序章〜過去から未来へ
今宵の月は満月と聞いたが、私としては三日月がみたかった。
老若男女と多くの人間がいるこの場で、私はなぜこのどうでも良い事を考えてしまうのだろうか。
私の隣にいる人たちは常に哀しい表情を見せて皆、同じ方向に体を向けていた。男性は目を瞑り手を組んで祈っている姿であり、女性も同じ姿勢でありながらもその目からは雫が2,3滴こぼれ落ちている事が伺えた。
彼らのことを、ひと月前にあいつと一緒に話をしているところを見たことがある。確かその時の私は研究室へお昼の弁当を取りに行く時だったと思う、そんなに焦っている記憶はなく彼らのことを気に止める余裕があったから記憶の片隅にそれをおいておいたのだろう。その時の彼らの話をしている顔は今のような悲しさを出してはいなかった、それはまるで遠く先にある眩く光る星を憧れるような眼差しと、初めて子猫を愛でた子供のように無邪気な笑顔をあいつに向けて、傍から見てもあいつと喋っている姿には嬉しさを見出さずにはいられなかった。
あいつはいつだって周りに何かしら人を寄せ付ける光を放ち、自然と周りに人望という花を咲かせてしまう男であった。別にあいつは顔立ちもがとから良かったって訳でもない、かといって社会の為、人の為と行動をした意思も持ってはいなかった。
俺はこのかた30年もあいつとは切っても切れない腐れ縁で、あいつの大方の性格、行動も、好きな色や、苦手な著者の本、その他にも色々と事細かく知り尽くしている。どのような人物にも絶対の自信を持って彼の知らないことはないと言えるだろう。
だが、それでもあいつの光はなんなのかは最後まで分からずじまいであった。
性格がその根本的な根源だったのか?その割にはあいつの性格なんざぶっきらぼうで、不器用な言動でしか相手に意思を伝えることもできない変わりもんな性格だ。
ならばあいつの行動が?いやいや、これこそ違うと自信を持って言える、間違いなく。それは余りにも衝動的で、どんなことにも意欲的に挑戦していくものだ。例え獅子の巣穴へ入り込もうともな。
だからこそ周りからは反発され非難をぶつけるには絶好のいい的だった。
こんなことでは人に好かれるなんて絶対無理なはずなんだ、そう絶対だ。
だが、なぜだ?なぜなんだ?なぜ周りの人間は街灯に寄り添っていく羽虫のようにあの男へ惹かれていくのだ?わからない、長年連れ添ってきたあいつにわからないことがない俺でもあいつのそいうところが理解できない。
先程の男性が立ち上がり、前の方へと移動をしていく、私も彼のあとへと続き一緒に歩いていく。
前の方に座っている方たちもやはり瞳に涙を浮かべて悲しんでいる顔を見せていた。最前列の方まで行くと、十名の小学校を上がったばかりのような少年少女が涙を流して前を見つめている姿が目に入った。
彼らは…確か、そう、あいつが5年前にどこからの施設から迎え入れた養子だった筈だ。
2,3回程会ってはいるはずだが、何分子供の顔は見分けがつかないから余り印象に残らないのだ。
やっと前まで赴き、軽く一礼をし、そして合掌を行う。
頭を上げると、そこには軽い笑顔を浮かべているあいつの大きな写真が俺の事を見下して見つめていた。そして、その下であいつは木の棺の中で静かに寝そべっているのだ。
「……航也」
なぜだか手の指先が震えてきていた。目頭が熱くなるのを感じずにはいられなかった。
「お前は馬鹿だよ…」
俺は誰にも聞こえないようにそっとあいつにむかって、震えた声で罵倒した。
~~~
あいつの葬式も終わり、会場の外へ出るときにあいつの顔が皆に見せられた。
最後にあいつの顔を見たとき、この30年近い記憶が俺の頭を駆け回っていくのが全神経を通して感じ取られた、そして俺は涙を流さずにはいられなかった。
その場で泣き崩れ、顔を手で覆い隠す姿は傍から見ると恥ずかしいものであったことは間違いないだろう。
あいつの棺は俺を置いて霊柩車へと運ばれていく。周りの人間も嘆き呻いている。
…また、まただ、
あいつはまた俺を…いや、人々を置いていくのだ。
人を散々呼びつける光を出して、いざ近づくとお前はすぐに離れていく。それも何回、何十回もだ。
