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命の在り方  作者: けもにゃん
68/81

人族の時代 5

 ファフニルの迅速な行動のお陰で幸い致命傷にならずには済んだものの、サイの喉元には痛々しい切り傷の治療痕がくっきりと残っていた。

 元々医療魔法がそれほど得意ではないファフニルとしてはこれでもかなり上出来な方なのだが、問題はそちらよりもサイの意識が戻らない事にある。


「ファフニル、なぜこういう事態になったのか説明してもらおうか」

「どうもこうもあるか。人族ヒュムノが私に向かって歯向かうように仕向けたが、どういうわけだか自分の喉を裂いた。まさかそんな馬鹿な真似をするとは思わんだろう?」

「そもそもこれは魔導師の面接で……もういい。どちらにしろこのまま人族ヒュムノの目が覚めなければ国王にも申し開きのしようがない。精神魔法はお前の得意分野だ。人族ヒュムノの意識を呼び戻せ」

「全くドレイクといいこいつといい、何でここまで面倒事ばかりを引き寄せるんだ……」


 マンドラに何故サイがこのような事になったのかの説明を求められたファフニルは、開き直ったかのように答えた。

 流石にあまりにも目に余る行動にマンドラも意見したが、悪びれる様子すらないファフニルを見て諦めたように肩を落とし、せめてサイの意識を呼び戻すように指示した。

 一瞬だけ何故というような表情をしてマンドラの方を向いたが、特に何も言わずに深い溜め息を吐いてから精神を集中し、サイの身体の上で魔法式を構築してゆく。


「|闇夜の往く魂の探索(デュオヴィ・アルパータ・ルネル・イクソウル)による精神探査を開始する」


 そう言うとファフニルは構築した魔法陣に魔力オーラを送り込み、魔法を発動した。

 送り込まれた魔力オーラはそのままサイの身体の中へと流れ込むように動き、うっすらと互いの魔力オーラが接触している箇所が光を放つ。

 |闇夜の往く魂の探索(デュオヴィ・アルパータ・ルネル・イクソウル)は自身の精神を魔法によって具現化し、対象者の精神へ送り込むことのできる魔法である。

 意識を失った者の精神状態を探ったり、事故や事件により錯乱状態となったような者から正しい情報を取得するために用いられるが、精神に干渉する魔法であるため当然禁術である。

 精神魔法の使い手の中でも特に優れた才能を持つファフニルは難なく発動させて、すぐにサイの中へと自身の精神を送り込んだが、本来ならば同調にかなり繊細な調整が必要なため、これほどの速さで発動させられる者はそうそういない。

 だがその速さが今回は仇となった。

 サイの中へと入り込んだファフニルの精神は同時にサイが今まで経験してきた記憶を僅かながら体験する事となる。

 記憶の中でも負の記憶という物は鮮明に残りやすく、精神を共有したような状態のファフニルにもその記憶が流れ込む事となりやすい。

 同調に時間が掛かればそれらを見る心構えが出来るのだが、あまりにも早すぎたことと実験用奴隷であるという事を知っているファフニルでも想像していなかったほどの苦痛の記憶が流れ込んできた事で、思わず精神が乱れた。

 一瞬一瞬で通り過ぎてゆく記憶の全てがまるで全く同じ記憶を見ているかのように痛みと恐怖の記憶のみで構成されており、サイの受けた苦痛の日々を同じようにファフニルにも追体験させる。


『な、なんだこの負の記憶の量は!? 止めろ!! 精神が……!!』


 大荒れの濁流となって流れてゆくサイの大半を占める負の記憶。

 そのあまりの負荷の大きさにファフニルの精神が耐えきれなくなり、急いで詠唱を中止した。


「どうした!? 何が起きた!?」

「……なんでもない。ただちょっと想像していたよりも面倒な仕事になったというだけだ。悪いが集中する必要がある。お前達は外に出ていろ」


 詠唱を中断するなり後ろへ飛び退いた勢いでそのまま地面に倒れ込んだファフニルを見て、六賢者達は何が起きたのかとファフニルを見たが、見たものについては答えなかった。

 ファフニルの表情から驕りが消え、真剣な表情へと変わった事を見て他の者達もその先を聞こうとはせず、すぐに医務室を空けた。


「あの量は流石に対応できん。なら離れ業だ」


 サイとファフニルのみとなった医務室でファフニルは今一度精神を集中し、サイの上に今度は二つの魔法陣を描く。

 一つは先程の物と同じ魔法陣で、もう一方はその魔法に組み合わせて使う少々特殊な魔法だ。

 ファフニルが編み出した独自の魔法であり、使用方法とその効果が特殊なため公開していないその魔法は精神におけるその記憶の層を無視して直接意識が眠る層まで精神を送り届ける魔法である。

