表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
倒れないでくれ! ――限界と選択を描く医療ヒューマンドラマ――  作者: 東雲 明
三年生編:ゴールデントリオの絆

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

62/144

第62話 夜間走行訓練〜エマ編〜

 夜の訓練棟は、昼とはまるで別の世界だった。

 冷気が張り詰めていて、街灯の光は地面の一点だけを照らす。影が濃くて、空気までも黒く染まったみたいだ。

 この暗さが、運転の難度をぐっと上げる。


 そんな中、今日の主役――エマは、救急車の横で深呼吸を繰り返していた。


「……落ち着け、私。これはただの夜間訓練……ただの暗いだけ……ただの……真っ暗……」


「エマ、目が泳いでるぞ」


「泳いでない! 泳いでるけど泳いでない!!」


 いや、完全に泳いでる。

 テオの時のカオスとは違うが、エマは“理論派ゆえにテンパると一気に混乱するタイプ”だ。

 昼間はほぼ完璧な走行だっただけに、夜の弱点が明確に浮き彫りになる。


 三人の中でも、エマは一番冷静なはずだった。

 はず、なんだけど――


「ハヤト……わ、私の声、震えてる? 震えてない振りしてるけど震えてる?」


「震えてる。かなり」


「やっぱり……!」


 エマは絶望したように頭を抱えた。

 助手席のテオが逆に落ち着いて見えるのが不思議なくらいだ。



■出発前から理論崩壊


 生徒会長のミナトさんがタブレットを確認しながら声をかける。


「エマ。夜間は視野が狭くなる分、理論より“体の感覚”が大事だ。

 昼のように数値で考えすぎるな」


「は……はい……。考えない……考えないように……考える……いや違う……」


「考えるなと言ったばかりだ」


「すみません!」


 エマの混乱が加速していく。

 エマは普段、薬理学の計算を頭の中で瞬時にこなす。反射神経も鋭い。

 なのに一度テンパると、こうして“情報過多のパンク状態”になる。


 ――医療の天才でも、人間なんだ。


 そう思わせるくらい、今日は弱いエマがそこにいた。


「エマ、まずは座れ。ハンドル握れば少し落ち着くから」


「……うん」


 俺が声をかけると、エマはぎこちない動きで運転席へ。

 その背筋は普段より数センチ縮んでいる気がした。



■エンジン始動。だが緊張はピーク


 エンジンがかかる。

 救急車特有の低い振動がシートを通して体に伝わった。


 エマの肩がビクッと跳ねた。


「お、落ち着け……落ち着け……これはただの内燃機関……仕組みは知ってる……」


「知識じゃなくて、呼吸に意識向けろ」

 ミナトさんの声がテキパキと響く。


「は、はい……すぅ……はぁ……」


 エマは深呼吸して、震える手をハンドルに置いた。

 すると少しだけ、表情が引き締まる。


 理論よりも、実物に触れて落ち着くタイプなのかもしれない。


「よし……ミラー確認……よし……サイド確認……よし……周囲の歩行者……ゼロ……」


「エマ、そのくらいでいい」


「心配性なんです! 夜だから!」


 心配性というより、ただの恐怖状態だ。


 だがこの恐怖は、ちゃんと前に進むための恐怖だ。

 “分かっているからこそ怖い”という、医療者特有の生真面目さが滲んでいた。



■発進。理論と直感の間でもがく


「発進しよう。ブレーキから足を離して、ゆっくりアクセル」


「ゆっく……り……」


 エマは慎重すぎるほど慎重に車を動かした。

 昼間よりもだいぶ遅い。

 だが、その遅さが逆に“上手い”と感じさせる安定感がある。


「エマ、今のところ完璧だよ」

 俺が言うと、


「ほ、本当……!? やった……! 私でも……できる……!」


 嬉しさで声が上ずるエマ。

 ただ、それが油断に直結するのがエマの弱点でもある。


「じゃあ前方の白線を……」


「えっ白線!? 白線どこ!? 見えない……いや見える……あった……」


 一瞬で混乱。

 だが、混乱した後に必ず“自分で修正できる”のがエマの強みだ。


「……見えた。見つけた。大丈夫。落ち着いた」


 そう言いながら、エマは姿勢を正した。


 昼は余裕だった“確認→実行”が、夜では一つひとつの動作に負荷がかかる。

 その負荷に押しつぶされそうになりながらも、エマは戻ってくる。


 ――やっぱりすごいな、エマは。



■予想外の弱点:テンパると左右が逆


「次、左折だ」


「了解! 右折します!」


「逆だ!」

 エマと同時に俺とテオが叫んだ。


「えっ! あっ……左……左はこっち……!」


 慌てて左へハンドルを切るエマ。

 だが切りすぎず、ライン内で微調整して戻している。


 ミナトさんが感心したように言う。


「テンパると左右を間違える癖は直すべきだが……修正動作そのものは優秀だ」


「ほ、本当ですか……!? ああもう……私大混乱……!」


「なら落ち着け」

 ミナトさんに言われ、エマはこくこくと頷いた。


 エマはテンパると“反射で逆を言う”癖がある。

 怖いのに理屈で何とかしようとするから、頭と言葉が剥離してしまうのだろう。


 だけど――

 それでもハンドルの動きに致命的な乱れがないのが、エマらしい。



■暗闇の中で“責任感”が目を覚ます


 直線道路に入ると、周囲はより暗くなった。

 エマの呼吸が浅くなる。


「……見えない……前が……」


「俺が横から白線見てる。問題ない」

 エマはちらっとこっちを見る。


「ハヤト……怖い……怖いけど……」


「うん」


「……私がここで逃げたらさ……夜に出動する救急隊の人たちの努力、理解できなくなるよね……」


 その言葉に、胸がきゅっとなった。


 エマは弱いから怖がってるんじゃない。

 “責任を知っているから”怖がってるんだ。


「エマ、大丈夫だ。走れてる。ちゃんと前見てる。

 それに……」


「それに?」


「俺たちが後ろにいる」


 エマは目を見開いたあと、小さく笑った。


「……うん。ありがとう」


 そこからのエマの走行は、さっきより数段安定した。

 恐怖を抱えつつ、それを“前進する力”に変えていた。



■帰還。小さな誇りと、大きな疲労


 コースを一周し、訓練棟へ戻る。


 車が止まった瞬間、エマは両手でハンドルを抱きしめるようにして項垂れた。


「つ、疲れた……精神力全部使った気がする……」


「俺の倍は消耗してたよ」

 テオが呆れながら言う。


「テオの時のほうがアドレナリンは出た」

 俺の本音。


「ひどい!」


 車内に笑いが弾んだ。

 緊張が解けた証拠だ。


 ミナトさんが結論を述べる。


「エマ。夜間に弱いのは明確だが、運転そのものの質は高い。

 テンパる癖と左右の混乱が課題だが、致命的ではない。

 君は“落ち着いた状態なら誰より正確に走れる”。そこを伸ばせ」


「……はいっ。やります。次は……もっと……落ち着きます」


 エマは疲れ切りながらも、しっかりと前を見ていた。


 その目は、昼間の“天才”のものではなく、

 夜道に立ち向かった一人の医療者の目だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