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倒れないでくれ! ――限界と選択を描く医療ヒューマンドラマ――  作者: 東雲 明
四年生編:倒れず走る四年生

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第98話 気合を入れた結果、前髪が真ん中に割れました。

 制服を交換した翌朝、目が覚めた瞬間に、昨日とは違う重さを感じた。

 体が重いわけじゃない。気持ちの置きどころが、少し前に出た感覚だ。


 ベッドから起き上がり、窓を開ける。冷たい空気が部屋に入り込み、頭がはっきりする。

 今日から、この緑の制服で動く。医療者の卵じゃない、その一歩目だ。


 洗面台の前に立ち、顔を洗う。水をすくい、勢いよくかける。

 鏡を見上げたとき、真っ先に目に入ったのは前髪だった。


「……長いな」


 昨日までは気にならなかった。だが、制服が変わると、細かいところまで目につく。

 緑のジャケットに赤はない。線はすっきりしている。その分、身だしなみの甘さが目立つ。


 やるなら、きちんとやる。

 そう決めて、引き出しからハサミを取り出した。


 医療の道に進むからといって、髪型まで完璧である必要はない。

 だが、だらしなく見えるのは違う。制服に恥じない姿でいることも、仕事の一部だ。


 前髪を指でつまみ、長さを測る。

 切り過ぎなければ問題ない。ほんの少し、目にかからない程度に整えるだけだ。


 呼吸を整え、ハサミを入れた。


 その瞬間だった。


「……っ、はっくしょん!」


 突然、くしゃみが出た。

 反射的に体が動き、手元がぶれる。


 嫌な感触がした。


 鏡を見る。

 切ったはずの前髪が、不自然に短い。しかも、左右に分かれている。


「……」


 もう一度、角度を変えて確認する。

 間違いない。真ん中から、きれいに割れている。


 切り直そうと、もう一度ハサミを持ち上げたが、そこで手が止まった。

 これ以上触ると、取り返しがつかなくなる。


 俺は一度、深く息を吐いた。


 失敗だ。

 だが、騒ぐほどのことでもない。


 鏡に映る自分は、少し間の抜けた顔をしている。

 だが、致命的じゃない。センター分けになっただけだ。


「……まあ、いいか」


 そう言って、髪を軽く整えた。

 左右のバランスを整え、できるだけ自然に見えるようにする。


 完璧じゃない。だが、見苦しくはない。

 そう判断して、俺は制服に袖を通した。


 緑のジャケットを着ると、不思議と髪型の違和感は少し薄れた。

 服が主張してくる分、細部の印象が相対的に落ち着く。


 寮の食堂へ向かうと、すでにテオとエマがいた。


「お、ハヤト! おはよう!」


 テオが手を振りながら近づいてくる。

 そして、俺の顔を見た瞬間、目を見開いた。


「……あれ?」


「何だ」


「いや、なんかこう……新しい風?」


「意味が分からない」


「ほら、前髪! 真ん中!」


 やっぱり気づくか。

 俺は隠すつもりもなく、椅子に座った。


「切った。少しな」


「少し?」


 エマが眉をひそめ、正面から俺を見る。


「……くしゃみ?」


「ああ」


「なるほど。納得した」


 即座に結論を出すあたり、さすがだ。


 テオはしばらく俺の前髪を観察したあと、急に明るい声を出した。


「でもさ、これ、縁起よくない?」


「どこがだ」


「真ん中で分かれるってことはさ、道が二つに分かれてるってことでしょ?」


「で?」


「どっちも進めるってことじゃん!」


 意味が分からない理屈だったが、テオは満足そうだ。


「医者としての道と、人としての道! 両立できるって暗示!」


「無理やりすぎる」


 エマが即座に突っ込む。


「髪型に未来を託さないで」


「いいじゃん! 朝から縁起担ぎだよ!」


 俺は思わず、息を吐いた。

 だが、不思議と悪い気はしなかった。


「まあ、気にするほどじゃない」


「でしょ? それに、制服似合ってるし!」


 テオはそう言って、親指を立てた。


 食堂を出て廊下を歩いていると、前から小走りでエレナがやってきた。


「ハヤトにぃにー!」


 勢いよく近づいてきたかと思うと、途中で急に止まる。


「……え?」


 目を丸くして、俺の顔をじっと見つめてくる。


「どうした」


「ちょっと待って!」


 エレナは一歩近づき、さらに顔を覗き込んできた。


「なにその前髪!」


「切った」


「すごい!」


「……何がだ」


「真ん中! ぱかってしてる!」


 楽しそうに言うな。


「かっこいい!」


「そうか」


「うん! なんかね、昨日より大人!」


 根拠は分からないが、エレナは本気で言っているらしい。


「制服も緑だし、前髪も新しいし!」


「関係あるのか」


「あるよ! 全部新しい感じ!」


 満面の笑みで言われると、否定する気も起きない。


「ハヤトにぃに、今の髪、好き!」


「それならいい」


 そう答えると、エレナは満足そうに頷いた。


 校舎に入ると、何人かの学生がこちらを見る。

 視線は感じるが、気にするほどじゃない。


 歩き方も、姿勢も、昨日と変わらない。

 髪型がどうであれ、やることは同じだ。


 俺はそのまま前を向いて進んだ。


 失敗はあった。

 だが、それで止まるほど、軽い覚悟じゃない。


 制服も、前髪も、今の自分だ。

 なら、このまま行く。


 医者への道は、見た目じゃ決まらない。

 今日も、やるべきことをやるだけだ。

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