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倒れないでくれ! ――限界と選択を描く医療ヒューマンドラマ――  作者: 東雲 明
三年生編:ゴールデントリオの絆

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第58話 特殊車両免許〜エマ編〜

テオの訓練翌日。

 訓練コースに着いた瞬間、俺はある異変に気付いた。


 エマが……やたら姿勢を正している。


 いつもは落ち着いた表情なのに、今日だけは顔が引きつり気味。

 でも、本人は完璧に平静を装っていた。


「今日はいよいよ私ね。大丈夫よ。……ええ、大丈夫、大丈夫。全然問題ないわ。何も怖くないし。救急車? 乗れるわよ普通に」


 (いや、絶対怖いだろこれ)


 隣のテオが小声で耳打ちしてきた。

「ハヤト……昨日の俺よりヤバそうじゃない?」

「言うなテオ、聞こえる」


 エマの肩は微妙に震えていた。

 本人は気づいていないらしい。



 教官が姿を見せると、エマは即座に背筋を伸ばした。

 さっきまでの震えを力でねじ伏せたような動きだ。


「リンデン。今日は君の番だ」

「はい。問題ありません。完璧にやってみせます」


 言い切った声は凛としているのに、手元の資料を持つ指先だけ微妙に震えていた。

 たぶん誰よりも緊張してる。



「まずは車両点検だ」

「もちろんです」


 エマはきびきび動きながら救急車の周囲を確認していく。

 だが——


「タイヤ、よし……ハンドル……丸いわね……」

「丸いのは当たり前だよエマ」

「ええわかってるわ。わかってるのよ。丸いのが普通よね。なんで今日に限ってこんなに丸く見えるの……?」


 (完全に平常心じゃない)


 テオが囁く。

「ハヤト、これ……俺よりヤバいよ……」

「やめろ、本人聞こえる……!」


 エマは気合で姿勢を戻し、運転席へ向かった。



 いざ運転席に座る段階になると、エマはふっと凍りついた。

 座りはしたけど、そのまま2秒ほど固まって動かない。


「……あれ? 私、座ったわよね? うん、座った。大丈夫。大丈夫。ここから……どうするんだっけ?」


 内心パニックなのに、声だけは無理矢理整えている。

 支離滅裂なのに語尾だけ冷静。


「エマ、深呼吸。落ち着いて」

「落ち着いてるわよ? これが落ち着いてる人間の状態よ? 私こんなに落ち着いてるの初めてなくらいよ?」


 (いや、言葉の意味が破綻してる)


 教官が小さく咳払いした。

「……リンデン、まずはミラー調整からだ」

「ああ、そうでしたわね。ミラーね。ミラーは……えっ、これどっちに動くの!? なんで今日に限ってミラーが大きく見えるの!?」


「エマ! 落ち着いて! 動く方向変わってないから!」

「わ、わかってる! わかってるのよ!!」


 言いながら、エマは勢いでミラーをグイッと動かした。

 ちょっと動かしすぎた。


「エマ、やりすぎ」

「うっ……はい……」



 そして発進。


「じゃあ……出します」

「うん、無理せずゆっくりね」


 アクセルをそっと踏んだ瞬間、車体が動いた。

 エマの肩がビクッとなる。


「う、動いた……当たり前よね……ええ、知ってるわよ……!」


 声が震え、動揺を無理やり押し込みながら進んでいく。


「エマ、速度ちょうどいいよ。落ち着いて」

「落ち着いてるわ!!!!!」


 返事のスピードが早すぎる。


 テオが後ろで怯えながら言った。

「ハヤト……これ……俺より怖い……」

「しーっ! 聞こえる!!」



 右折のところで、それは起きた。


「エマ、内輪差に気をつけて。ちょっと早めに——」

「わかってるわ!! 私これでも経験あるのよ!!」


 そう叫んだのは……いい。

 だが次の瞬間、ハンドルを思い切り切りすぎた。


「エマ!! 戻して!」

「わ、わかってる!! わかってるわって言ってるでしょ!!?」


 ハンドルが左右に揺れ、エマは必死で修正。

 ギリギリ白線を踏まずに曲がりきった。


「……っぶ、無理……これ……心臓に悪い……!」

「いや、それ俺たちのセリフだからねエマ……!!」


 エマはハンドルにしがみつくように深呼吸し続けていた。



 次は最大の難所、S字。


「エマ、ここ慎重にね。落ち着いて——」

「落ち着いてるから静かにして!!」


 (落ち着いてない!!)


 でも、運転は真剣。

 視線はミラーと前方を行き来して、動きは丁寧だ。


 ……丁寧なんだけど——


「ミラーに私の顔映ってるけどこれ正常よね!? なんでこんなに動揺してる顔なの私!? ちょっと落ち着きなさい私!!」

「エマ、それ自分に言ってるよね!?」

「言ってるわよ!!」


 自分で自分にツッコミを入れながら、

 S字をなんとか脱出した。


「エマ……すごいよ……!」

「ほんと……あんた、意地で通したわね……」

 テオも本気で拍手していた。



 最後の課題、方向転換。


 ここに来て、エマの声がかすれた。


「ハヤト……ちょっと……手汗が……エグい……」

「拭こうか?」

「ふ、拭いて……」


 俺は苦笑しながらハンカチを渡した。


「ありがとう……私、絶対落ち着いてると思ってたのに……っ」

「エマ、誰でも緊張するよ」


「でも……負けたくないの……!」


 その言葉に、俺とテオは同時に胸を打たれた。


 エマはハンドルを握り直し、覚悟を決めた目つきになった。


「行くわよ……!」


 切り返し、ミラー確認、後輪位置の判断。

 動きは正確。

 手は震えてるのに、判断力はブレない。


 そして——


 カコン、と枠内に車体がきれいに収まった。


「……入った……!?」


 エマの声が震えた。


「入ったよエマ!! 完璧!!」

「やったじゃんエマ!! 私昨日より感動してる!!」


 エマは数秒黙り——


「ううううっ……昇天するかと思った……!!」

 ハンドルに突っ伏した。


 さっきまで“私はできるわよ”の顔だったのに、

 今は完全に“必死に戦った人の顔”だった。



 教官は、小さく笑って言った。


「リンデン。運転は上手かったぞ。声はうるさかったがな」

「す、すみません……」


「だが、ああいう緊張を経験するのも悪くない。救急ではもっと過酷な状況で運転することもある。今日の経験を忘れるな」


 エマは目を丸くし、まっすぐ頭を下げた。


「……はい!」



 帰り道、テオがぽつりと言った。


「エマ……今日一番面白かった……」

「ちょっと!? 今の聞こえてるわよテオ!!」

「ごめんって!! でもほんとすごかったんだよ!?」

「……ハヤトも笑ってるじゃない……」

「いや、ごめん……すごかったし、ちゃんと運転できてて格好よかったよ」


 エマは一瞬目をそらし、小さく呟いた。


「……ありがとう。

 でも……明日は筋肉痛ね。緊張しすぎたもの……」


 俺たちは顔を見合わせて笑った。


 3人とも、それぞれの不安や弱さを抱えながら——

 確かに前に進んでいる。

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