それはとても小さな 1
どんな世界にも光と闇がある。
煌びやかな帝都には技術の粋が集まり、屈強な騎士が常に見守ってくれ、何処で事故や災害が起ころうとも魔導師が駆け付けてくれる。
しかし同時に貧富の差が激しく、帝都にすら誰も近寄らないような貧困層の住む危険な地域が存在する。
夢を見て帝都へ出向き、現実に打ちのめされ、騙され、帰ることすらできなくなった者達によるごろつきが徘徊する地域、スラム街。
強盗や詐欺師、違法な道具の密売を行う彼等は表向きは貧困地域に住む恵まれない者達だが、その裏では多くの強奪や小さないさかいの火種を生み出し続けている。
そしてそういった危険な地域は表向きの悪さをする輩に乗じ、本当の闇を忍び込ませるのに最適な隠れ蓑となる。
帝都政府が貧困層へあまり介入しない理由でもあり、行き届いた行政を敷設したという光と共に、邪魔者を排除してでも行った闇も孕んでいる。
暗殺者連盟、多額の金銭により契約することができるプロの暗殺者集団の通称。
所属する者の本名はほとんどの場合分からず、金さえ払えばどんな仕事も必ずこなす裏のなんでも屋といえば可愛らしいが、大抵の場合は組織の解体や要人の殺害ばかりである。
そこに一人のフードを被った男が手慣れた足並みで狭い路地を進んでゆき、周囲のぎらついた目も気にすることなく目的地まですいすいと歩いてゆく。
「そこで止まりな。あんた何処から来た?」
「北の方からだ」
「北? 北ってのはどの国だ?」
「山ばかりの場所だ」
フードの男がある建物に近づくと、屋根の上にいた一人の男に声を掛けられた。
受け答えを聞くと、屋根の上にいた男は飛び降り、そのままフードを被った男を連れて少し離れた建物へと入ってゆく。
どうやら先程の会話は合言葉のような物だったらしく、連れられて入っていった建物の中はかなり薄暗く異様な雰囲気を放っている。
「どんな要件だ?」
「こいつを殺してほしい。どんな方法でも構わん」
陽の光が一切入らないように遮られた屋内は、お互いの顔が視認できないほどの灯りしか灯されていない。
依頼者への配慮と同時に、彼等暗殺者の素性も明かさないようにするためにそうなった部屋で、フードを被った男は一つの映像装置を取り出す。
「……詮索するつもりはないが、何故わざわざ人族なんかの殺害依頼を? 言っておくが殺害なら高いぞ」
「お前が言った通りだ。余計な詮索はするな。金なら前金で全額、達成後には同じ額を積もう」
壁に映し出されたその装置に映っていたのはサイの姿。
それを見て、闇の中でも一際存在感を放つ男がフードを被った男に問いかけた。
無論、理由は答えずに持って来ていた麻袋を取り出し、大量の金貨を机の上で広げてみせる。
それを見て男は少しの間沈黙した。
「悪いが他の連盟を当たってくれ。厄介事の匂いしかしないんでな」
そう言って男はその依頼を断った。
金さえ払えば、とは言ったが勿論断られることもある。
真っ当な仕事でない以上、どうしても多くの恨みを買いやすいため彼等もリスクとリターンを考えて仕事を受けるかを決めている。
そうしてフードの男は広げた金を袋に戻し、別の連盟へと向かった。
そのギルドが断った理由は決してサイの事を知っているからではない。
表向きでどうとでも出来る依頼をわざわざ頼みにくる場合、その依頼には面倒事が絡んでくる。
仕事を選ばずに受けてきた暗殺者連盟はそれが原因で壊滅したようなものもあるため、比較的慎重な場所の方が多い。
それでもリスクを鑑みて受ける連盟も存在する。
「いいだろう。前金は確かに受け取った。完了は広報紙でも見てくれれば……と言いたいところだが、人族では広報紙には載らんだろうな」
「構わん。この目で確かめるまでだ。では後は宜しく頼んだ。完了を確認すれば残りの金を持って来よう」
そう言ってフードの男は金を置いたまま去っていった。
依頼を受けた暗殺者連盟の盟主はその金貨を手に取り、混ざり気の無い金であることを確かめる。
「皮肉な物だな。はした金で買える人族をこれほどの大金を積んでまで殺したいとはな……」
そう言って立ち上がると、その金貨の沢山詰まった袋を置いたまま部屋を移動した。
