魔導師として 11
最終試験の翌日、いつもよりも深い眠りに就けたためか、サイは心なしか軽くなった体を伸ばして一番に目を覚ました。
「おはよう。人族……。」
「お、おはようございます。申し訳ありません。起こしてしまったようで……」
「いいよ。もうそういうの。昨日からずっと考えててあんまり眠れてないから殆ど起きてたようなもんだし、それに一節の間、ずっと同じ部屋だったのに私、人族の名前も知らない事とか気付いちゃったし……なんかそういうの全部引っ括めると言葉ではもう足りないけど……ごめんね」
「いえ、お気遣い……」
「いいって。別に私は貴方のご主人様じゃないし。あなたもこんな誰かも分からない奴に気を使わなくていいよ」
「ムターシャさんですよね? 存じ上げております」
「そっか……こんな奴のこときちんと覚えてたんだ……」
ムターシャと呼ばれた同室の女性はそう呟くと一つ溜め息を吐いて天井を仰いだ。
サイの名前を覚えているものは恐らくこの学園では少数に値するだろう。
だがサイは当然のように全員の名前を覚えていたため、彼女の問いにもすぐに答えることができた。
覚えていないと後で何をされるか分からない、というよりは単純にサイ自身が様々なことを覚えることが得意だったことと、他人の名前を間違えるのは失礼なことだとドレイクにも教えられていたため、間違わないように心掛けていたからだ。
「人族、悪いけど名前を教えて」
「サイと申します」
「サイ、か……。そういえばプロデジュムがそんな風に呼んでたね……。どうせ二人とも起きてるんでしょ? 折角なら今日ぐらいサイも含めて朝食食べよう」
「……正直そんな気分にはなれねぇよ」
「後ろめたいから? それとも今更サイが恐ろしくなった?」
「そんなんじゃねぇって分かってるだろ……」
「お気遣いありがとうございます。ですがそんなことをすれば皆さんに御迷惑をお掛けするので……」
「だったら御迷惑じゃないから私と行こう。あんたらと違って私はきちんとサイにも自分自身にも向き合いたいから」
そう言ってサイが断ろうとするよりも先に二段ベッドの上から降り、すぐにサイの手をとって部屋から出た。
ムターシャは淡い黄緑とも青色ともとれる不思議な色合いの鱗と全体的に細身のように感じられるすらりとした顔立ちがとても特徴的だが、表情は凛としていて回りの男性にも負けないような目力の強さがある。
彼女以外にも同学位内には女性は多く、比率で言うなら四割ほどだろう。
魔竜種には発情期の概念があるため、そういった種族では男女同室などは割と当たり前で、寧ろ社交性や性差による様々な社会的制度を学ぶためにも分けられることの方が珍しい。
ムターシャはそのままサイを拐うように食堂まで連れていき、困惑しているサイを尻目にしてサイの朝食までも勝手に注文して長机の端の方へ座らせる。
「さ、流石に食堂は他の方も利用されるので私がここにいるのは……」
「迷惑だって? 特に何かしたわけでもないし、してくるわけでもないのに。それにどうせ昨日の一件でサイに絡んでくるような輩も、いちゃもんつけてくる奴もいないでしょ」
「確かにそういう輩はいないだろうが……私としては君がサイの正面に座っていることの方が驚きだ」
ふと横を見るとそこにはプロデジュムの姿があった。
そのままムターシャに断りをいれてから彼女の横に座り、サイの方を向いた。
「サイ。恐らく彼女と理由は同じだろうが、君に謝りたかった」
「なんであなたが謝る必要があるのよ。昨日言ってたことが本当なら、あなたがいなければ私達もこの事実を知ることもできなかったし、謝る機会も生まれなかった」
「逆に言えばそれがなければ知る必要もそんな風に考える必要もなかったということだ」
「そうだけど……」
それとこれとは話が別だ、と言いたげな顔だったが、ムターシャはサイの方へ向き直してサイを見つめるとまた溜め息を吐いて少しだけ項垂れた。
確かにもしもこんなことがなければ、サイの事情など知らずに普通の日常を送ることができていただろう。
だが知ってしまった以上、自分がしていた行動への僅かな違和感にも似た罪悪感から目を背けることはできない。
全員が素知らぬ態度をとってはいたが、全体の空気が重たく張りつめるようになってからは、何人かは薄々サイが受けていた明らかな差別の違和感に気付いていた。
『人族とは狡猾で残酷な種族である』
それが魔導師達の間で伝わる人族の真の姿であり、人族を忌み嫌う彼等にとっての知る唯一の姿。
だからこそ誰もが率先して人族と触れ合おう、理解し合おうなどとは考えない。
彼女もそんな大多数の内の一人ではあったが、サイという一人の人族を通して見た魔竜種との異様な関係性には薄々気が付いていた。
初めの内はフルークシがサイを無下に扱っていた事に対して、自分よりも上の立場である講師がそうしているのだからそれが正しいと考え、同様にサイの事を蔑み、調子に乗らせず、奴隷として扱うことが人族の正しい扱い方だと信じ、行動していた。
