それはとても小さな 5
大きな火災事故の内容は、後に広報屋(新聞社のこと)に大々的に取り上げられた。
『昼間の大火災。奇跡の死者無し』
そんな見出しと共に国内に広く知れ渡った情報は多くの波及を呼んだ。
というのもその大火災の折、何処の誰だかも分からない無名の魔導師が、救護隊が到着するよりも先に火勢の大幅な減少と迅速且つ的確な治療により奇跡とも言える大業を成しているにも拘らず、名乗り出てこないからだ。
到着した救護隊が目にした光景は既にほぼ完璧な応急処置が施され、間違いなく助かる状態となった複数の怪我人と、火元の鎮火はほぼ完了しており、後は未だ燃え続けている残り火を消化するだけという状況だったため、今回の功労者はその謎の魔導師ただ一人となるからだ。
そのため救護隊としては是非ともその魔導師に功労賞と救護隊への抜擢を依頼したいのだが、待てど暮らせど連絡が入ることはないという状況だった。
救護隊としては功労賞云々よりも、それほどの人材が埋もれている現状の方が度し難いという思いであり、遂には余裕のある隊員が町中を歩き回ってまでその魔導師を探す騒動にまで発展した。
だが無論、その魔導師は現れない。
もしもそんな場にサイが出向けば、間違いなく根掘り葉掘り問答されるだろう。
そうなれば困るのはフルークシとなるため、ここ最近はサイは可能な限り庭にも出ないようになっていた。
サイのそんな地味な努力の甲斐もあってか、なんとか数ヶ月も経つ頃には名も無き魔導師を求めて歩き回る救護隊員の姿もほとんど見かけなくなっていた。
何とか秘密を護り抜くことは出来たが、一番驚いたのはその時に居合わせた人々全員が救護隊員にその件を口にしなかったことだ。
サイが殺処分されるという一言が効いたのか、噂に立つこともなかったようでサイとしては一安心しているが、ここ最近は念のためショテルが街中での噂を聞いて回ってくれている。
そこで一つ話題に上がっていたのが、件の魔導師二人組。
なんでも二人が無名の魔導師として名乗り出たようだが、受け答えですぐに嘘がバレたようで今では居場所が無くなったのか別の国へ移動したようだ。
だがそうなると気になるのが、彼等が『人族の魔導師』という単語を口にしていないかである。
彼等はサイの事を何とも思っていないどころか、ストレスの捌け口にしていたような輩であるため、サイの事も話していたとしてもおかしくはない。
そのためサイは暫くは庭にも出ていなかったのだが、ショテルの調査ではどうやらそう言った話も上がっていないようだということが分かったため、もうそろそろ普通の生活に戻ることにしていた。
翌日からはようやく庭の伸び放題になった草を切る姿がちらほらと見受けられるようになったため、サイに少なからず世話になった人々が思わず話し掛けるようになった以外、特に変化はなかった。
「こんにちは」
「こんにちは、ウィレさん。お元気そうですね」
「ええ、おかげさまでもう何ともないですよ」
その日も庭木の手入れをしていたサイの元に助けた怪我人の内の一人である、ウィレが訪れていた。
大抵の場合、簡単な挨拶と事故後の経過の話、そしてサイに関する質問が会話の流れとなっていた。
怪我人達は皆同じ病院へと運ばれたためか、その後もよく連絡を取っているらしく、時にはサイの元へ数人で訪れることもある。
それ自体はサイとしても問題はなかったのだが、サイとしても念のため彼女等には多くを語らないようにしていた。
説明の中ではサイはただの雑用奴隷であり、元々の持ち主であったドレイクの戯れで簡単な魔法なら使えるようにしてもらっている、という設定にしている。
「でも……サイ君は本当にそれでいいの? あなたがいれば間違いなくもっと沢山の人が救われるわ。是非救護隊の人達に相談してみるべきよ」
「例えそうであったとしても、人族が魔法を使う事は法で禁じられています。それを破っている以上、バレてしまえば人命を救うためだったとしても許されないでしょう」
「えっ? 法でそうなってるの? そんなの知らなかったわ」
ウィレがそう言って驚いたように、人族が魔法を使用してはならないという禁止法について知らない者はかなり多い。
そもそも魔法は魔法使いにしか使えないとしか知られていないのが魔導師の現状であり、それ以上は深く知る必要が無いため大半の人が魔法関係の法に関して疎いのが原因だろう。
