魔導師として 9
その日は朝からずっと張り詰めた空気が漂っていた。
最終試験当日、その日の成績如何で以後もこの学園で学ぶ事が出来るか、落第の刻印と共にエリートの道から転げ落ちるかが決まる日。
皆一様に自身の事で精一杯になっており、久し振りにサイにとっては静かで過ごしやすい日でもあった。
既に落第が決まっているサイにとっては幾許か気楽な日ではあったが、かといってそんな空気を醸し出せば間違いなくこの張り詰めた空気による苛立ちの矢面に立つことになる。
極めていつも通りに振る舞い、その日も何事もなく過ごすつもりだったが、そんな思惑のサイの元へいつもならあまり人目のあるところではサイに関わらなかったプロデジュムが人目を気にせずにやってきた。
「サイ。今日は、今日だけは私も君の全力が見たい。もしもそれすら隠そうというのならば、昨日の件、誓った身ではあるが全てをバラす」
「き、昨日の件……とは一体……」
「とぼけるつもりなら今すぐに全てを学内の者達に話す。全力を見せろ。そうでなければドレイク様が君をわざわざこの場へ導いてくれた意味がない」
「……承知致しました」
プロデジュムとサイの二人には分かっていたが、何も知らない他の者達は訳の分からない会話の内容に耳を傾けるほど興味を引かれる内容ではなかったため気にも留めなかった。
だが、これまでの僅かな間で他の竜族よりも一歩踏み込んだ関係になっていたプロデジュムはサイの唯一の特徴であり、サイの弱点でもあることに気が付いていた。
サイの唯一の弱点とは、ドレイクの名を出されると引き下がることが出来なくなることだった。
自身の身の振り方がドレイクという存在に傷を付けるかどうかということに異常なまでに敏感だったことは実は誰にでも見分けやすく、ドレイクが喜ぶと言えばあからさまに笑顔になって饒舌になり、逆にドレイクがどう思うかといった下げるような行動を取っていると思わせる発言をするとあっという間に萎縮し、その存在感を極限まで無に近付けるからだ。
そのため、プロデジュムはサイの実力をこの場に居る者全てに見せつけるために二重の盾を用意した。
一つ目はサイがひた隠しにし続けた自身の書き上げた無数の魔法式。
二つ目はドレイクの評価というサイにとって抗えない評価。
サイがこの場へ何故来たのか、その理由を聞いていたプロデジュムは心を鬼にしてその思いを逆手にとった。
言葉こそは状況を見てか非常に丁寧なものだったが、その目には闘志のような輝きが宿されていた。
当然それはプロデジュムの見間違いなどではなく、確かにサイの心に火を付けた。
サイとしてもこの学園に来てから殆どの場合、周囲の求める人族であることに努めていた。
ドレイクの推薦した魔導師であるという誇りは胸に秘め、一人誰にも見えない努力をすることでドレイクの思いに応えているつもりではあったが、所詮は自身の中での努力でしかないためそれが他人からの評価、牽いてはサイを通したドレイクへの評価には繋がっていないことは理解している。
だが、サイもそれを言葉にされるまではそれでもいいと考えていたことと、既にこれから先がもう絶対にないという状況が重なり、この試験の場が最後の名誉挽回の機会であることをサイ自身に理解させるには充分すぎる言葉のやり取りだった。
そんな会話があってからすぐに大講義室へと移動し、まずは筆記による試験を行う。
筆記試験の内容は魔導基礎知識と魔法構築知識の二分野に別れており、一つずつ休憩を挟みながら行われる。
普段ならば試験時間ギリギリまで分からないふりをするために残っていたが、途中退室が認められた時点で全ての項目を埋めて部屋を後にした。
本来のサイの実力ならば、全ての問に回答した上で途中で退室するなど造作もない事だったため、筆記に関してはあまり心配はなかった。
肝心なのは翌日に行われた実技となる。
実技試験の内容は魔導救助実技と魔導戦闘実技とこちらも二分野に別れており、魔力の回復も考慮して試験は午前と午後に別れている。
午前が魔導救助実技で、内容は実際に魔法を使用して、模擬的に作成された災害現場から要救助者の替わりとなる人形の回収と災害の沈静化を行う、二種類の目的を伴う試験となっている。
如何に冷静に状況を判断し、災害の沈静を優先するか救助を優先するかを選択することと、各目的への適切な処置が行われているかを問う試験のため、当然のように試験の難易度は高い。
