魔導師として 30
サイの精神力の測定結果は伏せられることとなった。
既に一度、大事件に巻き込まれている以上、これ以上の波乱が起きない事の保証はなく、同様にそれを多くの魔導師が知ることで起こる混乱を避けるためでもある。
もしもこの事実を反人族派の魔導師が知れば、今度こそサイの存在そのものが脅かされるだろうと危惧しての事だったが、以外にもこれを提案してきたのはその場に居た反人族派の講師からだった。
その場でサイのその秘められた才能を目の当たりにした者達は、サイが人族であることなどどうでもよくなる程の衝撃だったらしいが、見ていない者への伝聞ではその感動を伝えることは出来ないからという理由だった。
サガスティス達親人族派側はそれこそ彼等の言葉を信用していなかったが、どうしても信用できないのであればその記憶を改竄してもらっても構わないとのことだったため、信じることになった。
人族を認めない事よりも、それほどの才能を潰してしまうことの方が世界への損失が大きいと踏んでの言葉という反人族派の考え方も後押ししたのだろう。
その後はサイには特に騒ぎ立てず、ただこれからも問題なく魔法を使える事を教えてその場は終結することとなる。
波紋を呼ぶかと思われていたこの出来事だったが、生徒達も取り立てて噂にすることもなかったためか、思っていたよりもサイの日常は早く戻ってきた。
数ヶ月も立つ頃には筆記軸の講義もようやく皆に追いつき、実技軸の講義もようやく得られた高い精神力のおかげで難なくこなせるようになり、誰の目にもサイの実力が広く知れ渡った。
そんな中、遂に迎えた昇級試験。
結果は言うまでもなく余裕の合格だったが、その内容は驚愕としか言いようがない。
持ち前の記憶力で筆記はこれまで通り最高得点を叩き出したが、今回最も目覚ましい変化があったのが実技の面だった。
今まではサイは自身の魔法陣を構築して魔法を使用していた分、細やかな調整が難しかった。
消費量を絞ることに重点を置いていたため、繊細な操作や素早い詠唱が行えなかったのだが、自身の複雑な魔法陣を高速で詠唱していた記憶力と集中力はそのまま、使える魔法陣が他の魔導師達と同じとなったため、その魔法の精度も速度も段違いに良くなった。
それは正に反人族派の講師陣ですら実力を認めざるを得ないほどに。
多少の公平さのない審査であったはずだが、それでもサイは過去に例を見ないほどの実力を刻み、最終的な昇級判断を下す協議の下、初の五等中級学位から五等上級学位への昇級が認められた。
正に歴史的な快挙であったにも拘らず、それを喜ぶ者はあまりいなかった。
たった一節で次の学位へと進む。
それは素晴らしい事ではあるが、同時にサイが生きられる残り時間が圧倒的に短くなったことを意味する。
これほどの実力を見せた今、サイは決して学園を卒業した後に自分の人生という物がない事を確信するほど。
サイがそれに気付くようになったのも、サイの一つの悲しい能力のためだ。
奴隷時代の記憶を取り戻して以降、サイには他人の放つ魔力が見えるほど霊視が更に鮮明になっていた。
そしてその魔力は色濃く他人の感情を映し出すため、念話を行わずともかなり他人の思考を読めるようになってしまっていたからだ。
現状、サイに対して友好や敵意を覚えている者は多いが、それ以上の危険性を孕んでいるどす黒い意思がサイに向けられていることにも気が付いた。
その感情を持っている者達は決してサイに対して直接的にも間接的にも危害を加える素振りはないが、間違いなくいつかサイに命にかかわるような事をしてくるだろう。
だがサイはそれをどうこうしようとは考えない。
ただ手を下されるよりも先に、ドレイクの為にサイは魔導師としてこの学園を卒業し、正しかったことを証明するとしか考えていなかった。
魔導師としてはこれ以上ない程の才能を手に入れたとしか思えなかったサイだったが、その過去は何も全てがサイの人生を良くしたわけではない。
元々サイの中にあった破滅的な考え方は自身の過去を取り戻したことにより、より色濃くサイの考え方を支配するようになってしまった。
サイは自分の命というものに、一切の興味を失っていた。
ここ最近になってサイがあまり周囲の目を気にしなくなった理由はただ単に、自分がどうなっても構わないからだった。
例え殺されることになったとしても、サイはそれまでの間にドレイクの正しさを証明することしか考えていない。
