魔導師として 20
窃盗事件から数日後、ニコロスは研究室に入り浸っていたものの大人しくはしていたためか黙認してもらっていたこともあり、試運転がようやく可能となった。
サイと魔動機械研究会の部員達が日々作っていた物は、サイが紙面上でのみ作っていた簡易魔法構築機という魔導機械である。
購入した霊晶石を魔石用のソケットに挿入し、別途電源用の雷晶石を電源ソケットに放り込むと鉄の塊だった簡易魔法構築機が低い音を響かせながら遂に目の前で動き始めた。
電源は問題なく入り、次にサイは最も懸念していたこの装置の実質的な心臓部に当たる、機械後方に付いた半透明のレンズを覗き込む。
見た目上は特に変化はなかったが、サイが意を決してそのレンズに指を触れると指の振れた場所に小さな電流のような模様が浮かび上がる。
その時点で周りにいた部員達はおおっ! と声を上げていたが、サイはまだそれを見ても確信していないのか小さく深呼吸をしてからレンズの上をなぞってゆく。
するとなぞった後にきちんと白っぽくなった軌跡が残り、指が触れている場所まで途切れずに繋がっているのを確認し、ゆっくりと指を離すと数秒間はその線が残ったままとなっていたが、その後白い線は端の方からスッとなぞる前と同じ半透明のレンズと同じ状態に戻っていった。
「サイ……どうなんだ?」
「凄い……! 正に理想通りです! これならもしかすると……!」
恐る恐るサイに訊ねる部員達にサイは少し興奮気味に答え、今一度真剣な表情で機械の前に立ってレンズをなぞり始める。
なぞる指の動きは先程の確かめるような感じではなく、迷いなく奇麗な円を描き、その中へ次々と指で線を書き込んでゆく。
それはまるでサイがいつも精神界で描いているような魔法の構築式であり、一通り書き終わった所でサイがレンズから指を離してその横にあるボタンを軽く押し込むと、機械が一際大きな駆動音を上げて動き出し、機械の前方部分が淡く発光する。
光はそのまま増してゆき、前方部分が僅かに開くと氷の塊が勢い良く射出され、研究室の壁にぶつかって砕け散った。
「うぉぉぉお!? 出た! 氷が出てきたぞ! そんな機構はこの装置に搭載してないから……てことは!?」
「良かった……。流石は魔動機械研究会の皆さんですね。理想通りの物が完成しています。今描いたのは氷の礫の弾丸という魔法です。あまり複雑な構築式はこの装置で描くのは難しいかと思いますが、これで簡単な魔法でしたら発動することができます」
「『魔法』が……この簡易魔法構築機を使えば俺でも使えるんだよな?」
「理論上は可能ですが、魔法を使うためには勿論その魔法の構築式を理解しておく必要があります。ですので本当に誰でも使うためにはまだ色々と改良しないといけませんね」
「いや……もう、十分だ……。もうこの時点で俺にとっては感動以外の何物でもない……。『魔法』が……魔法使いにしか使えなかったはずの代物が、この魔法道具じゃない本当の機械で発生させることが出来たんだ」
「ニ、ニコロスさん泣いてるんですか?」
試運転は予想以上の結果となり、『誰でも魔法を使える機械』は確かにこの世に誕生した。
その結果を伝えると初めにニコロスが目頭を押さえて泣き始め、他の部員達もつられるように泣き始めた。
彼等にとって分からない世界が、今一つ目の前で自分達の理解できる代物になったということがこの上ない感動なのだと皆が口々に語った。
一頻り泣いた後は部員達にも機械に触れてもらい、本当に初心者が触る上での必要な改善点を次々と洗い出していく作業へと移る。
稼働は既に確認している以上、後は『誰でも魔法を使える機械』を謳っている以上、知識が一切無い者が初めて触っても使えるようにしなければ機械化した意味がない。
そうしていく内に出てくる問題点は結構な数になりはしたが、改善も可能であることが分かり部員達は皆一様にやる気に満ち溢れる。
「とりあえずここまでは及第点ですからね。私も折角なのでこの機械に適した魔導構築式を考案してきます。もしも技術的に分からない事があったら教えてください」
「おう! ……それはいいんだけど、その口ぶりだともう部室には顔を出さないのか?」
