人族の時代 7
翌日、いつものようにファフニルがサイの意識を元に戻すためにサイの元を訪れたが、そこには既にしっかりと意識を取り戻していたサイの姿があった。
「おはようございますファザムノ様。この度は大変申し訳ありませんでした」
「何故謝る……。いや、止めておこう。よく戻ってきてくれたな、サイ」
開口一番に謝ってきたサイに思わず色々と言いそうになってしまったが、ファフニルは今一度言葉を飲み込んでただサイが自分の意志で起き上がり、ファフニルへ声を掛けてきた事にただ感謝した。
サイが元通りの意識を取り戻したという事実はすぐさま六賢者全員に知らされ、同じようにマンドラからファザムノへとその吉報も知らされた。
しかしサイが自我を失ってから既に数日経っていたこともあり、六賢者は全員本来の仕事に戻っていたため日を改めてサイと六賢者との面談を行う事となった。
「さて……サイ。もうお前の精神の中で散々話したから分かっているが、一応形式だ。お前は何故大魔導師になりたいと考えたんだ? ……じゃなかった、魔導師になりたいと考えたんだ?」
「一人でも多くの命を救いたいと考えたからです。そのために治癒魔法に関してはかなり深く理解している自負があります」
「……止めた。下らん。サイ、お前には個人的に聞きたい事が山ほどある。魔導師の面談とは全く関係無いが、今後お前と会話できる機会がどれほどあるかも分からん。だから今の内に色々と聞いておきたい。それでもいいか?」
「答えられることでしたら、なんでも」
ファフニルとの面談から再開することとなったが、お互いの表情は穏やかそのものだった。
会話の内容も殆どがサイとドレイクの関係と、サイが魔導師として歩んだ日々や今後やりたい事等が殆どだったが、気が付けばファフニルは自分の過去についてサイに話していた。
元々ファフニルは今のような性格ではなかった。
争い事を好まず、一人魔導の研鑽に時間を費やし、世界がより良くなってゆく様を横から眺めるのが好きな口数が少ない人物だったのだという。
しかし人族の大侵攻が起き、一人でも癒したいと彼の親友だった魔導師が前線へと赴いたことが切欠で彼の人生は大きく変わった。
命懸けの仕事にいつも震え、その度に親友に励まされ……そして目の前で親友が息を引き取る瞬間を目にしてしまい、ファフニルは人族を酷く恨んだ。
人族へ復讐することを心に誓い、兵士達とどうやって人族を撃退してゆくのかを相談し続けた結果、彼は眠っていた才能ともいえる知略の才能が開花する事となる。
気が付いた頃には魔導師でありながら軍人達と共に兵士の動かし方を話し合うようになり、負傷者を減らしながらその防衛線を優位に進めてゆき、そして魔法の攻撃への転化が唱えられると、彼はすぐさま攻撃魔法の研究を行うようになった。
「親友を殺した人族をこの手で焼き殺す。当時の私の心の中にはそんな憎悪の炎が灯っていたよ」
元々魔導の研究に長く身を置いていたこともあり、攻撃魔法の転化は楽に行うことができた。
炎を弾丸として打ち出し、大地を茨の如く突き刺し、稲妻の雨で人族を殲滅してゆく。
その全てが本来の魔導では行ってはならないとされた禁忌であり、誰かを傷付ける魔法が一つ出来上がる度に人族を一人殺す様を思い浮かべて一人にやける。
以前の物静かな魔導師はもうそこにはおらず、如何に人族を殺すのかを常に考える残忍極まりない性格へと変わっていた。
その最たる技が彼を六賢者と言わしめた闇魔法による精神攻撃だっただろう。
闇そのものでの攻撃は難しく、扱いが非常に困難だったため誰も研究を進めなかったが、ファフニルは攻撃の性質は基本的に魔導において禁忌とされた他者への悪影響と同義であることをいち早く理解していた。
