それはとても小さな 9
ファザムノからの指示で衛兵はすぐさま敬礼をして部屋を出ていった。
命令の意味が分からないと質問の一つでも返しそうなものだが、衛兵は然程気にする様子も無く王宮騎士達の利用する兵舎へと戻って、先程の命令を皆に伝えていた。
「これまた難題だな。名前も分からない。いつ来たのかも分からないときたか」
「だがまあ幻老院を訪れた竜族と人族というのはある意味分かりやすいヒントだ。幻老院に人族が訪れる事はまずないからな。あっちの門番に聞いてみよう」
兵士達は口々にファザムノの命令を難題だとは口にしたが、特に愚痴は言っていなかった。
普通ならば愚痴の一つでも聞こえてきそうなものだが、これには彼等王宮騎士達からのファザムノへの絶対的な信頼があるからこそだろう。
ファザムノは黙王と称されるほど口数が少なく、同時にあまり人前にも姿を現さない。
姿を見せるのは殆どの場合催事の時ぐらいであるため、ファザムノの事をよく知らない者もいるほどだが、彼の成した平和の時代を誰もが知っているからこそ、それだけでも不満は特にないのだろう。
そして逆にファザムノが口を開く時は必ず重要な意味がある。
詳細は語れないからこそ端的に言っているのだと兵士は理解しているため、今回も特に詳しくは聞かずにそのまま捜索を始めたのである。
当然サイとディションの名前が挙がるのはとても速かった。
サイとデションが訪れた日の門番から話を聞く事で二人の名前と容姿を把握し、そしてそのまま得た情報から捜索を開始する。
既にサイとデションは世界中を巻き込んだ法改正の騒動で有名になっていたこともあってか、隣国であるサイ達の元へ彼等が訪れるのはそう時間は掛からなかった。
「失礼。サイという人族はどれだ?」
「私ですが……どのようなご用件でしょうか?」
「国王ファザムノ様より召喚命令が下った。今すぐに準備をして国王様の元へ向かうように。因みにだがディションという者はすぐに戻ってくるのか?」
「ディションさんは私の主人ではありませんので……それに詳しくは何処に住んでいるのかは私は分かりかねます」
「何!? じゃあお前の所有者は誰なんだ?」
「えっと……フルークシ様です」
「フルークシ? 宮廷法務官のフルークシで合っているか?」
「はい、騎士様が申したフルークシ様で間違いありません」
「分かった。ならば私達と共に来てもらおう。すぐに支度をしろ」
サイとショテルの住む屋敷に王宮騎士達が訪ねてきた。
召喚命令という事もあり、サイはすぐに支度をして屋敷を出たがその際に念のためにショテルには念話を送る。
『ショテルさん。申し訳ありませんが留守中の屋敷の掃除はお願いしますね』
何事かと思えばただの留守の際の話であり、ショテルとしては拍子抜けだったからか只首を縦に振って答えた。
そしてサイは騎士達に連れられてディションの元へと向かい、同じようにディションも確保され、二人で再び帝都へと向かう事となった。
しかしディションはどう見ても緊張しており、表情まで硬くなっている。
どちらかと言えばディションの方が当然の反応なのだが、サイはかなり落ち着いている様子だった。
普通ならばいきなり国王に呼び出されたとなれば訳が分からなくなるだろう。
その上直前に幻老院に直談判をしにいっているため、ディションの内心は生きた心地がしない状態である。
もしも世間を騒がせたことを咎められれば間違いなく極刑に処されるだろう。
それに対してサイが落ち着いていた理由は単純で、周りの騎士達の魔力が特に張り詰めていなかったからである。
罪人を輸送するというよりは、ただ呼び出しに来たというだけの雰囲気であるため、サイはただフルークシに謝らなければならない事が増えていくことだけが気掛かりで仕方がなかった。
機械駆動車に再び揺られる事数時間、今度は帝都の中央ではなく王宮まで直通で運んでもらい、そのまま連れられて謁見室の前へと通された。
「ではファザムノ様をお呼び致しますのでここで少々お待ちください」
そう言われ椅子に腰掛けたが、未だディションはこの世の終わりのような顔をしている。
彼の場合は魔導救護隊員でもあるため、最悪までいかなくても資格剥奪等の可能性もある以上、どうしても悪い方向に物事を考えてしまう。
そんな心境のままファザムノを待つ事数十分、遂に謁見室へと通されファザムノと面会する事となった。