彼の名はトラオア、この暗殺者連盟『スケアクロウ』の盟主だ。
竜族の中では中肉中背、体色も深い緑と石を投げれば当たるような見た目をしている。
彼自身、その何処にでもいる存在感を利用し、今の盟主の座まで辿り着いた本物の実力者である。
人族の大侵攻以前から続いている暗殺者連盟の一つでもある。
とはいえ、息の長い暗殺者連盟自体はそれほど珍しいわけでもなく、寧ろ真新しい暗殺者連盟の方が珍しいぐらいだろう。
そんな中で彼と彼の連盟であるスケアクロウは、暗殺を専門に行ってきた謂わば殺しの専門家集団。
あらゆる暗殺術に長けた者を多く抱え、要人の殺害を幾度となく成し遂げてきた連盟だ。
彼はそのまま暗い廊下を歩いてゆき、とある部屋の前で開いたままになっている戸を叩いた。
「ショテル。お前に仕事だ」
「私にですか? ターゲットは?」
「お前と同じ、訳ありの人族だ」
静かな部屋の真ん中で、ショテルと呼ばれた人族が三つ指だけを立てて逆立ちしていた。
トラオアから人族という言葉を聞くと、彼は逆立ちを止めてトラオアの元へと歩いていった。
ショテルはかなり幼い顔をしており、髪も長すぎず短すぎずで整えられた可愛らしい少年のように見える。
しかし既にスケアクロウに所属してから一周節以上経験を積んだ大ベテランである。
トラオアから受け取った依頼人が纏めたターゲットの情報と映像装置の情報をしっかりと見てゆく。
「なんですか? この依頼。居場所も生活パターンも人相も何もかも分かってて、それこそ私達に頼む必要なんか無いような依頼ではないですか」
「こういう時の理由は至って簡単だ、ショテル。秘密裏に処理してくれる足のつかない誰かが欲しい。ただそれだけだ」
「最近人気の愛玩奴隷とかいう奴ですかね。最近問題になってる人族ロス狙いということでしょうか?」
「それを知るのは俺の役目ではない。知りたければお前が自分で調べろ」
ショテルは情報に目を通して思わず首を傾げた。
サイに関する情報が詳細に乗っており、とてもではないが暗殺者でなくとも楽に処理できるほど情報がはっきりしている。
基本的にトラオアが言った通り、依頼人に関する情報は周辺を調べることで知り得る。
酷い時はターゲットの名前しか分からない場合もあるが、それでも調べ上げて任務を完遂するのがショテルの得意とするところだ。
ショテルは暗殺者という世界で見ても珍しい人族の暗殺者で、それが故に情報収集に特化できるようにトラオアに様々な技術を教えてもらっている。
幼く屈託の無い溌溂とした笑顔で相手を警戒させず、今としてはありふれた人族という立場を利用して堂々と潜入し、堂々と出来ない場合は小さな体とその小さな体躯に見合わない高い身体能力をもってどんな施設にも潜入し、必ず情報を得てターゲットを抹殺する。
話術、体術、武器の扱いと容姿の利用の仕方とトラオアが手塩にかけて育てたこともあり、その能力は彼の部下の中でも非常に高い。
そんなショテルは一先ずいつもと同じように軽装に纏め、念のため戦闘になった時用のナイフを一振り持ってサイの元へと出掛けた。
帝都からサイの住む国まではかなりの距離があるため、本来ならば機械駆動車の定期便を利用することが多いが、こういう場合は人族であることがネックとなる。
人族が一人だけで機械駆動車に乗車するというのはまずあり得ないため、こういう場合は徒歩になる。
機械駆動車で片道数時間掛かる道ともなれば、行きだけで半日以上は要するだろう。
そんな街道だが、基本的にはただ森を切り開いただけになっている。
道も舗装されているわけではなく、機械駆動車や人がまちまちすれ違う程度であまり移動者が多くない事を物語っている。
無論切り開かれただけの森には竜族すら襲う猛獣もいるため、街道を歩いているとはいえ油断はできない。
それだけではなく、お尋ね者になり何処の国にも居られなくなったようなならず者が山賊をしていたりもよくある。
これでも『商王』と称される四代目国王コルマーシュの政策により随分と街道の安全は確保されたのだが、それでも被害報告は間々あるため冒険家に護衛やならず者の捕縛を依頼することもある。
そしてこの街道だが、勿論人族が一人で歩いているのもおかしな話である。