そのため本来ならば失敗と捉えられる魔法式を構築し、指定した範囲内に存在する対象者の精神を破壊する魔法を生み出し、戦闘において大きく貢献した。
更に精神だけを破壊することで手に入った無傷の人族の肉体の解剖と記憶の研究を行う事で、更に効率良く人族を破壊する方法を編み出していった。
もうこの頃には彼を止められる者はおらず、人族を殲滅するのも時間の問題と思われた矢先、人族との停戦協定が結ばれたことを聞いてファフニルは激怒していた。
「もう親友を殺した人族の事などどうでもよくなっていたのだろうな。気が付けば私の憎しみはあの人族に対してではなく、人族という種そのものに対して向けられていた」
目の前に仇敵がおり、それらが今までの所業を忘れて幸せに生きようとしている。
ファフニルの目にはそう見えていた。
結局ファフニルは戦争が終わった後も人族を許すことが出来ず、一人心の中で戦争を続けていた。
そんな中、時も流れて彼も六賢者として讃えられるようになった頃、ファイスが死んだことで更に彼の憎しみを妨げる者はいなくなり、人族を決して許さぬために人族に関する法の整備を自らが買って出て、あらゆる尊厳を奪い取った。
「皮肉だよ。私が人族を恨み、人族に対してやってきた事の全てが結局は私の暴走で、気が付けば恨んでいたはずの人族がやったそれ以上の所業を私は今の今まで行い続けた。君が現れるまではな。全ては私の妄想だったと思い知らされ、十数周節分の溜まった憎しみが次は人族から私へ向けられる番だったが……君は面白い事を答えたな?」
「面白い……ですか。私としてはただ、ファフニル様を恨む理由が無いと答えただけだと思うのですが」
「そこがだよ。お前はいくらでも私を恨む理由がある。学園やここ最近、暗殺されそうになった経験があるだろう? 全て私の差し金だった」
「薄々そんな気はしていましたが、仕方のない事だと」
「ほらな? そうやってお前は簡単に許してみせる。既にこうも私だけが過去に取り残されていたという事さ」
そう言って自虐気味にファフニルは笑ってみせた。
サイの気質という事もあるのだが、それをファフニルに伝えても特にファフニルの答えが変わる事はなかった。
「サイ、約束しよう。お前の実力とその信念があれば間違いなく上級以上の魔導師にはなれるだろう。だからこそ私もお前達が活躍できる時代の基盤を作る。後は好きにやるといい。私からは以上だ。次はリンドヴルムだったな。呼んでくるから少し待っていろ」
「ありがとうございます」
結局最後まで面談というよりは個人的な約束と個人的な思いを打ち明けただけで終わり、そのままさっさと部屋を出て行ってリンドヴルムと交代した。
空に瞬く稲妻の如く奇麗な紫色の体色と、そこからグラデーションのように変わってゆく胸部から腹部にかけての黄色が美しいリンドヴルムは、魔導師の中ではかなり体格が良い。
鹿の角のように枝分かれした長く鋭い角が一際目を引くリンドヴルムだが、彼の角は片方の角が半分ほど折れており、頭部には目元まで届く深い傷の痕がしっかりと残っている。
それは彼が戦場に身を置いていた時に受けた傷の内の一つだ。
肉体を鍛える事で魔力の量が増えることを知っていたリンドヴルムは元々身体を常に鍛えていたのだが、人族の大侵攻の際に同時に前線で戦う魔導師兼兵士として多くの武勇を上げ、多くの人々の傷を癒した。
魔法の攻撃への転化が発見されてからは治癒よりも攻撃魔法による殲滅を得意とし、高い機動力で大きな戦果を上げたのだが、それをあまり良しとはしていなかった。
そんなリンドヴルムは部屋に入るなり、サイを鋭く睨みつける。
少々視線に気圧されてサイが委縮するのを見るとリンドヴルムはハッとした表情を見せて、顔を左右に振る。
