第63笑 夜間走行訓練〜最終回〜俺たちが選んだ道
夜の訓練棟は、昼間とはまるで別の場所のように静かだった。薄暗い廊下に非常灯の光が落ちて、壁に俺たち三人の影が重なる。特殊車両免許を取得するまでの数日間は慌ただしくて、正直、記憶が曖昧になるほど濃くて、しんどくて……でも、この静けさのなかに立つ今、胸の奥が温かくなる。
生徒会長の総評を受けたあと、俺・テオ・エマは救急車庫の前に立っていた。白い車体にアカデミーの紋章が反射している。何度も乗り込み、汗だくでハンドルを握り、泣きそうになったり、笑ったりした車だ。
「……終わったんだな」
自然と、そんな言葉が口から漏れた。
テオが鼻の頭をこすりながら笑う。
「なんか、あっという間だった気もするけど……でも俺、めちゃくちゃ成長した気がするぞ! ドーナツって叫ぶ回数も減ったし!」
「いや、最後の夜間訓練でも叫んでたよ」
エマが突っ込みながらも、どこか誇らしげに微笑んでいる。
俺は一歩、車に近づいてボディにそっと触れた。冷たく、整然としていて、そしてなにより重い。“命を運ぶ車”という事実が、こうして触れるだけで伝わってくる。
ここまで来るのに、俺は緊張で眠れない夜もあった。車体の揺れに酔い、急ブレーキで心臓が喉まで跳ね上がったこともあった。
――それでも、逃げようと思ったことは一度もなかった。
「ハヤト?」
エマの声がして振り返ると、彼女とテオが並んで俺を見ていた。二人の視線には、どこか安心と信頼が混じっている。
こんな仲間がいることが、どれだけ支えになったか……胸が熱くなった。
「……俺さ、最初はただ“役に立ちたい”って思って免許に挑んだんだよ。でも、途中からはそれだけじゃなくなった。
テオやエマと一緒に走って……“誰かの命を背負う覚悟”って、これなんだって分かった」
言葉にしてみると、胸の奥に溜まっていたものがすっと軽くなった。
テオが珍しく真面目な表情で頷く。
「なんか……俺もそういうの、分かる。
今までは、ただ楽しくて仕方なくて、運転席に乗れたら叫んでたけど……夜の訓練で気付いたんだ。救急車ってさ、俺のズレたテンションとは別の、すっげぇ重たい役割があるんだなって」
「うん。私も」
エマが胸に手を当てる。「薬で命を救うのと、車で命を運ぶのは違う。でも、どっちも責任がある。私……最初は“できる自分”を見せたくて張り切ってたけど、途中から震えてきちゃって。
でも、ハヤトとテオがいたから、最後まで走れた」
俺たち三人は、しばらく言葉もなく救急車を見つめた。夜気が少し冷たい。けれど、肩を並べて立っているだけで、不思議と心が強くなる。
生徒会長が言っていた。
――「特殊車両免許は、チームとして初めての“大人になるための試験”だ」
その言葉が、今やっと腑に落ちる。
俺たちはまだ学生だ。でも、今日この瞬間、ほんの少しだけ“医療者”に近づけた気がする。
「なぁ、ハヤト」
テオが急に俺の背中を叩く。「これからさ、救急現場で俺ら三人が並んで仕事してたら、なんか最強じゃね?」
「いや、テオはもっと冷静にならないとだけどね」
エマが苦笑しつつも、目は優しい。
「……でも、三人なら絶対に大丈夫だよ」
エマのその一言に、胸の奥が強く震えた。
そうだ。
この数日間で、俺たちは“同じ車に乗り、同じ道を走った”。
恐怖も不安も、全部共有して、それでも前へ進んだ。
――その積み重ねが、俺たちの絆になった。
俺は二人を見る。そして自然と笑っていた。
「これからも頼む。テオ、エマ」
「もちろん!」
「任せてよ」
三人の声が重なり、静かな車庫に広がっていく。
その瞬間、遠くで救急車のサイレンが鳴った。
夜の街へと走っていくあの音に、俺は自分の胸の内で、はっきり感じた。
――いつか、俺たちもあの音の先へ向かう日が来る。
「よし。帰るか」
そう言いながらも、俺はもう一度だけ救急車を振り返った。
ありがとう。
そして、ここからが始まりだ。
三人の足音が重なり、俺たちはゆっくりと夜の廊下を歩き出した。
もう迷わない。
俺たちは、医療者としての第一歩を刻んだのだから。




