に気にしている様子はなかった。
既に陽も沈みきった暗い道を、飛ばし気味に機械駆動車は走り抜けてゆく。
普段は徐行を心掛けているのか、サイ達に車体の揺れが伝わることはないのだが、速度を上げて走っている機械駆動車はガタガタと音を立てて揺れるほどだ。
要人の移送に利用されるため本来ならばこういう走り方は決してしないが、サイの今後の予定も把握しているため断りを入れてから速度を重視した走りで戻っていた。
というのも、まだ本来は夕暮れまでに済ませている午後の仕事が済んでいないため、帰り着いたならばすぐに仕事に取り掛からなければ明日までに間に合わなくなってしまう。
そうして飛ばすこと数十分。行きの数時間という時間が嘘のように早く帰り着いたが、代償に止まった後も地面が揺れているような感覚に襲われる事となった。
「随分と遅かったではないか。あまり私を心配させないでくれ」
「申し訳ございません。ピアト様の所で予想以上に時間を掛けてしまいました」
「無事ならそれでいいが、出来る事なら一言連絡を入れていてほしかった。それとファフニルからの報告で、『サイの午後の仕事はこちらで済ませておいた』とのことだった。安心して明日に備えておけ」
「ご高配を賜り感謝の言葉もございません」
アーサー達と別れた後サイはファザムノへ報告に戻ったが、殆ど戻った事の確認とサイへの連絡事項だけで話は終わった。
サイが懸念していた午後の仕事もファフニルのお陰で既に終わっており、ようやく落ち着くことができたが、今回も纏めなければならない事が山ほどある。
早速サイはアーサーから貰った万年筆を走らせ、草案の修正を加えてゆく。
当然纏めるのはそれだけではなく、これまでのアーサー達や各国の王達との話し合いで分かった世界と人族との関係性や評価を記してゆく。
どうすることがこの世界にとって最も受け入れられ易いのか。
どうすれば人族と竜族の関係性をより親密にすることが出来るのか。
そんな事を考えながら筆を走らせて行く内に、その日も夜は更けていった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
翌日からもサイは彼等『炎の流星旅団』の面々と親睦を深めつつ、残りの大型都市として賑わっている国々を巡って行き、あっという間に予定されていた一週間が終わりを迎えた。
サイとしても既に十分な情報と意見、様々な資料の収集も完了していたため、予定通りここで諸国を巡る日々は終わり、更に政策を煮詰めてゆく段階へと進む事を決めた。
「短い間でしたが護衛と様々な現状の情報の提供、ありがとうございました」
「いやいや。俺達は何もしていませんよ。護衛なんて銘打たれていますが、結局最後までサイ様とお話ししてただけですし、色々とお見苦しい所も見せていたので」
「ええ。確かに『護衛』という仕事からすれば、何をしていたのか分からないような依頼の内容だったかもしれませんが、初めから私が皆さんに求めていたものはそういった護衛任務ではなく、実際にこの世界で暮らしている皆さんの意見を聞かせてもらう事だったので、忌憚のない意見の数々はとても参考になりました」
「……本当に初めからそれが目的だったんですか?」
「はい。諸国を巡るならば護衛を付けろとファザムノ様が聞かなかったので、ついでに皆さんを通して自分よりも身分の高い人族を相手にした時の心境も知りたかったので無理を通しました」
「てことはファザムノ様のあの言葉も全部演技だったってことですか?」
「あ、いえ。多分ファザムノ様はあまり他人を信用していないので、あの言葉は本気だったと思います」
任務最後の王宮前でサイとアーサー達はそんな会話を交わし、いつかまた何処かで会えることを心から願いながら別れを告げた。
暫くの間はサイも幻老院内にあるサイの為に設けられた自室と資料室とを行き来する程度の移動になり、仕事塗れの生活へと戻ってゆき、アーサー達には当初の依頼料とサイからの心付けの報酬が入った事で一気に財布も潤う事となる。
当然、アーサーはいつものように通っている日の出堂で全員に祝い酒を振る舞っていたが、サイからの報酬に付け添えられていた『出費を控えるように』という一文はしっかりと読んだのか、それ以上の浪費はあまりエレイアが行わせていないようだ。
冒険者達の間では彼等の『人族の護衛任務』というノーリスクハイリターンな依頼が再度張り出されることを心待ちにする者が大勢現れたが、そんな旨い話が何度も転がり込むはずもなく話題は一瞬にして鎮火し、アーサー達も『運のよかった奴等』程度でしか噂されなくなり、この一連の話題そのものが話題性を失っていった。
