第74話 深夜のドキドキ通話会と、寮の大騒動
寮の廊下からは、もう誰の声もしない。
夜中の一時近く。
こんな時間に、まだ心臓が落ち着かない日が来るなんて思わなかった。
ベッドに腰を下ろしたまま、スマホの画面を見つめている。
数分前、エレナから届いた短いメッセージが胸の奥でずっと響いていた。
クラス会、やっと終わったよ。
少しだけ声、聞ける?
眠気なんて、一瞬で吹き飛んだ。
通話アイコンに触れる指が震えているのは、寒さのせいじゃない。
俺は深く息を吸い、思い切って押した。
……コール音が鳴るたびに、心臓が跳ねた。
こんなにも誰かと話すのに緊張するなんて、俺らしくない。
でも、エレナ相手だと違ってしまう。
そして――
「……もしもし、ハヤト?」
耳に届いたその声は、少し眠そうで、それでも優しくて。
胸の奥がぎゅっと熱くなる。
「エレナ……遅くまで大変だったな」
「ううん。ハヤトこそ、起きててくれたんだね。なんだか……嬉しいな」
その一言で、今日の苦しさも寂しさも全部、救われた気がした。
俺はほんの少し笑って言った。
「声聞いたら……なんか、落ち着いた。リスケになっても、話してくれるだけで十分だよ」
「そんな言い方されたら……私までドキドキするんだけど」
小さく笑う声が、夜の静けさにふわりと溶けていった。
言葉じゃなく、息づかいだけで胸がいっぱいになるのは初めてだった。
「ハヤトってさ……優しいよね。今日も、ちゃんと気を使ってくれた」
「優しいっていうか……俺が、エレナのこと……」
そこまで言いかけて、言葉が喉に詰まった。
“好きなんだ”なんて、いきなり言えるわけがない。
でもエレナは、続きを待つみたいに静かに黙っていた。
その沈黙がむしろ温かくて、胸を締めつける。
「……心配だったんだよ。大勢の中にエレナがいるのに、俺だけ蚊帳の外でさ。
変かな、こんな気持ち」
「変じゃないよ。むしろ……そんなふうに思ってくれて、嬉しい」
エレナは、深夜なのに落ち着いた声で言ってくれた。
その声だけで、世界が優しくなる気がした。
そして――俺の胸が熱くなり、何かを言いかけたその瞬間。
「ぎゃあああああああああ!!!!!」
寮の廊下から、テオの魂が抜けたような悲鳴が響き渡った。
エレナが驚いて、
「え!? な、なに!?」
「いや……うちの寮の問題だ。たぶんテオだ……」
そう言うと同時に、部屋の扉が勢いよく開いた。
「ハヤト!!! 俺もうだめ!! 課題!! 明日の提出!! 4年生になるって自覚!! ない!!!」
「深夜一時に騒ぐな!!」
テオが髪を逆立て、プリントを抱えたまま突入してきた。
エレナのくすっと笑う声がイヤホン越しに聞こえた。
「ねぇ、テオって……いつもあんな感じなの?」
「……うん。落ち着いたこと、ほぼない」
「かわいいね」
「かわいくはない」
必死で誤魔化していると、さらに廊下から足音が。
ばたばたばたッ
「ちょっと!! あんた何時だと思ってんのよ!!」
エマだ。
完全に怒っている足音だ。
そして扉が、
「バンッ!!」
と勢いよく開き――
「テオ!! 明日から4年生になるって自覚ある!? 課題放置して騒ぐなんて医学生の風上にも置けないわよ!!」
「ごめんなさあああい!!」
エマはテオの襟首をつかみ、部屋の外へ引きずり出そうとする。
その姿はもう、教育係か何かだ。
俺はエレナに言った。
「……なんか、うちの寮って、こういうところなんだ」
「ふふっ。なんか……いいね、ハヤトの周りって。あったかい」
深夜の静けさに、エレナの笑い声が優しく響く。
その声を聞いているだけで、俺の胸の奥が柔らかくなった。
エマの怒号、テオの悲鳴。
まるでコントみたいな騒音が廊下で繰り広げられているのに――
エレナと話している時間だけは、ゆっくりと心地いい。
「ハヤト、聞こえる?」
「ああ。ごめん、うるさくて」
「ううん。……むしろ安心したかも」
「安心?」
「だって、ハヤトって真面目だから。ひとりでなんでも抱え込みそうで。
でも、こんなふうに賑やかで、支えてくれる友達がいるって知れて……よかった」
胸がじんと熱くなる。
「俺も、今日みたいな日は……あいつらに救われてるよ」
「……ねぇ、ハヤト」
「ん?」
「今日、声聞けてよかった。ほんとに」
その一言に、息が止まりそうになる。
胸の奥が、痛いくらいに恋で満たされる。
「俺もだよ。
……エレナの声、聞くと安心する。落ち着くし……ずっと聞いてたいって思う」
一瞬の沈黙。
きっと、同じ気持ちが画面の向こうでも揺れていた。
「……それ、反則だよ、ハヤト」
エレナの小さなつぶやきが、胸の奥にそっと触れた。
恋が、静かに、確かに、少しずつ形になっていく。
「また、話そうな。次は……もっと長く」
「うん。約束する」
通話が切れた後も、心臓はしばらく落ち着かなかった。
でもそのドキドキは、不安じゃなくて――
未来に続く温かい期待そのものだった。
廊下ではまだ、テオの悲鳴とエマの罵声が響いている。
「4年生になるって自覚あるぅぅ!?!?」
「やだ!! 俺はまだ3年生の気持ちなんだよおお!!」
「うるさいから黙れ!」
……まあ、これも含めて俺たちの寮だ。
俺はスマホを胸に置き、深く息を吐いた。
(エレナ……好きだよ)
その想いは、もう隠せる気がしなかった。




