第72話 初めてのオンライン通話リスケ
日曜日の夕方――この時間が、一週間の中でいちばん胸が高鳴る。
窓の外は冬特有の静けさに満ちていて、外出制限が続く寮生活は、平日と休日の境目さえ曖昧になる。
それでも、この日だけははっきり違う。
エレナと話せる日だから。
パソコンを前にして、俺はふっと息を吐いた。
緊張なのか、期待なのか。胸の奥が少しだけくすぐったい。
髪も一応整えて、画面に映る自分の表情を確認して……いつもの準備。
デスクの上でスマホが震え、心臓もそれに合わせるように跳ねた。
――エレナからのメッセージだ。
胸の温度が上がる。
俺は深呼吸してから、画面を開いた。
ごめん、今日……クラスの子たちに呼ばれちゃって。
オンラインのクラス会に出ないといけなくなって……通話、別の日にしてもいい?
読み終えた瞬間、鼓動がすうっと静かになった。
熱がひく、というより……胸の奥をそっと押されたみたいな感覚。
「……ああ」
たぶん、誰が聞いても落ち込んでいるってわかる声だった。
咄嗟に返信を打とうとして、指が止まる。
“いいよ、大丈夫だよ”って、打つのは簡単なのに。
ほんの一瞬、言葉が浮かばなかった。
寂しいなんて、言えない。
でも、言えないのが逆に胸を締めつけた。
机の端に置いていたイヤホンに視線を落とす。
通話前に慌てないようにと、さっき準備しておいたもの。
見ているだけで胸にぐっと冷たいものが広がっていく。
「……俺、期待しすぎてたのかな」
自嘲気味につぶやく。
エレナが誰かと話すのなんて当たり前だし、俺がその中心じゃないことだって知ってる。
ただ、毎週のこの時間が小さな支えになっていたのも事実だった。
指先でスマホを軽く弾いて、返信をゆっくり打つ。
大丈夫。クラス会、楽しんで。
また時間合うときにしよう。
送信してから、胸がじんと痛む。
“楽しんで”なんて、言いたくなかった。
本当は、“会いたかった”の一言さえ飲み込んだ。
ほんの少し視界がぼやけたのは、ただ光の加減のせい。
そんなふうに誤魔化す。
ぼうっと画面を見つめていると――
「ハヤト〜、やっと見つけた!」
勢いよくドアが開き、テオが突入してきた。
空気を読まないのは、今に始まったことじゃない。
「おやつタイムなんだけど……って、あれ? ハヤト、なんか顔が“雨上がりのアスファルト”みたいになってない?」
「どんな例えだよ……」
笑う気力は、少しだけ戻った気がした。
「え、どうしたの? さっきまでウキウキしてたじゃん。ほら、髪まで整えてたし!」
「……見てたのかよ」
「見てたよ? だってドア、少し開いてたし!」
テオは悪びれず言って、俺の隣にどさっと座る。
「で、どうしたの?」
「エレナとの通話、リスケになった」
短く言うと、テオは「へぇ〜」と間延びした声を出し、真剣そうにうなずいた。
と思ったら――次の瞬間、胸を張って言った。
「つまりこれは……通信の神様のご意志だな!」
「は?」
「“今日はお菓子を食べて癒されろ”という、神からのお告げだよ!」
ずれすぎて意味がわからない。
でも、あまりの謎発言に、一瞬だけ胸の重さがふっと浮いた。
「ほら、俺、今日クッキー二袋もらったんだよ。これこそ運命!」
「なんでそれが運命になるんだよ」
「ハヤトの心の穴をクッキーで埋める運命!」
「埋まらないから」
思わず苦笑する。
テオは真剣な顔をして俺の背中を叩いた。
「落ち込むなって。リスケって、ただ時間がずれただけじゃん。
“また会える”って決まった日が増えてるって考えればいいんだよ!」
テオの言葉は相変わらず突飛だけど、不思議と温かい。
――そうだ、俺はただ寂しかっただけだ。
そこへ、廊下から鋭い声が飛んでくる。
「テオ! またハヤトにわけわかんない励まししてるでしょ!」
白衣姿のエマが現れた。
表情は呆れ顔だけど、目はちゃんと心配していた。
「通信の神様って何よ。それ、ただの糖分教じゃない」
「糖分教とか言うなよ! 俺は真面目に励ましてるんだよ!」
「どこが真面目なのよ!」
二人のやりとりがあまりにいつも通りで、俺はつい口元を緩めた。
「エマ、ありがとな。……心配させたみたいで」
「べ、別に。あなたが落ち込むとテオの発言がさらにおかしくなるだけよ。それが嫌なだけ」
エマはそっぽを向きながらも、ほんの少しだけ声が柔らかかった。
テオはクッキーを三等分に割り、俺の手に乗せる。
「はい、これ。まずはこれ食べて落ち着け!」
「落ち着くためにクッキーってどうなのよ……」
エマがぼやく。
「いいんだよ、甘いものは心に効くんだ! 俺は知ってる!」
「どこの文献に書いてあんのよ!」
「俺の直感文献!」
「文献じゃないでしょ!!」
二人の口喧嘩が、部屋の空気をあったかくしていく。
さっきまでの胸の冷たさが、少しずつ消えていく。
俺はスマホをそっと見つめた。
エレナからの返信はまだ来ていなかったけど――それでもいい。
“また話そう”と言ってくれた。
それだけで十分だ。
「……二人とも、ありがとう」
俺がそう言うと、テオは得意げに胸を張り、エマは呆れたようにため息をついた。
「ありがとなんて言うと、テオが調子に乗るからやめなさい」
「おいエマ、なんか今ディスられた?」
「気のせいよ」
俺は小さく笑った。
寂しさは確かにあったし、胸がちくりとしたのも本当だ。
でも――その痛みも、誰かがいてくれればちゃんと薄れていく。
また話せる日が来る。
だから、今日はこれでいい。
あたたかいクッキーの甘さを口に含みながら、俺はそっと思った。
(エレナ、次は……ちゃんと声が聞きたいな)
胸の奥を優しく撫でるような想いが広がった。