「すまない。君の魔力が未だに見慣れ無くてな。君の過去やここで起きた事は全てファフニルから聞いた。君には随分と迷惑を掛けた」
「いえ、こちらこそ色々とご迷惑をお掛けして申し訳ありません」
「君に謝られると我々の立つ瀬が無くなる。謝ってくれるな」
リンドヴルムは深く頭を下げてからサイに謝り、そう言ってからリンドヴルムは椅子に軽く腰掛け、サイと視線を合わせた。
サイを見てリンドヴルムが口にした通り、本来は色が無いはずのサイの魔力には既に黒い色が付いていたからだ。
普通ならば有り得ない状況が原因で、ほぼ常に多重視を自然と行っている魔導師にはサイは異様な存在に見えることだろう。
その後はサイを睨み付けるような事も無く、普通に会話を始めた。
「サイ。魔法とは何のためにあると思う?」
「生活をより豊かにするためです」
「それはマイラス様の御言葉だ。サイ個人としての意見を聞きたい」
「……出来なかったことを出来るようにするために、一人でも多くの人が悲しまなくて済むようにするためにあるもの、だと考えています」
「その答えが自然と出てくる時点で、君には魔導師になるべき素質がある。私はそうなれなかった」
「どういうことですか?」
「私は生来合理的に考える主義でね。その結果合理的に物事を考え過ぎたが故に、君や他の人族達、そして多くの国民達……そしてファフニルを悲しませる結果となってしまった」
そう言ってリンドヴルムも自らの過去を語り始めた。
ファフニルと違い、リンドヴルムは決して人族に対して明確な敵意等は持っていなかった。
分かり合うことが出来ないのか、とは悩み続けていたものの、次第に傷を負い死んでゆく者達を見る内に人族を殲滅することの方が合理的だと考えるようになってしまったのだ。
合理性を好む彼は魔導では戦うことが出来ないならばと身体を鍛え、兵士同様に武術を覚えて戦いながら魔法で癒すかなり特殊な魔導師となっていた。
より前線で安全に戦いつつ、人々を癒すための方法を考え続け、戦場にいたファフニルの才能にいち早く気が付き、彼を軍師として起用したほど元来の戦いのセンスは高かったのだろう。
そして魔法を攻撃へ転化させる方法を提唱された中、以外にも彼はその考えに異を唱えていた。
「魔法とは本来生活を豊かにするためにあるものだ。その魔法を用いて他者を傷付けるのはマイラス様の教えに反する」
そう訴え続けたが、激しさを増す戦場の中で結局は合理性を優先し、教えに背いて攻撃魔法を編み出す事となった。
鍛えた体と戦闘におけるセンスは攻撃魔法を会得したリンドヴルムを更に強固なものにし、結果皮肉にも一番攻撃魔法を嫌っていた彼が最も攻撃魔法との親和性が高くなってしまう。
戦場に身を置き続けた事で彼の感覚は少しずつ麻痺していき、気が付いた頃にはもう人族を殲滅することに何の違和感も抱かなくなっていた。
その時、ファイスが停戦を宣言し、人族との和解を進め始めたのだ。
だがそれがその時のリンドヴルムには理解できなかった。
殲滅すべきと断じた対象を生かすことに何の利点も感じられず、ファイスと真っ向から対立する事となり、結果ファフニルやマンドラと共に件の騒ぎを起こしてしまう。
「結果私はファイス様の描いていた和平の道を断ち、せめてファフニルだけでも知らせるべきではないと口を噤んだ。それが最も合理的に混乱を鎮火できると考えたからだ。だが、世界は合理性だけでは出来ていない」
「どういうことですか?」
「ファザムノ様やファフニルを騙したことは結果混乱の鎮静は速めたが、ファイス様の遺した人族は世界にとってただの邪魔な荷物のようになってしまったのだ」
初めはリンドヴルムが人族の法整備を買ってでたが、恨みを募らせるファフニルの言葉に真実を話すことが出来ず、彼にその座を譲る事となった。