ドレイクの為に生き、ドレイクの為に死ぬ。
もしも今、サイがドレイクの為に死ねと言われれば、サイは喜んでその命を差し出すだろう。
その恐ろしいほどの危うい思考は、まだ誰も気がついてはいなかった。
ただいままで通り、死んでも成し遂げるという覚悟の下学んでいるという風にしか見えていないからだ。
誰もその事実を知らぬまま、サイは遂に最終学位である上級学位へと進み、今まで共にした中級学位の寮とルームメイト達に別れを告げた。
「サイ……お前は凄い奴だと思ってたが、まさかここまでとはな。三節の間に頑張ったと思ったのにあっという間に抜かれてしまった」
「待ってろよ! サイ。俺達もすぐに追いつくからな!」
「あんまり焦り過ぎないようにね。まあ私は多分サイとまたルームメイトになりそうだけどね」
フィルメーサとノーティはサイに様々な激励を送ったが、ムターシャは違う反応を示した。
というのも、同じ試験での判定でムターシャも上級学位への昇級が決まったからだ。
同様にプロデジュムもようやく上級学位に昇級することにし、他にも数名の者が上級学位への昇級が決定していたため、ムターシャとしてはあまり心配はしていないようだ。
上級学位も中級学位同様に寮が存在する。
遠方から来る者や編入が当然であるため寮の入れ替えは基本的に同タイミングで入ってきた者同士が同室になることが多いため、この感じで行くのであればムターシャとプロデジュム、それと同時に上がってくるもう一人が今度は同室になるだろうという考えだ。
ようやくサイの理解者が増えていた中級学位だったが、上級学位はまた別世界であるため、暫くはまた偏見の目に晒されることとなるだろう。
その際に護ることができるのは今度はムターシャやプロデジュムとなる。
「わざわざ僕の為に皆さんが矢面に立つ必要はありませんよ。何と言われようと今の僕なら気にも留めませんから」
「そういう問題じゃない。私達がサイを貶されることが納得いかないんだ」
「君が例えどう思おうと我々にとって、サイは掛け替えのない友だ。もう失いたくないのだよ」
サイの言葉に対してムターシャもプロデジュムも言葉を返した。
今度はお世辞でもなんでもない、心からの言葉を二人はサイに送っていた。
最初こそプロデジュムは敵に回すべきではないという恐怖心からで、ムターシャは罪悪感から始まった友人関係だったかもしれない。
だが今はもう二人共心の底からサイの事が大事で、彼の為に出来る事をしたいと考えるほどには掛け替えのない存在になっている。
それはなにも二人だけに限った話ではない。
共に上級学位に上がることは出来ずとも、その場に居るフィルメーサとノーティも、ダンケンとネルンも同じ気持ちだ。
「サイ……もしも、もしもお前がちゃんと魔導師の資格を得て、それでも生きていられると決まったのなら、今度は俺達がサイに沢山教えたいんだ。学園じゃ絶対に分からない事を沢山」
「ええ、もしもがあれば是非お願いします」
「もしもじゃない。サイ、この中で一番優れているのはお前なんだ。必ず魔導師になって、誰でもいいから奴隷としての所有権を持たせろ。そうすれば俺達が必ずこの世界の在り方を変えてみせる!」
「期待して待っています」
ノーティとフィルメーサは口々にサイに言葉を投げかけたが、サイの言葉にはまるで心が籠っていない事が痛いほど分かった。
無理だとは言えない。
だがそんな夢物語が起きない事もよく分かっていたからこそ、誰もそのことについて怒らなかった。
『もしも』など、この学園の魔導師連がサイの所有権を持っている以上、起き得ない。
この学園の卒業は、サイの人生の終わりをも意味する。
それを分かっているからこそ、フィルメーサとノーティの二人は寮を後にするサイ達に別れの言葉を言えなかった。
必ずまた会いたいからこそ、別れはただ静かに手を振るだけで行われた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
上級学位への編入式が終わり、寮の紹介が行われたが、予想通りサイとプロデジュム、そしてムターシャ三人とも同じ部屋となった。
一先ず部屋での心配はないだろうとホッと胸を撫で下ろしたプロデジュムとムターシャだったが、安心したのも束の間、通された部屋の中には既に一人の生徒が教本を片手にベッドに横になっている。