時が流れ、生徒同士でも力の差がはっきりとついてきた頃には生徒同士の派閥にも近いコミュニティが形成され、能力として劣る所謂最下層も同じように蔑まれるようになっていく。
彼女は最下層の側でもなければ、上位層でもない至って普通の成績だったため何事もなかったが、そのお陰で最下層の扱いと人族の扱いがほぼ同列だということに気付き、違和感の正体を知ることとなった。
だが教育でも調教でもないただの嘲笑の対象としての蔑みに気付きはしたものの、巻き込まれることを恐れて関わることそのものを止めた。
前日まではそれでよかった。
関わらなければこれ以上の罪悪感を抱えることもなく、いずれ薄れてゆく記憶と共に忘れ去れると考えていたが、普段決して語ることのないサイの本音が綴られた日記には、目を背けることのできない苦痛の日々が途切れることなく記されていた。
毒にも薬にもならないような関係だったのならば、ただの人族相手にこれほどの思いを抱えなかっただろう。
だが、その苦痛の日々の端々で自分が関わっていて、直接ではなくても苦しめて、そのまま何も得られずに死んでゆくと知ってしまえば忘れることはできない。
そこで向き合えたのはある意味での強さであり、忘れてはならない心なのだろう。
そして同じ思いを抱えていた者達がちらほらとサイ達の元へ集まってきた。
「朝食、食べないんじゃなかったの?」
「ああ言われて来なかったのならそれこそ本当の馬鹿だろうがよ」
「正直なところ、不安とか衝撃とか色んな感情が混ざりすぎて本当に食欲湧かないけどな……」
「サイ……本当にすまねぇ……」
「俺達じゃ駄目だった……」
残りのルームメイトにダンケンとネルンも暗い顔を浮かべてサイの回りに座った。
その中でもダンケンとネルンは今にも泣きそうな表情のまま、謝ってきた理由をサイに伝えたのだが、その内容はなんとかしてサイの落とした必修科目をなかったことにできないか、とサガスティスに直談判に行ったというものだった。
結果は火を見るよりも明らかで、見事に一蹴されたらしい。
ダンケンとネルンの二人はサイ達の部屋から出たあと、すぐにサガスティスの姿を探して走り回った。
別に彼等はサイとサガスティスの関係を知っていたわけではなく、体術基礎の講師であったため彼なら何故サイが怪我をしてしまったのか説明すれば、せめてサイだけは救えると思ったからだ。
「成程。つまり君達はこともあろうに他の生徒を怪我させたことを知っていたのにも拘わらずに放置し、もしもあの時私が気付くのが遅れていたら死んでいたかもしれないということも知らずに今更死なせたくないからと私の元へやって来た、と……」
「俺もネルンも覚悟はできてます。どうかサイの事を見逃せませんか?」
「出来ん。そもそもサイは特例中の特例でこの学園へやって来た存在だ。これ以上の特例は認められん。それにサイも決してそれを望まんよ」
「だとしても……!」
「時に、何故二人は私にその話をしに来たんだ?」
「た、体術基礎の講師だったので……」
「そうか……。ならこれから話すことは独り言だが……私とて、もしできることならサイを救いたい。ドレイク殿とアツート殿から託され、才能を伸ばすために一時は彼の師にもなったからこそ……。だが私の個人的な感情でどうこうすることはできない。それが組織であり、定まった規則というものだからだ。加えて言うなら個人的にはお前達を殴り飛ばしたいぐらいだが、そんなことは誰も望んでいない。……話を戻すが、何故一度は見捨てたお前達にとっては人族ごときの存在を今更救いたいと考えたんだ? 単に優れているように感じたからか?」
「……それもあります。ですが逃げた時、物凄く後悔しました。その時は正直、なんでそんな感情を抱いたのか分かりませんでした。なんでたかだか人族が死ぬかもしれない、その原因が自分のせいで責任が発生するかもしれない……その程度の感情だと思っていたのに、なぜ後悔と罪悪感が日に日に増していくのか意味が分かったのは、サイの実力を見た時でも自分の浅はかさを知ったときでもなく、サイの声にならない悲鳴を……あの日記を見た時でした。人族も竜族も変わらない。同じただの生徒なのに……サイはただ笑って耐えてたと知った時、初めて同じなのだと理解できました……」
サガスティスの問い掛けに対してダンケンは真剣な表情で答え、時には涙を浮かべて訴えかけるように己の罪悪感を吐き出した。
その言葉を聞いて殴り飛ばしたい程だと言ったはずのサガスティスは小さく笑みを浮かべて二人の方を力強く掴み、軽く頭を撫でた。
「そう思えたのならお前達の心はまだ淀んでいない証拠だ。それを確認できたことは嬉しい。だが結果は変えられない。それを変えたいと願うのならお前達が変わるしかない」
その言葉は力強く、そしてとても優しく、二人の心には深く突き刺さった、とサイに話した。
