魔導師として 8
時間も流れ十月も半ば、医師の診断よりは早く回復したがサイの顔には既に元気はなかった。
サイの怪我が早く治った理由は、サガスティスが治癒魔法を得意とする魔導師をわざわざ連れてきてくれたからだ。
魔導師の怪我は基本的に魔法で治らないほどの大怪我や病気の場合以外は、基本的に自分達で治療してしまう。
そのため本来、サイは例によって放置されそうになっていた所をサガスティスが個人的に治療を依頼してくれた。
サガスティスの知り合いの魔導師とのことだったが、彼もサイに関してはかなり渋ったため、治療に時間がかかってしまった。
「私が治癒魔法に精通していれば君の体もすぐに治せていたのに」とサガスティスは謝ったが、サイはただ素直に感謝を伝えて、日常へと帰っていった。
ただ一人、そこには既に自分の日常が戻ってきてはいないことを知っていたが、プロデジュムやサガスティスに気取られないよう気丈に振る舞うしかなく、何事もなかったように振る舞った。
しかしそのせいもあってか、既に講義も最終試験を目前に控えていたため空気が張り詰めており、そのストレスの捌け口としてサイは今まで通りの待遇を受けることとなる。
一つだけ変わったことがあるとすれば、こうなることの元凶となったダンケンとネルンの二人は明らかにサイを避けるようになっていた事ぐらいだろうか。
たかだか二人がその憂さ晴らしに参加しなかったからといって、生活が大きく変わるわけでもなく、わざわざ何かを伝えるほどサイにとっても大きな変化でもなかったが、二人にとってはサイを見ることすら辛くなるほどには堪えていたらしい。
サイが視界に入るだけでモヤモヤとしたなんとも表現に困るような感情を抱き、視線が合おうものなら胸が締め付けられるように感じ、思わず目を逸らす。
感情の正体は言うまでもなく罪悪感だったが、彼等からすればそんなものを人族相手に抱くとは微塵も思っていなかったため、答えだけが分からず、悶々とした日々を過ごすこととなるが……
「皆周知とは思うが、明日と明後日は最終試験だ。この合否によってこれから先もこの学園で学ぶことが出来るか否かが決まる。気を引き締めて挑むように。では、本日の講義は全て終了だ。慢心せず、勉学に励むよう。以上、解散」
その日々も残すところ数日。
というのも最高峰の学習機関であるグリモワールは、全ての学科において下級学位は必ず一節で修了する。
最終試験までの各講義の評価点と試験での点数で合否が決まり、合格であれば自動的に中級学位へ、不合格であれば即座に退学となる。
故に彼等の思いなど露知らず、元々全ての講義でギリギリの点数で繋ぎ止めていたサイは怪我が原因で生まれた空白期間を埋める方法はなく、最終試験を待たずして、来節以降は無いことを理解していた。
『結局、どれほど努力をしたとしても、僕はドレイクさんの望むような子供には……なれませんでした。でも、ほんの少しだけでも知らない世界を見ることができたのは、楽しかったですよ』
そう心の中で呟き、一息ついた後、思い付いたようにノートを開いて何かを書き記し、荷物を全て纏め始めた。
「ん? 何やってんだ? 人族」
「あ……申し訳ありません。帰り支度をしておりました。僅かながら荷物が多いので、早めに纏めなければすぐに撤退できないので……」
「あぁ、だろうな。やっと人族と同じ部屋から解放されるのかー!」
「特に実害なかったから掃除係が居なくなるのはちょっと面倒だけどね」
サイの様子を見て同室だった彼等は口々に今までと変わらない様子で、サイと同室だった事への鬱憤を晴らすようにけらけらと談笑を始めた。
多いと自ら宣言した荷物は、そのほとんどがノートのため、同室の彼らが無駄に広げている雑多な物に比べれば可愛いものだ。
「サイ。少し時間はあるか?」
「プロデジュム……さん? 承知致しました」
丁度荷物を一つ分作り終わった時にプロデジュムがサイを呼びにきた。
基本的に部屋まで来ることはないため、同室の者達も少し驚いていたが、プロデジュムはそんなことはお構い無しにサイを部屋から連れ出し、よく二人で過ごす中庭へ行った。
「どうかしましたか?」
「いや、私の勘違いならすまないが、君は戻ってきてからというもの全くと言っていいほど元気がないように見える。やはり何かあったのではないか……と考えただけだ」
「いいえ。何もありませんよ。強いて言うのであればまだ怪我が治りきっていないというぐらいですね」
「治りきって……? いや、そうだな。ならあまり無理をしないことだ」
「はい。お気遣いありがとうございます」
それ以外の会話は殆ど無く、どちらからと言うでもなく自然と終わりを告げ、サイはプロデジュムにお礼を言ってすぐに自分の部屋へと戻った。
プロデジュムの方も部屋に戻ろうかとも考えたが、怪我が治りきっていないというサイの言葉がどうしても納得がいかなかった。
最所は魔導師の怪我が何故治っていないのかという疑問が浮かんだが、目の前にいるのは隠れた天才などではなく、世間一般ではただの人族であることを思い出す。
それを思い、少し自分の中で思うことを纏めようとその場で考えることにした。
一方、部屋に戻ったサイは目にした光景に言葉を失った。
同室の彼等がサイが書き留めていた魔法式のノートを一様に手に取っているではないか。
当然ながら全員、そのノートの内容を見て絶句していた。