せめてファイスが成そうとしていた人族の受け入れを行うつもりだったが、そんな気が毛頭無いファフニルによって人族は完全なる奴隷化が行われ、同時に自分の下した判断が更に今になってリンドヴルムを呪いのように蝕んでゆく。
「是非リンドヴルム様に対人族対策、そして国家警備隊や各自警団の自治に関する法を取り仕切っていただきたいのです。当然、対人族用の魔導研究も出来るように致しますので!」
誰もがそんな言葉と共に戦争中に多くの人族を殲滅してきたリンドヴルムへ羨望の眼差しを送った。
彼ならば必ずや次の人族も滅ぼしてくれる。と……。
来る日も来る日も攻撃魔法の研究に実験用奴隷を渡され、上級魔導師用の攻撃魔法を考案してはその虚ろな目をしてただ死を待つ人族へ向けて放つ。
それは彼が望んだ平和な世界と真逆にある行為だった。
光の無い人族の目を見るのが嫌になり、法の整備に没頭するようになってからは人族を見る機会もめっきりと減り、ようやくその呪いから逃れることができたのだが、その呪いは逃れただけで解けてはいない。
それを思い知らせるように訪れたのがサイという存在であり、彼の呪いを思い出させるかのようにサイは目の前でファフニルの手によって壊れた。
「全て自分の蒔いた種であり、その育て続けた呪いが今になって全て私の元へと帰ってきた。ただそれだけの事だ」
「申し訳ありません」
「何故謝る? 寧ろ君には驚かされた。ファフニルから聞いた。君は魔導師になりたいという自分の夢を思い出したと。君のお陰で私もただ呪いに蝕まれ、縛り殺される日を待ち続けるのは止めようと考えられたのだ」
「……確かにそうです。ですが、申し上げにくいのですが、私は今もまだ生きたいという思いがそれほど強くありません。もしも望まれたのであれば、私はこの命を差し出すことに何の抵抗も無いのです」
「ならば望ませない世界を作るまでだ。一人老いて朽ちてゆくのを待ち続けるような真似は出来ん。今度こそファイス様の描いた世界を作るために尽力しよう」
そう言ってリンドヴルムは少しだけ口角を上げた。
彼もファフニル同様、殆ど魔導師としてのサイとの話は殆どせず、自分の過去とこれからの事について深く語り合い、席を外した。
次に訪れたのはダハーカだった。
彼は肥沃な大地を思わせる深い土色の体色をしており、ファフニルやリンドヴルムよりもその色が全体的に褪せており、ドレイク同様鼻の上に眼鏡を乗せている。
先の二人とは打って変わり、部屋に入っては来たもののなかなかサイの前へと移動してこない。
「き、君、その魔力は大丈夫なのかね? 何処かまだ体の調子がおかしいのでは……」
「あ、いえ。皆さんが思っている程何ともありません。それよりも驚かせてしまい申し訳ありません。それにこうなったからなのかは分かりませんが、今の僕から見ればどなたの魔力にも様々な色がありますよ」
「そうなのか? ああいや、そうじゃない。まずは謝らなければ。君が意識を失ったと聞いた時、私は真っ先に逃げたんだ。すまない」
「私こそお騒がせしてしまい申し訳ありません」
結局サイとダハーカは暫く二人で頭を下げ合っていたのだが、ようやくダハーカが意を決するようにサイの前の椅子に腰掛けた。
何度も深呼吸をし、サイの目を見てはすぐに視線をずらし、僅かに手を震えさせる。
「申し訳ありません。やはり人族は恐ろしいでしょうか?」
「違う! ……違うんだ。私が人族を恐れている理由は君だからではない。私自身の問題なのだ」
サイの言葉に対して、それまで一度も出した事が無いような大きな声でダハーカは否定し、少しずつ元の調子に戻りながら言葉を続ける。
誰の目から見てもダハーカは怯えており、自らの身体の震えを抑えようと必死に自分の腕を掴んでいた。
