竜人と少年 11
魔法の実践訓練が始まってから数ヶ月、毎日体力作りと実践を欠かさず続けていたサイだったが……。
「種火の弾丸!」
サイがそう言いながら小さな魔法陣を宙に描き、テニスボール程の大きさの小さな火球を打ち出した。
火球は真っ直ぐに飛んでゆき、運動場にドレイクが新しく作った魔法訓練用の的の端の方に着弾した。
詠唱を終え、ゆっくりと目を開いたサイは、その魔法がきちんと的に当たっていることを確認すると、一つ大きく息を吐き、フラフラとドレイクのいる椅子の方へ歩いていき、横に腰掛けた。
「問題無く詠唱を行えているようだね。コントロールや詠唱速度はまだまだだが、もうきちんと魔法陣の構築を行えるようになっているのは素晴らしい。だが……」
「ありがとうございます……。僕ももう少しできると思っていたのですが……。一日に一度、魔法を詠唱するのが限界です……」
「そのようだね。だが、気にすることはない。魔力はこれから先も体を鍛え続けてやれば増えてゆく。とはいえ、流石にこのままではこれ以上の魔法を実践することができない。それではサイもつまらないだろう?」
「いえ……。魔法をきちんと唱えられるようになっただけでも十分です……」
もう少しドレイクは会話を続けようかと考えていたが、思っていた以上にサイの精神疲労が大きかったように見えたため、早めに昼食を摂ることにした。
午後からは座学と、基礎体力の鍛練を兼ねた屋敷内の掃除をこなし、日が暮れる頃には夕食を摂り、風呂に入って寝る。
これが今のサイとドレイクの日常だった。
本格的になった魔導の訓練に対し、未だ追い付いていない体力面と魔力面にサイは少しずつ焦りを募らせていた。
自主的に掃除以外でも軽い走り込みを行ったり、瞑想を行ったりと求められている以上の努力を重ねたが、努力に対しての成果があまり見えていないように思えていた。
「努力」とだけ聞けば、こなせば実力として返ってくるものだと分かるが、同時に今行った努力が明日、すぐに返ってこないものであることも容易に分かる。
ドレイクはそれを十分に理解していたが、サイにとっては若さ故か、焦りが原因か、漠然とした不安になりつつあった。
「サイ。今日は君に魔法の違う使い方を教えよう」
サイのそんな様子を見てか、ドレイクはある日そう言っていつもとは違う訓練を行った。
訓練の内容は今までとは全く違い、ものとしては座学にほど近かった。
「サイも内魔力と外魔力については知っているね?」
「はい。全ての生命に宿る魔力が内魔力と呼ばれ、物や現象を形作る魔素を外魔力と呼ぶ……ということは知っていますが、わざわざ呼び変える必要があるのでしょうか?」
サイの問いに対してドレイクは勿論。と答えて説明を続けた。
「魔力と魔素は魔導師のみに限らず、一般人も道具や魔石等によって知っている、所謂一般的な固有名詞だ。それに対しての内魔力、外魔力は魔導師が術式の行使に用いる際の『何処から魔力を使ったか』を端的に示す言葉だ」
「……つまり、魔導師は魔素が行使できるんですか?」
「できる。ただし、内魔力による魔法行使と違い、術者自身にかなりの危険性を伴う。だからあまり早い段階では教えないのが常識だが……私が思うに、サイの場合は多分大丈夫だろう」
サイを見ながらドレイクがそう言うと、何の事を言っているのかさっぱり分からないサイは小首を傾げていた。
魔法を行使する際、魔導師は自身の魔力を消費し、消費した魔力に魔法陣を用いた『特定の現象を発生させる構築式』を通して体外へ放つことにより魔法という『現象』を発生させている。
そのため魔法陣を通さずに魔力を放出すれば、ただの魔力の無駄使いとなる。
魔力は魔法を行使するためのエネルギーでもあり、同時にその人の精神的なエネルギーでもある。
そのため、魔力を消費しすぎると集中力の低下や倦怠感として体力を使いすぎた時のように精神が疲れる。