「ん? ああ、お前ら中級学位の編入生か。俺は三等上級学位のアルベルト。ベッドはここで机はそれを使ってる。それ以外は勝手にしてくれ、以上」
「私はプロデジュム、こちらがムターシャとサイだ。以後、卒業までよろしく頼む」
「あーそういうのいいから。上級学位は残念ながらそういう仲良しこよししてる奴から消えていく。その調子だと、お前ら何節持つのか見物だねぇ」
アルベルトと名乗ったその生徒は皮肉を含んだ声で笑い、特に顔を向けるでもなくそのまま教本のページを読み進めてゆく。
随分な態度にムターシャは少しだけムッとした表情を見せたが、事を荒立ててもいい事がないのをよく分かっていたため、そのまま無視するように荷物の移動を済ませてゆく。
上級学位の生徒が同じ部屋ということは、恐らくサイは標的になるだろう。
そうムターシャとプロデジュムは考え顔を見合わせたが、トイレの為に立ち上がった時も含めてサイを見ても何の反応も示さなかった。
「アルベルトだったか? 君はサイについてどう思っている?」
「ん? そのちっこいのか? どうでもいいだろ。出来る奴なら残るし、出来ない奴は消えていく。ただそれだけだ。どうせ明日にはその明暗がはっきりするんだ。ここで聞く必要もない」
「人族に対して……何とも思わないのか?」
「そいつが人族? へー。噂じゃ聞いてたけど初めて見たわ。まあ仲良くする気はないんでよろしく」
意外な事にアルベルトは一度も人族を見た事がなかったようだ。
これほどまでに人族がありふれた世界にはなったものの、魔導師の中では全く人族に触れずに生きている者もかなり多い。
ムターシャも見た事があった程度で、プロデジュムに至ってはアルベルト同様、サイが初めて見た人族だった。
そのため言伝や書物の上での知識としてしか知らない場合が多く、未だ魔導師の中に人族嫌いが多い理由でもある。
しかしアルベルトは同じように書物でしか人族を知らないにも関わらず、特に興味を示さなかった。
喜ぶべきなのかそれとも怪しむべきなのか難しい所にはなったが、一応ムターシャとプロデジュムの一抹の不安は消え去った形となる。
その日はそのまま食堂で三人で夕食を摂り、明日に備えた。
一応アルベルトも誘ったのだが、そこでも同じような理由で断られ、少しずつムターシャの苛々が溜まってきたようだ。
「なんなんだ? アイツ。敵意がないだけマシだが、私達にまで仲良くする気がないなんて相当なひねくれ者だぞ」
「そうでもないみたいですよ。上級学位の生徒だと思いますが、かなり周囲を警戒して食事をしていますね」
ムターシャの言葉を聞いてサイが食堂のとある一角を指す。
そこには上級学位の生徒が集まって食事をしているように見えるが、確かに異様な雰囲気を醸し出している。
誰もが無言で睨み合うようにして食事をしており、まるで親の仇でも見ているかのような目だ。
サイにはそこに無数の敵意を感じていたが、それと同時に異質な感情を抱いている者の姿も見える。
異質だとは分かるものの、サイはまだその感情を目の当たりにしていないため、言語化することができない。
高揚感のような昂ぶりではあるが、そんな素敵な感情ではなくもっと暗い感情。
サイにはまだ理解することのできない、支配感という感情を持っている者が少なくとも数名、その場にいたが、位置的にそのものの姿は分からなかった。
食事も終わり、風呂を利用させてもらうことになったが、ここでは一つ中級学位までと大きな差があった。
風呂は個室単位となっており、利用者が出れば次の利用者が利用できるという物だ。
部屋割によって時間が決まっていた中級学位までと違い、随分と余裕が出ていたが、それもそのはず。
そもそもの生徒数が目に見えて少ない。
下級学位では百名近くもの生徒がおり、中級学位ではエスカレーター式で上がってくる下級学位も含めるため二百名近くの生徒がいた。
だが上級学位には三十名もいるかいないかというほどに減っており、そもそもの昇級の難しさを物語っている。
そのため風呂の制限を設ける必要も無いようだ。
一人ずつ借りる手もあったが、ムターシャの申し出により三人で一つの風呂を利用することとなった。
「サイ……今まで本当に大変だったんだね……」
「何がですか? 以前はお風呂は誰も居ないギリギリの時間を利用させてもらっていたのであまり気にしたことはありませんよ」