しかし、アーサー達にとってこの任務はとてもいい経験になったと感じていた。
少なくともバックパッカーとして流通している人族への見方が変わり、人族が卑屈な存在ではなくそういう考え方の種族なのだと考えられるようになっただけでも毛嫌いすることは避けられるようになっていた。
とはいえやはりまだ人族は避けており、エレイアは今も当時のキャリーの心境を知ろうとサイとの会話を思い返していたようだが、答えが出ることは当分ないだろう。
それと同時に一つ、アーサーは皆に一つ相談と約束をした。
「今後、一度買い物をしたい。もしもサイ様が言っていたように、人族がバックパッカーとして消費されてゆくだけの存在でなくなった時、人族を一人奴隷商から買い付けよう。今度はバックパッカーとしてではなく、そいつが得意とする事を最大限活かせるように皆で考えながら、な」
エレイアはその申し出に難色を示したが、最終的には彼女も含め全員がその言葉に納得し、約束した。
変わり往こうとしている世界を前にして、アーサー達が取った一つの決断。
それはとても小さな心持ちの変化だったのかもしれないが、サイが言ったようにとても大切な変化だ。
サイと『炎の流星旅団』との旅から一節の時が流れ、世間は既に人族の魔導師の存在など忘れ去っていた頃、サイの政策は十分に現実味を帯びた形で完成を間近に控えていた。
この頃になると今までサイと六賢者の面々のみで行われていた会議とは別に、サイが独自にそれぞれの担当部門へと出向いては最終的な経済面での影響を考慮した調整を進めてゆく。
税が増え過ぎれば国民の不満は間違いなく大きくなるが、かといって不足すれば国そのものが成り立たなくなる。
大商会の経営などへも影響を与えないように必要な申請や手続きの為の書類、窓口の開設準備も進めてゆき、細やかな調整まで完璧に進めていた。
三段階に想定していた草案は最終的に全て同時でなければ成り立たないとの結論に至り、それに伴う準備も同時進行で進めていたためサイの多忙さはそれこそ熾烈を極めていたが、サイの心の中にも今度こそ明確に見えたより良い世界の図がサイの心を奮い立たせ、辛さなど微塵も感じさせない。
それはファザムノと交わした、亡きファイスの遺志を体現せんとする大業でもあったが、サイの心の中にはもう一つだけ叶えたい思いがあった。
この大業が成された後、サイがやりたい事はたった一つ。
『ドレイクの息子になる』
それはとても小さく密やかな願いではあるが、サイにとってこれ以上ない夢だ。
人族が決して越えられなかったはずの壁を越えられる世界になった暁に、サイが望むのはドレイクだけが認めていたその言葉を現実にする事。
それ以上は何も求めていなかった。
新たな世界の水平線がゆっくりと白むような、夜明けまで秒読みとなった頃にもなれば流石のサイも落ち着きを失う。
幻老院内で事前に政治関係者へ情報の事前連携を行い、そこでの質疑応答も含めた内容を今一度六賢者内で全て説明し、後はファザムノの承認を得て新たな人族法の公布と相成る。
ようやくサイの抱えていた課題も終わり、後は王宮からの正式な発表があればサイの方のにも降りる事となる。
承認が降りれば五日後に世界中へ公表され、その翌月から半節の準備期間を置いて政策が実施されるようになる予定だ。
少々浮足立ちながらも間違いなく仕事を終わらせてゆく中、遂にファザムノの声明が発表された。
「本日より、人族に関わる法の改正を行い、新たなる人族法の公布を行う事を此処に宣言する」
その声明を以て、サイの心労は全て取り除かれるはずだったのだが、そういうわけにもいかなくなってしまった。
どういうわけだかファザムノの声明を詳しく聞いてゆくと、何故か半節後から適用されるはずの方が次月には適用されるという内容に挿げ替っているのだ。
「どうなっているんですか!? 来月からだなんて質問と苦情が殺到しますよ!?」
「そうだな。だがそれさえ対応してしまえば何も問題はない。我々としては君があと半節も政策補助の人族奴隷という肩書きな方が問題なのだ」
「影響範囲を考えて下さいよ!!」
「知らん。どうせ数ヶ月もせん内に全て鎮火する。世の中そういうものだ」
そう言ってケタケタと笑うファフニル達を前にして、目を丸くしてサイが怒っていたのは言うまでもない。
世界を巻き込んだ傍迷惑な軽い暴走と共に、人族の時代の訪れが足音を鳴らし始めたが、その人権を得る事となる第一号の人族は今日も頭を抱えながら今後の対策を考えていた。