そのためショテルはおおきな隊商を見つけて、それに紛れるように歩くのが最も怪しまれないため、今回も偶々居合わせた隊商の手伝いをするようについて行くことにした。
こうすることで荷物の積み下ろしを手伝う時間が発生するものの、道中は機械駆動車に乗れるため総合的に見れば十分時間の短縮になる。
機械駆動車に揺られること数時間、荷物の下ろし作業を手伝ってからこっそりと隊商から離れて目的地のサイの住む国へと辿り着いた。
この世界では町の単位を『国』と呼び、一王である国王の住む場所を『帝都』、それ以外の貴族位の領主の納める場所を『国』、それ以外の場所を『村』と呼ぶ。
そのため国と言えどその風景はまちまちで、サイの住む場所はどちらかと言えば牧歌的な方である。
街中も道は舗装されておらず、あまり高い建物も建っていない。
また領主の意向か、街道は町の中央を貫いており、その両端には様々な商店が立ち並んでいる。
人族も開放的であまりガチガチに束縛された奴隷が少なく、店主が留守の間に店を回す奴隷や、買い物の代理を一人でする奴隷がいたりと割と人族に対して寛容な国になっているようだ。
領主によって国毎の細やかなルールは変わってくるため、所変われば町行く人族など見れないような国も少なからず存在する。
そしてこういう国であればショテルとしては行動しやすい。
周囲の目を気にせずに探索でき、目的地に行くまでの間に隠れやすい場所や逃走経路を練ることもできる。
そうこうしながら歩く事一時間弱ほど、ショテルは街道からかなり離れたサイの住む屋敷の前へとやって来た。
「ここに人族一人……。随分と豪気で景気の良い竜族もいたもんだ」
思わずそう口にするほどやはりその屋敷は大きく、本来グリモワール魔導分校となる予定だったと知らなければこんな感想が普通だろう。
ショテルはまず屋敷の周りをぐるりと回り、次に屋敷内を覗き込んでも怪しまれない場所を探す。
だがどういうわけだかショテルは常に人の視線を感じ、とてもではないが屋敷内を覗き込むような状況になることができなかったため、その日の探索はそこまでにした。
翌日、その翌日、そのまた更に翌日と屋敷周辺を探索している間常に誰かの視線を感じ、ショテルはかなり周囲を警戒しながらその視線を送り続けている主を探したが、とてもではないが見つかる気配がしない。
身を隠せるような建物も無く、屋敷の外周の何処にいてもその視線を感じるためそれほどの高さの建物があるかと周囲を探すがそれも無い。
あまり周囲の探索に時間を掛け過ぎても不審がられることもあり、ショテルはその謎の視線の正体を掴むことができないまま暗殺の決行の判断を迫られる事となる。
『分からない……今までこんなことはなかった。少なくとも私が誰かの視線を見誤るなどあり得ない……。一体誰が私を観察しているんだ? 一先ずその正体が分かるまでは探索は控えよう』
用心に用心を重ね、正体の分からぬ視線の主を探すため、暫くは探索ではなくその主を探すことにした。
目撃者は暗殺家業において最も憂慮しなければならない。
姿が知られることは次の仕事に影響を与えるため、目撃者は一人残らず消すことが好ましいが、あまりにも目撃者が多ければただの大量殺人鬼へと成り下がる事となる。
そうして視線の主を探すこと二週間、ようやくショテルはその視線の主を把握することができた。
というよりも、向こうからこちらに視線を送ってきたのだ。
屋敷から出てきた一人の人族が庭の草を刈る最中、家と家の隙間の暗がりから観察していたショテルと完全に視線を合わせた。
『間違いない……完全に存在に気付かれている……! しかもあの特徴、間違いなくターゲットじゃないか!』
ショテルが驚くのも無理はなく、十数メートル離れた暗がりで小さくなっているショテルなど、相当の手練れでなければ気付かないだろう。
だがサイはあろうことかショテルと目を合わせ、にこやかに手まで振ってみせた。
しかし、そのせいでショテルは混乱した。
もしもサイがショテルの存在に気が付いているのであれば、何故未だにサイの所有者である竜族が現れないのかが不思議である。
だが気が付いていないのであれば、あの所作の全てが謎の行動になる。