魔力には精神的エネルギーであるという側面があるため、枯渇するまで消費してもしっかりと療養を行えば大抵の場合、一日で元に戻る。
これに対し、魔素を行使して放つ外魔力による魔法はわけが違い、上限がない。
空気が無くならないように、魔素も自然がある限り尽きることはない。
だが、周囲の魔素には一つ問題があり、そのまま魔法陣を通しても魔法として使用することができないという欠点がある。
魔素には全てになにかしろの現象を行おうとする魔素の意志が宿っているため、一度その意志を取り除く必要がある。
その方法が、一度周囲の魔素を自身の体に宿らせ、自身の精神をフィルター代わりにして意志を取り除き、魔力として行使できる状態にするというものである。
その際取り除かれた魔素の意志は決して消えることはなく、体内に残留することになる。
「これがどれほど危険なことなのか、サイならばすぐに予想がつくのではないかな?」
「意識が混ざり合う……ということでしょうか? でも、魔素に宿る意志は単純なもののため、それほど脅威になるとは感じられないのですが……」
「少しならばね。魔素が一箇所に集まりすぎるとどうなるかは知っているだろう?」
「……火の魔素ならば自然発火や間伐、水の魔素ならば洪水や大雨……。まさか……!」
「そのまさかだよ。火の魔素を行使しすぎれば血はマグマ同様に熱の川となり、呼気は炎となる。一人の術者そのものが『現象』になってしまう」
「一種類の魔素を行使し続けなければ……!」
「それも無意味だ。体内にある魔素の意志の中で最も大きな意志になっているものに惹かれて変化してしまう。行使する分には上限がないが、術者がきちんと管理しなければ命を落とす危険性が伴うのが外魔力による魔法行使だ」
ドレイクはそう説明した後、恐ろしげな顔をしているサイの頭を優しく撫で、一旦落ち着かせた。
「先程も言ったが、君の場合は恐らく、精神力が高いと思われる。というのも、以前何度か君に精神世界の話をしたが、私が見ている世界よりも君の方が数倍魔素を詳細に捉えていたようだからね」
「精神世界とその精神力は関係があるんですか?」
「魔力は『何かしよう』と考えたりした際の心の体力のようなものだと考えてくれたらいい。考えれば考えるほど消費していくものだが……、まあ一般生活で消費しきるようなことはまず有り得ない。逆に精神力は『嫌なことをしなければならない』ような、意志に反することをどれだけ耐えられるかという、心の耐久力だと思ってくれたらいい。こちらも同様に、一般生活で上限に達することはほぼないだろうがね。そして精神世界は本来、見えない世界だ。それを『無理やり見ている状態』が魔導師の言う精神世界だ」
「無理やり見ているから精神力が関係あるのでしょうか?」
「魔導師の一般論ではそうなっているが、私はそうは思わない。無理やり見ているのではなく、『その世界を受け入れられている』から、精神力の高い者ほどより鮮明に精神世界を認識できているのだと私は考えている。とまあ、実際のところ、あまり精神世界と精神力の関係性については研究が進んでいないのだがね。ただ、精神世界に関しては捉えられる魔素の量に個人差があり、少量の魔素でも認識できる者は総じて精神力が高いということだけは判明している」
そう言ってドレイクは微笑んだ後、だから君には私以上の才能があると見込んでいる。とだけ付け加えた。
少しだけサイは不安そうな顔を見せたが、ドレイクのその優しい笑みを見て、元気に微笑み返した。
そしてすぐに外魔力を行使するための訓練を開始した。
周囲の魔素を集めるために、表面意識に魔素と同様のイメージを行って集めるといった方法で、火の魔素を集めるならば自身が燃え盛る炎になったと強く意識し、水の魔素ならば流れる水そのものになったと強く意識するという方法だった。
想像する。ということは、口で言う分には簡単なのだが、行うとなると困難を極めるものだ。
なったことのないものになりきらなければならないどころか、そもそも生物ですらないものになったイメージをしなければならない。