誰でもそうだが、法の全てをしっかりと覚えているような者はほとんどいない。
故に彼女達はサイに対して感謝と尊敬を忘れていないからこそ、そのような認識のずれが生まれる。
しかしそうしてゆく内にとある問題が生じ始めた。
「そもそもなんでまだ人族はこんなに雑な扱いなんだ? 人族の大侵攻からもう何周節経ったと思ってるんだってんだよ。もう緩和されてもいいはずだろうに」
「ですが、歴史的に見ても人族は危険な存在なんです。このままで問題ありませんよ」
「危険な存在ぃ? こんなにちっこくて可愛らしい奴の何処が危険だってんだよ。もうどの国にだって当たり前のように人族がいるんだ。それなのに復讐を恐れてるってのはおかしな話だろ?」
その日はサイが応急処置を行った際に生命力を提供してくれた男性のガレンとウィレがサイの元を訪れていた。
ガレンとしてもサイのその迅速且つ迷いの無い判断が気に入ったのか、決して口外はしなくてもサイを高く買っており、よくワシワシと頭を撫でに来る。
多い日では五、六名程訪れる日もあり、そう言う日であれば必ず話題となるのが、現状の人族に対する法の話となる。
人族はその全てが帝都及び、各々の国が管理する人族の育成機関によって管理されている、謂わば国が管理する所有物である。
野良の人族が決して現れないように徹底的に管理されており、そのために持ち主のいない人族は全て殺処分されるようになっている。
勿論繁殖に関しても国家公認の奴隷商のみがその権利を有しており、世界中に出回っている一般的な奴隷は全て男性のみとなっている。
ここまでいくとそれはもうほぼ家畜と大差無いのだが、その最大の差が人族は奴隷でありながら、殺人が不当として扱われるところにある。
所有物の破壊としてではなく、人族の殺害として裁かれるため、手を出すことはあっても殺すことが無い事が殆どだ。
これは前王であるファイスが遺した人族に関する法によって守られた、人族の為の人権であり、必要以上の不当な扱いを禁ずるという方もここで添えられている。
サイが実験用奴隷だったことが学園で問題となった最大の理由はこれであり、人権を持つ存在として扱われていない事はかなりの重罪となるため、サイのような実験用奴隷に始まり、食用や性処理用といったような人族の流通は絶対的に禁止されている。
それでも年間で多少なり見つかることがあるこの闇奴隷問題は、現在存在する中でも一番大きな人族の問題だろう。
取り締まりが厳しくなっているにも拘らず、全くもって発見できない理由はサイがそうであったように、徹底して人族の思考能力を奪っていることと、購入者がすぐにその非合法な人族を消費してしまうからだろう。
それは表沙汰になれば間違いなく社会問題に発展するような内容であり、奇しくもサイはその生き証人となってしまっている。
サイは今の社会において最も強い発言力を持っているのだが、サイはこの世界の変化を望んでいないのが現状であるため、今後もフルークシや他の魔導師の為に話すことはないだろう。
目の前で巻き起こる人族への社会問題の言及について、サイは微塵も自身の存在がその話の中心になっているとは考えてもおらず、ただサイの元へ集まってはその話をする人々を眺めていただけだった。
それが良くも悪くも、一人の人物の目に留まった。
その人物の名はディション。
既に誰もが捜索を諦めていた、無名の魔導師を未だ探し続けていた根っからの正義漢である。
彼が探していた理由は他の隊員が行っていたヘッドハンティングではなく、ただ心からの感謝を述べたいという思いからだった。
世間から忘れ去られたと思っていた頃ということもあり、皆彼が非番なのにも拘らずに散歩がてらにサイの事を探している救護隊員だとは思わなかったのだろう。
その場にいたガレンとウィレの二人が揃って誰かと談笑している姿が気になり、ふらっと寄ってきたようだ。
「大体こんなにちっちゃな人族があれだけ大勢の人を体張って助けたってのにさ、あの魔導師二人ときたらよ! 逃げたどころかお前の手柄まで奪おうとしてたんだぜ?」
「それはあまり褒められたことではないですね。流石に実力が伴っていない嘘は多くの人を不幸にしてしまいますから」
「それ、サイ君にも言えますよ? 私も助けて貰ったのに、それを誰も知らないなんてあんまりですもの」
「自分の場合は嘘は吐いていませんよ。言っていないだけです」
