それはとても小さな 10
それから暫くの間は何事も無い日々が続いていた。
だがそれはあくまで表面上であり、サイの生活はより困難を極めてゆく。
サイの元を訪れていた暗殺者の数は日を追うごとに増えてゆき、手練れも増え始めていた。
もしもこの事実を知ればサイはショテルに間違いなく逃げろと言うため、ショテルもただ黙々と自分の仕事をこなしていたが、流石にショテルも無傷での勝利が出来ない事が増え、サイに心配を掛ける事が日に日に増えてゆく。
このままでは間違いなく近い将来にサイが殺されることになるだろう。
そう思い、どうするか打開策を考えていたショテルの元に一つ、良い知らせが舞い降りてきた。
「ショテルさん。また国王様からの召喚命令が来たので申し訳ありませんが数日程屋敷を留守にすることになるかもしれません」
『数日ですか? 今度は長いですね』
「なんでも私に聞きたい事がある方々が複数現れたらしく、彼等全員と話すとなれば一日では済まないだろうとのことだったので。来賓として扱うとのことだったので暫くは王宮に雪隠詰めになるかと思います」
サイは申し訳なさそうにそう言ったが、ショテルにとってこれはありがたい事だった。
ここ最近は戦い続きで心身共に疲弊しており、いつ殺されてもおかしくない状況だったため、身体を休めながら対策を考えるには丁度良い時間となる。
それに帝都にいる間はショテル一人が守るよりもずっと安全だろうという安心感もあったので、ショテルも素直にサイを送り出した。
これでショテルも暫くは静かに過ごせるが、同時に今の自分に正面戦闘の実力が足りていない事も痛感し、悩んだ末に一度自分も屋敷を離れ、一縷の望みを懸けて『スケアクロウ』へ向かう事にした。
そうとはしらないサイは今度は行きも護送車に揺られて帝都へと向かったが、前回よりも理由が明確になっているためか、謁見までが非常にスムーズに進んでいった。
「何度も呼び出してすまないな。だが君にどうしても聞かなければならない事があるので来てもらった」
「問題ありません。私で答えられることであればお答えいたします」
謁見室で相見えたファザムノは、前回の時とは違い椅子に普通に座っていた。
退屈そうな表情も無く、サイと話すのを心待ちにしていたかのようにも見える。
「まずこちらが把握していることを話そう。君はドレイクに買われ、ドレイクの下で魔導の基礎を学び、魔法を使うことができるようになった。そしてドレイクの逝去後、彼の遺言に従ってグリモワール学術院の魔導師学科へ入学。その後人族であるため卒業資格を得たが魔導師資格は与えず、監視役をフルークシとするために彼に所有権を魔導師協会から譲渡、現在は旧ドレイク邸、現グリモワール魔導分学校予定施設の書物整理係として利用中。となっている」
「はい。その通りで間違いありません」
「ならば問おう。今回の改正騒動の発端となった事件、とある飲食店での出火事故とそれに対応した魔導師の事件だが……サイ、お前は何故自分が魔導師ではないと分かっていながら魔法を使ったのだ? 認められるためか?」
「私が魔導師になりたいと強く願った理由は、ドレイク様を救いたかったからです。目の前にいる大切な人を救うための力が欲しい、自分と同じ後悔をしてほしくない……その一心で私は魔導師になろうと決意しました。その決意は今も変わっていません。当然私が咎められることも、殺処分されるであろうことも分かった上で、それでも目の前で苦しんでいる人を助けられる力を持ちながら無視することは……私にはできませんでした。いかなる処罰も甘んじて受けます。ですので、どうか私以外の者達には処罰を与えないで頂けませんでしょうか?」
「ふっ……はっはっはっ! 処罰など与えんよ。君の英断のお陰で多くの者が今も笑顔でいられる。己の命も顧みずに他者を助けられる優しさを持つ者に与えるのは処罰ではない。讃頌だ。その心と信念、これからも大切にするといい」
ファザムノはサイのこれまでの事件の発端を聞き、サイの返答を聞いて大きな声で笑った。
その返答はサイとしてはかなり予想外だった。