サイはこの試験に対して魔力が無に等しいという最大の欠点を抱えていたが、それでもこの学園で必死に体を鍛え続けた甲斐もあり、ドレイクを助けるために必死になっていた頃よりはかなり魔力量も増していた。
しかしそれでも魔竜種達の魔力量には到底及ばない魔力しかないサイには突破できないように考えられていたが、サイはここで初めて自身が作り出した魔法式を使用した。
確かに真っ当な方法ではどうすることもできないが、サイ流の全力で挑むのであれば話は別になる。
サイは魔力こそないが、それを持ってしても余りある程の記憶力と集中力、そして自分が使うために必要な魔法式を生み出せる発想力があった。
当然試験にはサイが持てる最大限の能力を引き出したため、サイとしてもイメージ通りの好成績と思える動きができた。
だが、それと同時に講師であった魔導師達も生徒達もその光景には唯々驚愕の表情を浮かべ、明らかにざわつき始めた。
普段のサイならば謝罪の一つでも述べただろうが、今は違う。
ドレイクの名を背負い、立派な魔導師であることを見せつけるために凛とした態度を決して崩さなかった。
「ど……どういうことだ!? 何故人族ごときがあれほどの魔法を扱える!?」
「当たり前だろう。ドレイク殿とアツート殿に託され、彼の望むままに私が鍛えてやったんだ。生半可な鍛え方をするわけがないだろう? まあ、サイは少しばかり賢すぎるところがあるのでどうなることかと思ったが……どうやら杞憂で済んだようだな」
その光景を目の当たりにして恐らく最も驚愕していたであろうフルークシの言葉に対して、サガスティスは自信と安堵の表情でそう語った。
しかしその言葉はフルークシの逆鱗に触れたのかサガスティスの方へ振り返り襟首に掴みかかった。
「貴様は分かっているのか!? アレの恐ろしさを!! あれだけの魔法を扱える竜族の敵を、化物を産み出したのだぞ!?」
「彼は化物などではない。ただの純粋な心を持った魔導師見習いの一人だ」
激昂するフルークシとは対照的にサガスティスは極めて冷静に答えた。
二人の意見はどちらも間違ってはいない。
だがフルークシは一般論を言っており、サガスティスは一節の間共に過ごしたからこそ分かる事を話しているため、他の者も同様にサイの事を『脅威』として捉えていた。
魔導師にしてみれば人族はこの世界の秩序を大きく乱した大敵以外の何者でもない。
その人族が自分達と変わらない程の術を扱えるというのは、戦争にはならなかったとしても一人で充分に沢山の竜族を殺めることができるということだ。
だがサイに対して逆の評価を唱える者達もいた。
単純にサイの才能の部分だけに注目し、かなりの能力を有している事への将来性を考え、『飼い慣らせなくなるまで』魔導の発展に貢献してもらおうという考えによるもの。
つまりは魔導師の傲りと人族への偏見がもたらした、道具としての有効利用としての考え方だ。
それを聞いて魔導師達は皆利用派と処分派に別れての論争が主となり、サイ自身についてのことへ言及する者はいなかったお陰で、午前から午後までの休憩時間にサイに対して余計な手出しが出ることはなかった。
生徒も同様にサイを危険なものでも見るように避け、いつもとは違ってサイの周りだけ誰もいない状態がほとんどだった。
唯一人、プロデジュムを除いて。
「やはり……というよりは流石だな、サイ。それだけの実力を持ちながら何故今まで隠していた?」
「隠していたということもありますが、言ってしまえば僕のこの魔法は全て反則のようなものです。未だ皆さんほどの魔力量もありませんし、試験範囲内で教えていただいた、所謂使っていい魔法はどれも使えて一度きりかそもそも使うことさえ出来ないかのどちらかです。もしも僕と同じように体が弱く、魔力が乏しい人のために作り出した魔法式を使わなければ、僕はそもそも皆さんと同じ壇上に立たせていただくこともできません」
「成程。だが勿論次の戦闘実技でも使うだろう?」
「はい」
「それを聞いて安心した。次の試験、平時の成績順で対戦相手の指名権がある。私は君を指名するつもりだ。決して手を抜いてくれるな。もしも全力ではないと感じた場合……分かってはいるだろうが、私も手段は選ばない」
その言葉を聞いてサイは一瞬驚きの表情を見せたが、その後何処か遠くを少しだけ見つめた後、言葉ではなく強い眼差しでプロデジュムの言葉に答えた。
実技試験は一対一の対戦形式。
