第94話 視線が集まる場所で
昼下がりの中庭は、ダンスパーティ前のざわめきをそのまま形にしたような空気に包まれていた。
中央の噴水を囲む石畳には、中等部の生徒たちが自然と集まり、制服の袖を翻しながら談笑している。笑い声、呼びかけ、少し背伸びした声変わり前の男子の声。そんな中に、ひときわ明るい声が混じっていた。
「えー? それ、ほんと? すごいじゃん!」
声の主を探すまでもない。
俺の視線は、無意識のうちに一人の少女を捉えていた。
エレナ・インゼル。
白い中等部の制服に身を包み、いつもより少しだけ髪を整えている。病院棟で見る彼女より、ずっと“学校の生徒”らしい姿だった。
……まずい。
そう思った瞬間には、もう遅かった。
「インゼルさん、その話、今度詳しく聞かせてよ!」
「午前中だけって聞いたけど、今日はもう帰るの?」
「ダンスパーティ、来るんだよね?」
気づけば、エレナの周りには中等部の男子が三人、いや四人。
距離感が近い。やけに近い。
俺は反射的に足を止めた。
(……多いな)
いや、知ってはいた。
エレナは中等部でかなり目立つ存在だ。明るくて、物怖じしなくて、誰にでも笑顔で話す。病気のことを隠さず、でもそれに縛られない強さがある。
それが、年頃の男子にどう映るかなんて、考えるまでもない。
でも、実際にこの光景を目の当たりにすると、話は別だった。
(近い……距離が……)
心臓が、妙な跳ね方をする。
俺は深呼吸を一つして、平静を装った。装えているかは怪しい。
「ハヤトにぃに!」
エレナが俺に気づいて、ぱっと顔を上げる。
その瞬間、周囲の男子たちの視線が一斉に俺に集まった。
(うわ)
値踏みされている、という言葉が頭をよぎる。
視線の中には、純粋な好奇心もあれば、わずかな警戒も混じっていた。
「大学部の人?」
「兄?」
小声のやり取りが聞こえる。
俺は咳払いを一つして、なるべく穏やかな声を作った。
「迎えに来ただけだよ。体調はどうだ?」
「うん、だいじょうぶ! 今日は授業もちゃんと受けられたし」
エレナは胸を張って答える。
その仕草に、周囲の男子が感心したように息を漏らすのが分かった。
(……なんで誇らしそうなんだ、俺)
いや、誇らしいのは事実だ。
エレナは、ちゃんと自分の体と向き合いながら、学校生活を送っている。それは簡単なことじゃない。
「そっか。それなら……」
言いかけたところで、別の声が割り込んだ。
「インゼルさん、その人、彼氏?」
空気が、一瞬で固まった。
俺の背中に、冷たい汗が流れる。
エレナは一瞬きょとんとしたあと、首をぶんぶんと横に振った。
「ちがうちがう! ハヤトにぃには、おにいちゃんみたいな人!」
……助かった。
いや、助かったのか? 今のは。
男子たちが、なるほど、と頷く。
その中に、少しだけ残念そうな顔が混じっているのを、俺は見逃さなかった。
(……びびる)
正直な話、かなりびびっている。
俺は争いごとが嫌いだし、こういう場面に強いタイプでもない。学年首席とか言われても、こういう視線の応酬は別ジャンルだ。
「でもね!」
エレナが続ける。「ハヤトにぃには、すっごく頼りになるんだよ!」
余計なことを言うな、と心の中で叫ぶ。
男子たちの視線が、再び俺に集まる。
「へえ……」
「医療科の?」
「そう。すごいんだよ!」
エレナは悪気なく言っている。
分かっている。分かっているけど。
(頼むから、持ち上げないでくれ……)
俺は曖昧に笑って、話題を切り上げるタイミングを探した。
そのとき、少し離れた場所から、聞き慣れた声が飛んできた。
「おーい、ハヤト! 何してんだ?」
テオ・アルトだ。
隣にはエマ・リンデンもいる。二人とも、状況を見てすぐに察したらしい。
「中等部にナンパ現場とは、やるなぁ」
「テオ、余計なこと言わない」
エマが即座に突っ込む。
俺は心底ほっとした。
「ちがうからな。俺は迎えに来ただけだ」
「はいはい」
テオは笑いながらも、さりげなく俺の横に立つ。
その存在だけで、場の空気が少し緩んだ。
「じゃ、インゼルさん。またね!」
「パーティで会えたらいいね!」
男子たちは名残惜しそうにしながらも、引いていった。
噴水の向こうに消えていく背中を見送りながら、俺は大きく息を吐いた。
「ハヤトにぃに、どうしたの? 顔、こわいよ」
「……いや。なんでもない」
本当は、なんでもある。
でも、それをエレナに言うわけにはいかない。
彼女が誰に好かれようと、それは自然なことだ。
俺はただ、彼女が無理をしないで、笑って過ごせる場所を守りたいだけだ。
(それだけだ)
自分に言い聞かせる。
びびっているのも事実だけど、同時に、胸の奥に静かな覚悟が芽生えているのも感じていた。
この場所で、エレナが前を向いて歩けるなら。
その隣に立つくらいは、俺にもできる。
中庭のざわめきの中で、俺はもう一度、背筋を伸ばした。