世界を纏め上げる存在であるファザムノが、サイの行いを肯定するとは思えなかったからだ。
もしもこのままサイを表彰でもしようものなら、法というものが意味をなさなくなってしまう。
だからこそサイはファザムノの言葉に不安を覚えた。
「そういうわけにはいきません。私は人族です。人族である以上、法を犯した私は存在してはならないのですから」
サイの言葉を聞くと、いつかと同じように笑っていた筈のファザムノは耳を押さえて苦痛の表情を浮かべていた。
少しの間ファザムノはそのままだったが、両手を顔から話すと先程までとは違い、真剣な表情でサイを見つめた。
「サイ。確かにお前は法を犯した。だがそれは悪意あっての事ではない。誰かを救いたい……それは純然たる善意だ。そこには人族も竜族も関係ない。正しい行いをしたのであれば、まずはそれを讃えるべきだ。そうでなければ世界から善意は失われる。その後に守るべきルールを破った罰を受けなければ法はただの枷となる。分かるだろう?」
「分かります。だからこそ処罰は甘んじて受けると……」
「大勢の命を救った人族をただ人族だからといって私に殺せと申すのか? それではあまりにも無慈悲だ」
「ですが、それが人族です。ただの救助ならまだしも、私は違法とされる魔法を使う人族なのですから、殺処分が妥当です」
「……っ! サイ。何故嘘を吐く?」
「えっ?」
サイの言葉に対してファザムノはまた顔を歪め、サイの言葉を制止するように手を前に突き出してそう言った。
だが、サイにはファザムノの言葉の意味が理解できていない。
今の会話の中でサイは嘘など吐いていない。
常日頃からサイが考えている事であり、それは仕方の無い事だと理解していることだ。
遅かれ早かれサイが殺処分される日は訪れる。
だからこそ死への恐怖の無いサイにとって、その言葉には嘘偽りはなかった。
「以前もそうだ。お前は自分を褒められた時、何の気なしに謙遜したつもりだろう。だが、その言葉には多分に嘘が含まれている。お前は自覚しているはずだ。自分が非凡な才能の持ち主だと。それを自覚した上でお前は謙遜のために『優れてなどいない』と言ったのではない。本気で『自分は何よりも劣る存在だ』と思って言っている。それはあってはならない事態だ」
「い、いえ……人族は、僕は誰よりも――」
「それ以上は口にするな! 一日の内にこうも酷い嘘を聞かされたのでは堪えられん」
ファザムノは初めて怒声のような大声を出し、サイの言葉を遮った。
言葉を遮られたことでサイは我に返っていたが、サイが話していた時、その目には生気が失われていた事に、本人は気が付いていない。
サイが話すのを止めたのを見てファザムノは二度深呼吸をし、そして語り始めた。
「サイよ。『森の民』を知っているか?」
「え? あ、はい。知っています。竜族が全ての種族の総称として名付けられた後、国に属さず森の中で昔の生活を続けている種族のこと……だと文献で読みました」
「何故国に属していないか分かるか?」
「……分かりません。水竜種が水辺が無ければ生きていけないように、『森の民』も自然の中でなければ生きていけないのでしょうか?」
「違う。彼等は他の種族と交流することができないのだ。彼等の持つとある能力が原因でな……」
ファザムノはサイに『森の民』について訪ねた。
『森の民』とは森や山にしか住んでおらず、今まで一度も国を創った事も無ければ交流したこともない完全なる孤立を続けている種族達の事である。
似たような種族としてサイが名前を上げた水竜種と呼ばれる種族があり、彼等は海岸か大きな河川のある場所にしか国を築かず、他の土地へ移動することも殆ど無い。
その理由は単純で、魚類や海獣類によく似た特徴を持っており、遊泳を得意とする彼等は乾燥に弱いからだ。
陸上での生活も当然可能だが、鱗はあまり乾燥しすぎれば傷付きやすくなり、最悪の場合そこから雑菌が入って死に至るため、水辺から離れることができないのである。
中には常に身体を湿らせれるように乾燥を防ぐ布や水を常備して世界を巡る水竜種もいるにはいるが、その生態が故にあまり数は多くなく、普通の竜族に比べれば苦労も絶えないようになる。