 精神干渉を行う時点で集中力が乱れやすくなるため、あまり繊細な操作を要求する魔法を使用するべきではないため、二つの魔法を複合して一つの魔法にするのではなく、二つの魔法のままにして使用するという方法で集中力が乱れた際も危険が及ばないようにするという手法だ。

 今一度それらの魔法を使用して精神をサイの中へと送り込み、魔力オーラによる干渉を行う。

 今度は記憶の中に一つ大きなトンネルを作るようにしてその中を通り、吹き荒れるサイの記憶を避けてサイの意識まで辿り着いた。


「な、なんだここは!? 何故意識層がこれほどまでに暗いのだ?」


 サイの意識に辿り着いたファフニルはその空間の異質さに驚いた。

 通常、精神探査で潜る意識層は中心に対象者の意識が存在し、その意識にとって大切な記憶が灯の様に宙に浮かび、意識層を照らしている。

 どんな者でも必ず掛け替えのない記憶という物は存在するため、意識層は自然と明るくなるが、サイの意識層にはその明かりが存在しない。

 周囲を照らすのは精神体であるファフニルの放つ光だけで、その放つ光も周囲の闇に吸い込まれているのか体感的に数メートル先すら分からなくなっている。


「誰?」

「そこに居るのか? 返事をしろ!」

「目の前にいるよ」


 暗い空間の底から周囲の漆黒を集めたような黒い塊が沸き上がり、人族ヒュムノのような形を成す。

 なんとかそれが目視できたファフニルはそちらへ進んでゆき、彼の前に降りた。


「全くふざけたことをしてくれたな? 復讐は済んだか? さっさと意識を取り戻せ」

「意識? 『サイ』の事?」

「どういうことだ? お前がサイじゃないのか?」


 彼を指差しファフニルは嫌味を込めた言葉を放ったが、帰ってきた言葉にファフニルは驚愕した。

 通常一人の精神には一人の意識しか存在しない。

 稀に複数の意識を持つ者もいるが、それは非常に稀なケースだ。

 それにもしも複数の意識を持っているのであれば、それらの意識は互いに交代して人格となるため、どちらも存在しなければならない。


「僕はただの人族ヒュムノだよ。君が探してるサイならさっきようやく眠りに就いたんだ。起こさないでやってくれよ」

「ただの人族ヒュムノだと? ふざけた冗談を言う暇があるならさっさと起きろ!」


 ファフニルはそこにいる人族ヒュムノがサイだとしか思っていなかったため、無理矢理にでも起こそうと腕を掴んだが、掴んだ場所から砂の塊が崩れるように砕けた。


「ど、どうなっている……。お前は一体、何なんだ?」

「ああ、触れて分かった。君がサイを通して見てた人か。だったら話は早いよ。君が望んだただの実験体。それが僕だ」

「な、ならサイは何処だ? 奴を叩き起こさねば」

「なんで? やっとサイもこれ以上苦しまない内に理解してくれたんだ。魔法を使える人族ヒュムノなら僕に命令すればいい。何もかも言う通りに行動するよ」

「なら命令しているだろう? さっさとサイを起こせ!」

「はい。これがサイだよ。起こすなら他の人族ヒュムノにでも移し替えて使って」


 苛立ちを見せるファフニルの言葉を聞いて、人族ヒュムノは幾つかの光の欠片を足元から掬い出してファフニルへと渡した。


「なんだ……これは?」

「『サイ』だよ。といっても無理矢理砕けた意識の間を僕で繋ぎ止めてたのに、また砕かれたからもうそれしか残ってない」


 ファフニルへと渡された光の欠片は何処か人のような形をした欠片がいくつかあるが、その大部分は不足している。

 そもそも意識が砕けた状態で残留している事自体があり得ないため、ファフニルは状況を理解するのにかなりの時間を必要とした。


「ここまで来れる君なら出来るでしょ? 他の適当な人族ヒュムノを探して、それに移し替えればいい。僕がいなければ多少なりは『サイ』にはなると思うよ」

「馬鹿にするな! そんなこと易々と出来るものか!」

「出来るでしょ。出来るまで試せばいいだけ。人族ヒュムノなんてそこら中にいるんだ」

「本気で……そう言っているのか?」

「当然だよ。それが人族ヒュムノの存在価値だ」


 人族ヒュムノの言葉には何故聞き返してきたのかすら理解できないという思いが伝わるほど、本当に当然のように返した。

 今まで言葉を荒げていたファフニルはそこで初めて冷静になり、手の中に残っているサイの欠片を見つめた。

 どれほど多めに見積もってもそれは一人の人族ヒュムノを形成する二割程度しか残っておらず、もしもこの先人族ヒュムノの言う通りに試し続けたとしてもどれほど掛かるのか見当もつかない。


「これは元々お前だったんだろう? なら、これでサイを蘇らせるんだ」

「逆だよ。僕からサイが生まれたんだ。さっきやっとサイは自分の存在を諦められたんだ。もうこれ以上砕かなくてもいいでしょ?」

「お前から生まれた? ならお前もサイなんだろう?」

「だから名前を与えられたのはそっちだけで僕は僕のままだ。『サイ』として生きるには僕は必要なかった。だから上から包むようにしてサイの意識が成形されていたんだ。僕じゃサイは元に戻せないよ」

