竜人と少年 15
窓を叩きつけるような風の音が響く日が増え、窓の外には白以外の景色が殆ど広がっていないような頃、サイは目の下に隈を蓄えながら必死に魔導構築式を覚えていた。
ドレイクに頼れば確実に止められるため、文字通り独学で魔導学の中でも最難関と呼ばれる知識を着実に身に着けていた。
しかしどれほどサイが勤勉で、覚えるのが速かったとしてもその速度には限界がある。
ドレイクの介護をしながら魔法の勉強をし、且つ狭い範囲での基礎的な体力トレーニングを行い続ける生活は、少しずつサイの心から余裕を奪い去り、焦りを募らせていた。
いつの頃からかドレイクの前以外ではサイの表情には笑顔が無くなり、代わりに常に張り詰めたような無表情が大半になっていた。
そうなってから半節後、漸くサイは念願でもあった魔導構築式の基礎を学び終わった。
本来ならば、これだけの短期間で覚えられるような代物ではないためそれだけでも凄まじい快挙なのだが、サイにとってはまだ不十分だった。
現状の知識では現在のドレイクの治療を行えるような構築式を組み立てられない事が既に理解できており、それをどうにかするために更に構築式を覚えていった。
更にそれと並行して現状でも可能な構築式を組み上げての魔法の行使を行い、ばれないようにドレイクの治療に当てていた。
サイが元々使っていた治癒魔法よりも性能が良く、且つサイ自身にも負担を掛けないものから、可能な限りサイへの負担を押さえつつ、同時に衰弱しているドレイクの体力を消耗させないようにしつつ、治療を施す魔法式を行使したりと様々な方法を試した。
だが、ドレイクの反応は決まっていつも調子が良くなった。というものだったため、最初こそその社交辞令を信じていたが流石にサイもそれらの魔法が『元から効いていない』事に気付いた。
サイが新たな構築式を覚える必要があると感じたのはそれが理由だった。
治癒魔法はあくまで『肉体本来の回復力を魔法によって促す』ものであるため、使われる対象が体力を著しく消耗していると使用する方がかえって危険になる状況が多々ある。
そのため、上位魔法には自身の免疫力を対象者に譲渡する魔法や、体力を分け与える魔法が多く存在する。
ドレイクに必要な魔法はまさにそれなのだが、サイにはそれら上級魔法の知識はあってもそれを行使できるだけの魔力も精神力も無かった。
だからこそサイは自分に使える理想の上級魔法が必要だった。
高等魔導構築式と応用魔導構築式を同時に読み進めるような暴挙にも挑戦し、既にほぼ黒一色に染まりきったノートも、買い足せないこの状況では十分なメモ代わりにはなった。
毎日頭を抱えながら必死に勉強し、得た知識から毎週一つ新しい魔法式を生み出してはドレイクのために使用し、ほとんど毎日のように血反吐を吐きながら生きていた。
気が付けば氷の節も終わりを告げ、最も厳しい寒さになる晶の節を迎える頃、ドレイクのために無理を1節もの間通し続けたサイの体はまるでこの屋敷に来た日のように細くなっていた。
構築式に関してはかなり飛び飛びになり、治癒魔法方向の知識のみに偏ったが、治癒魔法に関しては既に最上級魔法なども新たに構築できるだけの構築式を覚えていた。
だがそれだけの莫大な知識を得るためにサイは流石に基礎的な体力作りを諦めざるをえなかった。
そのため魔力量はさほど変わらず、精神力に関しては心が常に逼迫した状態になっているため、平常時よりも許容限界が落ちていた。
焦りが更に焦りを生むが、それでもサイは現状で出来ることを模索し続けた。
記憶力と知識量で魔力のなさをカバーするために、サイは普通の上級魔導式の3倍以上は精密な魔法式を構築し、可能な限り魔力消費を抑え、一度限りなら命懸けで魔法を唱えられるようにしていた。
それでも一歩間違えばサイも二度と立てなくなるような危険な代物をサイは毎日使い続けた。
自分の肉体が朽ち果てようとも、一日でも長く生きてもらいたい。
出来ることならば完治して、元通り元気な頃のドレイクに戻ってもらいたかった。
そのために肉体も精神も削りながら、ドレイクの治療を根気よく続けていたが、明らかにドレイクの体調は悪くなる一方だった。
そしてついにアツートから貰った薬の山が底を尽きかけていた。
ドレイクの病状の進行が想定よりも早かったため、かなり早い段階から薬の量が増えていた。