「失礼致します! 私は」
「衛兵達から話は聞いた。お前が魔導救護隊員のディションでそっちの人族がサイだな。他の兵士達は外してくれ」
緊張した様子で名乗ろうとしたディションの言葉を遮り、ファザムノが先に口を開いた。
椅子に座ったまま頬杖を突いており、その表情は退屈そのものだったが、眼光は鋭く独特の威圧感を放っている。
その様子はファフニルが委縮したのも頷けるほどだ。
「今日お前達を呼んだのは他でもない。あの法改正案についてだ」
ファザムノはそのまま話し始めたが、ディションが言葉を返そうとする前に手を前に突き出して言葉を遮った。
「お前達はどういう意図であの法案を持ってきた? あんなものでは何の意味も無かろう。その真意はなんだ?」
ファザムノはそのまま特に挨拶や自己紹介もせずに、いきなりディション達に質問してきた。
予想していなかったディションは思わず言葉に詰まってしまうが、それを見かねてサイが口を開いた。
「法案そのものに強い意味はありません。ただ、市民は竜族と人族が共に生きられる世界を見たいのだという意思表示を幻老院に対してしたかったというだけです」
サイがそう言うとそれまで無表情だったファザムノの目が少しだけ見開かれた。
「何故だ? お前は人族だ。現状に満足していないからこのような不遜ともいえる行動を取ったのではないのか?」
「いえ、私個人の意見としては今のままでいいと考えています。ですが、それを望んでいないのは人族を大切に思う竜族の方々であり、そういった方々の優しさが暴走しそうになっていたので、私が矢面に立つことを決意したまでです」
ファザムノはサイの言葉を聞くと初めて表情が顔に現れた。
それは驚きのような関心のような、どちらとしてもサイに対して好意的な表情を見せていた。
「ほう……ならディションとやら。お前の方はこれでいいのか? 今のままでは人族が救われたとは言い難いぞ?」
「正直に申し上げさせていただくならば、私はやはり納得できません」
「ほう? なら何故草案を上げた? 納得のいくものでなければ意味が無かろう」
「確かにそうですが、かといって私の意見はただの理想でしかありません。ファフニル様やサイに諭され、己の考えがいかに理想論だけで語っているのかを痛感したからこそ、必要なのは意識の地盤作りなのだと考え直しました」
二人の意見を聞くとファザムノは意外にも感心した表情を見せて深く頷いていた。
「成程成程……先を見据えた意識作り、か。確かに間違ってはいない。が、なぜそのような考えに至った? それを聞かせてほしい」
ファザムノの言葉は殆どが質問だったが、それでもその言葉は少しずつサイ達に関心を持っているものになっていた。
聞いていた限りではファザムノは常に頬杖を突いて退屈そうに人の話を聞き、的確な指示を出すことで有名だったが、少なくとも今目の前にいる本人からその印象は受けない。
ディションとしてもただ自分たちがやった事の真意を知りたかっただけなのだと気が付いたからか、随分と肩の力が抜けていたため、二人でファザムノの質問に答えてゆくと、ファザムノの機嫌はみるみるよくなっているのが分かった。
そうしてディションが何故、このような事を提案したのかの切欠であるサイの迅速で的確な救助の話から、サイの提案で幻老院まで暴動が起きなように考慮してもらうように進言しに行ったことまでも事細かに説明していった。
「成程、ドレイクの忘れ形見だったか。道理で思慮深く高い知恵を身に付けているわけだ。一つ問題があるとすれば、魔導師共が作った形骸化していた法律に引っ掛かってしまっているということぐらいだが……まあ、口にしなければばれることもなかろう」
「い、いいんですか!? 自分で説明した後、そんな法律があった事を思い出して思わず心臓が止まりそうになりましたが……」
「人族の魔導師などこの世に一人もおらん。そんなもののための法律なんぞを覚えておるのは私と人族嫌いの魔導師共ぐらいだ。その点、サイは私の見る限り非の打ち所がない。ドレイクの教えをしっかりと吸収し、良き魔導師になっている」
「いえ、私は決してそのような優れた者ではありません。ただの人族です」
楽しそうに会話をしていたファザムノとディション達だったが、サイの言葉を聞いた途端に何故か顔を苦痛に歪めた。