サイはその言葉を聞いてすぐに頭を下げようとしたが、それはムターシャからもダンケン達からも阻止された。
サイとしてはどんな形であれ、他人に迷惑を掛けたと感じていたのだが、普通であればそんな思考には至らないだろう。
その後はあまり目立った会話もなく、静かな食事を済ませて大講義室へと移動したが、サイを除く他の者達にとってはまるで死刑執行でも待っているかのようだった。
「本日は皆分かっているとは思うが、講義はない。代わりに下級学位での最終合否通達を行う」
講義室へ次々と講師陣が入室し、一列に並んでいた丁度真ん中の位置にいたレイスレヴィヌが一歩歩みでてすぐに語り始めた。
試験結果は全ての講師陣での協議の結果と、予め定められた及第点を越えているかが焦点となっており、優秀者はこの場で発表を行う。
その後、先に合格点に満たなかった者の名を読み上げ、最後に試験の結果である採点結果と各自の課題点を記した成績表を出席番号順に配ると説明した。
その言葉を聞き、明らかに場の空気は張り詰め、自分だけは合格であってほしいと願う者達は拳を握りしめたりと気が気ではなくなる。
それはプロデジュムやムターシャ達、ダンケンとネルンも例外ではなかったが、彼らが願うのは自分の合格ではなくサイの名が呼ばれないことだった。
「まずは成績優秀者から……。各試験項目毎に上位五名の名を発表する。術式座学、一位はサイ、二位は……」
成績上位者の発表が始まると、座学に置いては魔法の式、魔法の使い方等の理解度を測る試験である術式座学、魔法世界に置ける生物、鉱物、魔素の集まりやすい環境などの魔導に間接的に関わる知識である魔導基礎座学、両方の結果で一位に名を連ねた事により講義室全体がどよめいていた。
実技に関しては目の前でその自力の凄まじさをまざまざと見せつけられていたこともあり、生徒達にとっては周知の事実だったがまさか筆記でもさも当然のように一位に名前を連ねていることは予想していなかったらしい。
更に言えば、レイスレヴィヌは付け加えるように唯一の全問正解者だ、と冗談のようなことを全員に告げていた。
もしそれが本当なら愚劣でみすぼらしい存在だと完全に舐めていた人族よりも圧倒的に劣ることとなる。
「次は実技だが……魔導救護実技は一位がプロデジュム、二位がフェレネア、三位がトゥールゥズ、四位がサイ、五位がワインズレン。戦闘実技試験もほぼ同様に一位がプロデジュム、二位がフェレネア、三位がトゥールゥズ、四位がワインズレン、五位がサイだ。因みにサイが唯一対戦結果が勝者ではない成績で上位成績を収めている」
会場のどよめきをよそにレイスレヴィヌは続けて実技成績も発表してゆく。
その内容を聞いて最も反応したのはサイ。ではなくプロデジュム達の方だった。
勿論喜んだのは自分の順位ではなく、サイが筆記実技の両方で上位五位以内に名を連ねていたことだ。
サイが必修科目を既に落としているという事実は変わらないが、もしかすればそれほどの成績を残したことによってその結果すら覆るのでは……という淡い希望が乗った喜びだった。
しかし喜んでいるのはその一角のみで、他の者達からは傍からでも聞いて取れるほどにざわめき始めるほど驚愕する。
理由は明白。この事実が分かった時点で人族からの復讐が確定すると考えているからだ。
「次に最終試験の不合格者……つまり、中級学位への進級が確定しなかった者達の発表を行う」
レイスレヴィヌはまたもざわめきを無視して淡々と告げてゆく。
死刑宣告は出席番号順に行われてゆき、誰もが自分の名前だけは告げられないようにと拝みだし、講義室内は一斉に静まり返る。
「……コレント、サイ、シェラス……」
プロデジュム達の淡い願いを打ち砕くように、サイの名は淡々と読み上げられる。
それが分かると同時にプロデジュム達はまた自分のことのように肩を落とした。
不合格者の名前が全員分読み上げられるとレイスレヴィヌは一度間を置いて、今度は何故か全員の意識を自分へ集中させるために話を聞くように促す。
「今名を呼ばれた者は不合格者だ。しかしこれはあくまで、これから先の三月の間の学位移動に伴う休暇期間中に不足した学位の取得を行わなかった場合、昇級できないというものだ。つまりここまで言えば私達が何を言いたいのかは分かると思うが、今から配る最終成績表を元に不足した分の補講を受け、学位取得が間に合えば問題なく中級学位へと昇級する! つまりこの場で終わりではない! 君達の今後の頑張り次第だが、それは同時に今までとは比にならないほどの努力を必要とすることであることを覚悟し、学習に励み給え。それとついでだが、勿論補講を受けなければならない者は必修だが、受ける必要のない者も後学のために学ぶことは構わない。大いにこの三月という期間を有効活用してくれ給え。それでは全員に配ろう……」
そう告げた。