そのためサイは『森の民』も同様の理由があるのではと予想したが、ファザムノはそれを違うと断言した。
まるで直接聞いたかのように答えるファザムノはそのまま言葉を続けた。
「『森の民』、正式な名称は心竜種というのだが、彼等は言葉の真偽が分かるのだ」
「言葉の真偽……? それが国に属していない理由なのですか?」
「当然だ。魔竜種には精神界が自然に認識できるように、心竜種には言葉に込められた思いが自然と聞こえる。故に言葉に嘘偽りがあると全く別の言葉と混ざって聞こえるのだ。その言葉に込められた思いが本来の言葉と乖離していればいるほどその音は雑音でしかなくなる」
その語り方はもう、聞いたという次元を超えている。
サイにもそれが分かったからこそ、自分の言葉がファザムノには時折聞こえていなかった事に気が付き、それがファザムノが顔を顰めた理由なのだと理解した。
「サイ、察している通り私は心竜種だ。私は今まで数多の嘘を聞いてきた。だがその声が全く判別できなかったのは君が初めてだ。何故、君は自分自身をそれほどまでに卑下するのだ? 人族にだって生きる権利はあるし、自身に誇りを持つことだって許されている。何故自分自身に嘘を吐いてまで下げようとするのだ?」
「……申し訳ありません。これだけは答える訳にはいきません」
「何故だ?」
「自分一人のために、世界の在り方を壊したくはないからです」
ファザムノは自身が心竜種であることを明かし、サイから本音を聞き出そうとしたが、サイは答えなかった。
サイの出生は絶対に答えることができない。
自分がすぐにでも殺処分される危険性があるからではなく、実験用奴隷を肯定しているのが幻老院であると気が付いているからこそ、サイが自分の事を包み隠さず話せば確実に世界の法を動かしている幻老院と王宮とで摩擦が生じると考えているからだ。
だが、サイの答えには嘘が含まれていなくても、ある程度予想ができるような答えではある。
だからこそファザムノはまた一つ小さく溜め息を吐いた。
「サイ。たった一人の人族が世界の在り方を壊すような事はない。私が心竜種であることを明かしただけで世界は壊れたか? 君はこの事実を広め、世界を壊そうと思うか? 思わんだろう? 君は不思議に思うかもしれんがな、私は君のことを信頼している。だからこそ誰にも話した事のない私の秘密を明かした。答えてくれ。君の抱える闇がどれほどの物であろうと私は受け止める」
ファザムノはそう優しく語った。
彼の言葉に嘘はないだろう。
心竜種であるからではなく、その言葉がサイの事を思って言ってくれている事がひしひしと伝わってくるからだ。
だからこそサイは答えにくくなる。
ファザムノがサイの話を聞き、人族全体の問題を見直したとしても、多くの魔導師に迷惑が掛かることをサイなりに理解しているからだ。
ただ消費されてゆく命だったはずのサイがこの場にいる。
それ自体が間違いだとサイは信じてやまなかった。
だが、それと同時にファザムノには嘘を吐く事が出来ないという思いから、自分の中にある本当の気持ちが少しずつ強くなってゆくのがサイにはよく分かった。
死にたくないという思いが無い事は依然として変わらない。
サイの中にある本当の思いとは単純にして誰もが思っている事だろう。
『自分という存在を認めてもらいたい』
自分が存在してはならないと頭では理解している。
しかし、ドレイクと共に過ごした日々が自分という掛け替えのない消費されてはゆかない確かなものを生み出したのだと心が叫ぶ。
ファフニルに責め立てられ、自我が消えかけた事をサイは覚えてはいないが、その経験が尚更サイという個が消え去ることを恐怖させた。
「……言えません」
「ならば言うまで待つだけだ。サイ。自分を殺すことに慣れるな。痛みに慣れてしまえば心はもっと鈍くなる。鈍くなれば最後に失うのは己自身だ」
「決して……決して他言しないで下さい」
「誓おう」
悩み抜いた末に、サイは初めて自分から自分の歩んだ道のりの全てを話した。
