魔導師として 7
サイとプロデジュムが友人として関係を築き、少しだけ楽しい日々が続いていたが、それと比例するようにサイへの風当たりは強くなっていった。
時は更に流れ、学園での生活も既に八月、生徒たちの学力にも大きな差が付いていた。
明らかに勉強が出来る者達は、既に先を見据えて更に新たな知識を自ら身に付け、追い付けていない者は授業の内容を理解するだけで精一杯か、既に遅れをとっている者もいる。
授業中も、それ以外の時間もこれまでとは明らかに空気の重さが違い、遅れている者は回りへの当たりが強くなっていく。
その中でも一際強かったのがサイだった。
というのも、共通認識として、『サイは落ちこぼれ』という固定概念があったのにも拘わらず、サイは決して高い点数はとっていないが、同時に赤点以下を取ったこともなかった。
必死に勉強し続けても何故か、理解できていない落ちこぼれのサイよりも劣る箇所があるという事実が、遅れをとっている者達にとってはこれ以上無いほどに腹立たしいこどだろう。
少し考えれば、それだけの努力を行っているからギリギリでも最低限の知識を保てていると考えられるが、彼等にとってサイは唯の嘲笑の対象でしかなかったはずだったからこそ、そんな発想にさえ至らなかった。
言葉だけだったサイへのいびりも次第にわざとぶつかったり、ゴミをぶつけたりと物理的なものへと変わっていく。
それでもサイは決して折れない。
それ以下の点数を出すことはサイとしては、ドレイクに推薦してもらったという最低限のプライドがあったため、絶対に譲れない唯一の意地。
なのに常日頃は誰よりも下であるという振る舞いも続けていたため、その矛盾が更に油に火を注いでいく。
その頃にはサイの体力もかなりついており、授業時間の終わる10分前まで位には走り終え、魔法の実技練習はできなくとも、周囲の生徒の練習風景を見て覚えることが出来る程度には余裕が生まれていたが、これも同様にサイが精一杯の努力を積み重ねてきた賜物だが、適当に手を抜いて走っていた者達に追いついてきていたことで焦りと苛立ちを加速させていた。
学問の最高峰とも呼ばれるこの学園に、親のコネや、面子のために無理矢理通わされたり等、嫌々やって来て折角の環境を無駄にし、自身の学力の遅れを周囲のせいにする、所謂落ちこぼれ達が尚更サイに腹が立っていた。
『自分よりも下がいる』これは努力したくないものにとってはとても有り難いものであり、比較と嘲笑の対象にできる。
だがどういうことか馬鹿にしていたはずのサイと自身の差は既にほとんどなく、講義によっては既に抜かれているではないか。
努力をしても無駄な存在がいると思ってグダグダと惰性で温い学園生活を送り、適当な言い訳をして家に帰るはずが、それまでのストレスの緩衝材となっていた筈の存在は諦める素振りなど見せない。
もしもこのままサイが努力を続ければ最悪、サイは次の学位へ進み、自分たちは取り残される。
そうなってしまった場合、『人族以下』のレッテルを貼られてしまう。
それだけは避けなければならなかった。
そんな想いが募ってゆく中、サイに対して明確な敵意を向ける二人がいた。
彼らの名はダンケンとネルン、家ぐるみでの仲だったためか、二人共無理矢理この学園に入れられ、レベルの高すぎる勉強についていけずこの二人も例に漏れず腐っていった。
そのまま適当に努力をして、自分達には高すぎるハードルだったと体の良い言い訳まで考えていたというのにも拘らず、その高すぎるハードルを決して越えてはいけない者が越えようとしている。
サイがなにかしらのヘマを犯すことを期待しながら待っていたが、もうそんなに悠長に待っている時間がないことも重々承知していた。
だからこそ彼らは焦り、自分たちが今からでも遅くはない努力をすることではなく、如何にしてサイがこの学園にいられないようにするか、且つ自分たちよりも更に下になってもらう方法……そんな愚策を考えるようになる。
そしてその内、一つの事を思い付いた。
魔導師の勉強内容は大抵が座学であるため、自頭の良さを妨害する方法はほとんどない。
そのため焦っている彼らは必然的に直接妨害を加えられる講義に焦点を絞っていく。
その講義は体術・技術基礎。
元々サイにとっては他の生徒の倍の努力量を課せられている講義であるが、それはサイとサガスティスしか知らない。
他の生徒にとっては常にギリギリのラインの努力をして、フラフラになりながら授業終了数分前に必修区分を終えているようにしか見えていない。
終わり頃ならばサイも疲れ果てているため、妨害があったとしても容易には躱せないだろう。
その上講義担当であるサガスティスは魔導実技を行なっている者達から目が離せない状況になっているため、授業後半はトラックの方に意識などほぼ向けない。