しかし、魔導師にしてみればそれは造作もないことだった。
普段から魔法を行使する際に、起こす現象を詳細にイメージしなければならないため、起こす事になりきるだけという程度でしかなかった。
サイが選んだのは周囲に十分にあった樹の魔素、そしてイメージしたのは朝露を浴び、優しい朝日を受けて青々と芽吹く新芽で溢れる森そのものだった。
イメージしたものが具体的であればあるほど魔素は容易に集まるため、既にサイの周囲には魔導師を目指している者ならば誰でも分かる程の緑色の靄のようなものに包まれていた。
そして集めた靄から必要な魔素を受け取り、魔法陣を描いた。
「種火の弾丸!」
魔法陣の出現と同時にそう叫びながら放った火球は真っ直ぐに飛んでゆき、的の柱を掠めて消えた。
問題はそこではなく、サイとしても初めての感覚である、『魔法を放った後でも頭がはっきりとしている』ことだった。
「ドレイクさん! 撃てました! 疲れてもないです!」
「体は大事無いかね? 何ともないならいいが、少しでも変調を感じたのなら言いなさい」
興奮冷めやらぬといった感じのサイとは対照的に、とても心配した様子のドレイクはサイに尋ねた。
サイもそこで一度精神を集中したが、特に不調は感じなかったようだった。
しかし、同時に自分の中に小さくはあるが、自分の意志とは違う思考ともなんとも取れない不思議な感覚があることも自覚した。
「それこそが魔素の意志。少量ならばゆっくりと休めば本来の自分自身の意志が勝り、次第に魔素の意志は霧散する。サイよ、忘れてはならんぞ」
「精神力の許容量を超えてはならない。ですよね?」
「そうだ。正確には七割を超えないようにしなければならない。可能であれば常時五割以下に抑えるべきだがね。そうしなければ五割を越えた辺りから体に変調が現れ始める。七割もいく頃には自分の意志を保つことで精一杯になる。既に魔素の意志の影響で一番影響を受けやすい血液が暴走を始めるため、体のあちらこちらから出血することになる」
「恐ろしい……ですね」
「ああ、恐ろしいよ。自分が何者なのか分からなくなり始め、自然の意志こそが自分の意志だと錯覚し始める。己という存在を忘れてしまいそうになる」
「経験があるんですね……」
「……ああ、その時は本当に参った。他の魔導師が助けてくれなければどうなっていただろうか……」
ドレイクはそう言い、少しだけ遠くを見つめるような表情になり、少しすればいつものような優しい笑顔に戻っていた。
「明日からは外魔力と内魔力を両方使って魔法の練習をしなさい。ただし、外魔力を使う場合、内魔力を消費しすぎないことだ。そうしなければ精神力の回復が遅くなる。いいね?」
「はい! 頑張ります!」
元気に返事をしたサイの頭を撫で、優しく微笑みながら頑張りすぎないようにな。と冗談交じりに言った。
翌日以降はドレイクの言った通り、内魔力と外魔力を同時に使い、魔法を行使していた。
割合でいうなら内魔力は一割にも満たない程、少量しか消費しなかったが、それでもサイには嬉しかった。
一日に二桁も魔法が使えるようになり、魔法を行使する練習が楽しくて仕方がなくなっていたが、ドレイクから受けた注意もしっかりと守っていた。
程よく精神疲労を感じるぐらいにその日も魔法を使い、だんだんと的に当てるための感覚が掴めるようになり、サイはドレイクにその事を報告しようと考え、大体昼食の時間を告げるためにドレイクが来る頃だったため、ワクワクしながら待っていた。
しかしその日は三十分程待っても来ず、不思議に思ったサイはドレイクの姿を探しに家の中へ戻っていった。
廊下にも寝室にも居らず、台所の方へ歩いてゆくとまだ料理をしているのか、何かを炒める音が聞こえていた。
「ドレイクさん! 僕、かなり正確に魔法をまっすぐ……」
部屋に飛び込むようにサイは笑顔でそう報告した。
だがそこに待っていたのは地に伏したドレイクの姿だった。