物心がついた頃からドレイクに買われる日まで鞭の音が日常で、目が覚める事が苦痛だったことも。
ドレイクとの短くも温かな日々がその苦痛を忘れさせてくれたことも。
自らの力のなさに絶望し、そして二度と後悔しなくてもいい方法があるかもしれないと道を示してくれたことも。
差別と偏見の渦中で、それでも信念を曲げず突き進んだこと、そしてその結果掛け替えのない大切な友を手に入れたことも……。
サイは今まで生きてきて、初めて自分の全てを解き放っただろう。
だからこそサイは伝えたかった。
「実験用奴隷……か。サイ、それは当然私も及び知ることだ。それでも私は目を瞑った。君は私を恨むだろう。それでも私は……」
「恨みなんてありません。確かに苦しかったし、怖かった。でも、そのおかげで僕はドレイクさんに出会えました。沢山泣いて沢山笑って、僕の事を大切だと言ってくれる人達まで現れてくれた。僕が今の人生を歩まなければ、僕はこれほどの幸せを感じる事も出来なかったんです。後悔が無かった訳ではないけれど、それでも僕は今までの人生の全てが大切です。僕にとっては、十分幸せな日々でした」
「……幸せ、か。久し振りだよ。嘘を吐かれるよりもきつい真実を聞かせられたのは……。君は私の想像している以上の過酷な人生を味わったのだろう。それでも幸せだと言い切れる君は、とても強い」
サイの話を聞いてファザムノは謝ろうとしたが、サイは笑顔で答えた。
常人には想像もできないような過酷な人生を歩み、それでも尚サイにとってこの人生は素晴らしいものだった。
その言葉を聞くとファザムノは一度遠くの方を見つめ、同じように語り始めた。
「辛い事を語らせてすまなかった。だが、お陰で確信できた。世界はいつまでも停滞したままではならない。より良く変化し続けなければ、緩やかに死を迎えるだけだ。……ファイスがよく言っていた言葉だ」
ファザムノはそう言うとサイに頭を下げ、これまでの言葉の真意を語った。
そもそもファザムノがサイを王宮へ呼び出したのは他でもない、人族が行動を起こした理由を問い質すためだった。
社会的にも人族の危険認識が下がり、愛玩奴隷なるものが現れ始めた辺りからファザムノは常に最悪の事態を想定していた。
人族の反乱。
これだけは避けなければならなかったため、ファザムノは行動を起こした当人であるサイの言葉を聞き、その言葉の中の偽善と真の目的を暴こうとしたが、結果サイは本当の事しか話していなかったのだ。
心竜種である彼は当然嘘を聞く事は堪えがたい苦痛だったが、王宮に長く身を置く内にその嘘による雑音にも随分と慣れていた。
ファザムノが退屈そうに話しを聞く理由の一つはこれだったが、同時に王宮に訪れる者は大なり小なり嘘を吐くため人と話すこと自体が苦痛となっていたのだ。
そんな中現れたサイはファザムノにとってとても嬉しい来客だった。
サイとディションの話す言葉には一切の嘘が無く、心の底から人族と竜族のより良い未来を考えてくれている者が他にも居ることを教えてくれたことで、ついつい本来の目的を忘れサイの話を聞いていたのだという。
だからこそサイが嘘を吐いた事にもショックを覚えたが、その嘘が謙遜だったことに驚いた。
ならばサイの持ち主から話を聞き、何故そうなったのかを探ろうとしたが、人族嫌いで有名だったはずのフルークシがサイを所有しているどころか、フルークシでさえサイを庇うために嘘を吐いていたという事が分かり、余計にサイの事が分からなくなったため、今回サイと直接話をしたのだ。
サイという危険因子となりうる存在を暴くつもりが、その言葉に込められた優しさを感じ、気が付けばファザムノはサイの姿にファイスの姿を重ねるようになっていた。
「君は否定するかもしれないが、前王であり私の唯一の友だったファイスも中々面白い奴だった。君のように真っ直ぐな瞳で理想を語り、そしてそれを実現するだけの努力を重ねる……。彼はなるべくして王となった逸材だったと今でも思うよ」
「私はファイス様やファザムノ様のようには出来ません。どうしても自分というものが無いので周りの人達のために動いてしまうので……」