「そうですね……ちょっと他にもやらないといけない事が出来たので、学園祭が終わるまではそちらに重点を置くつもりです。是非私自身も機械を作れるようになりたいですので、学園祭が終わったら簡単なもので構わないので作らせてほしいです」
「なるほど! ならこっちは任せておきな! きっちり学園祭までに仕上げておいてやる! その後は機械の作り方とか部品の削り出しとかも教えてやるから魔法についてもっと教えてくれよ!」
そう言ってサイは部員達に頭を下げて先に研究室から出て行った。
「サイ!」
「どうかしましたか? ニコロスさん」
「どうもこうもない。忙しくて忘れてたが、伝えたい事が二つある。一つは俺達に『魔法使い』への偏見やジレンマを無くさせて、魔法がどういうものなのかっていうのを目に見える形で教えてくれてありがとう。お陰で俺はやっと魔法ってものが好きになれたし、逆に俺も機械の事を伝える時はお前の姿勢を学びたいって考えられるようになった。でも二つ目! 何でお前はそれだけすげぇ奴なのに知りもしない赤の他人なんか庇って下手な嘘を吐いたんだ!? あれだけ分かりやすく教えられるぐらい頭の良いお前がなんでそんな意味不明な事をやったんだ!?」
「気持ちは有り難いですけれど、僕はご存知の通り人族です。人族のせいで竜族に迷惑が掛かるようなことはあってはなりませんし……例えどれだけ皆さんに言っていただいたとしても、やはり僕自身は竜族よりも優れた存在であるとは到底思えません。そんな僕が唯一できる事と言えば、皆さんの助けになる事なので……例えどんな形であったとしても僕は助けになりたいんです」
「下らない嘘を吐いて盗人風情を助けることがか!?」
「相手が竜族であるなら、下らない事などではありません」
「そんなつまらないこと言ってんじゃねぇよ……」
研究室から飛び出したニコロスはサイに話しかけたが、サイの返事を聞いて心底苛ついたような表情を見せた。
ニコロスは呟くように言葉を吐き捨てた後は特に見送りもせずに研究室へと戻ってゆき、それっきり出てくる気配はなかったため、サイもそのままその場を離れた。
「どうしたんだ? ニコロス。謹慎中だから御機嫌斜めでも大人しくしてる感じか?」
「いいや。ムカついてるけど切れてるわけじゃねぇ。ちょっと分かる部分があるから尚更強くは言いにくいってだけだよ」
「珍しいなお前がそんなこと言うなんて。そんなにサイが気に入ったのか?」
「逆だよ。似た者同士だからサイのそういう部分が嫌いなんだ」
いつもなら機嫌が悪い時のニコロスは自分の椅子を蹴飛ばすのだが、その日は何も言わずに椅子にドカッと座り不満そうに腕を組んだためか、他の部員がニコロスに声を掛けた。
その様子は確かに不貞腐れているというよりは何か不満があるような顔であり、彼なりにサイに思う所があるのか少しだけ遠くの方を見つめた。
魔動機械研究会を後にしたサイは普段よりもまだ早い時間で移動していたためか、サイとしては珍しく一人でもう潜らないと考えていた学園の門をくぐって近くの商店街へと出向いていた。
立ち並ぶ様々な飲食店や屋台の商品をまじまじと見ては店主に話しかけ、何かを聞いたらお礼を言ってすぐに別の店へと移動する。
その様子は間違いなく買い物をしている様子ではなく、寧ろ店主にインタビューでも行っているかのようだ。
「サンドイッチが一つ銅貨十枚で、付け添えのサラダの方は通常八枚でセットなら六枚ですね。ありがとうございます!」
「値段だけを聞かれたのなんて初めてだよ。まあもしよかったら今度は買って行ってくれ」
サイが聞いて回っていたのは売られている商品の値段だった。
何故そんなことをしているのか不思議だが、道行く店に次々と声を掛けては聞いてゆき、端から端まで聞き終わると今度は何故か道行く人に声を掛け始めるのだから、何故聞いているのかがもっと分からなくなる。
そうして日が暮れるまで質問し続け、時間になると真っ直ぐに学園の寮へと戻ってゆく。
翌日からは剣術部はいつも通り出ていたが、それ以降は呼ばれない限りは研究室まで顔を出すことはなくなり、町へ出たり他の魔導学部の生徒を呼んでは何かをお願いしたりと忙しなく動いていた。
「そういえばサイって魔法使いなんだよな? なんか簡単なのでいいから一回見せてもらったりできないか?」
