閑話 サイの休日
バタバタと廊下を駆ける音が幾つも響き、そしてその音が止むが早いか勢い良く扉が開け放たれる音が響き渡る。
「サイ!? 大丈夫か!? 何があったんだ!?」
「騒がしい! ただの風邪だと何度説明すればお前達全員が理解するんだ! 病人が眠っているんだからさっさと出ていきなさい!」
飛び込むように入ってきた魔導師見習い達に、医者がもう何度目かも分からない程説明した内容を今一度、静かに怒るように告げる。
これ以上バタバタと飛び込まれてきては敵わないと一度は面会謝絶の立て札も扉に掛けたのだが、それが災いして根も葉もない噂が立つ始末となってしまい、現在に至る。
逆効果だと外した端から次々と数名の塊で飛び込んでくるため、折角安静にしているサイが起きやしないかと気が気ではなかったが、相当参っていたのかサイは微動だにしていない。
「全く……。今までずっと無関心だったかと思えば今度は過干渉にもほどがある。魔法使いってのはこうも極端な奴等ばかりなのかねぇ……」
「すみません。僕が健康管理を怠ったばかりに……」
「病人の仕事は謝ることじゃなくてしっかりと休んですぐにでも健康になる事だ。それにどいつもこいつも大袈裟すぎる。確かに君の身体はまだ万全とは言えない。だがただの風邪だ。数日しっかりと栄養のある物を食べてしっかり休めばすぐにいつも通りの生活に戻れるというのに……」
「……ずっと眠っていましたから、皆心配で仕方ないのでしょう。嬉しい事ではありますが、こんなに沢山の人に迷惑を掛けてしまうとは思いませんでした」
氷嚢でしっかりと頭を冷やされながら、しっかりとした受け答えで喋るサイは、確かに医者の言う通り特に普通よりも悪いというわけではなさそうだ。
サイに言い聞かせるように話しながら、医者はサイの眠っているベッドの横にある椅子に腰掛け、軽く氷嚢の具合を確かめる。
この日はサイがようやく講義に顔を出せるようになってから丁度一週間ほど経った頃。
誰もが一番安心し、そして最も油断するタイミングでもあったわけだが、以外にもサイは自分の体力の限界を見誤り、この様となってしまった。
まだ補助用の杖は手放せはしないものの、既に歩き回れるほどには筋力も付いていたためサイ自身、自分の身体の疲労具合を舐めていたのだろう。
風邪を引いた事は生まれてこの方初めてだったが、同時にまさかこれほどまでに大勢の人達が心配して押し寄せてくれるとも考えていなかったため、少しだけ嬉しくもあった。
「そういえば、すまなかったな」
「何がですか?」
「身体の傷の事だ。君にとって大切な育ての親を疑うような事を言ってしまって」
「そんなこと気にしていません。それよりもそんなことを気に掛けていてくれた事の方が嬉しいです」
医者は不意にサイに謝ってきた。
それは意外にも随分と前の事になるが、初めてサイがここへ運び込まれた時に医者が思わず口にしたことだった。
仕事柄、様々な種族や職業の者達を手当てしたり看病したりとしてきたため、彼にも大なり小なり偏見はある。
魔導師が人族を毛嫌いしていることを知っていたため、初めてサイが運び込まれてきた時の事はかなり印象に残っていたとも言葉を続けた。
「思えばあの時からそうだったのかもしれないな」
「そうだった、とは?」
「魔導師はある意味での探究者だ。一つの答えに辿り着くために、出た答えを盲目的に信じやすい傾向にある。だが、それと同時に革変を待っている節もある」
「僕の事についてでしょうか?」
「君のことというよりは、それを取り巻く魔導師達の考え方の方だな。人族を毛嫌いしている、というよりは『人族とはこういうものだ』と、決めつけ、偏見で見ていただけだろう。だからこそ君という存在は彼等にとって良い問題提起になったようだ」