正確な評価方法等は明かされていないが、対戦に敗北した者は実技試験の成績は絶望的だと予め伝えられていたため、負けは同時にこの学園から去ることを意味する。
既に必修科目を落としているサイにはこの試験で勝利してもなんの意味もないが、それを分かっていてプロデジュムはサイに伝えた。
単にプロデジュムから見たサイの実力を全員にせめて知らしめたいという思いもあったが、それと同じぐらいサイという底知れぬ実力者を相手に、自分がどこまで出来るのか知りたいという純粋なサイへの憧れにも似た興味と対抗心があった。
その後は特に会話もなく、午後の試験へと移ってゆき、改めて全員へ実技試験の内容を伝えた。
試験は一対一の攻撃魔法や防御魔法を用いた戦闘試験。
試験監督による指示があった場合、即座に魔法の使用を中断して指示に従うこと。
試験の対戦相手は生徒自身による指名性であり、平時の成績上位者から順に対戦相手を選択して戦うことができること。
試合の決着がついた場合、勝者敗者共にメディカルチェックを受けた後、そのまま解散となり、試験終了者はそのまま試合を見学することも許可されている。
そのため試験とは名打っているものの、実際には早期での篩でしかない。
上位者から対戦相手を選べるため、必然的に選ばれる対戦相手は間違いなく勝てる相手となる。
圧倒的な実力差を覆すことは殆どの場合不可能なため、ここで下位学位の半分はいなくなると言っても過言ではないだろう。
「それでは第一試合、サガスティス。対戦相手を選べ」
「サイを指名する」
「サ……!? 人族か!? ヒュ、人族は前へ……」
そのため異様な実力を突如として顕にしたサイは、間違いなく最後まで外れくじとして最後まで残るだろうと誰もが考えていた矢先、真っ先にプロデジュムが指名したことによって会場内はどよめいていた。
試験監督ですらサイから若干離れ、試合開始の合図と共に安全域まで急いで離れていくほどにはその時のサイは異質そのものだっただろう。
多目的運動場の中央から四方に百メートルほど離れた位置に設置された魔法道具の柱が輝きを放ち、半球状の魔法障壁を発生させた。
勝負はこの中で行われ、内部と外部は互いに魔法による干渉が不可能になる。
「サイ! 前に宣言した通りだ! 全力を見せてみろ!」
「……」
「どうした! 今更怖じ気づいたか!?」
「いえ……ただ、最後が貴方で良かったです。全力でいかせてもらいます!」
言うが早いか、互いに小さな魔方陣を宙に描いて火球を放つ。
互いの球は干渉し合わずに真っ直ぐ飛んでいき、互いが始めに居た位置の障壁に当たって消えた。
二人共放たれた火球を走って躱し、そのまま立て続けに複数の小さな魔方陣を形成しては魔法を放ち、お互いに攻撃しては躱し続ける攻防戦が繰り広げられる。
「ダ、多重視だと!? しかも多重詠唱まで……プロデジュムはまだしも何故人族まで使えるんだ!?」
二人はただ魔法を放ってお互いに躱しただけだったが、それを見ていた魔導師達は驚愕していた。
というのも、魔導師は魔法を行使する際、俗に詠唱と呼ばれる魔法式の構築を行うために意識を精神界へ集中させる。
寸分の狂いも許されない魔法式の構築にはそれだけの集中力を求められるうえ、精神界は魔素等の視認が可能になる代わりに物理世界は視認できなくなるため、必然的に足が止まる。
だがそれはあくまで下級魔導師までの話であり、中級以上の魔導師ともなれば、息をするように魔法式の構築を出来るようになるため、相当大規模な魔法式の構築を行わない限りは足を止めることはない。
そのために行われるのが通常の視界を保ったまま精神界を視認する方法である多重視となる。
中級以上の魔導師なら誰でも出来ることだが、かといって容易なことでもない。
右を見ながら左を見るような難解な動作に加え、歩きながら絵を描くような芸当と言えば伝わりやすいだろうか。
それだけ集中力を分散しながら全ての動作から一定以上は気を抜いてはいけない。
慣れさえすればそれこそ当たり前の事になるが、そこまでの努力は並大抵のものではない。
多重詠唱も同様に左右の手で同時に絵を描くような行為だ。
出来なくはないが、やれと言われてすぐにできるようなことではない。
ましてや実戦ともなると集中力は乱れて当然となる。
しかしここは最高峰の学術機関。そもそもこの学園を晴れて卒業できれば上級魔導師はまず間違いなく、途中で退学したとしても実力さえつけていたのであれば中級魔導師は硬いというほどの場所であるため、プロデジュムのように下位学位の時点で既に実力は中級魔導師に到達しているものも一握りながら存在する。