「身体の傷の事だ。多分、ドレイク様の名誉のために殆ど見せないようにしていたんだろう」
服を脱いだサイの身体にはおびただしい量の傷跡が残っており、唯一顔より上と腕はよく人目につくためか奇麗なままとなっている。
それはサイの奴隷時代に受けた精神にも肉体にも残る傷跡だったが、サイはそれを本能的に誰にも知られないようにし続けていた。
「確かにそうだったかもしれませんね。この傷が原因でドレイクさんが非難を受けるようなことはあってほしくはないと考えていました。まあ、なにも全部が全部奴隷時代の傷というわけではありませんけどね」
そう言ってサイは少し笑いながら、ドレイクを治療する際に無茶をしていたことを語った。
昔ならばそんなことを語ることもなかっただろうが、サイも二人にはもう心を許していたこともあり普通に話せるようになっていた。
ムターシャが三人で入ることを提案したのは恐らくこの話を切り出すためだったのだろう。
だがサイも既に特に気にしてはいないようだったため、安心したのかその後はただ風呂を愉しむことにした。
といっても固い鱗の体表を持つ竜族は目の細かいたわしのような道具で身体を擦り、それが終われば横になれるぐらいの深さしかないぬるめの湯船に身体を寝かせ、顎を縁において静かに浮かぶだけである。
人族であるサイは座って湯船に浸かるだけだが、竜族である二人にとってはその姿勢が非常に心地いいらしい。
男女の性差による湯船の楽しみ方も特になく、発情期でもなければ特に何の感慨もないのか本当にただただ気持ち良さそうに目を瞑ったまま浮かぶ竜族二人とゆったりと湯船を愉しむサイの姿があっただけだった。
そうして上級学位の一日目は終わり、二日目を迎える。
この日はアルベルトの言っていた通り、中級学位の頃のようなガイダンスも無くいきなり試験が開始された。
上級学位での講義は中級学位までの講師とは違い、また別の講師陣が担当しているため、サガスティスやフルークシのような者達ももういない。
彼等も贔屓していたわけではないだろうが、それでも公平な目線の下編入後いきなりの環境でサイ達は筆記と実技の試験を受けることとなったが、その内容は既に上級学位での内容となっている。
当然ほとんどの者が筆記でも実技でも芳しい成績を残すことができず、これから先の講義の内容を想像し絶句する者さえ現れるほどだった。
そんな中でサイ、プロデジュム、ムターシャ、そして他二名の生徒は好成績を収めたためか、五等上級学位から開始するはずの内容がいきなり四等上級学位からに繰り上がることとなった。
「試験を受けて思い知ったと思うが、残念ながら聞く講義は終わった。学びたければ己で考え、先人である講師を利用しろ。己で学ぶ頭と姿勢を持たなければ今後魔導師としてやっていくことは出来ない。覚悟無き者は中級学位までの成績で満足し、この場を去るべきだ」
厳しくも正しい言葉が新たに編入されたサイ達に投げかけられ、生徒達には随分と動揺が生じたようだ。
皆、中級学位ではかなりできる方だった。
その彼等でさえ既に出遅れた者と先を行く者に分かれたこともあり、後れを取った者達は先程の講師の言葉で心が揺らいですらいたほどだ。
その中、サイは幸先の良い出だしを迎えられたことにただ安心し、今後も必ず良い成績を残してゆくことだけを考えていた。
だが勿論全てが好調というわけにはいかない。
試験の後は中級学位と同じくガイダンスがあり、講義を選択して二日目は終わったが、波乱は三日目に訪れた。
三日目、編入日の高揚感も試験の緊張感も解けぬまますぐさま通常通りの講義が始まる。
下級学位以上の速度で進んでゆく日程に、既にほとんどの編入生が圧倒されており、プロデジュムやムターシャでさえあまりの速度に困惑していた。
サイとしてはドレイクを治すために魔法を勉強していた頃や、サガスティスの指導の下で試験勉強をしていた頃を思い出す程度の忙しさでしかなかったため、寧ろようやく勉強できることにワクワクすらしていた。
「なんだ? 落ちこぼれがお情けでようやくこの学位まで来させてもらえたのか? よかったな、父上の懐が寛大で」
「誰だ? あんた達。サイの事を言ってるんなら見くびるんじゃないよ」
サイ達の後ろから癇に障るような笑い声を上げて、元々上級学位にいた生徒の数名が話し掛けてきた。
ムターシャはすぐにサイの前に割り込み、言葉を返したが、彼等の視線はムターシャに向いておらず、かといってサイの方にも向いていない事に気が付いた。