いつものように剣術部で素振りや型の練習をしている最中にシクルがふと思いついたかのようにサイに聞いてきた。
どうやら周りの剣士達もこの話には興味があったらしく、全員動きを止めたり打ち合いは止めないながらも動きが緩慢になっており、明らかにサイ達の方へ聞き耳を立てていたりしている。
「申し訳ありません。私達はあくまで魔導師見習いですので、講義中等の決められた場所や時間でなければ魔法を使う事を認められていません」
「あーやっぱそうだよな。俺達だって騎士見習いだけど、真剣の帯刀は基本的に闘技場とか講師が許可した時しか持てないし、振るう時は絶対に事前に騎士の誓いを立てないといけないからな。やっぱりその辺りは変わらないか」
サイが魔法の使用に関してできないと断ると、残念そうではあったものの同じように自分達も制限を設けられているためかしつこく食い下がるようなこともなかった。
だがシクルだけではなく他の剣士も明らかに残念そうな顔をしていたからか、サイはそれを見てあることを言い出した。
「それでしたら是非学園祭の時は魔導学部の学習棟へ足を運んでください。魔法というものがどういうものか是非体感させられるような催しを準備させていただく予定ですので」
「えっ!? マジで!」
「それちょっと詳しく聞かせてくれ」
サイが学園祭の催しを自分を主体にして一般人が楽しめるように準備を進めていることを離した途端、聞き耳を立てていただけだった剣士達まで一気にサイの元へと集まってきた。
全員が興味津々でサイを囲んでしまったため、サイもまさかここまで一気に人が集まると考えていなかったこともあり軽くパニックに陥ってしまう。
「何をやっているんだお前達は! 訓練も碌にせずに何を騒いでいる!」
サイの周りに人だかりができてしまったタイミングで丁度アグニが闘技場へやって来てそう声を掛けた。
集まっていた剣士達はもう半分興奮状態になっているためアグニの声が聞こえていなかったのか、普段ならアグニの声が聞こえた時点で皆ピシッとアグニの方へ振り替えるのだが、この時は数名だけが反応した程度だった。
「さて、改めて聞くが何の騒ぎだ?」
あまりにも騒ぎが収まりそうになかったためアグニは一喝し、全員をその場に正座させて今一度聞き直す。
だがサイから詳細な話を聞いていない上に、普通なら冗談を言っていると思われてもおかしくない内容だったせいか誰も声を発さない。
「またお前らはサイに何かをやろうとしていたのか? それだったら……」
「違います! 違います! 自分が今度の学園祭で魔導学部が出す催しを説明しただけです!」
「ん? それがどうかしたのか? どうせ今回も研究レポートだろう」
「いえ。今回は折角ならということで自分が発案した、『魔導師というものを知らない、魔法がよく分からないけれど興味がある』という方を対象にしたお店を出店する予定です」
「何? それは本当なのか?」
「はい。今の所は元々の魔導師の研究レポートの設置場所とその傍に魔導師っぽい雰囲気を味わえる飲食店、そしてその横に実際に魔法を皆さんが唱えてみることができる試射場を準備する予定です」
サイの説明を聞くとアグニも含めたその場にいた全員が一瞬にしてざわめき始め、隣同士で言葉を交わしていた。
「ま……魔法が実際に仕えるのか? 本当に」
「はい。残念ながら装置を介してにはなりますが、実際に皆さんが魔導構築式を形成し、魔法を撃つことができます」
「私も出来るのか?」
サイの説明を聞いて自分を指差しながら誰よりも興奮した様子で聞いてきたのは意外にもアグニだった。
サイはそれを見てにっこりと笑ってから頷いて答えた。
思わず興奮が抑えきれずに溢れたのかアグニは感嘆の声を漏らしながら少年のように目をキラキラとさせてゆく。
それはまさしくすさまじい期待が込められた視線だった。
正座していた他の剣士達も興奮が隠せずに周囲と魔導師の今までになかった催しの話で持ちきりとなり、とてもではないがそのまま訓練を続けられるような雰囲気ではなくなってしまった。
気が付けば誰も正座しておらず、アグニやシクルも巻き込んでの雑談にまで発展してしまう。
「勿論魔法だけではなく、アグニさんのような方でもお楽しみいただけるように可愛らしいお菓子や飲み物も用意するつもりです」