苦しそうに耳を押さえ、少しして顔を上げたファザムノの表情は何処か険しくなっていた。
「ディション。先程サイが言った言葉を話してくれ」
「え? ただ、自分は優れた者ではなく、ただの人族だと……」
「どういうことだ……?」
その言葉はごく普通の謙遜の言葉。
しかし何故かファザムノはサイではなくディションの口から言い直させると、その言葉を聞いて何かを考え込むように口元を押さえて眉間に皺を寄せる。
それまで黙王という名が嘘のように楽しそうに喋っていたファザムノはそれを機に全く喋らなくなり、名の通り何かを深く考え込み始めてしまう。
その表情にディションは何か失態を犯したのかと焦っていたがどうもそういうわけでもない。
結局数分程沈黙が続くと、今一度ファザムノは口を開いた。
「質問を変えよう。サイ、今のお前の所有者はフルークシだと聞いたが間違いないか?」
「……間違いありません」
「やはりか……、ますます意味が分からん」
サイとしてはこの事は伏せたかったが、既にファザムノが調べ上げて知っている以上、誤魔化すことは出来ないため正直に話した。
しかしそれを聞いただけで何故かファザムノは独り言を呟き、更に眉間に皺を寄せて考え込み始めてしまう。
突然の事にサイもディションも意味が分からずただファザムノの方を眺めていたが、暫くすると小さく息を吐いてから考えるのを止めた。
「長々と質問してすまなかったな。お前達に聞きたかった事は聞けた。これからもその心を大事にしてくれたまえ。以上だ。下がってくれ」
「しょ、承知致しました。失礼致します」
結局ファザムノはそう言い、サイ達をそのまま解放した。
質問の意図や謎の独り言は気になったが、ファザムノが話さない限り二人には永遠に分からない事だ。
その後は来た時と同様に王宮騎士達の護送によって元の国まで送られ、国王からの呼び出しというただただ緊張するだけの時間を終える。
だが、ファザムノの行動はまだ終わってはいなかった。
「衛兵。王宮内の執務室にフルークシがいる筈だ。連れてこい」
「承知致しました」
今度は白羽の矢が何故かフルークシに立った。
この一節ほどの間、フルークシは王宮直属の法務官兼王宮魔導師として勤務していたため、とてもではないがサイとなにかしらの会話を行う暇すらなかった。
故に騎士に呼び出され、国王から話があると聞かされた時には当然緊張していたが、ファザムノの言葉で彼も同様に混乱する事となった。
「フルークシ。お前は何時から人族を所持していたんだ?」
「……何の事でしょうか?」
「別に怒っているわけではない。少し気になったのだ。お前はあのマンドラの息子だ。私の知る限りではお前も筋金入りの人族嫌いのはずだったが、そんな奴がどういう風の吹きまわしで人族を所有するに至ったのかがな」
ファザムノは特に言葉を荒げるでもなく、ただ質問としてフルークシに訊ねていた。
だが、だからこそフルークシは混乱していた。
フルークシがサイを所有していることを知る者はほぼいない。
いて魔導師協会の者達と、幻老院の面々ぐらいのため、名前は知っていても顔を知らないような者が殆どである。
その上、最初にサイを譲り受けて以来、全く人族を話題に出さないようにし、隠し通すことに専念してきたため、現在のフルークシの同僚ですらその存在を知らないほどだ。
だからこそ何故ファザムノに漏れたのかが理解できなかった。
魔法を使える人族という存在は魔導師達の中では違法であり、かつ非常に危険な存在であるという認識が根付いているが、当然ファザムノがサイ達に告げた通り、それ以外の者達にとってはほぼ忘れ去られた法律だ。
もしもその実態がバレた場合、いくらフルークシと謂えどサイを守ることは出来なくなるため、絶対にバレないように尽くし続けていた筈なのに一番バレてはいけない人にバレていた。
最悪即刻殺処分もあり得ると考えると、フルークシの頭は真っ白になり、とても言い訳を考えられるような状況ではなくなってしまった。
「ド、ドレイク様の所有していた人族だったため私が弟子として有効活用しようかと……」
「本当にそれだけか? 書庫の管理など有効活用しているとは考えにくいな」
「た、たかが人族に任せるには十分過ぎる仕事かと!」
「うん? フルークシよ。一旦落ち着きたまえ。その後今一度質問させてもらおう」
