第58話 特殊車両免許〜エマ編〜
テオの訓練翌日。
訓練コースに着いた瞬間、俺はある異変に気付いた。
エマが……やたら姿勢を正している。
いつもは落ち着いた表情なのに、今日だけは顔が引きつり気味。
でも、本人は完璧に平静を装っていた。
「今日はいよいよ私ね。大丈夫よ。……ええ、大丈夫、大丈夫。全然問題ないわ。何も怖くないし。救急車? 乗れるわよ普通に」
(いや、絶対怖いだろこれ)
隣のテオが小声で耳打ちしてきた。
「ハヤト……昨日の俺よりヤバそうじゃない?」
「言うなテオ、聞こえる」
エマの肩は微妙に震えていた。
本人は気づいていないらしい。
◆
教官が姿を見せると、エマは即座に背筋を伸ばした。
さっきまでの震えを力でねじ伏せたような動きだ。
「リンデン。今日は君の番だ」
「はい。問題ありません。完璧にやってみせます」
言い切った声は凛としているのに、手元の資料を持つ指先だけ微妙に震えていた。
たぶん誰よりも緊張してる。
◆
「まずは車両点検だ」
「もちろんです」
エマはきびきび動きながら救急車の周囲を確認していく。
だが——
「タイヤ、よし……ハンドル……丸いわね……」
「丸いのは当たり前だよエマ」
「ええわかってるわ。わかってるのよ。丸いのが普通よね。なんで今日に限ってこんなに丸く見えるの……?」
(完全に平常心じゃない)
テオが囁く。
「ハヤト、これ……俺よりヤバいよ……」
「やめろ、本人聞こえる……!」
エマは気合で姿勢を戻し、運転席へ向かった。
◆
いざ運転席に座る段階になると、エマはふっと凍りついた。
座りはしたけど、そのまま2秒ほど固まって動かない。
「……あれ? 私、座ったわよね? うん、座った。大丈夫。大丈夫。ここから……どうするんだっけ?」
内心パニックなのに、声だけは無理矢理整えている。
支離滅裂なのに語尾だけ冷静。
「エマ、深呼吸。落ち着いて」
「落ち着いてるわよ? これが落ち着いてる人間の状態よ? 私こんなに落ち着いてるの初めてなくらいよ?」
(いや、言葉の意味が破綻してる)
教官が小さく咳払いした。
「……リンデン、まずはミラー調整からだ」
「ああ、そうでしたわね。ミラーね。ミラーは……えっ、これどっちに動くの!? なんで今日に限ってミラーが大きく見えるの!?」
「エマ! 落ち着いて! 動く方向変わってないから!」
「わ、わかってる! わかってるのよ!!」
言いながら、エマは勢いでミラーをグイッと動かした。
ちょっと動かしすぎた。
「エマ、やりすぎ」
「うっ……はい……」
◆
そして発進。
「じゃあ……出します」
「うん、無理せずゆっくりね」
アクセルをそっと踏んだ瞬間、車体が動いた。
エマの肩がビクッとなる。
「う、動いた……当たり前よね……ええ、知ってるわよ……!」
声が震え、動揺を無理やり押し込みながら進んでいく。
「エマ、速度ちょうどいいよ。落ち着いて」
「落ち着いてるわ!!!!!」
返事のスピードが早すぎる。
テオが後ろで怯えながら言った。
「ハヤト……これ……俺より怖い……」
「しーっ! 聞こえる!!」
◆
右折のところで、それは起きた。
「エマ、内輪差に気をつけて。ちょっと早めに——」
「わかってるわ!! 私これでも経験あるのよ!!」
そう叫んだのは……いい。
だが次の瞬間、ハンドルを思い切り切りすぎた。
「エマ!! 戻して!」
「わ、わかってる!! わかってるわって言ってるでしょ!!?」
ハンドルが左右に揺れ、エマは必死で修正。
ギリギリ白線を踏まずに曲がりきった。
「……っぶ、無理……これ……心臓に悪い……!」
「いや、それ俺たちのセリフだからねエマ……!!」
エマはハンドルにしがみつくように深呼吸し続けていた。
◆
次は最大の難所、S字。
「エマ、ここ慎重にね。落ち着いて——」
「落ち着いてるから静かにして!!」
(落ち着いてない!!)
でも、運転は真剣。
視線はミラーと前方を行き来して、動きは丁寧だ。
……丁寧なんだけど——
「ミラーに私の顔映ってるけどこれ正常よね!? なんでこんなに動揺してる顔なの私!? ちょっと落ち着きなさい私!!」
「エマ、それ自分に言ってるよね!?」
「言ってるわよ!!」
自分で自分にツッコミを入れながら、
S字をなんとか脱出した。
「エマ……すごいよ……!」
「ほんと……あんた、意地で通したわね……」
テオも本気で拍手していた。
◆
最後の課題、方向転換。
ここに来て、エマの声がかすれた。
「ハヤト……ちょっと……手汗が……エグい……」
「拭こうか?」
「ふ、拭いて……」
俺は苦笑しながらハンカチを渡した。
「ありがとう……私、絶対落ち着いてると思ってたのに……っ」
「エマ、誰でも緊張するよ」
「でも……負けたくないの……!」
その言葉に、俺とテオは同時に胸を打たれた。
エマはハンドルを握り直し、覚悟を決めた目つきになった。
「行くわよ……!」
切り返し、ミラー確認、後輪位置の判断。
動きは正確。
手は震えてるのに、判断力はブレない。
そして——
カコン、と枠内に車体がきれいに収まった。
「……入った……!?」
エマの声が震えた。
「入ったよエマ!! 完璧!!」
「やったじゃんエマ!! 私昨日より感動してる!!」
エマは数秒黙り——
「ううううっ……昇天するかと思った……!!」
ハンドルに突っ伏した。
さっきまで“私はできるわよ”の顔だったのに、
今は完全に“必死に戦った人の顔”だった。
◆
教官は、小さく笑って言った。
「リンデン。運転は上手かったぞ。声はうるさかったがな」
「す、すみません……」
「だが、ああいう緊張を経験するのも悪くない。救急ではもっと過酷な状況で運転することもある。今日の経験を忘れるな」
エマは目を丸くし、まっすぐ頭を下げた。
「……はい!」
◆
帰り道、テオがぽつりと言った。
「エマ……今日一番面白かった……」
「ちょっと!? 今の聞こえてるわよテオ!!」
「ごめんって!! でもほんとすごかったんだよ!?」
「……ハヤトも笑ってるじゃない……」
「いや、ごめん……すごかったし、ちゃんと運転できてて格好よかったよ」
エマは一瞬目をそらし、小さく呟いた。
「……ありがとう。
でも……明日は筋肉痛ね。緊張しすぎたもの……」
俺たちは顔を見合わせて笑った。
3人とも、それぞれの不安や弱さを抱えながら——
確かに前に進んでいる。