「そうなんでしょうか……。今の状況にしてもそうですが、あまり余計な心配は掛けたくありません」
天井を見つめたまま喋るサイの言葉は、風邪を引いて弱りきった状態でも分かるほど自分を責めるような弱々しい声だった。
医者はそんな様子のサイを見つめ、諭すように優しい言葉で話し掛ける。
「余計なものか。君が今日という日までめげずに頑張り続けたからこそ、彼等にとって君は心配したくなる存在になることが出来た。それだけ君という存在を通して人族という全体への認識を改める切欠になったということだ。まあ、知っている人族が君だけなものだから過保護になり過ぎているかもしれんがね」
「そう言う意味でしたら、やはり自分の体調管理を怠ったのは皆にとって迷惑でしかないように思えます」
「そりゃあ端的に言えば迷惑だろう。だが、風邪を引かない者などいない。怪我をしない者などいない。君は他人に迷惑を掛けるとう行為に対して、異様なまでに臆病になり過ぎている。今君は何歳だったかね?」
「確か三節の間眠っていた筈なので……十八歳です」
サイの年齢を聞いて、自分が予想していたよりもよっぽど下だったのか、目を丸くして医者は驚いていた。
「それほどか!? 若い若いとは思っていたが、いくら何でも若すぎるだろう? 君はまだ子供だ。境遇からして頼れる大人というものは少ないかもしれないが、それでも君はまだ他人に迷惑を掛けて、助けてもらって生きることが許される歳だ。そんな歳から何もかも自分で責任を持とうとしなくていい。しっかりと周りにいる人達に頼りながら生きる道を見つけるべきだ。それが親の想う心だよ」
「でも……僕は奴隷ですので」
「今更奴隷も何もあったもんじゃないだろう。君は確かに一人の魔導師見習いとして皆から認められている。君が奴隷だというのならこれ以上の贅沢はない。それに例え奴隷だったとしても、ようやく売りに出されるような歳だ。まあ、君の性分なのかもしれないがそんなに気にして生きる必要はない。少しは羽目を外しなさい」
「……今が外した結果です」
サイがそう言うと医者は一呼吸置いてから大声で笑った。
皮肉の利いたギャグが受けたのか一頻り笑った後、ただ、安静にするように。とだけ伝えてサイの元を離れた。
といっても特に何か思う所があったというわけではなく、単にサイの為に薬や消化に優しい食事の準備をしていただけのようだ。
コトコトと小さく何かを煮込むような音が部屋の何処かから聞こえ、サイの元にも美味しそうな匂いが漂ってきたことで思わずお腹の虫が鳴り始める。
「ほら、食事を持ってきた。これを食べて、薬を飲んで、しっかりと休んで風邪を治したらまた羽目を外してきなさい」
「ありがとうございます。でももう羽目を外すようなことは……」
「そうだな。風邪を引いてはまた暫く周りに心配されてしまう。今度は学業でもいい、興味のある事でもいい。好きな事に全力を注ぎこめばいい。それだけだ。若い内はそれができるだけの体力と無謀さがある。やりたい事の為に羽目を外しなさい」
その言葉は力強くも優しく、思わずサイの顔にも笑顔が咲く。
しかしまだそこではいというのはサイにとっては気恥ずかしかったのか、口には出さずに小さく頷くだけ頷き、上体を起こして貰った小さなスープを口へと運んでゆく。
豊かな風味と何処か懐かしさを含んでいるように思えるそのスープは、何時かのドレイクに飲ませてもらったスープを思い出して、少しだけ身体が軽くなったように感じた。
まだまだ完全とは言えない今の身体の状態も、ゆっくりと身体を動かせるように鍛えていた日々を思い出し懐かしくなる。
もうずっと遠くの日に忘れてきたような感覚がふっと沸き上がり、サイの原点を思い出させてくれた。
『ドレイクさん。見ていてください。必ず、貴方が間違っていなかったと証明してみせます』
そう、心の中でつぶやいた。