「成程、言っていないだけか。それでは確かに見つからないわけだ」
口々にガレンとウィレがサイの事について語っていたが、その内容は聞く者が聞けば何のことを言っているのかすぐに分かる。
それが原因で聞き耳を立てていたディションが好感の持てる笑顔でそう言いながら近付いてきた。
「初めまして。小さな魔導師君。救護隊員二番隊隊長のディションだ。君の勇気ある行動で多くの命が救われた。本当に感謝している」
ディションはようやく無名の魔導師を見つけられたことがただ嬉しくて、そう言いながら敬礼したようだが、サイの説明で事情を知っているガレンとウィレの顔は青ざめていた。
例え悪意はなくとも、ディションがこの事を言いふらしてしまえばサイの立場は一気に不利になる。
最悪サイが殺処分されるということを知っているため、何とかして二人は誤魔化そうとしていたが、どう見てももう遅い。
「申し訳ありませんディション様。私の独断で人族が禁じられている魔法の使用を行いました。全ては私の独断であるため、処罰は私が受けます」
「確かにそれは困った話だ。このままでは小さな英雄を表彰するどころか君の言う通り違反の処罰を行わなければならなくなる。勿論私が言えばだがな。生憎私は物覚えが悪いのでこの事は数歩歩けば忘れてしまうだろう。だが問題はそこではない。何故、君は正しい事を成したのに、裁かれなければならないのか。問題はここにある。出来る事ならばこういう風にこそこそと感謝を述べるのではなく、皆の前で君の行動を褒め称えたい。そのためには……人権運動なんかが必要になると思うのだが、それに関してはお二人はどう思うかね?」
以外にもディションはわざとらしくそう言って困ってみせた後、ガレンとウィレの方を見る。
ディションの方からそんな話を振ってくるとは思わなかったからか、それともディションのその提案そのものに驚いたからなのか、二人は目を丸くしながら顔を見合わせ、少ししてから大きく首を縦に振った。
「ディション様。一つだけ質問させていただいてもよろしいですか?」
「どうした?」
「何故、私が魔導師であると知っていたんですか?」
「君を騙った二人の魔導師がぼやいていたからね。『人族の魔導師のなりそこないに偉そうに指示された』とね」
サイが聞いた通り、ディションの口振りは初めから人族の魔導師が存在していることをしなければ出ない発言であった。
これまでサイが知る限りではディションは初めて出会った人物であるため、誰かしらが彼にそのことを話していなければその発想には決して到らないだろう。
するとやはりここで懸念していた通り、サイの存在を知った魔導師二人がこの件に絡んできた。
どうやら彼等は英雄として名乗り出た際に、どのような措置をどのような判断で行ったのかを根掘り葉掘り聞かれたようだ。
特に悪意があったわけではなく、それほど謙虚だが確かな実力を持つ人物がわざわざ名乗り出てくれたのであれば、その判断力によっては即救護隊長に任命もあり得たため、その能力をしっかりと把握したかっただけだった。
だがこれが単に表彰されるだけだと思っていた二人の魔導師としては想定外で、詳しい内容を聞かれたものだから何も答えられなくなり、その結果偽物であることが判明したのだ。
その際、既に頭が真っ白になっていたからか、口にするべきではなかった本当の事をついつい喋ってしまい、その中にサイの事が出てきたのだという。
他の隊員は特に気にも留めていないか世迷言だろうと聞き流していたようだが、ディションは『無名の魔導師が名乗り出ない理由としては腑に落ちる』と納得していたようだ。
そう言った経緯もあり、ディションは抜擢するためにその魔導師を探すことを諦め、ただ感謝を述べるために魔導師を探していた所、ようやくサイを見つけ出すことができた。
「だから私としても君の状況は理解しているつもりだ。だが今まで多くの災害や事故の現場で竜族、人族問わずに救助を行ってきたが、総じて人族はその身を投げうってでも竜族を助けようとする節が強い。初めは自分の所有者がいなくなれば処分されるから程度に思っていたが、どうもそういうわけではない事が分かったのでね」
「それと私の人権とがどういう関わりを持っているのでしょうか?」
「人族はあまりにも破滅的すぎる。災害や事故になれば竜族を助けるために真っ先に動いて、当の本人は竜族を助けるために無茶をし過ぎて命を落とす。あまりにも気になって一度救助した人族に理由を聞いたほどだ」