もしもこのまま行けばドレイクの薬が切れ、確実に死期が早まるのが分かっていた。
それだけは避けなければならない。
「サイ。もう十分だ。そんなに自分を粗末にしないでくれ。君にはまだ沢山の未来が待っているのだから……」
思いつめた表情のサイを見て、ドレイクはようやくその言葉を口にした。
その言葉の意味は二人とも言わずとも分かっていた。
「嫌です。僕にはドレイクさんしかいません。例えドレイクさんがどう思っていたとしても、僕はこれからもドレイクさんと生きていくことしか考えられません」
それは初めての反抗だったかもしれない。
当然と言えば当然のことだったが、サイにとっては自分の全てであるドレイクの言葉を初めて自分の意志で拒否したかもしれない。
その思いがどれほど本気だったかは、今のサイの容姿を見ればすぐにでも分かる状態だった。
ドレイクと出会い、彼に大切に育ててもらったサイは間違いなく人族の中では最高級に礼儀正しく、育ちも良かっただろう。
だが今のサイは出会った頃のようにやせ細り、全てをドレイクのために費やしていたため、見た目もみすぼらしくなっていた。
それでも構わなかった。
だからこそ、その言葉がサイの最後の迷いを掻き消してしまった。
「ドレイクさん。待っていてください。必ずアツートさんを連れて戻ってきます。必ず治してもらいます」
「何を言っている……。無茶だ……! 今の外がどんな状態かぐらいは私でも分かる! 頼む! 止めてくれ!」
「すぐに良くなりますから、ゆっくりしていてください……」
必死に止めようと声を荒げるが、体を起こすことが叶わないドレイクの現状を知っているサイは、微笑みながらそう言い、部屋を出て行った。
最後の手段だった。
現状のサイの実力ではこれ以上時間が経てば経つほど治る見込みが薄くなってゆく。
それならば一縷の望みである、既にプロとして活躍しているアツートになんとかして治すことができないか直接頼みに行くのが現状の最良の行動であると考えていた。
その際、サイが禁忌である人族の魔導師であることも打ち明け、可能な限り自分の能力をアツートに使ってもらうつもりだ。
もしそれが叶わなかったとしても、せめてドレイクの現状がどれほどの状態なのかを知らせに行く、それだけでも達成すれば問題ないと考えていた。
窓の外は一面の白で状況は分からないが、氷と雪で覆われていることは確かだった。
可能な限りの防寒着で身を包み、炎晶石を動力としたランプを片手に何時か振りの外出をした。
扉を開ければそこには氷壁が出来上がっており、とてもではないが外に出られるような状況ではなかった。
「『暖かなる恒火の灯』」
サイがそう言い魔法を発動すると、手の上に煌々と照る小さな炎の玉のような物が現れた。
その魔法は以前サイが使用した小さな篝火の上位魔法に当たり、ただ周囲を明るく照らすだけではなく、一定の温度に保つ魔法でもある。
そのためサイが魔法を唱えると同時に目の前の氷壁が溶け出し、進めるようになっていた。
氷壁を越え、雪の上に出ると周囲の状況が分からなくなるほどの吹雪が吹き荒れていた。
本来ならばすぐにでも戻るべき状況だが、サイには一刻を争う事態だったため、あえてその吹雪の中を足早に進んでいった。
白一色の中でサイはただひたすらに自分の記憶と現状の動きにくさを計算し、何度も通ったアツートの診療所までの道を進んでいった。
記憶の中で辿り着いたのを確かめるとサイはその周囲を見回し、見覚えのある屋根を見つけるとその傍の雪を溶かして扉を探した。
ドンドンドンと鳴るはずのない扉を叩く音が聞こえ、アツートは最初は気のせいだと感じたが、それほど間を置かずにもう一度扉を叩く音が聞こえ、驚いてすぐに扉を開けた。
「君は……! 何を考えているんだ! 死にたいのか!?」
「アツート様……。お願いします……ドレイクさんを助けてください……」
扉を開けると倒れ込むようにサイが部屋の中に入ってきたため、アツートはサイに怒ったが、既に意識も朦朧としているサイにはその言葉は届いてはいなかった。
サイの状況を見てアツートはすぐに抱え上げ、そのまま急いで診察室まで運んでいった。
服を剥ぎ取っていくと手足の先は既に凍傷で酷い状態になっていたため、すぐにサイの処置を開始した。
「アツート様……。お願いします。ドレイクさんを……」