フルークシは必死にサイと自分の関係性を隠すために、今まで自分がよく言っていたことを思い出しながらファザムノに返事をしていったが、ここで一度止められた。
心臓が高鳴ったままだったフルークシとしても有難いが、暫くは質問攻めが続く事も意味している。
そして数分後、頃合いを見てファザムノが話し始めた。
「よさそうだな。フルークシよ。お前は人族の事をどう考えている?」
「非常に危険で怪しい存在だと認識しております」
「それは一般的な魔導師の考え方だろう? 君個人の意見が聞きたい」
「……私個人としては、人族はとてもか弱い存在だと考えています。長い時間が人族達から何もかもを奪い去りました。例え人族が罪人であったとしても、もう十分に償ったはずです」
「それはまた……随分と思い切った考え方に変わったな。何故それほどまでに考え方が変わったんだ?」
ファザムノの質問に対しフルークシは初めこそ誤魔化そうとしていたが、見事に見透かされたことで観念し、本当の事を話し出した。
「サイと出会ったから。そう言っても過言ではありません」
「……そうか。お前にとってのサイとはそれほどまでに大きな存在なのだな」
「サイは、それまでの私の考え方を真っ向から否定する存在でした。人族とは狡猾で残忍で危険な存在……。父上よりそう教わり、人族を抑え付けるために魔導師は常に人族を監視するべきだと信じ、母上や妹を殺した人族を決して許さないと考えていました」
「いました。ということは今は違うという事か? 家族を殺された事実は変わらんだろう」
「確かに変わりません。許すこともできないでしょう。ですがそれは今を生きる人族達ではありません。私の仇敵はもう随分と前に死んでいます。今生きている人族は、そんな戦争の後に生まれ、生きながらにして親の世代の業を一身に受け、そう生きる事が当たり前となった者達です。人族はもう何世代もの時が過ぎ去っていますが、私達魔導師は未だ戦争の当事者が生きている。そのせいで今度は罪もない人族を魔導師達が自分達の復讐心から一方的に嬲っているだけです」
フルークシはサイを引き取り、王宮内で働いている間も人族について真剣に勉強を続けていた。
そうしてようやくフルークシは、人族という存在がどれほど自分の考えていたものとかけ離れているのかを思い知る事となった。
『人族の大侵攻』
それは海を越えた向こうから突然現れた人族による竜族の大虐殺の歴史である。
だが、同時に魔導師が人族を大虐殺した歴史でもあった。
魔法の攻撃への転化により、当時の人族には対抗する手段も無く殲滅されてゆくこととなる。
ここまではフルークシも知る事実だったが、この歴史にはもっと恐ろしい出来事が記されていた。
こともあろうに、魔導師は戦争を口実に転化した攻撃魔法の実験や今では禁術と呼ばれている危険な魔法を人族を対象にして発動し、その効果を試していた。
既に魔導師は人族には戦う余力が残されていない事を知りながら、一方的に攻撃を続けていたのだ。
げに恐ろしきはそれがまるで当然の権利のように書かれていたことだろう。
『悪逆なる人族を撃滅し、更に武術、魔導、医療の全ての面に於いてそれらを発展させ、より優れた技術とするために人族に対して試せることを全て試した』
要約すればそのように書かれているが、要は体の良い人体実験をついで感覚で行っていたという事である。
古今東西、全ての戦争においてそれは当たり前の事実であるが、フルークシにとってその事実は耐え難いものだった。
自分達がしていることの罪悪感を消すために、人族を悪者に仕立て上げていた。
それに気が付いた瞬間、サイとの学園での日々がフラッシュバックし、サイの記憶を見た日の事を思い出して思わず倒れそうになる。
「成程。サイは今を生きる人族であり、虐げられるべきではないと。だからお前はサイを大切にしているのか」
「それもあります。ですが、それ以上に私はサイに幸せになってもらいたいのです」
「今の彼は幸せではないと? 何故そう言い切れる」
「……詳しくお話しすることは出来ません。ですが私はサイよりも優れた存在がいるとは思えません。それほどまでにサイは聡明です。ですが、サイは人族であり、その能力を認められることは決してない。それは……あまりにも惨すぎると思うのです」