「そんなことあるものか! 命令だ! これでサイを元に戻せ!」

「分かった。ただ、どうなっても僕は知らないよ」


 ファフニルが優先したのはサイを形だけでも起こす事だった。

 人族ヒュムノにただ長く関わりたくないという思いだけでその欠片を人族ヒュムノへ投げ返す。

 ただただその異様な存在を前に恐怖していたファフニルは、人族ヒュムノがその欠片を拾い集めだしたことを確認してから魔法の詠唱を終えてサイの精神から離れた。


『これで形だけでも元に戻る』


 ファフニルはそう思い込むことで納得するしかなかった。

 暫くもしない内にサイは確かに意識を取り戻して目を開いたが、その目は以前のサイの様に虚空を見つめるだけだった。


「ファフニル。サイの精神の中で何を見た? 一体どういう風に意識を呼び戻したのだ?」

人族ヒュムノは確かに呼び戻した。それで十分だろう?」

「これを見て国王が納得すると思うか? 言うつもりがなければ私が直接見る」

「駄目だ。特に記憶は絶対に見るべきではない。ここまで言っている以上分かるだろう? お前達のためだ」

「……元より覚悟は出来ている。全てを見せろ」


 窘めるように話すマンドラに対し、明らかに動揺しているファフニルを見れば、誰でもファフニルが何かを隠しているのは分かる。

 だからこそファフニルも隠し通そうとしたが、マンドラの言葉で諦めたのか、必ず後悔する。とだけ告げてマンドラはサイの記憶を皆に見せた。

 サイの凄惨たる日々の記憶。

 ただ聞いていただけで見た事の無かったファフニルにとってもその延々と続く地獄のような日々を見続けるのは非常に堪えた。

 だが六賢者達は間を少しずつ飛ばしてゆきながらもサイの記憶を全て見てゆき、『サイ』となってからの残っていた記憶も少しだけだが見ることができた。

 残っている記憶は殆どが一部分のみであり、ドレイクと共に過ごした日々も魔法を覚えた日以外は殆どが見ることが出来ない。

 学園の記憶などほとんど残っておらず、残っているのは逆に苦しい日々の記憶と初めてサイが意識を失った日の前後の少しだけ。

 あとの殆どは全てが見ることすらできないまま、最後の記憶まで全て見終わった。


「私達にとってはこの記憶は見たくないもののはずだ。特にダハーカ、お前にとってはな」


 人族ヒュムノの大侵攻の折、最前線に立っていた彼等にとってその記憶は何も真新しいものではない。

 だが同時に自分の中に封じ込めていたトラウマを呼び戻すには十分だっただろう。

 全員が静まり返り、ただ目をうっすらと開いて天井を見つめるだけのサイを眺めた。


人族ヒュムノ、立て」


 リンドヴルムが不意にサイへ向かってそう言うと、サイは言われた通りに立ち上がる。

 その目や表情には感情が一切篭っておらず、まるで命令の通りに動く精巧な人形のようだ。


「腕を切り落とせ」

「何を考えているんだリンドヴルム!」


 ファフニルがリンドヴルムを止めに入ったが、既に命令されていたサイは迷わず魔法で風の刃を作り出し、自らの腕を切り落としていた。

 その腕をすぐさま拾い上げ、治癒魔法で元通りに繋げたが、同時にリンドヴルムは深い溜め息を吐いた。


「お前の話した通りだな、ファフニル。確かに命令通りに動く人族ヒュムノだ。だが、これはもうただの道具と同じだ」

「何も試す必要など無かっただろうに!」

