第79話 地獄の進路相談〜結婚したいがバレた日〜
78話 三年生編最終回 “結婚したい”がバレた日
進路相談という名の地獄を三人でくぐり抜けた帰り道。
夕焼けの校庭は、いつもよりやけに静かに見えた。
「はぁぁ……終わった、終わったぁぁ……」
テオが両手を空に伸ばして叫ぶ。
エマは容赦なく言った。
「あなた、地獄を広げてただけでしょ」
「ひどいっ!!」
「いや、事実だ……」
そんなふうに他愛ない話をしていた、そのときだった。
「――ハヤト」
背中に、しっとりと刺さるような声が落ちてきた。
振り返ると、エレナが立っていた。
夕陽の逆光で表情が読めない。
けど……わかる。
怒ってる。たぶん、めちゃくちゃ怒ってる。
「……エレナ? どうしたんだ?」
「ちょっと話、いい?」
ただの“話”の声色じゃない。
テオとエマが、わかりやすすぎるくらい距離を取った。
「ハヤト、僕たち行くね……」
「がんばって」
無情な応援を背に受け、俺はエレナに連れられて校舎裏へ向かった。
夕陽の赤が、彼女の横顔を強く照らす。
胸がざわざわする。その沈黙が、怖かった。
しばらく歩いたあと、エレナが足を止めた。
「……ねえ、ハヤト」
「……うん」
「進路相談で、“結婚したい人がいる”って言ったんだって?」
――出た。
校長室での俺の失言。
緊張のあまり、気づいたら口から飛び出してしまった“あれ”。
まさか、もう噂が広まっているとは……。
「誰から聞いたんだ?」
「……廊下にいた一年生の子がね。『ハヤト先輩が結婚したいって言ってたよ!』って」
エレナの眉がぴくりと動いた。
「……で。誰なの?」
夕焼けの光で強く影になった瞳が、俺を射抜く。
このまま逃げても誤魔化しても、絶対に通じない。
むしろ逆に怒らせる。
俺は息を整え、まっすぐにエレナを見た。
「……エレナ。俺、エレナと結婚したいって言った」
言った瞬間、空気が止まった。
エレナの目が丸くなり、頬にわずかに赤みが差した。
「わ、私……?」
「……うん。俺、たぶん、あのときすごく緊張してて……気づいたら出てたんだ。
でも……本音だった」
エレナがぎゅっと制服の胸元をつかむ。
「……冗談じゃないよね」
「ここでそんな冗談言わねえよ」
「……ばっか」
小さくつぶやいた声は震えていて、怒りとも照れともつかない。
夕陽がゆっくりと沈みはじめ、影が長く伸びる。
風が吹き抜け、エレナの髪が揺れた。
その横顔に、俺はそっと言葉を重ねた。
「エレナ。俺は……いつか、ちゃんとした形で言うつもりだったんだ」
「……“いつか”っていつ?」
「……四年生が終わって、ちゃんと資格も取れて……
胸を張って、エレナを守れるって言い切れるようになったら」
エレナは黙って下を向いた。
白い指が、スカートの裾を強く握っている。
「……そういうの……ずるい」
「ずるい?」
「……そんなの言われたら……怒れなくなるじゃん……」
声が完全に涙を含んでいた。
俺の胸がぎゅっと痛む。
彼女は、怒っていたんじゃない。
不安だったんだ。
噂で「結婚したい」と言われて、誰なのかもわからない。
自分じゃないかもしれない――そんなモヤモヤを抱えたまま、ここまで来たんだ。
エレナは顔を上げた。
泣きそうかと思ったら――頬が真っ赤で、唇をきゅっと噛んでいた。
「……そんな大事なこと……」
声が震える。
「……ちゃんと言ってよ、バカ……」
「ごめん」
「怒ってるからね。すっごく」
「だよな」
「でも……」
エレナは一歩近づき、俺の胸にそっと額を寄せた。
「……うれしい……」
涙じゃなく、かすかな笑みが混じった声だった。
俺の心臓が跳ねる。
この距離はずるい。逃げられない。
「エレナ」
「なに?」
「……本気だから」
「あたりまえでしょ。じゃないと許さない」
強気な口調のくせに、耳まで真っ赤だった。
俺はエレナの肩にそっと手を置いた。
彼女は拒まなかった。ただ、少し震えながら俺に寄り添ってきた。
「……ハヤト。約束して」
「うん」
「卒業したら……ちゃんと話して。ちゃんと向き合って。
そのときまで、私……逃げないから」
「……約束する」
エレナは小さく息を吸い込み、俺の胸から顔を離した。
「でも、今はまだ学生だからね。
恋愛で成績落としたら、ほんとに怒るから」
「わかってるよ」
「……ほんとに?」
「ほんとに」
そう言うと、エレナはようやく笑ってくれた。
いつもの勝ち気な笑顔。
でも、さっきより少しだけ柔らかい。
「……じゃ、四年生。気合入れよっか」
「ああ」
「あなたは絶対、落とさせないから。
――だって、将来がかかってるんだからね?」
その言葉に、胸が熱くなる。
エレナの未来。
俺の未来。
そのどちらにも、同じ場所が広がっていると信じたい。
夕陽が完全に沈む前、エレナは俺の袖をそっと引いた。
「……ねえハヤト」
「ん?」
「その……
“結婚したい”って言ってくれたの、ありがと」
その言葉が、今日いちばん胸に刺さった。
「これからも……ちゃんと私を見てね」
「もちろん」
「ならいいの」
エレナは踵を返し、いつもの速い歩幅で校舎へ戻っていく。
風に揺れるポニーテールが、夕闇の中でふわりと光った。
俺はその背中を追いかけて、並んで歩きだした。
――三年生の終わり。
俺は大事なことを言ってしまい、大事な人に聞かれてしまった。
でも、そのおかげで。
四年生からの道が、少しだけ明るくなった気がした。