フルークシの言葉を聞き、ファザムノは瞼を閉じて静かに考えていたようだが、少しするとその瞳からは威圧感が無くなり、憂いと優しさを帯びた瞳になっていた。
「急くなよ? お前はマンドラに似て、結論を急ぎ過ぎる節がある」
「大変申し訳ありません」
「説教ではない。忠告だ。優しさも度を過ぎればただの過保護だ。……聞きたい事は以上だ。下がれ」
ファザムノは最後にフルークシに助言し、彼を謁見室から退室させた。
それを見送った後、ファザムノはそのままその場で少しの間、思案に耽る。
サイ達にした質問もフルークシへした質問も、その答えはファザムノだけが納得しているため誰にも分からない。
『どうやら、何としてもサイの事を調べ上げる必要があるな。最悪の場合、サイ本人から聞くしかあるまい』
だがファザムノは一つの結論に至ったのか考えるのを止め、彼も部屋から出ていった。
その後、フルークシは仕事に戻ったのだが、急にサイの事を問いただされた事や自分の心境を語った事で色々と頭の中が混乱し、当然ながら仕事が手につかない状態となっていた。
ただでさえ激務で身体の休まる日が無いフルークシにとって今日の出来事は心身共に疲れる事となったが、それ以上にサイの事が気掛かりで仕方なくなっていたせいだろう。
サイの事に関してフルークシは一度も誰にも語った事がない。
ファザムノがサイの情報を知り得るには六賢者の誰かか魔導師協会の誰かが告げ口しなければ知り得ない情報であるため、もし彼等がそのような事をしたのであれば今度こそサイを抹消しようとしていることに他ならない。
仕事続きで世間の動きに対して少々疎くなっていたフルークシは、まさかサイが一躍時の人となり、自分がファザムノと謁見をするほんの少し前に直接話しているとは夢にも思わなかっただろう。
引き取りはしたものの、完全に広い屋敷に一人で放置していることも、自分の今までの行いに対する謝罪も何も行えていないという焦燥感に加え、誰かがサイの事をファザムノに漏らした可能性が高いとなればサイが健在なのか分からない。
あらゆる感情が全ての思考をサイの方へと引きずるため、今日の仕事は一段と遅くなってしまった。
「おや? 珍しいねフルークシ。君がこんな時間まで仕事を続けているなんて」
深い溜め息を吐きながら一人残った仕事を終わらせてゆくフルークシの後ろから誰かの声が聞こえた。
「ベリュシオン殿か。いや、今日はちょっと色々とありすぎてな……。仕事が手につかんのだ」
「お悩みのようだね。ならちょいとお手伝いをさせてもらおう。その代わり、この後食事に付き合ってもらうよ」
その者の名はベリュシオン。
フルークシと双璧を成す、若くして上級魔導師の資格を得た天才と謳われる魔導師だ。
直接の面識が無かった二人はフルークシが王宮法務官として働くようになったことで共に働く事になり、今では仕事でも私用でもよく話すようになっていた。
とはいえ初めから二人は打ち解けたわけではなく、寧ろ少々距離が開いていただろう。
二人が天才と呼ばれた所以は、単にお互い才能が秀でていただけではない。
一番大きな理由はフルークシが反人族派として、ベリュシオンが親人族派として秀でた才能を持つ、時代の担い手だったからだ。
フルークシとベリュシオンはそう言った背景があったせいでよく引き合いに出されていたため、互いに相手の事は知らずとも噂で名前やお互いの思想については知っていた。
故にベリュシオンは最初はフルークシの事を避けていたのである。
しかし仕事が一段落した際に、フルークシや他の新たに入ってきた職員達を迎えるための歓迎会と親睦会を兼ねた飲み会が開かれた際に、思い切ってフルークシの方からベリュシオンに話し掛けたのだ。
サイの事を隠すためにもフルークシは反人族派のふりを続けていたため、初めは出来れば話し掛けてほしくなさそうな雰囲気を醸し出していたが、周りに聞こえないように今のフルークシの心境を語った事が元で彼等は意気投合したようだ。
なによりも大きかったのが……
「ベリュシオン殿はサイ殿の事を知っているのか?」
「知っていますよ。学園祭の時に一度話したきりでしたが、彼には驚きましたよ。丁寧で思慮深く、高い能力を持ちながらそれを誇示しない。なりたくても中々ああはなれないでしょうね」
「たった一度話しただけでそれほどまで見抜くとは……私とは違い、ベリュシオン殿は慧眼をお持ちのようですね」
