第89話 たった1人の避難所の夜 俺は絶対に誰も倒れさせない
地震発生から一時間。
医療棟の緊急対応を終え、俺は学園の体育館——臨時避難所にいた。
外は冷たい風が吹きつけている。
停電で薄暗くなった館内には、毛布を抱えた学生たちの不安げな声が広がっていた。
医療班の上級生は、ほとんどが外の被害状況の確認に駆り出されている。
この避難所に残ったのは、俺ひとり。
——大丈夫だ。やれる。
胸にそう言い聞かせて、俺は怪我人の列を順に見ていった。
「キサラギ先輩……足、痛いです……多分、机の角にぶつけた時……」
「腫れてるな。冷やそう。落ち着いて座っててくれ。」
泣きそうな一年生の男子に、俺は氷嚢を当て、足首の角度を固定する。
次の子は手を擦りむいて泣き出していて、消毒しながら声をかける。
「痛いの、怖かったよな。でも、もう大丈夫だ。ちゃんと治る。」
「……ありがとうございます……」
泣いていた目が、少しだけ安心したように緩んだ。
こんなふうに一人ひとりを落ち着かせていくうちに、気づけば長い列は半分くらい減っていた。
だけど、心のどこかでずっと気になっていたのは——
エレナのことだった。
エマが薬を作っている。テオもそばについている。
俺が戻らなくても、あのふたりなら必ず守ってくれる。
なのに、胸は苦しいくらいに心配していた。
(……大丈夫だよな、エレナ。)
震えた肩。
俺の手をぎゅっと握りしめて「にぃに……こわい……」と泣きそうに言った声。
頭から離れない。
「キサラギ先輩、次の方お願いします!」
「あ、ああ、すぐ行く。」
目の前の痛みに泣いている子たちを守ることが、今の俺の役目だ。
そう自分に言い聞かせて、また歩き出した。
*
作業にひと段落ついたのは、夜八時を過ぎた頃だった。
体育館の一角では、小さな明かりだけが灯り、そう広くない空間が影になって揺れていた。
そこで、ひとりの少女が不安そうに毛布を抱えていた。
「先輩……寒くて……息が苦しい……」
胸を押さえる仕草が気になった。
座らせて呼吸を確認し、バイタルを測る。強い異常はないが、過呼吸の兆候がある。
「大丈夫。俺がついてる。ゆっくり息を吸って——そう。今度は吐いて。」
少女は震えながらも、俺の声に合わせて呼吸を整えていった。
こうして一人の命を守るたびに思う。
——俺は、エレナのそばにいる資格がある人間だろうか。
人を助けたいと思う気持ちは本物だ。
だけど、目の前の命に向き合うたびに、力の足りなさも痛感する。
「キサラギ先輩……すごいです……」
少女の声で意識が戻った。
「ありがとう。落ち着いたな。ここで少し休んでてくれ。」
「はい……!」
笑顔で頷いた彼女を見て、胸の奥が少しだけ温かくなった。
その時——避難所の入り口が勢いよく開いた。
「ハヤトにぃにーーー!!」
響いたのは、聞き慣れた愛らしい声。
「エレナ!?」
驚く俺の前に、息を切らしたエレナが飛び込んできた。
隣には、肩で息をするテオと、髪が乱れたエマがいる。
「ハヤトにぃに、迎えに来たよ! だって全然戻ってこないんだもん!」
「いや……エレナ、まだ無理するな。安静にしてろって——」
「だって……にぃにが、ずっとここで頑張ってるって聞いたら……行かなきゃって思っちゃったんだもん。」
無茶な言葉なのに、胸が熱くなって何も言えなくなる。
エマが肩をすくめた。
「まったく……止めたんだけど、どうしてもって言うから。だから私たちが付き添って来たわ。」
「ハヤト、避難所の裏口まで全力ダッシュで来たぞ……腹減った……」
「テオ、それ毎回言う必要ある?」
「ある! 俺の生命線!」
いつものやりとりに、避難所にいた学生たちが少し笑った。
緊張が和らいでいく。
エレナが俺の前に立って、両手で俺の袖を掴む。
「にぃに……がんばりすぎないでね……?」
その言葉だけで、全身の疲労がふっと軽くなった。
「エレナ……来てくれてありがとう。でも本当に、無理はするなよ。」
「うん。でも……にぃにのこと、見てたいの。だって、かっこいいんだもん。」
そんな真っ直ぐな言葉を言われたら、もう勝てるわけがない。
俺はそっとエレナの頭に手を置いた。
「……ありがとう。じゃあ、一緒にいよう。ここで。」
「うん!」
エレナの笑顔は、避難所の薄暗い空間を照らす光のようだった。
どれだけ揺れても、停電で暗くても、
この子の存在が俺の支えになっている。
守りたい。
絶対に、この手を離さない。
そう強く誓いながら、俺は再び避難所の中央へ歩きだした。
エレナが、少しだけ俺の袖を掴んだまま。
その温もりが、夜の重さをすべて和らげてくれた。