「サイ、何故君は魔導師になりたかったんだ?」
「切欠はドレイクさんが倒れた時のことでした。あの時、僕にもっと力があれば、ドレイクさんを救うことができたかもしれない。そう思ったからこそもっと魔法というものに精通したいと考えました」
「純粋だ。純粋でとても素晴らしい理由だよ。ならもう一つ教えてほしい。何故君は反魔法を使おうと考えたんだ? あれは禁術とされる危険な魔法ばかりだ」
「あの魔法は詠唱自体には集中力を必要としますが、発動してしまえば何の危険性も無い魔法です。それに、僕にとってもドレイクさんにとってもあの魔法は一つの答えのようなものだったので」
「自身の精神界を他者に共有する魔法。知っている。ドレイクが長年悩んでいた方法を遂に魔法として形式化したんだ。凄い事だ」
「ありがとうございます」
ダハーカはそうしてサイが使った独自の魔法についてサイとよく話し合った。
|原始に到る為の極限なる精神世界の一端、それはドレイクとサイの願いの結晶ともいえる魔法だろう。
初めて見た日からダハーカはあの魔法に見惚れており、その魔法だけで十分に高くサイの事を評価していた。
そうして話してゆく内に少しずつ恐怖が和らいできたのか、ダハーカも同じようにサイの魔法を語り、それに加えるようにして自らの事を話し始めた。
ダハーカは決して普段からこのように怯えているわけではない。
魔法の探究に心血を注いでいた当時でも高名な魔導師だったダハーカは、魔法の攻撃への転化が行われる前から大地をせりあがらせて壁を作ったりなどして、戦闘に間接的にかかわる魔法を使用していた。
そうして攻撃への転化が提唱されるとダハーカは初めこそは普通の魔法をそのまま本来の用途ではない使い方をして攻撃をするという、ドレイクが偶々提案した方法と同じ方法で魔法による攻撃を行っていたのだ。
次第に攻撃魔法も使用するようになった頃、ダハーカはある一つの考えが浮かんでしまった。
「今にして思えば、あの発想はしてはならないものだった。だが戦場という環境が私の倫理観を麻痺させ、あのような凶行とも呼べる行為を行わせたのだろう」
治まった身体の震えが今一度ぶり返しながら、ダハーカは言葉を続ける。
ダハーカが行ったという凶行、それは普段ならば決して出来ない、やろうとしない実験だった。
反魔法の生物への行使。
どうせ焼き殺すのならばその影響を調べることも大差ないだろうと考えた上での行為だった。
当時の頃から反魔法に関する研究をかなり進めていたため、影響を調べることにかなりの興味があった。
ダハーカにとって人族はそこらの小動物と大差無いものにしか考えていなかったこともあり、絶対の安全を確保した上で人族に対して魔法を使用した。
「今でも鮮明に思い出してしまう。体から遠い個所から肉体が砂粒に変化してゆく人族。そしてそれを見て混乱する中、必死に後ろにいた者だけでも守ろうとする者達の姿が……全て砂になった時の恐怖と絶望に満ちた表情が忘れられない……」
そう語ったダハーカは、当時は何の感慨も無くその景色を見ていた。
だが興味本位で霊視を使い、砂になった人族を見た事で後悔することとなる。
そこに出来上がった砂粒には未だ混乱したままの人族の意識が存在し、まだ肉体として認識されているその砂粒から動けずに異国の言語でも分かる悲鳴を上げる魔力の姿があった。
ダハーカはそこでようやく自分の行った行為の恐ろしさに気が付くことができたが、既に砂粒と化した肉体を元に戻す方法など存在しない。
幾人もの誰にも聞こえない悲鳴から逃げるようにダハーカは戦場を去り、一人その脳裏に焼き付いて離れない悲鳴から逃げ回っていた。