普段であればターゲットに存在が把握されそうになった時点で一度身を引くのがショテルのやり方だったが、今回は今までで初めてサイに完全に存在を認識されたこともあり、今撤退することは悪手になると考えた。
しかしもしも正面戦闘となった場合、ショテルは非常に分が悪い。
容姿を利用した隠密行動を絶対としたスタイルで鍛え上げ、一撃必殺を心掛けてきたショテルは通常の人族よりも戦闘能力に長けるとはいえ、竜族の護衛を相手にすればただでは済まない。
事前に貰っていた情報と、実際に見た情報で全く護衛がいないものと考えていたが、屋敷の中を確認することができていない。
もしもこの暗殺計画自体が漏れていた場合、既に屋敷内には屈強な護衛が待機していることとなるだろう。
そうすればサイの行動にも説明が付く。
わざとショテルの正体に気付いていることをアピールし、焦って行動に出た所を反撃する。
そうであれば今すぐ動く事は悪手となる。
結局は二択であり、読みを外せば最悪の結果を引き付ける状況に追い込まれてしまった。
今すぐ動き、護衛がいないことに賭けるか、一度身を引き、状況の再確認を入念に行ってから行動するのか。
どちらでも間違えばそれは死を意味する行動となる。
そこでショテルはあえて大胆な行動に移した。
「すみません。あなたはこのお屋敷に仕えている人族ですか?」
「ええ、今はそうですね。それがどうかしましたか?」
既に存在がバレている以上、姿を隠すことの利点はない。
故にショテルはとても好感の持てる笑顔を武器にサイに話し掛けた。
屋敷の傍まで移動できれば、屋敷の中の状況を把握することができる。
ショテルの判断は強行。
時間を置けば不利になると感じ、即攻撃を仕掛けるための最終準備に取り掛かった。
「いえ、実は最近こちらの国へ越して来たばかりなんです。これほどの御屋敷だったので領主様の家かと思い、ご主人に替わり挨拶をしておこうかと考えまして」
「ああ、よく勘違いされる方が多いですが、ここは誰も利用していません。今はここに蔵書されている書物を私が管理しているだけです」
「書物の管理? そうだったんですね。それは失礼致しました」
「いえいえ。それよりも良かったんですか?」
「何がですか?」
「僕から聞いていいのか微妙な所ですが、つい数日前まで影から見ていたのに、今日になって堂々と話し掛けてきても良かったのでしょうか? と、他人事ながら思ったので」
遠回しに探りを入れるショテルに対し、サイは驚くほど単刀直入にショテルに質問してきた。
当然この言葉にショテルは動揺するが、動揺を悟られないようにそのまま笑顔で誤魔化した。
「いやぁ、流石に突然人族が出向いても領主によっては嫌がりますので、どうなのか影ながら観察していた次第ですよ」
「……やはり、貴方が暗殺者なのですね」
「またまたぁ。こんな暗殺者がいると思いますか?」
誤魔化し続けるショテルに対してサイは直球な質問ばかりを投げかける。
その光景は異様そのものだったが、生憎周囲に誰も居なかったのが唯一の救いだろう。
このままでは誤魔化しきれないと踏んだショテルは、今この場で見られるリスクを背負いながら暗殺を強行するか考えていたが、その考えはサイの言葉で吹き飛んだ。
「僕には貴方の殺意がはっきりと分かります。そしてそれが怨嗟などではない、割り切られた殺意であることも……。つまり、僕の存在が不要だと判断した結果だと理解しているつもりです。そう判断されたのであれば、僕は甘んじてその結論を受け入れますよ」
サイの放ったその言葉には何の恨みも怒りも悲しみさえもないことが、ショテルにはよく分かった。
なのにその笑顔はとても柔らかく、何処か安堵しているようにも感じられる、確かに感情の籠った笑顔だった。
「何故逃げるつもりがない? 既に気付いていたのならいくらでも逃げられたはずだし、逆に私を捕らえることだってできたはずですよ」
「逃げた所で出された結論は変わりません。今世界を回している人達の総意が排除だったのであれば、例え何処へ逃げようと、いずれは排除されるでしょう」