仕掛けるには好条件が整っていた。
そしてその日、彼らは自分たちのノルマをさっさと終え、壁際へ寄り掛かるふりをしてサイが前を通るのを待った。
サイが十分疲れ果てているのを確認し、ダンケンがサイの進路を遮るように歩いて壁際に誘導し、ネルンがスッと足を出す。
当然避けられるはずもなく、サイは足を引っ掛けて顔から地面へ倒れ込んでいった。
「へっ。ちゃんと前見て走れよ落ちこぼれ」
「す……すみません……」
少し擦りむいたからか、顔から僅かに血が流れていたが、そんなことはお構いなしに彼らはそんな捨て台詞を吐いてその場を去ろうとした。
が、なんとか立ち上がり、もう一度走り出そうとしたサイの様子が明らかにおかしいことにネルンの方が気が付いた。
今まではフラフラとではあったが、まっすぐ走っていたはずのサイが明らかに千鳥足になっている。
遂に走ることすらきつくなったのか、倒れこむように壁に体を預けた。
それとほとんど同時だっただろうか、サイが苦しそうに咳をしたかと思うと、足元に小さな赤い水溜まりを作り出していた。
それを見た瞬間、思わず二人はサイに駆け寄ろうとしたが、そのままサイが倒れ込んだのを見て足が止まった。
「お、おい……流石にあれはまずいんじゃ……?」
「し、知るかよ! 俺は何も知らねぇからな!」
「お、俺だって!」
事の重大さに気が付き、二人は急いでその場を離れた。
そのまま数分ほど時間が経ち、講義時間の終わりが近づいてきた時、サガスティスがサイの姿が見当たらないことに気が付いた。
最近はノルマが終わった後は全員の実技が見渡しやすい位置で休憩していることが多かったため、気付くのにそれほど時間がかからなかったことが不幸中の幸いだった。
すぐにサガスティスは倒れ込んだまま身動きひとつしないサイの姿を見つけ、実技を止めさせて、サイの元へと駆け寄った。
「サイ! 何があった!?」
サガスティスの呼び掛けに反応はなく、苦しそうに呼吸をしていることだけは確認できたため、その場で講義を終了し、急いでサイを医務室へと搬送した。
サガスティスの迅速な対応と、治療のお陰で大事には至らなかったが、それでもサイが次に目を覚ましたのは2日後の事。
「ここは……?」
「おぉ、漸く目が覚めたか。ここは学園の医務室だよ。まぁ、魔導師が世話になることは少ないから、知らない人も多いかもしれないけどね」
「すみません。ご迷惑をお掛けしました」
「いやいや、構わんよ。それよりも君の体の事だが、普段からかなり身体を酷使しているのだろう? 身体のあちこちがボロボロだったよ?」
「あ、いえ。これは生まれつきなので……」
目が覚めたサイに気が付いた医者がサイにそう声を掛けた。
サイはすぐに感謝と謝罪を述べたが、彼は別段気にしていないといった反応を見せ、そのままサイの身体のことについて話し出したが、サイが自分の身体を触りながらそう言ったのを見て少し笑って見せる。
「冗談が上手いね。魔導師の人族嫌いの事は知っているが、身体中の怪我を『生まれつき』と言わせるようにしているとは思わなかったよ。まあ、私が今回言っていることは君のその『生まれつき』の事ではなくて、現状の事だ」
そうサイの身体に刻まれた無数の傷痕を指しながら彼はそう言った。
彼はそのままサイの身体について簡潔に説明を始めたが、内蔵のあちこちに炎症があり、肋骨が2本骨折、更に栄養の不足と不十分な睡眠による神経系の障害の疑いがあると伝えた。
「こ……講義には出席しても問題はありません……よね?」
「とてもじゃないが最低でも一週間は絶対安静だよ。おおよそ一ヶ月は運動も禁止だ。因みに、これはあくまで『最低でも』だ。君の場合は二倍は掛かると見てもらっていい」
「……そう……ですか。分かりました。治療、ありがとうございました」
「まだまだこれからだよ。ゆっくり治していこう」
そう言って彼は炎症を抑える薬をサイのベッドの傍に置き、部屋を後にした。
最低でも一月……。その言葉の重みはサイにしか分からないものだっただろう。
彼はあくまでアツート同様、一人の医者と一人の患者としてサイと接していた。
だからこそその好意が嬉しく、そして悲しかった。
出席日数も授業での点数もギリギリ落第点を回避し続けていたため、この療養はサイのこの生活を続けさせない終止符となってしまった。
そう分かった途端、今まで堪えていたはずの沢山の感情が堰を切ったように溢れて零れた。
悲しさ、悔しさ、歯痒さ……あらゆる感情の全ては他の誰でもない、サイ自身へ向けたものばかりだった。
『自分が人族ではなくて、本当にドレイクさんの息子で……魔竜種だったら……こんな思いをしなくてよかったのに……。ドレイクさんが蔑まれることもなかったのに……』
そんな思いでシーツを握りしめながら、悔しさを声も出さずに流していた。