「おいサイ……。今なんて言った?」
「え? ですから魔法だけではなく、子供や女性の方でも楽しめるようなお菓子なども用意する予定です」
サイのその言葉を聞いてワイワイと盛り上がっていたその場は一瞬にして静かになった。
何よりも一番驚いていたのはアグニだろう。
「待て待て! 私の何処を見て可愛い物が好きだなどと考えたんだ?」
「えっ? すみません。アグニさんも女性だったのでてっきり可愛い物がお好きかと。あまり一般常識というものに詳しくないので」
「そこだ! 私は一度も自分の口から女だなどと言っていないのに何故私が女だと気付いたんだ!?」
「えっと……。性別を間違うのは失礼だと習っていたので、仕草や立ち振る舞いで間違わないように心掛けていました」
自分が女性扱いされたことにではなく、自分が女性であることがサイに気付かれていた事にだった。
剣士を目指す者はその大半が勿論男性である。
単に力が強いからということが理由ではなく、部隊を率いる統率者となる者もいるため、その場合女性だと舐められやすいからだ。
そのためアグニは名家の出でありながら、なかなか男児に恵まれない家の為に女性であることをハンデとならないように捨てて剣の道一本で生きていたため、女性らしい事を意識した事がなかった。
故に実力はあるのにアグニへの評価を正確に測っていない者も多く、以前のディアンのように軽蔑し毛嫌いする者も少なくはない。
「なんでだ!? 私の何処を見て女だと気が付いたんだ!? そんな立ち振る舞い絶対にしていないぞ!?」
「そうなんですか? 爪や角が奇麗に手入れがされていましたし、毎日少しずつ来ている服の模様を変えていますし、時々小鳥を見て微笑んでいらっしゃいませんでしたか? それと……」
「もういい! もういい、止めてくれ! 寧ろそこまでしっかり見られてたのが恥ずかしいから止めてくれ!」
「何でっすか姉御。ようやく初見で気付いてくれた人が現れたってのに」
「姉御って呼ぶの止めろぉ!!」
家の為に女性であることを捨てたとはいえ、アグニも彼女達の歳で言うならば年頃だ。
やはり多少は他の学部や街で見かける美しい女性を見れば自分もそうなりたいと考えてしまうのが普通だろう。
しかし女性として見られれば剣士の中ではただ下に見られるだけでしかないため、男らしい口調を意識し、爪や角の手入れや服のちょっとした模様の変化程度に収めていたのだが、それがサイに完全にばれていたというのがかなり恥ずかしいようだ。
また剣術部では同じ学部にいる以上、本当の性別はばれているため仕方ないが、剣術部の部員達は尊敬の念とちょっとの茶化しを込めて彼女の事を『姉御』と呼んで遊ぶことがある。
無論アグニ自身は女性を捨てているつもりでいるためあまりその呼ばれ方を気に入っていないが、決して悪口として言っているわけではない事も分かっているため本気では気にしていないようだ。
なら何故反応したのかというと、そこまでばれていないと考えていたサイに赤裸々に女性らしい一面を何の悪意も無く離されたことが、逆にこそっと意識していたことがばれていた証拠になるため彼女の羞恥心に火が付いた。
柄にも無くアグニは元々赤い顔の色を更に真っ赤にして恥ずかしがっており、うっすらと涙目になりながら周囲の剣士達を睨み付けていた。
「いいじゃないですか、『姉御』という愛称。アグニさんの強くて優しく、気位は高くても決して他人を卑下しない性格を的確に表現しているように感じますし、皆さんもきちんと女性としてアグニさんの事を尊敬しているということだと思いますよ」
「真面目に答えるのを止めてくれ! 茶化されてるならまだしもそれが一番恥ずかしくなるから困るんだよ!」
「どうしてですか? アグニさんはとても可愛らしくて素敵な女性だと思いますよ?」
それまで涙目になりながらサイや周りの野次に反論していたアグニだったが、最後のサイの言葉を聞くと一瞬真顔になった後、顔から湯気でも出そうなほど真っ赤に染めて逆に一言も発せなくなった。
少し遠くの方を見つめた後サイの顔を見つめ、不思議そうに首を傾げたのを見ると視線を下へと逸らす。
そのまま先程までの元気さは何処かへ飛んでいったのか、あっという間にもじもじとするだけになり、遂にはいたたまれなくなったのか来たばかりだというのに闘技場を先に出て行ってしまった。