今の今までどころか今も自分よりも下、それも最下層の実力しか持っていないと認識していた相手がそんなものを持っているというのは、到底理解できるような状況ではなかっただろう。
「おい……人族。これは一体……」
「ち、違います! それは……その……。プ、プロデジュムさんからお借りしていたものなんです!」
サイにしては珍しく、動揺していながらもなんとか上手い言い訳を言えていた。
すると彼等も理解できる状況になり、安堵の表情を見せてサイに近寄った。
「なんだよ! ビックリさせるなよ!」
「おかしいと思ったわ」
「本当にな! あ、でもプロデジュムがこういうのを書き纏めてるからっていっても、それをお前みたいなのが持ってても賢くなれる訳じゃないからな?」
全員が口々にそう言い、凍てついていた場の空気はとても和やかなものになっていた。
サイも上手く誤魔化せたことに安心し、笑いあう彼等に深く頭を下げて謝罪してノートを受け取り、サイの努力の結晶達を箱の中へ纏めていく。
しかし、全て纏め終わるとサイはその中からノートを入れた箱だけを集め、それらを持って部屋を出た。
「プロデジュムさん! 申し訳ありませんが、この荷物を受け取っていただけないでしょうか?」
「ん? それは構わないがその荷物は一体何なんだ?」
本来ならばそのノートの一群も全て持って帰るつもりだったが、誤魔化すために吐いた嘘を正当化するためにプロデジュムの元へ向かった。
半分は彼なら渡したとしても必ず役に立ててくれるだろうという思惑もあったが、もう一つだけある目的を伝えようとも考えたからだ。
「プロデジュムさん。まずは貴方に謝罪しなければなりません。ですが、その前に差し出がましいお願いかもしれませんが、今から私が話すことは決して他言しないと約束していただけませんでしょうか?」
「……君からのお願いとは珍しいことだな。だが分かった。誓おう」
「まず、プロデジュムさんのご明察の通り、私は魔導師としてはそこそこの実力があると考えています。しかし、ドレイク様の評価や、魔導師の方々の様子から極めて劣る存在であることを演じていました」
「……だろうな。君の言う通り、それは私も気が付いていたよ。しかし何故今更その事を告げたのだ?」
「渡した荷物は僕がこの学園にいる間に書き記した魔法式です。恐らくまだ同様の術式構文は存在しません」
「こ……この箱の中身全てが全く新しい魔法式だとでも言うのか!?」
「はい。ですが、その魔法式は僕が持っていては何の意味も得ません。名の知れた魔導師の方に公表していただかなければ、正式な魔法式、牽いては誰もが手に取ることのできる魔導書にはなり得ません。その荷物が僕の全てです。どうかよろしくお願いします」
「少し待ちたまえ。何故それを私に託す? それならば君自身が魔導師として大成してから自分で公表すればいい。第一これだけの量を一節の間に書き上げたなど、それだけで十分に名を上げることができる。何故なんだ?」
「……僕が……人族だからです。人族である以上、竜族より上になることはあり得ませんし、あってはなりません。それに、あと数日で僕はこの学園を去ります。既に必修科目を落としてしまいましたので」
「君はそれで満足なのか?」
「えっ?」
「ドレイク様の為、竜族の為、世界の為、君にも成したい夢があったからこそここに来たのだろう!? ただの一度も君という存在価値を示さずに歴史の中に埋もれていくことが本望だというのか!?」
「構いません。僕の夢はその箱の中に既にありますから。魔法式には全て筆者の名をを施していません。プロデジュムさんの名前で世に出たとしても、それが誰かを救う術になるかもしれないという事実に変わりはありませんから。もし、あまりにも重責だと考えるのであれば、破棄していただいても構いません」
サイの考えとは自分では公表することのできない魔導式を託すことだった。
プロデジュムはサイが何故元気が無かったのかの理由を知ると共に、半ば強制的にサイの思いを次ぐしかなくなった。
悔しさが込み上げてくるが、サイがこの学園を去ることが明白な今ではその言葉を投げ掛けることはできない。
しかし、プロデジュムの伝えたかった言葉は何もサイに向けてだけではない。
サイが手渡した魔導式の書かれたノートの数はざっとでも五十冊を越えていた。
もしもその全ての頁に魔法式が一つずつ書き込まれていたとすれば、その魔法式は途方もない数になる。
一人の大魔導師と呼ばれる者が一生を掛けて書き上げることのできる魔法式の数は多くて五百だと言われている。
我々の感覚からすればかなり多いようにも感じるが、魔竜種達の平均寿命は四千歳、人族からすれば途方もないほどに長い。
それだけの寿命を持つ種族でさえ、一生に五百種の魔法式を新たに作り出せればそれだけで大魔導師として讃えられるほどの功績なのだ。
しかしサイが渡した荷物は、たった一節で既にそれら大魔導師の功績に追いつかんとする程の数を新たに生み出したこととなる。
プロデジュムはそれほどの常識の範疇の外側に居るような本当の天才の存在を、下手な先入観と思い込みで見落とした自分自身の愚かさが悔しかった。
プロデジュムが荷物を受け取り黙ったままだったため、サイは深く頭を下げてからその場を後にした。
後悔というものはするだけ無駄だ。
プロデジュムもそう頭では理解できていたが、かといってそれを飲み込めるほど理屈屋でもない。
ただただ受け取った荷物の持つ意味の重たさを一人感じながら歯噛みするしかなかった。