「理由はなんだったのでしょうか?」
「『人族は買い直せばいい。だが竜族を買い直すことは出来ないから』だと言っていた。救護隊員からすれば一番聞きたくない言葉だ。命の重さに差などない。確かに人族はまた買える。だがその買った人族は死んだその本人ではない。個というものの認識があまりにも薄い気がしてね……。慈王ファイス様が必死に守り抜いた命をあまりにも竜族も人族も軽んじ過ぎている。分かり難いかもしれないが、人族とてこの世界に生きる一つの種なのだ。もうその在り様も変わるべき時が来ている。……そうでなければまた過去に起きたような大災害が起きた時に多くの人族が無駄に命を落とすことになる。私はそうあってほしくないだけなのだ」
ディションはこれまでの経験から感じた思いを素直に打ち明けた。
彼に限らず、より人々の生活の傍で生きてきた魔導師は既に随分と人族に対して持っているイメージが変わっているようだ。
その最大の要因が、災害や事故が起きた際の人族の死者の多さである。
現状奴隷である人族の死者は、広報としては公開されていない。
そのため紙面上では年々死者数が減ってきているため救護隊員の活躍ばかりを取り上げているが、その実死者数のみで言えばかなり増えている。
死者のほとんどが人族であるためその数字には計上されていないが、主人やそれ以外の竜族問わずに助けるために無茶をする人族が増加傾向にあり、その多くが手遅れになるまで救助をしていることに起因している。
そういった背景もあってか、ここ最近流行り始めた愛玩奴隷と呼ばれる情愛を注ぐために購入した人族が容易に命を投げだすせいで変な人族嫌いも増えつつあるため、小さな社会問題になっている。
「皮肉なもんだよ。人族への理解が増え、もう理由も無く人族を嫌う奴の方が少ない世の中になったというのに、今の方が昔よりも人族の死亡数が多い。このままじゃいつか全部死に絶えるだろうな」
「……心中お察しします。ですが、私達からすればそう思ってもらえるだけで有難いんです。私達は侵略者で、生かされているだけでも有難い存在なのですから」
「何時の時代の話をしている? 人族の大侵攻なんてもう覚えているのは長命種の老人だけだ。歴史として習っただけでお前達今を生きる人族が体験したわけではないだろう?」
「確かにそうですが、それが紛れも無い事実であり、人族が奴隷であることがその何よりの証拠です」
サイの返答を聞いてディションはやれやれと言った調子で両手を上げる。
ディションが言っていることは所謂一般通念であり、サイは奴隷時代にまともな教育を受けていないため、他の人族がどんな一般常識を持っているのかを知らない。
確かにサイの語る知識は全て屋敷に蔵書されている書物から得た歴史等の書物から知り得た知識ではある。
そう言う意味ではサイは確かに常識的かと言われればそうではないが、それでも恐らく現状の人族が置かれた社会的な立ち位置と、それを取り巻く環境については詳しいつもりだ。
だからこそ、ディションの提案には首を縦に振るわけにはいかなかった。
ディションの言う通り、今のサイ達の生きる世界ではほぼ何処にでも竜族と同じぐらいの数の人族が生きている。
だがその全てが奴隷であり、自由に生きている者はただの一人も居ない。
これは人族の全てが管理下に置かれている事を示しており、同時にその人族の管理を行っている機関の大元は幻老院であることをサイは知っている。
サイが懸念している最大の理由はこの幻老院が全ての人族の管理を行っていることであり、幻老院やその下に所属する魔導師や他の竜族は昔気質な考え方を有しているため人族にあまりいいイメージを持っていないからだ。
世間と法を管理している幻老院のこの考え方のずれは既にサイが学園内で経験した親人族派と反人族派の抗争と同じであり、その結果サイ自身がどんな目に遭ったのかもよく覚えている。
サイと学園内でならばこの程度で済んだかもしれないが、この規模が世界ともなればそう易々とは解決しない社会問題になってしまう。
だからこそサイは、たかだか後から種として受け入れられただけの人族の為に世界を大きく乱したくないのである。
とはいえ、既にその気になっているディションやガレンとウィレを前に人族であるサイがそんな横槍を刺しても聞く耳など持たないだろう。