「マジか……これはマジだな」
「いや~まさか姉御のハートを射抜いた男は意外な所から現れたな」
「アグニさん大丈夫なんですか?」
「誰のせいだと……いや大丈夫っちゃ大丈夫だが、あの感じだと明日位から一週間は出てこれんな」
「え!? 本当に大丈夫なんですか!?」
「あー……そっか。サイは分からないか。まああれだよ。発情期はサイも知ってるよな?」
「え、ええ。特定の竜族は男性、又は女性、若しくは双方に繁殖に適した期間が訪れるというものですね」
「大地竜種は女性に発情期があるんだよ。大体一週間ぐらい。訪れるタイミングは……まあ察しろ」
「どういうことですか?」
「こりゃ駄目だな」
サイを除くその場に居た剣士達はサイを見ながらニヤニヤと笑っていたが、当のサイは本当に悪気無しに言っていたためかそれとも単に常識が無さ過ぎるだけかはたまた鈍いだけか、一人周囲の反応について行けず不思議そうな顔を浮かべていた。
結局その日はその珍事が起きたせいで訓練は全員あんまり身が入らなくなったようで、普段ならいつも号令を掛けているアグニが早々に居なくなったためか、いつもとは違いバラバラと一人ずつ気が抜けた者から帰っていったようだ。
シクルもその日はどちらかと言うとサイの言葉の真意や魔導学部がやろうとしていること等が気になって仕方がなかったのか指導がいつもと違う感じになっていたこともあり、その日はいつもより早めにサイも帰らされることとなった。
「学園祭の件、楽しみにしてるよ。まあ後それとは別でこれからもアグニさんの事、女性として大事にしてやってくれ。俺達じゃそうは出来ないからな」
最後にシクルにそう言われて半ば追い出されるように闘技場を去ることとなったサイは、本来の予定よりも早くなったものの、すぐに寮へと向かうことにした。
その日はもう一つの予定としてある特訓を生徒達にしてもらうための指導と説明をサイから生徒達へと行う予定だったため、寮の近くの空き地へ既にいた生徒達を引き連れて移動する。
「しかしなぁ。サイ、本当に俺達が学園祭で見せる魔法ってのはこんなんなのでいいのか? もっと中級魔法とか上級魔法とかの練習をしなくていいのか?」
「確かに私達からすれば『凄い魔法』というのはそのままの意味で、より複雑で難解な構築式を素早く構築したり、扱いの難しい魔法を使いこなすことになるでしょう。ですが、魔法を知らない人からすれば『凄い魔法』というのは寧ろこういうもののようですよ」
生徒の一人が不思議そうな顔を浮かべながら、サイが目の前で行ってみせた『凄い魔法』の説明に対して質問した。
サイはその質問に返答しながら、右手の上に乗せていた水の入ったコップを顔の前でゆっくりと縦に一回転させ、一滴も零さずに左手へと移動させるというものをもう一度見せた。
魔導師からすればその魔法は基礎中の基礎のレベルであり、魔竜種であれば物心付いた頃ぐらいから使えるようなとても単純なものだ。
しかし魔法を使えない者からすれば小難しい魔法陣を構築されても何をしているのか見えないため、目の前で液体が入っているはずのコップが一人でに動き出し、宙で回転しても何も起きないという方が分かりやすい不思議な現象となる。
サイが皆に特訓してもらった理由は、それを咄嗟の状況でも間違いなくできるようにしてもらうためと、それをいかにもわざとらしくできるようにする演技への練習に注力してもらうためだ。
魔竜種からすれば普段から使っているような魔法であるため腕すら動かさずに使う事が出来るが、使えない者達からすればそれをいかにも『魔法を使っている』と見せかけるような動きを特訓してほしいとお願いした。
また、その動きというのもサイが前々から行っていた商店街での調査のおかげである程度判明しているため、後はより一般人が驚くような動きが出来るようにする努力を行い、皆にも考えて様々なアドリブを入れてもらうようにしたというのがこの特訓の一番の目的だ。
「勿論この特訓は一般人の方々の為だけのものではないですよ。コップ程度苦も無く好きなように動かせるようになれば、柱や膜のような魔法を使う際の操作の精度も上がります。是非とも皆で頑張りましょう!」