「それも一つの良さだ。他人を大切に出来る者は他人からも大切にされる。というよりそうでなければ世界はあまりにも窮屈になってしまう。……申し訳ついでだ、一つ昔話を聞いてくれ。そしてその上で君の答えを聞かせてほしい」
「分かりました」
サイの返事を聞くとファザムノは小さく微笑み、遠くを見つめながら語り始めた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
まだファザムノも幼く、森の民として暮らしていた頃。
彼は偶々炊事の為の薪を集めるために枯れ枝を森の中で拾い回っていた時だった。
「お? お!? 誰かいるじゃねーか! おーい! そこのあんた! ちょっと話を聞いてくれー!」
遠くからそんな元気な声が聞こえ、そちらを見ると手を振りながら近寄ってくるファイスの姿があった。
「誰?」
「俺か? 俺はファイス! 今は冒険者をやってる……んだけどな。仲間とはぐれちまって絶賛遭難中だ」
「冒険者? 遭難? どういうこと?」
村から出た事の無かったファザムノは、元気一杯に悲惨な現状を語るファイスの言っている言葉の意味がよく分かっていなかった。
そして同時にファイスが他の種族であるとも、その時は気が付いていなかった。
心竜種であるファザムノと彼の一族は決して別の種族に近寄らないようにしていたのだが、話でしか別の種族の竜族を知らなかったため、嘘を吐いていなかったファイスが心竜種ではないことに気付かないまま、二人は行動を共にしていた。
ファイスは冒険者がどういう職なのかを楽しそうに語り、それを全く知らないファザムノは楽しそうにその話を聞き、興味津々で次から次へと話をしてもらいたいとせがんだ。
「あー……悪い、この近くに村とかないか? 流石にそろそろ腹が減って仕方がないんだ」
「え? 村ならあっちの方だよ。もしかして君、方向音痴なのに森に出たの?」
「方向音痴ではない! ……多分。というかよかったー! 村があるなら生き延びられそうだ」
「変な人」
ファザムノとファイスの二人が打ち解けるまでに掛かる時間はそれほど必要としなかった。
村を目指して歩いている間にファイスはそのお礼とファザムノの薪拾いを手伝い、談笑しながら楽しく村へと戻ったのだが……。
「ファザムノ! 何故余所者を村まで連れて来た!?」
「えっ!? 村から来たんじゃないの!?」
「えっ? だから迷ってるって言っただろ? というか俺もしかして歓迎されてない?」
勘違いが原因でファザムノは村に引き入れてはならないと言われていた筈の心竜種以外の種族を村に連れてきた事で怒鳴られる事となった。
当然ファイスの方もまさか心竜種の村に連れてこられるとは思ってもいなかったため心底驚いたのだが、彼もそのまま引き下がることはなかった。
「すみません! 本当に一日だけでいいんで泊まらせてください! 食料も殆ど残ってないし、まともに睡眠も取れてないんです! 一日経てばさっさと出ていきますし、ここの事は決して他言しませんから!」
「そ、そうは言っても……」
ファイスとしても既に心身共に限界が近かったため、頭を下げて泊めてもらえるようにお願いしたのだが、これに困惑したのは彼等森の民の方だった。
それもそのはず、ファイスの言葉に一切嘘が含まれていなかったからだ。
ファイスのその言葉は今までばったりと出会った旅人から幾度となく聞いていたが、誰の言葉も淀んでおり、ただ泊めてもらう事が目的ではないのがすぐに分かったのだが、ファイスの言葉は澄んでおり、本当の事を言っているせいでどう答えるべきか分からなくなってしまったのだ。
「仕方があるまい。連れて来たのはファザムノ、お前だ。明日の朝まできっちりと監視しろ」
「ありがとうございます! ファザムノもごめんな! ちゃんと説明したつもりになってた」
最終的には族長がファイスが泊まることを許し、ファザムノと決して別行動をとらないという条件の下、一日だけ家を貸してもらうことになった。
だが、ファイスはすぐに荷物を置くとファザムノや他の人達の炊事の手伝いをし始めた。