「お前のためではない。マンドラ、理解しただろう? 人族ヒュムノは変わらない。もう私達だけでは隠し通せない。そう遠くない未来、お前の危惧していた未来が訪れることになる前に、せめてここにいる者達だけでも知るべきだ」

「マンドラに? 何故だ?」


 リンドヴルムはそう言い、マンドラの方へ顔を向ける。

 急にマンドラの名が出たことでファフニルも冷静さを取り戻してマンドラの方を向くと、マンドラも同様にリンドヴルムの方をかなり嫌そうな表情で見ていた。

 暫くの間マンドラは深く考え込んでいたが、諦めたのか小さく息を吐いてからマンドラは口を開いた。


「前王ファイス様の死は……我々魔導師が原因だ。我々が人族ヒュムノを憎み、恐れたからこそ今に至るまで全ての人族ヒュムノが未だ種として受け入れられず、道具として消費されるようになった」

「それだけではないだろう? 我々が隠し通したがためにファザムノ様まで人族ヒュムノを憎み、ファイス様の遺志を捻じ曲げてそれでも人族ヒュムノを生き残らせた。次に人族ヒュムノの侵攻があれば、間違いなく人族ヒュムノは全滅する」

「ど、どういうことだ? まさか魔導師の誰かがファイス様を殺したとでも言うのか!?」

「ファイス様は殺されたのではない。自殺したのだ」


 マンドラの言葉に対して補足するようにリンドヴルムも隠していた事実を語る。

 その内容を聞いて言葉を失ったのはファフニルだけではなく、ダハーカとリヴァイアも同様だった。

 何故ならばマンドラとリンドヴルム以外の者達は、ファイスは人族ヒュムノによって殺されたのだと知らされていたからだ。

 事実、そうなるようにマンドラとリンドヴルムが事実を隠して嘘を流し、それを今の今まで隠し通してきた。


「何故……なぜ今までずっと黙っていた!」

「今でも私は言うべきだとは思っていない! 何故ならばファイス様が自殺した本当の原因は魔導師ではない! 私とリンドヴルム、そしてファフニル! 君だ。我々の犯した愚行が人族ヒュムノを追い詰め、結果既に限界だったファイス様を死なせるに至ったのだ!」

「う、嘘だ……そんなことは一度も……」

「私も信じられなかった。だが事実だ。それに今更明かしてももう遅い。人族ヒュムノはこのままでは我々に反逆するのではなく、我々のために死んでゆき、そして……ファイス様の遺志は途絶える。もうこれは避けられないのだ」


 マンドラは初めて言葉を荒げながら叫んだ。

 それほどまでにずっと悩み続けていたからこそ、マンドラのその言葉はとても重い。

 ぐらりと崩れるようにファフニルが後ろへ一歩下がり、驚愕の表情を浮かべたまま考えを巡らせる。

 だが当然答えが出る筈もなく、結果としてファフニルもようやく落ち着きを取り戻したため、それを見てからマンドラは全てを話し始めた。






     ◇     ◇     ◇     ◇     ◇     ◇     ◇     ◇






 人族ヒュムノの大侵攻が魔導師達の活躍により終結した日から数日後、当時の人族ヒュムノの長だった道実みちざねが完全降伏した。

 当然言語の違う当時の竜族ドラゴス人族ヒュムノでは会話は不可能だったが、互いに言語を介しコミュニケーションを取っていた事を理解していたため、せめて女子供だけでも生かして欲しいと誠心誠意を込めてファイスに頼み込んだ。