なぜ?なぜだ?あいつの全ては絶対に孤独となる負の要素しかないのだ、誰だって考えればこんな人間に関わりを持とうとする意思を持つことすらないはずなのだ。
それが、なぜだ、あいつには孤独がない、何一つ、誰もが羨むほどに。
わからない、全てを知り尽くしている俺でさえもこの大きな難解な疑問を正解へと導くには、たとえ生涯をかけても答えを知りうることはできない筈だ。
あいつの死を改めて実感して嘆いている俺の肩に何かが触れた。俺はゆっくりと涙で濡れた顔を動かしていく。
そこにいたのは、先程の子供たちの中にいた一人の少年であった。
なぜ、この少年は私のとこへ来たのだろうか。
俺を励ましてくれるために俺の肩を叩いたのか?それならばその時の俺は、実に純粋な心を持った少年だと思っただろう。
しかし、その考えは変わる。
少年の顔を見ると、目を大きく見開き、何かに仰天したかのように驚きある表情をしていたのだ。
その目は徐々に驚きから、恐怖の目と変わっていく、顔も強張って、一歩二歩と後退りをした。
「あ…あなた……が…」
右の人差し指がゆっくりと上がり、その指は俺の顔に突き指していく。
そしてその少年は、恐怖で震えた声で俺に向かってつぶやいた。
「父さんを…」
「殺した…!」
……………
……………
…あいつが死んでから、もう15年の月日が経つ。
この15年に世界や日本も大きく変わっていたと実感させられる。歳をとるということは歴史を感じると共に、時代が我々を置いていき着々と進歩していくことでもあるのだ。
よく昔が良かったと嘆く老人が多いと聞くが、私はなぜ嘆く理由を持つのか如何せん理解が出来ない。
だが、私もそのように感じてはいないというならば嘘になる。
ならなぜ嘆くことを否定するのか?
それは時代が遺していった執着なる後悔をもつ、怨念の囁きにしか成らないからだ。たとえ、その嘆きの言葉が正しくとも、何時かは時代がそれを間違いと定め、次第に黒となって染める。
私は嫌だ、時代の…いや、怨念となって新しき時代を執着心だけで縛り付けて行くだけの憎悪には絶対に成りたくはない。
生き長らえても、その行動によって、私を人間ではない肉に取り憑いているだけの無能な呪縛霊と化してしまうなど、頭の奥すみにでも考えたくもない。
だからだ、だからこそ私はこの15年、多くの事を生み出していった。
全てが正義だと感じた。私の出してきた多くの論文、研究の成果などの結果が、純白なる正義となって私の存在を高めていったのだ。
私は絶頂であった。そして何よりも誇らしかった。
自身は怨念などではないと、この正義となる結果が、私を正当なものにと応えてくれるのだ。
しかし、私はある存在を知った。
ほんの些細な事からであった。だからこそ信じたくもなかった。
その存在を知った時に、初めて気づいていたのだ。そして、感じたのだ。
私の作り上げてきた神聖なる礎は、漆黒に染まった邪悪な物であるのだと。
私は、嘆いた。自身がすでに古き時代が生み出した、嫉妬と憎悪に染まった怨念だと。
そして、また久しく忘れていたあの涙を、また思い出したのだ。
俺はまだ、あいつの光を求めていたんだ。
だから、自分が輝きたくて、結果を求めたんだ。
だが、あいつに近づくには、俺では到底叶うはずがなかった。
その証拠が、この積み上げてきた己の悪だ。
俺は一体、何をしていたんだ。俺はなぜ後悔をもって、生き長らえているのだ。
醜い後悔に嘆き苦しむ私に手が差し伸べられた
黒いフードに包まれた一人の男の冷たい手が私に向けられる。その手には一つの拳銃が存在していた。
笑う仮面の眼には殺意がこもっている。
全てが憎しみに包まれた眼差しだった。
まるで、この黒いフードのように覆い被さって…
「…そうか」
私は全てを感じていた。
己の罪は自身の行いでこそ、罪は無に消え溶けるのだ。
私の手は糸に引かれるように自然と、拳銃を手に取り。そのまま頭に突き立てる。
何も感じない、考えられない、
私は藁の人形だ。
魂は地獄へ、そして肉体は生贄に捧ぐ。
目の前がゆっくりと景色が傾いて見えると共に、意識はすでに暗い闇へと沈み始めていた。
…まってな航也…
てめえと一緒に見てやる…
…この世のどでかい花火をさ…
………