「無理言って世話になるんだ。これぐらいしとかないと失礼ってもんだろ? それに元々長男だから力仕事も家事も慣れてるよ」
そう言うとファイスは次々と薪用の木を割り、食事の準備も手伝い、夕食時には警戒していた他の村人達とも話す程気に入られていた。
特にファイスは村では経験できない冒険者としての話を面白おかしく皆に話して聞かせ、寝る頃には子供達からすっかりと懐かれ、一緒に眠りに就いたほどだ。
「すみません。お世話になりました」
「その事だが気が変わった。もう一週間ほど村にいるといい。近く天気が崩れそうだ。発つならば晴れてからの方が安全だろう」
「本当ですか! そんじゃお言葉に甘えます!」
森の民が嘘を見抜く能力を持つ事をファイスは当然知らなかったが、それでも彼が嘘を吐く事はなかった。
だからこそファイスは村の者からとても気に入られ、族長からも快く受け入れられていた。
炊事の手伝いをし、子供達に冒険譚を話して聞かせ、子守りとしても大いに活躍していたが、彼の話を一番楽しんでいたのはファザムノだっただろう。
数日としない内に族長の言った通り天気が崩れ、かなり強い雨が降った事で視界が非常に悪くなっていたのを見て、今一度ファイスは族長に礼を言ったのだが、族長は一つ笑って答えた。
「お前は変わっている。外の世界から来たのに言葉を偽らない」
「言葉を偽る? どういうことですか?」
「大抵、我々の元へ訪れた者はその言葉を淀ませる。その淀みは心に無い言葉を発するから生まれるものだ。そうして言葉で我々を傷付ける。故に我々は竜族が一つになって生きていても、未だ昔と変わらぬ生き方を続けているのだ」
「そうだったんですね……。それはなんというか……悲しいですね」
「悲しいばかりではないさ。少数だからこそ皆が力を合わせて生きていられる。あまり巨大になりすぎても群れは成り立たん。どれほど知恵を付けようと我々も獣であることに変わりはない。お前もこれからも自分を大事にして生きるのだぞ」
「ありがとうございます。この出会いは決して忘れません」
族長とも打ち解け、誰からも気に入られたファイスは、雨が上がった後、約束通り一週間で村を発つことを族長に告げた。
族長もそれを聞き入れたが、子供達の多くはファイスが去ってゆくことを惜しむほど、彼はこの村に馴染んでいたが、彼の決意は変わらなかった。
「受け入れてくれたことはとても嬉しい。でも俺はまだまだ沢山の場所を見て回りたいし、俺が歩き回った事で次の冒険者が楽をできるようにしたいし、何か役に立つような薬草なんかも探したい。もっと沢山の人の役に立ちたいんだ」
そう言って子供達を諭し、ファイスは手土産として食料を分けてもらい、今度こそ村を発つ事となったのだが……。
「ファイス……。僕も、僕もファイスと旅がしてみたい!」
そう言ってファザムノがファイスを引き止めた。
ファザムノもファイスの話を聞いている内に外の世界に興味を持ち、ファイスと共に旅をしてみたいと考えるようになっていたのだ。
だがファイスは首を横に振った。
「止めた方がいい。族長から聞いたけど、ファザムノも嘘は嫌いなんだろ? だったら俺だって嘘を吐くことだってある。相手を傷付けるためだけじゃなくても、妥協したりとか、相手に合わせたりとか、逆に相手を傷付けないためにだったりとかね。だからついて来てもお前は絶対に後悔する。だから諦めな。俺のお気に入りの本ならやるからさ」
「それでもいい! 僕はファイスともっとずっと一緒に居たい。もっと世界を自分の目で見て見たいんだ! だから……族長様。どうか許してください!」
ファイスの言葉に対して、ファザムノは真っ向から反論した。
それほどまでにファザムノはファイスの事を信頼しており、同時に自分の知らない世界というものに非常に興味を持っていたからだ。
当然族長もファイスも、先に口にした通り嘘を吐かない、吐かせない事がどれほど大変なのかという事をよく分かっていたため、意見を変える事はなかったが、それはファザムノも同じだった。
最終的には族長が根負けした形で承諾し、ファイスは族長が許したことで共に旅をすることを決意したようだ。