 道実の必死の想いと生き残っていた人族ヒュムノの表情は、竜族ドラゴスにとって慣れない戦いという環境で疲弊した心をぐらつかせるには十分過ぎた。

 結果ファイスは一縷の望みをかけて道実に自分達の使っている言語を教えた。

 もしも道実が竜族ドラゴス達の言語を覚えれば言葉での意思の疎通が可能になる。

 そうなればせめて恐怖に怯える人族ヒュムノを殺す必要はないと考えたからだったが、結果としてそれは良い方向へと傾いてゆく。

 ファイスの行動の意味を汲み取った道実はすぐさま竜族ドラゴスの言語を覚え、三ヶ月も経つ頃には覚束ないものの会話は可能となった。

 そして真っ先に道実は人族ヒュムノにこれ以上戦う意志が無い事、そしてせめて女子供のような戦う力を持たない者だけでも生かして欲しいと今度こそ言葉で伝える。

 調停を結び、ファイスと道実の握手をもってようやくこの戦争は本当に終結を迎え、ファイスはもう戦う必要が無い事にただ喜び、道実はただ生かしてくれたファイスの慈悲に深く感謝し、同じようにもう怯える必要はないと語った。

 しかしながら今まで殺し合っていた者同士がすぐに和解できるはずもなく、前線で戦っていた兵士達と人族ヒュムノ達との間ではピリピリとした空気が流れ続けていた。

 マンドラ、リンドヴルム、ファフニルの三名はそんな互いに恨み合っていた者達と同じく、人族ヒュムノを許すことが出来なかった。

 今まで戦いというものをほとんど知らずに生きてきた魔導師からしてみれば、急に現れ多くの友人や肉親を奪っていった人族ヒュムノは憎しみの対象でしかなく、人族ヒュムノとて多くの仲間を失っていることなど微塵も考えなかった。

 だが当然そんな危険な状態をファイスが放置するわけもなく、人族ヒュムノの安全の確保と竜族ドラゴスの不安を払拭するために人族ヒュムノは全て彼等が開拓した海岸近くの村に全員を収容することにし、武器の所持と無断での外出を禁止した上で見張りとしてファイスと親交の深かった兵士達が護衛も兼ねて村を監視する事となる。

 これで一度は表立った衝突も無くなり、ファイスと竜族ドラゴスの文化に習ってミチザネと名を改めた二人の話し合いの下で様々な盟約を結んで行く。

 ファイスの英断とも取れるこの行動のお陰でミチザネからファイスは彼等が先遣隊であり、人族ヒュムノの国は海を渡った遠い先にあることを知り得た。

 竜族ドラゴスからすれば絶望でしかない情報だったが、ミチザネは例え次の人々が海を渡ってきたとしても自分達が戦争へと発展させない事を約束し、彼等の持つ知識を惜しむことなく全てファイスに伝えることを確約したことで、人族ヒュムノは間違いなくこの世界へ受け入れられる準備が整っていた。

 もしもこのまま話が進んで行けば、ファイスは人族ヒュムノが一種族として受け入れられるように戦う力を奪いつつも最低限度の人権は与えられるように尽力しており、同じように完全降伏した人族ヒュムノ達を暖かく迎え入れようというファイスの恩に報いるため、種全体へ言語や文化の知識を浸透させようとしていたのだ。

 そうこうしている内に数節が経ち、ファイスはその功績を認められたことで次代の国王となり、次第に帝都から離れることが難しくなってゆく。

 ミチザネは人族ヒュムノの村から一人離れ、帝都へ出向いて今後の話について協議してゆくようになった頃、マンドラ達はようやく訪れた機会を見逃さずに行動を始めていた。

 それから更に数周節が経った後も人族ヒュムノを否定していた一派の怨念は強く、また竜族ドラゴスにとっての時間の流れがそれほど早くは無い事を知らない人族ヒュムノ達にとって、数周節という時の流れは彼等の間に大きな考え方の差を生み出すようになっていたことがこの悲劇の始まりだったのだろう。

 既に人族ヒュムノ達は制限はある中でも十分に不自由ない生活をさせてもらえていた事と、監視役だった竜族ドラゴスとも既に非常に仲良くなっていたことで人族ヒュムノ竜族ドラゴスへ警戒心を抱く事は殆ど無くなっていた。

 ミチザネが帝都へ出向いている隙を突いてマンドラ達は人族ヒュムノの村へと侵入し、ある計画を実行した。

 それは決して人族ヒュムノを滅ぼすような魔法ではなく、ただぶつかって因縁を吹っ掛けるだけというものだ。

 ファフニルの考えた計画でマンドラとリンドヴルムはわざと揉め事を起こし、その揉め事の結果一度でも人族ヒュムノが彼等に手を出せばそれを危険性の証拠として公的に人族ヒュムノを消すつもりだった。