「無駄だと分かっているから、だから逃げないと? 意味が分からない。死んでしまえばそこで終わりだ。伝えたかった想いも夢も誰にも届かなくなるんですよ?」
「死んだところで終わりはしませんよ。想いや夢は継いでくれる人が現れます。それに私には逃げる理由もその権利もありません。十分過ぎる幸せな人生を過ごさせてもらい、私の事を想ってくれる人がいる。それで十分です。それに既に夢を叶えた後の残り火だけで生きている私にとっては、いつ死んでも構わないので」
ショテルはそんな様子のサイを見た途端に表情も言葉も変わった。
笑顔は無くなり、まるで必死にサイを説得するような顔になっている。
暗殺者として殺しに来たはずなのに、相手に生きる希望を与えようとしているのは随分と酔狂な事だが、それでもショテルは納得がいかなかったのか色々とサイに投げかけた。
だがその悉くをサイは受け流し、『いつ死んでも構わない』という意見を一貫して変えない。
「そういえば、そもそも貴方は私を殺しに来たのではないのですか?」
「……殺したくて殺してるわけじゃないんですよ。殺すのにだって……」
不意にサイがそう質問すると、ショテルは押し黙るようにしてその言葉を絞り出した。
「サイ。改めてあなたの元を訪れる。その時は……望み通りの結果をもたらそう」
「分かりました」
サイに背中を向け、ショテルはその場を去る時にその言葉を残していった。
ショテルは間違いなく暗殺者で、今までも多くの要人を葬ってきた。
当然その手は血に汚れ、奇麗事など欠片も無い生き方をしている。
今更同族であるサイを殺したくないなどと思ったわけではない。
ただ、ショテルにも一つだけ思う所があった。
だからこそそれを確かめるために、ショテルは一度アジトへと戻る決心をした。
普通であればアジトへと戻るのは任務が完了した時である。
完了していないのに戻った場合、それは基本的に任務の失敗か予想以上の警戒があった事を意味する時だけだ。
そういった意味以外でアジトへ戻ることはショテルにとっては初めての経験であり、そしてショテルがターゲットと直接話をしたのも初めての経験だった。
「どうしたショテル。ターゲットの遺品が無いぞ」
「……申し訳ありません。トラオアさん。どうしても……どうしても一つだけ確認させて欲しい事があります」
「なんだ?」
「抹殺されるターゲットは、殺されるべき存在で間違いない……んですよね? そうしなければ、この世界を乱す存在となる。だから消さなければならない。そのための存在が、必要悪があるのだと」
トラオアに声を掛けられたショテルの顔は明らかに迷っていた。
それは間違いなく暗殺者としては致命傷である質問。
殺すことへの意義を問うなど、言語道断である。
「その通りだ。以前も言ったはずだ。この世に悪は二種類ある。一つは他人を陥れて笑う奴。もう一つは……こうやって世界の総意から外れた行動を取ったがために、世界の敵となった者だ。俺達の仕事はその悪を裁く事。何か間違っているか?」
だが、トラオアは以前よりそう言い聞かせて、ショテルを一人前の暗殺者として育て上げた。
その言葉は正しい知識を持たなければ聞こえが良く、思考を放棄するには十分な言葉だ。
ショテルは元から暗殺者になるためにここにいたわけではない。
故にショテルには、普通の暗殺者ならば到底考えもしないような、仕事に対する正義感があった。
ショテルが殺すのは常に世を乱す悪であり、善人ではない。
そう自分自身に言い聞かせながら仕事をこなしてきた。
だからこそ、常に自分の仕事に迷いを抱き続けていた。
「間違っていません。今夜、任務を遂行します」
迷いを孕んだままであるはずのショテルはトラオアに対してそう言い切り、覚悟を決めた目でトラオアを見上げる。
その言葉を聞いてから少しの沈黙の後、特に何も言わずにトラオアはその場を去っていった。
『言葉に深い意味はない』
それがトラオアの口癖であり、言葉ではなく結果で示せという意味である。
何も言わずに去ったのであれば、それは言葉として聞きたいわけではなく、きちんと遺品を持ってくることで任務を完遂した証拠を示せということだ。
少しの間、ショテルは自分の手を見つめ、そして踵を返して歩き出した。