「お前らみたいな家の名前も知れていないような奴らなど知らん。俺が話しているのは内の愚弟だ。そうだろう? プロデジュム。落ちこぼれのお前がどれほど金を積んでもらったのか知らんが、ようやく上級学位までこれたという所か」
「プロデジュムが落ちこぼれだと!? 馬鹿かお前達は!」
「言葉を慎め。俺はお前らなんぞの凡人共とは違う選ばれた血統だ。なるべくして世を率いる魔導師となる存在だ。だが……そんな血筋にもまれにこういうのが混ざりこむ。知らんだろ? こいつは既に二度目の入学だ。一度目は上級学位に上がれずに退学してる。そんな奴がまあ五節と経たずに上級学位に来たんだ。まず疑うのはどれほど父上に迷惑を掛けたか、だ」
ムターシャが叫んだ通り、プロデジュムは確かに優秀な成績を修めていた秀才だったためムターシャは信じていなかったが、プロデジュムの表情は明らかに動揺していた。
決して反論せず、ただその兄を名乗る男が言う事を項垂れたまま聞いていただけだ。
とても信じがたい話だが、プロデジュムの様子を見る限りその男の語る言葉は事実なのだろう。
「兄上、信じてくれとは言わない。だが私は確かに汚名をそそぐために必死に勉強し、己の実力でここまで来た。父上に迷惑など掛けていない!」
「ほう、そうかそうか。いかさまでなければどうすれば一番の落ちこぼれがここまで来られるんだ? 答えてみろ」
「サイだ。私は彼ほどの天才を知らない。彼に学び、彼と共に居たことで私は今までの下らない価値観を捨て去ることができた」
「どいつだ? そのサイとやらは」
「私です」
怯える様な表情のまま、それでもプロデジュムは兄に対して言葉を返してゆく。
そしてサイの名を呼ばれ、ムターシャの後ろからサイはその兄の前へと歩みだした。
だが、それを見てプロデジュムの兄は少しきょとんとした後、大声で笑いだした。
「これが? これがお前の言う天才か? 遂にお前は頭までおかしくなったか!」
「天才を自負するつもりはありませんが、私はプロデジュムさんのおかげでより学ぶことができましたし、プロデジュムさんもまた僕と共に学び、励み合ってきました。何がおかしいのか分かりませんが、それほど信じられないのなら証明してみせましょうか?」
ゲラゲラと下品な笑い声を上げながら話すプロデジュムの兄に、サイとは思えないえらく挑発的な言葉が投げかけられると、途端にその表情は真剣なものになっていた。
「言ったな? 後悔するなよ?」
「後悔などしませんよ。それと先程の言葉、私が勝ったのなら訂正してください」
サイの言葉に対してプロデジュムの兄は睨み付ける様な表情を見せたのみで返事はなかった。
そのまま彼等は踵を返して広い講義室の端の方の席に着く。
と同時にムターシャが糸を切った人形のように崩れた。
「本当に怖かった……。サイ、何であんな挑発したの? あんたらしくもない……」
「ムターシャの言う通りだ。これは私の問題であってサイを巻き込むような問題ではない」
「ムターシャさんにもプロデジュムさんにも大きな恩があります。そんな恩人である二人が悪く言われるのは私としてもいい気はしません。なので平和的に解決しますよ」
「平和的……って、喧嘩売った時点で無理でしょ!? あんた何を言ってるの?」
「魔導師同士の喧嘩は洒落では済まされない。魔法での一対一の決闘だ。下手をすれば死者が出るような事なのだ! サイをこれ以上危険に晒すようなことは……!」
「知っていますよ。だからこそ平和的に解決できます。寧ろ知っていたからこそ、その方法を選ばせました」
ムターシャもプロデジュムも動揺し、サイを見て必死に止めようとしていたが、そこにはサイの初めて見せるムッとした表情があった。
サイが怒っていたのは本当の事らしく、少しだけ言葉が走っている。
そしてサイは、以外にもわざと魔導師同士の決闘を知っていて、プロデジュムの兄がそれを望むように挑発したのだと語った。
一触即発のピリピリとした空気の中、サイはさも平然と講義を受け、内容をノートへと纏めてゆく。
勿論ムターシャとプロデジュムは気が気ではなくほとんど講義に集中できていなかったが、そのまま時間は過ぎて行き、その日の講義後、大闘技場に来るようにとの通達を受けた。
サイはそれを聞いて一切躊躇することなく、大闘技場へと歩いてゆく。