 策は上手くいき、走っていた子供とぶつかり、その母親を誘き出して通りで揉め事を起こし、駆け付けた纏め役の男に対してわざとミチザネを侮辱する言葉を発した。

 人族ヒュムノの団結力の高さとミチザネへの信頼を知っていたからこそそれが最も効果的だという事を利用し、わざと殴られてみせた。


「見たか! これが人族ヒュムノの本性だ。無抵抗の私にいきなり殴りかかってきたのだからな!」


 大声でそう発して周囲の注意を引き、動かぬ証拠とした。

 あとは上手く人族ヒュムノを扇動し続ければまた人族ヒュムノは勝手に竜族ドラゴスを攻撃してくるようになるだろうと考え、次こそは殲滅するために必要な魔法や他の反感を持っていた兵士達を集め、その時を待つだけとなったが、それは意外な結末で実行されること無く終わった。


「ミチザネが責任を取って死んだ!? どういう意味だ!!」


 マンドラは人族ヒュムノの監視、ファフニルは帝都の監視、リンドヴルムは兵士達と待機していたため、その凶報を最初に知ったのはマンドラだった。

 ミチザネは村で起きた出来事を知ると事態を重く受け止め、部下を叱咤した。


「例え私の名を出されたとしても武人たる者誇りを忘れてはならない。お前のその軽率な行動がようやく手に入れたこの平和を崩しかねんのだ。お前の双肩には既に人々の命が掛かっている。軽率な行動は慎め」

「しかし奴等は道実様を罵り、あろうことか大罪人だと言い放ったのです! 貴方様のお陰で多くの者が救われ、護られたというのにあのような言葉を聞いては!」

将臣まさおみ、お前が私に忠誠を誓ってくれている事は痛いほど分かる。だがもう我々の長はファイス様なのだ。我々が軽率な行動を取ればあの方が更に事を進められなくなる。果ては我々を憎んでいる者達が女子供まで巻き込んで皆殺しにしようという計画を止めれなくなるのだ。お前は武人としても家臣としても優秀だ。だがその喧嘩っ早さを治せ。でなければ足元を掬われる」

「しかし……!」

「けじめを付けなければならん。我々には抵抗する意思が無い事を伝えなければ、少しずつ追い詰められてゆくだけだ。後の事を頼んだぞ」

「な、なりません! 腹を切るのならばそれは私がすべき事です! 道実様にそのようなことをさせるわけには!」

「だが竜族ドラゴスが認めるのは唯一話を進めていた私だけだろう。それにこれは彼等へ向けてではない。お前達へ向けてだ。人間と竜族ドラゴスの未来を潰してくれるな」


 ミチザネはそう言って部下だった男に全てを託し、監視役を務めていた竜族ドラゴスと言い争いを繰り広げていたマンドラの元へと単身向かった。


「御免。マンドラ殿がこちらにみえていると聞いたため謝罪を述べに来た」

「ミチザネ? 何故お前が来た。お前に用はない」

「家臣の失態は私の失態。故に此度の騒動の償いをするために参った次第だ」

「謝って済む問題か? お前がどれだけ遜ろうとお前以外の人族ヒュムノは違う。結局はそれが証明されたというだけだ」

「承知の上だ。だからこそ皆には二度と同じ過ちを犯さぬようにさせるため、竜族ドラゴスの安寧を脅かしたその償いとして腹を切る。それで手打ちにしてほしい」

「どういう意味だ?」

「言葉のままだ」


 そう言うとミチザネは本来、一人だけ帝都と人族ヒュムノの村を移動していたため、命が狙われる可能性を考慮して許可されていた刀を鞘ごと抜き、脇差を抜いてその場に座り込んだ。

 竜族ドラゴスには切腹が分からないため、ただ刀を抜いたという動作に警戒し、距離を保っていたのだが、それがミチザネには切腹の様子を見守ってくれているのだと取れてしまいそのまま続けた。