サイとしてはこのまま彼等の中だけでの話し合いとしてやいのやいのと言っている分で収まってくれることを祈ることしかできない。
だからこそサイはそれ以上言葉を繋げることはしなかった。
しかし、ディションやガレン、ウィレがサイの住んでいる屋敷の前に集まって話をする日は徐々に増え、次第に他の人達までその話に加わるようになり、とうとうサイとしては想定しうる最悪の結果へと進んでゆく。
「人族の人権を勝ち取るぞ! まずはこの国で同志を集めるんだ!」
ディションを筆頭にし、多くの者が彼の言葉に奮起の声を上げるほどの集会になってしまった。
こうなればもう自然消滅はあり得ないだろう。
『やはり……魔法を使うべきではありませんでしたね。フルークシさん。申し訳ありません。やはり約束は守れないようです』
一つ小さな溜め息を吐きながら、サイは心の中でそう考えた。
このままでは収拾がつかなくなる。
かといって適当に矛を治めさせれば火種は残ったままとなるだろう。
ならば成す事はただ一つである。
『ショテルさん。一つ頼み事をしてもいいでしょうか?』
『私にできる事であればいいですが……。暗殺しか能の無い自分に扇動のような真似は出来ませんよ?』
『いえ、是非そちらの能力を活かしてほしいのです。今から僕が言う情報を集めてきていただきたいんです』
多くの竜族達がサイの屋敷の前に集まっては集会演説まで行うようになってしまった中、サイは念話を用いてショテルにだけ話し掛けた。
サイからその集めて欲しい情報の詳細を聞き、ショテルはすぐさまその場を離れ、早速サイの必要とする情報を集めに行ったようだ。
そしてその間、ディションの元に集まった大勢の人々はそのままその場で話し合いを始めた。
話し合いは最初こそただの愚痴のような呟きあいだった。
しかし次第に互いの意見を交換するようになり、その規模は日を追う毎にただのぼやきから会議へと様相を変えてゆく。
しかし当初は人族の人権を得るために集まったはずの人達だったが、議題は何時の間にやら『如何にして人族の奴隷制度を撤廃するか』にすり替わっていた。
『人権を得る』と『奴隷制度を撤廃する』とではその話の重みは全く変わってくる。
前者であればただ人族への扱いを真っ当にする程度であるため、然程大きな影響力はない。
だが後者であれば世界中に甚大な影響を与える。
何故世の中に出回っている人族が全て男性なのか、何故どの人族も似たような思考をしているのか、何処から人族が供給されているのか……。
そういったあまり彼等にとって身近ではない事は彼等は気にしていない。
そして、奴隷制度を撤廃した暁にあるものがゴールではない事に気付いている者もいない。
こうなることが分かっていたからこそ、サイは自身の行動の軽薄さを改めて後悔していた。
例え人命を救うためだったとしても、こうなってしまえば意味はない。
思想は多くの人物が加われば加わるほど、その熱量が凄まじければ凄まじいほど現実味を失ってゆく。
得てして多くの大衆が語るのは理想であり、叶える事の出来る現実ではない。
彼等にとってのゴールである奴隷制度の廃止により、どれほどの奴隷商や商会等で多くの人族を利用している者達が被害を被るかなど微塵も考えていない。
「そして皆に今一度紹介したいのが、今回私がこう皆に宣言する理由となった英雄、サイの存在だ! 是非、彼からも一言皆に伝えてもらおう!」
既に大衆のリーダーとなっていたディションはそう言いながらサイを壇上に立たせた。
彼は微塵も自身の行為が助けたいはずである人族を苦しめているとは思っていないのが分かる笑顔でサイを皆に紹介した。
当然サイも自分と同じ考えを持っていると信じて違わなかったのだろう。
だからこそこのタイミングが訪れると分かっていた。
「初めまして。私はサイと申します。一人族として皆さんに心からの感謝を述べさせて頂きます。ですが、同時に一人族としての意見も述べさせて頂きます」
深々と頭を下げ、観衆に拍手で迎えられながらサイはそう言い放った。
その場にいる誰もがサイの言葉を今か今かと待っていたが、サイの言葉を聞いてその表情を曇らせた。
「私は、人族は今のままで構わないと考えています。ここに集まっていただいたあなた方の語る『奴隷制度の撤廃』は私達人族からすれば詭弁でしかありません」