「患者は患者らしく自分の体を心配しろ! 全く! ドレイクといい、君といい、どうしてこうも自分の命を軽視しているのか……」
サイの言葉を無視してアツートは素早くサイの体の応急処置を行い、凍傷がある程度和らいだ時点ですぐに治療も始めた。
意識が朦朧としていたサイは程なくして意識を失い、アツートの手によって凍傷のみではなく外魔力の拒絶反応や最近の栄養失調なども全て治療された。
サイが次に目を覚ましたのは4時間後だったが、意識が戻ると同時に周囲の状況で自分が意識を失っていたことを把握した。
「ようやく目が覚めたか。サイ君、こんな無謀な事をせずとも……」
「こんな所で……僕が休んでいるわけにはいかないんです!」
溜まりきっていた疲労が爆発し、動けない程になっていたのにも拘らず、サイはアツートの言葉を遮るようにそう言い放って立ち上がろうとした。
アツートに制止されてベッドに戻されたが、尚もサイは抵抗して起き上がろうとしていた。
何度止めようとしてもフラフラの状態であるにも拘らず、何度もすぐに起き上がり、アツートに呼び掛けていた。
「お願いします……。今すぐでないと間に合わなくなるんです……」
「だから無茶を言うな! 外を見たまえ! どうやって君が此処まで辿り着けたか分からんが、外は大雪の上に降り積もった雪が結晶化した氷まである! この状態で外に出るのはそれこそ自殺行為だ!」
「あるんです! ただし、この事は決して口外しないでください!」
サイがそう言いアツートの目を真っ直ぐ見ると、その真剣さを汲み取ったのかアツートは言葉を止めた。
そしてサイは自身が人族の身でありながら禁忌とされている魔法を使えることを告げた。
アツートはにわかには信じがたいといった様子で見ていたが、力無く手を上げ、その上に小さな篝火を発動してみせた。
それを見てアツートは驚愕した。
サイが行ったことよりも、ドレイクが本当にサイに魔法を教えられていたことが信じられなかった。
それはドレイクが掲げていた小さな夢の一つだった。
アツートはサイと同様にドレイクが見せてくれた精神世界を見ており、同様に精神世界を認識する努力を行ったが、結局その本質を理解する事が出来なかったため、そのことを非常に悔やんでいた。
アツートは思わずサイにどうやって認識できるようになったのか聞きたかったが、それを聞くよりも先にサイが口を開いた。
「僕がここに来るまでに使用した暖かなる恒火の灯に感応した魔素がまだ残っているはずなんです……。時間が経てば周りの魔素に呼応して氷の魔素になってしまうはずなので、すぐにでも発たなければならないんです!」
「そ……そんなことまでできるのか!? 精神世界を認識することで……!?」
「出来ます。そのために行きは可能な限り魔力を消費しないようにしてきました。炎の魔素を辿って氷の中を掘り進んで行きます」
「そんなこともできるのなら何故初めから……!」
「僕の体が弱いせいです……。元々の魔力量が少ないから、帰り道を作るので限界だったんです……。それでも魔力が足りないから、あのランプを持ってきたんです……」
そう言ってサイは机の上に置かれたランプを指差した。
そしてそれさえあればアツートを無事にドレイクの元へ送り届けられるとも告げた。
だが、そのためには一刻を争う事態だとも告げ、今すぐ準備をして行かなければドレイクの容態が今以上に悪化してしまうと伝えた。
サイの覚悟と状況を鑑みて、アツートは一つ大きく息を吐いてから今すぐ行くとサイに伝えた。
アツートはすぐに診察に必要な道具とドレイクに処方していた薬を一抱え準備し、サイにも医療用の経口栄養剤を渡した。
「いいか? 無茶だと感じた時点で君を連れて診療所に戻る。助かる命を救うのが医者の仕事だ。君の命を無碍にしてまでドレイクを救うつもりはないことを重々理解したまえよ?」
「たとえこの命に代えてでもドレイクさんの元へ届けます」
「全く……君といい、ドレイクといい……。もっと自分の命を大切にしなさい! 医者をどれだけ泣かせたいんだ!」
そう言って呆れた様子でアツートはサイを見たが、サイは笑っていた。
ようやく自分が必死に覚えてきた事がドレイクのために役に立った。
それだけでサイは十分だった。
深く息を吸い、精神を集中させ、サイはゆっくりとそして正確に魔法の詠唱を始めた。