サイの言葉を聞いて生徒達は元気に返事をし、友人同士や気になった動きをさせた生徒に声を掛けたりと言った感じで会話が発生し、短い間にも明らかに動きのぎこちなさが無くなってゆく。
またサイ自身もどうすればより一般人にも楽しんでもらえるのかを研究するため、色々な動作を練習してゆく。
机の上から手の上へ動かしたり、身体の周りを一周させてから机の上に置いたり、あえてフラフラと動かしてみたり直線的なカクカクとした動きにしてみたりと様々なパターンを編み出してゆくが、それを見ていた他の生徒達も触発されたのか色々と楽しみながら特訓を行っているようだ。
その特訓を行った後はいつものように講義の復習をサイと共に行い、夜になるといつも使っているノートとは別のノートへ何かを書いて纏めてゆき、そのまま就寝。
講義の無い日は昼頃から食堂の使用許可をもらってから料理が得意な生徒と共に、学園祭で振舞う予定の料理の研究を行う。
普通に作る分の料理は流石に普段から作り慣れているということもあって、サイの料理が群を抜いて美味い上に見た目もとても映えるように盛り付けられている。
「サイ、それは何を作ってるんだ?」
「これは見た目の変化を楽しめる飲み物を作ろうかと考えて作ってみたものです。雰囲気というものは大事だということを色々な人に聞いたことでよく分かったので、僕達が使うだけではなく、是非来ていただく方々にもそんな気になれるような物をと思って」
声を掛けられたサイの目の前には少々大きめのグラスに注がれた青い色の飲み物が置かれていた。
そこへ小さな瓶に入っていた液体を少し注ぐと注がれた場所から一気に青い色から赤い色へと変わってゆく。
「変質魔法か? そんな危険な魔法を使った食品なんて提供できないだろ」
「勿論、上級禁制魔法なんて使いませんよ。これは機械科学部の方に教えてもらったれっきとした化学だそうです」
「魔法じゃないのか?」
「はい。『酸塩基反応』と呼ばれる現象だそうです。普段から食べる物でも再現出来て、見た目の変化が分かりやすいので科学者だと子供の頃によく遊んだ簡単な化学反応だと言って教えてくれました」
「へぇ~。科学者もこんな魔法みたいなことができるんだな。まあそれがきちんと理解できるサイも凄いけどな」
「教えてもらったら特に難しい事はしていませんでしたよ。この青い果物は酸っぱい食べ物と合わせると色が変わる性質があるそうです。それが酸塩基反応と呼ばれるもので、酸性、アルカリ性で区別されるこの二種類の性質は配合率によって中和することが出来るんです。なので元々アルカリ性の性質を持つ果物の果汁を使ったジュースにこっちの酸っぱい果物を混ぜることで配合率が変わって色が変わるという仕組みです」
「……うん。聞いてもよく分からん」
酸塩基反応、所謂我々としては馴染み深いリトマス試験紙の反応の事についてサイはその聞いてきた生徒に説明したが、魔法という概念が当たり前に存在する彼からすると、食品を混ぜ合わせただけで性質が変わるということ自体があまり馴染みが無いため、その現象の説明があまり理解できていないようだ。
薬学についても勉強していたサイからすると、こういった見た目での変化が分かりやすい化学は理解しやすいのだが、そもそも魔法も化学も覚える所から始まったサイでなければどちらも理解することは難しいのかもしれない。
他にもサイは商店街で聞いてきた知識も活用し、どういう食品が好まれているのか、どういったイメージを魔法使いに抱いているのかを上手く食べ物のイメージへと落とし込んでゆく。
丸い容器を使って作った半円のチョコを二つ使って中にアイスを入れて蓋をしたデザートや、魔法陣や魔法をイメージした飾り切りの野菜が置かれたパスタ。
他にもドリアやサンドイッチ等も次々と作っていきながら、それらも寝る前に付けていたノートに書き込んでゆく。
その様子は他の生徒からするといつ眠っているのか不安になるほど熱中していたため心配もあったが、同時に打ち込んでいる間のサイの表情は真剣そのものであり、とても楽しそうであったからこそ一緒に頑張りたいと個々人が考えるようになっていた。
学園祭までの期間はまだあるものの、今回が初めての試み。
不安と期待が膨らむ魔導師達の準備はまだ始まったばかりだ。




