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倒れないでくれ! ――限界と選択を描く医療ヒューマンドラマ――  作者: 東雲 明
四年生編:倒れず走る四年生

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第99話 すれ違う思いはすぐそこに

第96話 すれ違う想いは、すぐ隣に


 朝の医療棟は、相変わらず慌ただしい。

 実習前の準備で廊下を行き交う学生たちの白衣が、波のように揺れている。


 俺は器材室から戻る途中、少し先を歩く二人の背中を見つけた。


 テオとエマだ。


 テオは両腕いっぱいに資料を抱えている。いつもより慎重な足取りなのは、たぶん中身が食べ物じゃないからだろう。

 一方のエマは、歩きながら資料に目を落とし、的確に指示を飛ばしている。


「だから、テオ。そのページじゃなくて、前の症例データ」

「え、あ、あれ? こっち?」

「逆。逆よ。どうして毎回そうなるの」


 いつもの光景だ。

 口調は鋭いが、エマの歩調はテオに合わせている。置いていこうと思えば、いくらでもできるはずなのに。


 テオは苦笑いしながら、言われた通りページをめくった。


「いやー、エマが一緒だと頭が追いつかなくてさ」

「言い訳にしては雑すぎるわ」


 そのやり取りに、俺は思わず口元を緩める。


 ――完全に両片思いだな。


 ただし、本人たちはその事実にまったく気づいていない。


「ハヤトにぃに!」


 背後から、元気な声が飛んできた。

 振り返ると、エレナが軽やかな足取りで駆け寄ってくる。


「どうした、そんなに急いで」

「えへへ。エマさんとテオさん、また一緒だったから」


 エレナは、すでに前方の二人を見ていたらしい。

 にやにやと楽しそうな表情を隠そうともしない。


「今日も仲良しだねー」

「仲良し、ね」


 俺は視線を前に戻す。


 テオはエマの横顔をちらちらと見ている。

 話しかけたいのに、きっかけを探しているような、落ち着かない視線だ。


 一方のエマはエマで、テオのミスを逐一指摘しながらも、彼の様子を気にしているのがわかる。

 資料を直す手が、妙に優しい。


「……エレナ、ああいうの、どう見える」

「うーん?」


 エレナは少し考える素振りをしてから、即答した。


「好き同士なのに、なんで手つながないのかなって思う」

「直球だな」


 エレナらしい答えだ。


「大人はね、考えすぎるんだよ」

「俺たちも大人だけどな」

「ハヤトにぃには別!」


 即断だった。


「ハヤトにぃには、考える前に動くでしょ」

「……それ、褒めてるのか?」


 エレナはえへへ、と笑っただけだった。


 実習室に入ると、エマとテオは自然と隣同士の席に座った。

 空いている席はいくらでもあるのに、だ。


 エマがペンを落とした瞬間、テオがすぐに拾って差し出す。


「あ、ごめん」

「ありがとう……って、だから近いって言ってるでしょ!」


 エマが赤くなって声を荒げる。

 テオは慌てて椅子を引いたが、耳まで赤い。


 完全に意識している。


 俺はエレナと目を合わせた。

 エレナは親指を立てて、小さく頷く。


 ――行くか。


 実習前の待機時間。今なら、少し突ける。


「なあ、テオ」

「ん? なに、ハヤト」


「エマと一緒だと、調子いいな」

「え!? そ、そうかな!」


 露骨に動揺する。


「ミス減ってるぞ。さっきの症例説明も分かりやすかった」

「ほ、ほんと? いや、まあ……エマがちゃんとしてるから……」


 視線が泳ぎ、最後はエマに向いた。


 エマは資料から目を離さず、しかし耳は真っ赤だ。


「エマも」

「なによ」

「テオと組むと、説明が丁寧になる」


 一瞬、手が止まった。


「……気のせいよ」

「へぇ」


 俺はそれ以上、踏み込まない。

 追い詰める必要はない。背中を押すだけでいい。


 エレナが、俺の袖を引いた。


「ねえ、ハヤトにぃに」

「どうした」

「二人とも、今ドキドキしてるよ」


 小声なのに、やけに核心を突く。


「見てて分かるのか」

「分かるよ。だって、好きな人の前だもん」


 当たり前のように言う。


 実習が始まると、二人は互いを意識しながらも、しっかりと役割をこなした。

 声を掛け合い、確認し合い、必要な処置を迷わず進める。


 その連携は、もう答えみたいなものだった。


 終了後、エマが小さく息をつく。


「……今日は、やりやすかったわね」

「そ、そう? 俺も……なんか、安心した」


 二人の視線が絡み、すぐに逸れる。


 その瞬間、エレナがぱっと手を叩いた。


「はい! じゃあ次は二人でお昼行ってきたら?」

「え!?」

「な、なんでそうなるのよ!」


 エレナは首を傾げる。


「だって、相性いいんだもん」

「そ、それとこれは……!」


 エマが言いかけたところで、俺が口を挟んだ。


「実習の振り返り、兼ねてな」

「ハヤトまで!?」


 テオは顔を真っ赤にして、エマを見た。


「えっと……嫌、だったら……」

「……嫌じゃないわよ」


 小さな声だったが、はっきり聞こえた。


 テオの表情が、一気に明るくなる。


「じゃ、じゃあ行こうか!」


 二人は並んで廊下を歩いていく。

 さっきより、少し距離が近い。


 その背中を見送りながら、エレナが満足そうに頷いた。


「うん、うまくいくね」

「確信してるな」

「だって、二人とも優しいもん」


 俺は軽く息を吐いた。


「……俺たちは?」

「え?」


 エレナが振り向く。


「冷やかす側、続けるか」

「もちろん!」


 満面の笑みだった。


 医療棟の窓から差し込む光が、二人の背中を照らす。

 すれ違っていた想いは、もう同じ方向を向き始めている。


 俺はそれを確かめてから、エレナと並んで歩き出した。

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