第64話 インフルエンザ大流行〜ゴールデントリオ初の実践編〜
嫌な予感は、数日前からあった。
街に出るたび、どこかしらで咳き込み声が響き、薬局の前には長蛇の列。王都最大の総合病院は、連日 “満床” を知らせる旗を出していた。
そして今日ついに、ルミエール王国全体で「インフルエンザ警報」が発令された。
アカデミーの掲示板にも臨時連絡が流れる。
【感染拡大のため、当面の間オンライン授業へ移行】
教室は静まり返り、廊下の人影もまばらだ。
こんな光景、俺は初めて見る。
――でも、まさか。
真っ先に倒れるのが俺だなんて、誰が予想しただろう。
朝、自習室でノートを開いた瞬間、視界がぐらついた。胸がどくどくと脈打ち、汗が噴き出し、立ち上がろうとした瞬間に膝が笑った。
「は…ぁ……?」
喉は焼けるみたいに痛くて、声がかすれる。額に触れた指先が熱で跳ね返される。
――やばい。
俺、やられた。
そのまま保健棟へ運ばれ、検査を受けた結果は案の定だった。
「キサラギ君、陽性ね。しばらく寮から出ないように。エレナさんとの接触も禁止よ」
その言葉に胸がずきんと痛んだ。
エレナに会えないのは、正直きつい。
でも、うつす可能性があるなら、近づくなんて絶対できない。
ベッドに横たわると、天井が揺れて見える。
熱のせいで思考がぼんやりしていく。
そこに、勢いよく扉を開ける音がした。
「ハヤトーッ!! 大丈夫!? 生きてる!?
も、もうこうなったら《星輝の杖》でウイルスを浄化するしか――」
「テオ…声がでかい……」
俺の枕元に駆け寄ってきたテオは、いつもの食いしん坊スマイルも形にならず、完全にうろたえていた。
「無理だからな。杖でどうにかできるのは、テオのメンタルだけだよ……」
「えぇぇ!! じゃあどうしよう!? 俺、初めての“医療現場”なんてまだ心の準備が……!」
テオはパニックで手をぶんぶん振っている。
俺の熱が移らないよう、距離だけは保っているのが妙に律儀だ。
そこへ、冷静な声が割って入った。
「はいはい、騒がないの。ハヤトの熱、40度近くあるんだから」
エマが無数のメモと薬瓶を両腕いっぱいに抱えて入ってきた。
彼女はこの危機を前に、むしろ生き生きしている。
「王都中の薬局が在庫切れ起こしてるの。だから、私が作るしかないでしょ。
インフルエンザ特効薬、現在30本製造済み。まだまだ増産できるから安心して」
「エマ……お前、なんでそんな楽しそうなんだ……」
「こういう時こそ薬理学専攻の腕の見せどころでしょ? あ、ハヤトはまず解熱薬ね。
あまり効かなくても文句言わないで」
有無を言わせずカップを口元に押し当てられ、俺は熱にうなされながら飲み込む。
テオはというと、エマの後ろで完全に戦力外の顔をしている。
「俺……何したらいい?」
「とりあえず、うがいして手洗って、それから患者さんの名前のリスト作って。
あんたは数字書き間違えるから要注意」
「えぇえ!」
テオが情けない声を上げる横で、俺は苦笑するしかなかった。
本当は、俺も動きたい。
学年首席だなんて言われてるくせに、ベッドで寝てるだけなんて情けない。
俺が現場に出たら、きっと二人の足手まといになるのはわかってるけど……それでも。
「……二人とも、ごめん。俺が先に倒れて……」
「謝らないの」
エマがぴしゃりと言った。
その声はいつもより柔らかくて、胸に染みる。
「ハヤトは普段から勉強しすぎなの。体が弱いのに無理するから真っ先に倒れるんでしょ。
だから今回は、テオと私が働く番。任せなさい」
「そ、そうだよハヤト! 俺たち“ゴールデントリオ”だろ!?
ひとり倒れても、残り二人で補うんだよっ!」
テオが胸を張るけど、さっきまで杖で浄化とか言ってた奴のセリフに説得力はない。
でも……その気持ちは、ありがたかった。
俺は熱で視界がかすむ中、二人の後ろ姿を見送る。
「頼んだぞ……二人とも……」
扉が閉まる音がやけに遠く感じた。
こうして、俺たち“ゴールデントリオ”初めての実践は始まった。
しかも俺は出遅れたままの状態で。
悔しい。
不安もある。
けど――誰も倒れないために、まずは俺が治ることが最優先だ。
エレナにも、ちゃんと笑って会えるように。
そう思いながら、熱に沈むように意識が遠のいていった。