自分のしでかしたことの恐ろしさに怖れ慄き、眠れぬ日々が続いたある日、もう彼等も死んだだろうと考え、今一度その場を訪れたのだが、結果は最悪だった。
ピクリとも動かなくなったままの何者かの魔力が幾重にも重なりあっており、そこに何者かの意識が残り続けていることが魔導師にのみ分かる。
死ぬことも許されず、動かなくなった肉体に縛り付けられたまま彼等は意識のみでその場で生き続けることとなる。
「あれ以来、私は人族の目を見ることが恐ろしくてたまらない。あの悲鳴を、絶望に満ちた目を思い出さないようにするために無我夢中で人族を殺していたら……六賢者などと呼ばれていた。私はただの猟奇殺人を行っただけの存在だというのに……」
その告白はあまりに衝撃的だった。
かける言葉が見つからず、サイすらただ言葉を失うしかなかったが、ダハーカは自らの振るえる手を強く握りしめながら、言葉を振り絞って話してゆく。
「魔導の研究も止めてしまった。あの土地へ行くことすらも恐ろしくてできない……。笑えるだろう? こんな不甲斐無い者が六賢者などと持て囃されているのだから」
「仕方のない事だと思います。そんな経験をしたのなら、恐ろしくて仕方がないはずですから」
「やはり君も私が恐ろしいか?」
「恐ろしくはありません。ただ、掛けるべき言葉が見つかりません」
ダハーカの目には涙が溢れていた。
それは誰にも語った事の無い自分自身の罪だと語っていた。
それをサイに語った理由は一つ。
サイを通して人族へ贖罪をしたいからではなく、サイの黒く変質した魔力がどうしてもその時の出来事を思い出させるからだ。
「何故恐ろしいと思わないんだ? 君は実験用の奴隷だったと聞いた。その時の君の記憶も見た。とてもではないが君の心が壊れてしまった理由がよく分かる記憶だったよ。そんな君からすれば、今の私は恐ろしくて仕方がないはずだ。違うか?」
「僕にとっての恐怖とは自分という存在を否定されることぐらいしかありませんので、あまり参考にはならないと思います」
「物言わぬ砂の塊にされたとしてもか?」
「慣れているのであまり何とも思いません。それにダハーカ様がそのような事をもう一度するとは到底思えませんので」
「……そうだな。確かに出来ないだろう。だが私はしてしまった。その事実は変わらない。だからこそたった一度の過ちが今も尚彼等に無限に続く苦しみを与え続けているというのならば、私だけが死ぬことは許されないだろう」
「そう思うのであれば、尚更確認するべきでしょう」
「何故だ!?」
サイの意外な言葉を聞いてダハーカは飛び上がるようにして立ち上がった。
心臓が張り裂けそうなほどに大きく鼓動し、ダハーカの手を更に震えさせるほど、その行為は恐怖に満ちている。
だからこそさらりとサイが告げた事が驚きでしかなかったのだろう。
しかしサイはそんな鬼気迫る表情のダハーカを前にしても顔色一つ変えずに告げた。
「精神はダハーカ様が思っている程、強くはありません。多分、もうマナの元へ還っているでしょう。そうだったら弔ってあげればいいだけです。そうでなければ、せめて魔力を切り離して亡くなれるようにしてあげるべきです。それが出来るのは魔導師だけですから」
「……そうか。しかし、彼等は許してくれるのだろうか?」
「それを答えられる人はもういません。ですが、私から一つだけ言えることがあるとすれば、ダハーカ様を許すことが出来るのはダハーカ様だけだと思います」
ダハーカにとってサイの答えは良い意味で予想外だった。
ダハーカが恐れていたのは人族ではなく自分自身であり、自分自身に恐怖しているのであればそれを許せるのも自分しかいない。
すぐにその通りに出来るとは限らない。
だがそれでもダハーカにとってその言葉は、ずっと蝕み続けていた呪いを解いてくれる魔法のようだった。