プロデジュムは誰の目から見ても頭一つ飛び抜けた存在であったため、だれも不思議には思わなかったが、それほどの逸材と人族という落ちこぼれだと思い込んでいたものが肩を並べていることにサガスティスを除く誰もが驚愕していた。
だが次第に試合はプロデジュム有利へと傾いていった。
魔法の詠唱速度がプロデジュムの方が早く、サイは避けることで精一杯になり始めるが、少しでもプロデジュムが強力な魔法を唱えようとすると速度の早い雷の槍を放って牽制する。
試合展開そのものはプロデジュム有利に見えるがその実五分と五分。少しでも隙を見せれば勝ちをもぎ取らんとする貪欲なサイの姿がそこにはあった。
魔力量の少ないサイとしては自分の魔法式を用いても長期戦は避けたいところだが、プロデジュムも中位魔法を唱えてわざとサイの気を引き、複数の様々な属性の下位魔法での攻撃を繰り出してきたりと、魔力量の差を活かした隙を誘って反撃するような戦術をとってくるため安易な行動ができない状況が続く。
膠着しそうな状況の中、先に動いたのはサイだった。
突如としてサイの身の丈を越える程の大きさの魔方陣を描き、中位魔法を唱えた。
「な、なんだあの魔方陣は……。あの詠唱速度はどういうことだ!?」
驚愕したのは対戦相手のプロデジュムではなくフルークシの方で、寧ろプロデジュムは分かっていたとばかりに、同様に凄まじい速度で大きな魔方陣を宙に描きだす。
サイが描いた魔方陣はまるで緻密なガラス細工のように複雑な模様が刻み込まれており、フルークシの知る限りではそんな構築式を見たこともなく、それほどの緻密な魔法式を一瞬で構築することなど不可能だと思っていたからだ。
無論集中力の優れたサイでもフルークシの考え通り、一瞬で構築することなど不可能である。
サイはその巨大にして精密な魔法式を対戦が始まった直後からずっと『ゆっくり構築し続けていた』。
『流石だな……サイ。私にはそんな芸当、到底不可能だ。だが! それすらも凌駕する魔力があれば君に対抗できる!』
対戦していたプロデジュムはその常識破りな多重詠唱の方法と、それを可能にするサイの集中力に心底感心したが、見えている以上対策も考えていた。
始めはサイの集中力を乱すために左右への揺さぶりを行い、次に攻撃を誘うことで集中力が乱れることを期待したが、それでもサイは詠唱を続けたため、最後の手段として最も簡素な中位魔法で対抗する以外がなくなり、サイの魔法が放たれるまでの間に少しでも魔法式を精密にしようと急いたが、それよりも先にサイの魔方陣が完成した。
「穿ち砕く瞬雷の槍!!」
「嵐風の豪砲!!」
サイが魔方陣から雷の槍を繰り出すのと同時にプロデジュムは周囲に風を生み出し、それを布でも纏めるかのように魔方陣へ依り集めて横へ延びる竜巻のように放った。
勿論こうなれば魔力の消費量が尋常ではなくなるため、この中位魔法の攻撃が長引くのはプロデジュムとしても避けたいが、心の何処かでこの状況に感謝していた。
互いの持てる全てをぶつけ合えるこの瞬間は楽しく、同時に負けたくないという強い対抗心も抱く。
それはサイも変わりなく、初めてこの学園に来て全力を出せることに、自分の実力を認めてくれたことが嬉しく、同時に初めてサイの中に自分の意思で負けたくないという強い意思が芽生えた。
「まだだ……まだだぁぁあ!!」
「負けるかぁぁあ!!」
けたたましい音を立てて雷と竜巻がぶつかり合い、互いの魔法を四方へ吹き飛ばしながら拮抗し続け、遂に強烈な閃光と爆発音を響かせ、障壁内を爆発で吹き飛んだ暴風で埋めつくした。
先程までとうってかわり、不気味なほどの静けさだけが場を支配していた。
試験監督が恐る恐る障壁を解除すると立ち込めていた煙が晴れ、そこに写ったのは地に倒れ伏したプロデジュムの姿とたったままのサイの姿。
「ま、まさか……負けたのか……? プロデジュム程の者が……」
「そんなまさか……」
会場はとんだ大判狂わせにどよめいていたが、サガスティスが一歩歩み出で口を開いた。
「よく見たまえ。確かに立っていたのはサイだが、両者共に無傷。その上互いに魔力切れを起こしている。ヘイデンス。その場合の決着は?」
「りょ、両者魔力切れによる戦闘続行不可能……。この勝負、引き分けとなります」
そんな歯切れの悪い試合終了の合図と共にサイの試合は終わりを告げた。