 そのまま脇差の刃先を自分の腹に当て、自らの腹を切り開くまで何をしているのかを理解できず、引き止めるには遅すぎた。


「な、何をしているミチザネ! 死ぬつもりか!」

「止めてくれるな! これが私の覚悟。私に恥をかかせるな!」


 その気迫に押され、誰もミチザネの切腹を止めることが出来ないまま、ミチザネは最後に自らの喉を切り裂いて絶命した。

 竜族ドラゴスにとってのその死に様は壮絶としか言い表しようがなく、同時に和平への道が彼の命と共に絶たれたのだ。

 ミチザネが自らの腹を裂いて死んだという凶報が帝都のファイスの下に届くのには然程時間は掛からなかった。

 マンドラからリンドヴルムへこの話が行き、混乱が大きくなる前に解決するべきだと考え、リンドブルム達は一度帝都へと戻りファフニルの知恵を借りることにした。

 時を同じくして監視役の竜族ドラゴスからもファイスの元へ連絡が行き、なぜこうなったのかその詳細を全て彼に伝えた。

 そして状況を理解できなかったファフニルはすぐさま人族ヒュムノの村へと向かい、状況の確認と今後どうするべきなのかの策を練るつもりだった。

 マンドラとリンドヴルムは事態の終結を早めるためにファイスの元を訪れ、何とか話を誤魔化そうと考えたのだが、


「だがもう遅すぎた。ミチザネの死がファイス様に与えた精神的なダメージはもう取り返しのつかないものだった」

「まさか……あの時ファイスは確かに残党の人族ヒュムノに殺されたとお前達は言ったはずだ! ファイス様までもが自らの腹を裂いたと言うのか!?」


 ファフニルの言葉にマンドラとリンドヴルムは答えることが出来なかった。

 何故なら彼等がファイスの元を訪れた時には既に自らの腹を切り裂いている最中だったからだ。

 彼等にとっても思い出したくない記憶であり、その時のファイスの言葉と表情は今での忘れようとしても脳裏に焼き付き、忘れることが許されない。


「あと少しだった。私はただ誰もが笑って暮らせる日を取り戻したかった。それでもこれ以上の憎しみの連鎖と悲しみの日々を繰り返したいのなら、お前達が続ければいい。だがもしもミチザネが人族ヒュムノ達に託したようにお前達が私の想いを理解してくれるのならば、一つだけ誓ってくれ。ファザムノと共に、この世界を変えると」


 痛みよりも深い絶望と後悔に満ちた疲れ切ったその表情は、誰よりも共に戦いこの戦争を止めてくれたと信じていたマンドラ達へ向けられたものだと理解するには十分だった。

 結局誰よりも争いそのものを望んでいなかったはずの魔導師達が最後まで戦争を望み、結果共に戦い和平の道を歩んでいた二人の命を奪った。


「何故……何故あの時に言わなかった!! 何故人族ヒュムノが殺したなどと嘘を吐いた!!」

「もしもあの時、本当の事を告げれば責任を感じてお前は必ずファイス様の後を追うと分かっていたからだ! お前があの時、あの光景を見なかった事に正直安堵したほどだ。お前は元々誰よりも戦う事を拒んでいた。それを無理矢理巻き込んだ者からの……せめてもの償いのつもりだった」

「償いだと!? お前達は知っていて私を止めなかったのか!? あの日から私はずっと……ずっと人族ヒュムノを憎んで生きてきた! 人族ヒュムノが決してこの世界でのうのうと生きられぬようにするために法を作り、物同然の扱いにした時も、実験道具にした時もただ黙って見ていたのか!?」

「止めたとも! だが真実は語れなかった。あの時お前に吐いた嘘がお前を納得させる尤もな口実だった。だが時が経てば経つほどその嘘を誤魔化すための別の嘘を吐くことが出来なくなっていった。だからこそお前を止められなかった」

「ずっと一人恨み続けてきた……。その実は全部私が招いた結果で、それで人族ヒュムノを一方的に恨み続けていたのか。ずっと知っていて傍から見ていた様は滑稽だっただろう?」

「お前のせいではない。結局は私達が巻き込んだんだ」

「どうとでも言える」


 力無く座り込んだファフニルの言葉を最後にその話し合いは終わった。

 こうなることが分かっていたからこそ、マンドラはファフニルに真実を打ち明けることが出来ず、そして打ち明けた今も後悔していた。

 だが既にサイという取り返しのつかない事態が発生した以上、もう真実を隠し続けることもできず、このまま隠し続けてもファフニルのためにならないとリンドヴルムは判断した。

 マンドラとリンドブルムはその後少しだけこの件について話し合い、マンドラの口からファフニルの件を隠したまま起きた出来事をファザムノに話すことに決め、その日は解散することとなった。


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