互いにそうしてサイを軸に話をしたことだろう。
共通の話題であり、フルークシも既にサイの事を認めていたためよく話すようになっていった。
今回もそうだが、時折二人で食事をしては魔導の事や人族と竜族の今後の事などを語り合うような仲だ。
今日は残りの仕事をベリュシオンの手を借りてさっさと終わらせ、そのまま行きつけの近くの少々お高い料理店へと足を運んだ。
「さて、君が仕事が手につかなくなる程の悩みとは一体なんだ? 恋でもしたのか?」
「生憎今は仕事一本だ。もう少し色々と落ち着くまでは他の事を気にする余裕も無い」
「知っているよ。君はそういう奴だ。だからこそ何があった? それとも、言えないような事か?」
「……そうだな。言えないような事だ。だが、貴方になら話しても問題はないだろう」
個室の中で料理の味を楽しみつつ、フルークシはベリュシオンに自身とサイの関係を話した。
そしてそれに付随する話として今日、ファザムノにサイの事について問いただされたことも付け加えると、ベリュシオンはかなり深刻そうな表情を見せる。
「それは……嬉しいやら悲しいやら……。君が人族を嫌っていないと知った時以上の嬉しさではあるが、もしもファザムノ様がサイ君の存在に関して知っているとなると……少々マズいかもしれないな」
「やはりか。黙王様は聡明な王であるが、同時にこの平定の世を築いた保守的な方だ。もしもサイが魔法を使えるということを知られれば……」
「ん? 何を言っている。ファザムノ様は保守的ではないぞ? あの方は人族を守るために方を整えた際に魔導師達と真っ向から口論したほど変革を望んでいた方だ。私が気にしているのはファザムノ様のことではなく、幻老院や反人族派の面々の方だ」
「そうなのか!? 私は今の物静かなファザムノ様しか知らなかったが、そんな一面もあるのか……」
ベリュシオンはフルークシにファザムノの事について軽く説明した後、真に警戒すべき相手について話した。
魔導師達の総本山とも呼べる場所が幻老院である。
初代国王のマイラスが魔導師であったため、その名残で今も魔導師が多く所属する機関であり、法の一切を執り仕切る政治機関である。
最終的には王宮の法務機関を通して国王の認可があれば新法の立案や改正等が行われるため、絶対的な権力は無いが、大抵の場合幻老院からしか行っていないのも現状である。
故にその内部は老練な魔導師が多く所属しているが、その殆どが反人族派であり、あわよくば人族の根絶を目指しているような過激派が多い。
「君の言う通りならばサイの事を知っているのは魔導師だけで、君が言っていないのなら魔導師協会の上部の誰かがファザムノ様に告げ口をしたか、わざと漏らしたかの可能性が高い。そうなればファザムノ様の出方を窺える。もしもこれでファザムノ様がサイ君の違法性を説けば間違いなく人族全体の問題にするはずだ」
「そうなった時は最後……だな。そしてサイ殿に関して特に関心が無ければ、違法な人族の処分という名目でサイを歴史から完全に葬ることができる……どう転んでも幻老院にとっては有り難い状況という事か」
「……一つ気になることがあるんだ」
このままならば間違いなくサイは処分される。
それをどうするか考えていた時、ベリュシオンが先に口を開いた。
「そもそも、何故こんな法律が存在するんだ?」
「『人族に魔法を教えてはならない』という部分か? それは勿論、大戦時に人族が魔法の意味を理解し、対策されては困るから出来たものだと」
「そこがおかしいんだ。何故そもそも魔竜種以外には認識することができない魔法に関する法律が必要だったんだ? 人族に関する法ができたのは大戦後だ。君や私が知っているこの法ができた理由では説明の辻褄が合わないのだ」
「……! 言われてみればそうだ。法として存在するという事は前例があったということだ。それも法として制定しなければならないほど当たり前に……!」
「フルークシ。一旦この話は止めよう。続きは今度別の店で話すべきだ」
そう言ってすぐに店を後にした。
ベリュシオンに言われてフルークシもすぐに気が付いたが、近くに高い魔力があったため、詮索されるのを防ぐために口を噤んだ。
しかし同時に二人は確信していた。
幻老院が人族を嫌う本当の理由が、この不必要に思えた法の中に隠されているのだと。




