第67話 エマ&テオの初現場〜混乱編〜
喉の奥が焼けたみたいに熱くて、呼吸が浅くなる。布団の中で丸まった俺は、額に貼られた冷えピタの端が汗で剥がれかけているのを感じて、指先で押さえ直した。頭がぼんやりする。さっきまでオンラインでテオたちの現場レポートを受けていたが、熱で視界が揺れるたび、心臓が不安に振り回された。
その最中、通信が切れた。
緊急招集が入った、と途中で画面が途切れた。
王都の北側地区で、インフルエンザ患者の急増――そして混乱の可能性。
あの2人が現場に向かっていった。
俺は布団に沈んだ顔をゆっくりと横に向ける。
息苦しい。熱のせいだけじゃない。胸の奥の重しみたいな焦りが、喉元まで上がってくる。
――テオ、エマ。大丈夫かよ……。
◆◆◆
夕刻。王都の窓辺をオレンジ色に染める光がだんだんと黒に飲み込まれ、救急車のサイレンが遠くで鳴り続ける。
現場に向かったテオとエマの位置情報だけが、俺のタブレットに定期的に示される。
それ以外の通信は来ない。
布団の中でじっとしているしかない自分が情けない。
分かってる、医療従事者は万全の体で現場に立つのが義務だ。感染した俺が行ったところで何の力にもならない。逆に迷惑をかけるだけだ。
だが――胸がざわつく。
熱で朦朧としながらも、俺は起き上がって枕元の水を一口飲んだ。喉に流れ込む水がひどく冷たくて、思わず目を閉じた。立ちくらみのように目の奥がぐらりと揺れたが、無理矢理意識を保つ。
目の前に表示されたテオたちの位置情報マップは、赤い警告アイコンが増えている。
「……やばいな」
嫌な予感が胸を締めつける。
◆◆◆
その頃のテオとエマの状況を、後で俺は医療局のログで知ることになる。
現場は、王都北地区にある中規模の住宅街――だが今は人で溢れ、泣き声、叫び声、うめき声が入り混じっていたらしい。
患者の急増で、住民センターは仮の診療拠点として解放されたものの、医師も学生ボランティアも人手が足りず、まさに「混乱」の一言だった。
テオは到着直後から圧倒されていたらしい。
――うわっ、な、なんだこれ……!
人が、こんなに……こんなに苦しそうで……!
医療局の記録では、心拍計のログとともにテオの音声メモが残っていた。呼吸が速く、声が震えていた。
エマもさすがに険しい顔を崩さなかった。薬理の天才でも、混乱そのものに免疫があるわけじゃない。
周囲では、
「こっち見てください! うちの子が!」
「順番は!? どうなってるんですか!」
「熱が……! 意識が……!」
叫び声が混じり合い、現場は完全にパンク寸前。
医師はたった二名。あとは学生ボランティア。
その学生たちも、見習いでしかない。
◆◆◆
俺は布団の中からログを再生していた。
耳の奥に、聞きたくなかった雑音が入り込んでくる。胸が締めつけられる。
あいつらが、あんな状況にいるのに――俺は動けない。
呼吸が乱れた。熱のせいじゃない。
指が勝手に布団を握りしめていた。
◆◆◆
ログの続き。
テオは、明らかに正常じゃないテンションに入っていた。
「え、えっと……大丈夫です! とりあえず俺、星輝の杖で――」
混乱で飛びそうになる意識を、なぜかファンタジーに逃がしている。
俺は苦笑いするどころか、胸が痛くなった。
――テオ、お前……そんなこと言ってる余裕、どこにもないだろ……。
テオの“現実逃避”は、緊張のサインだ。
普段からちょっとズレてるところはあるが、これだけ混乱している時のそれは、明らかに危険な兆候。
エマが横で怒鳴っていた。
「テオ、いい加減にしなさい! “星輝の杖”なんて存在しません! 現実を見るのよ!」
でも、その声にも焦りがあった。
エマも余裕がない。患者が増えすぎて、彼女一人じゃ回らないのだ。
◆◆◆
俺は、布団の中で膝を抱えたくなる衝動を必死にこらえた。
――二人とも、そんな状態で……。
俺が現場にいたら。
いつものように、ハヤト・キサラギとして、冷静に状況を整理できたかもしれない。
テオの暴走を止められたかもしれない。
エマの負担も減らせた。
だが現実は、俺は感染者で、ベッドから起き上がれない。
「……頼むから……無事でいてくれよ……」
弱々しい声が漏れた。
こんな情けない声、自分で初めて聞いた。
◆◆◆
ログでは、途中でエマの声が震えていく。
「薬は……足りない……? ちょっと、待って……在庫の計算が……」
薬理の天才である彼女が、計算を言い淀んでいる。
明らかにパニックの前兆だった。
周囲で大声が上がる。
「誰が先なんだ!」
「うちの子を見てくれって言ってるんだ!」
「なんでこんなに時間がかかるんだよ!」
怒号。
泣き声。
咳。
うめき声。
――医療従事者が押しつぶされる瞬間の空気だ。
俺はそれを知っている。
幼い頃、母が救急現場で倒れそうになったあの時のことを思い出した。
混乱は、技術よりも先に精神を奪う。
◆◆◆
そして、ログの最後にはテオの掠れた声。
「エマ……ごめん……俺、ちょっと……具合……」
――最悪だ。
テオまで、感染したのかもしれない。
俺の胸が一気に冷えた。
熱で火照っているはずなのに、背中がぞくりと震える。
喉の奥から、言葉にならない焦燥が込み上げる。
「……嘘だろ……テオ……」
自分の声が震えていた。
この状況を、どうすればいい。
俺はどうすれば――。
◆◆◆
その時だった。
端末が震え、緊急通知が表示された。
《現場班より緊急要請:ハヤト・キサラギに接続希望》
心臓が跳ねた。
俺は震える手で通話を押した。
画面が暗転し、雑音が走る。
そして――エマの必死な声が飛び込んできた。
『ハヤト! お願い、聞こえる!?』
涙の滲んだ声だった。
『テオが……テオが倒れそうなの! どうすればいいの……!?』
俺は一瞬、息が止まった。
そして、自分でも驚くほど冷静な声が口から出ていた。
「エマ、落ち着け。俺が指示する……」
熱で揺れる視界の中、タブレットを握りしめる。
――倒れている暇なんか、ない。
「まず、テオの呼吸を確認しろ。次に脈拍、皮膚の状態――全部俺に報告してくれ。順番にいくぞ」
自分の体はまだ震えている。
頭痛も治まっていない。
それでも、この瞬間だけは確信していた。
俺が動かなきゃ、二人が危ない。
◆◆◆
俺は、熱に浮かされた頭をなんとか動かしながら、
最悪の混乱の中にいるテオとエマを――
画面越しに支えようとする。
初めての現場で直面した、想像を超える混乱。
その中で、彼らは必死に踏ん張っている。
俺は唇を強く噛む。
――頼むから、誰も倒れるなよ。
耐えろ。
乗り越えろ。
俺が必ず、お前たちを支える。
この混乱の夜が、どう終わるのかはまだ分からない。
だが、俺は画面の向こうの2人に向かって言い続ける。
「絶対に助ける。だから、離れるなよ……!」




