第57話 特殊車両免許〜テオ編〜
翌朝。
訓練コースに入った瞬間、明らかに空気が昨日と違った。
緊張……ではなく、不穏。
原因はもちろんテオの顔だ。
いつもの明るさではなく、今日だけは“極度の緊張からくるテンションの高さ”になっている。
「ハヤト……俺……今日は食欲がない……」
「それ、逆に危ないやつだろ」
エマはため息をつきながら言った。
「いっそ食べて落ち着いた方がいいんじゃない? テオの場合」
「ダメだよエマ。訓練中に“俺、お腹いっぱいだから集中できない〜”とか言い出す未来が見える」
テオは肩を震わせながら救急車を見上げていた。
その目は、完全に“未知の巨大生物”を見つめるそれに近い。
「……でかい……昨日より絶対でかい……」
「テオ、それは昨日も今日も同じサイズだ」
◆
教官が来ると、テオは反射的に直立した。
ほぼ軍隊。
「アルト。落ち着け。運転は“余計なことをしない”のが一番だ」
「よ、余計なことは……しません!!」
(……言ったな? テオ)
エマと俺は心の中で同時にツッコミを入れた。
◆
「アルト。まずは車体チェックからだ」
「はい!!」
テオは真剣な顔で車体の周りを歩き始めた……が、10秒後。
「うわぁぁぁ!! ハンドルが今日も丸い!! 完全にドーナツじゃん!! 食べられそう!!」
「アルトッ!!」
「す、すみません!! ハンドルの確認でした!!!」
教官の鋭い声に、テオは再び直立。
エマは小声で俺の腕をつついた。
「……今日、生きて帰れると思う?」
「俺も……確信はない」
◆
そして、問題の“運転席着席”の時間が来た。
テオはそろりそろりと運転席に近づき、つま先でちょん、と踏み台に乗る。
その動きがまるで“巨大すぎる犬小屋に入る前の子犬”。
「は、ハヤト……今日、俺ここに座っちゃっていいの……?」
「免許取るためだろ。大丈夫だよ。いざとなったら俺が横で止めるから」
「た、頼もしい……!!」
(全然褒められてる気がしない)
テオがシートに座った瞬間、教官が静かに指示した。
「では、発進だ」
「は、はい……! ああああ、アクセルってどれだっけ……」
「テオ。右の長いやつ」
「あ、あれか……! ありがとうハヤト……!」
心臓に悪すぎるやり取り。
◆
そして——テオがアクセルをほんの少し踏んだ。
ぷるるん、と救急車が前に動き出す。
「う、動いた……俺のせいで動いちゃった……!!」
「“俺のせい”じゃなくて、“俺の運転で”だよテオ!」
「ど、どっちでも怖いよ!!」
でも速度は安定している。
思ったより、運転は悪くない。
ただし——声がうるさい。
「うわーー今曲がってる!? 曲がってる!? 嘘でしょ俺!? 左に、左に傾いてるよねぇぇ!?」
「テオ、落ち着け! 車体が傾くのは当たり前だ!」
「えっ!? そうなの!? 良かった……死ぬかと思った……!」
教官は諦めたように前を見ていた。
怒るよりも、もう慣れたらしい。
◆
そして最大の難関、“S字コース”が来た。
「アルト。ここが山場だ。ミラーをしっかり見て——」
「教官、ちょっと待ってください……」
テオが深呼吸を繰り返している。
手が震え、声も震えていた。
「……俺……この救急車、ちゃんと通してみせます……仲間が見てますから……!」
なんだその名言みたいな決意。
エマまで思わず笑ってしまった。
そして、テオはゆっくりハンドルを切った。
慎重すぎるほど慎重に。
ミラーを見て、俺に確認し……またミラーに戻る。
「ハヤト、どう!? これ、合ってる!?」
「合ってる! そのままいけ!」
「エマ! どうかなこれ!?」
「集中しなさいよテオ!!」
叫びながら、なんとか車体をS字へ通す。
ギリギリだったが、接触なし。
「……やった……!? 俺、通れた!? 本当に!?」
「通れたよテオ!」
「完璧とは言わんが、悪くない」
教官の言葉に、テオは涙目になった。
「俺……生きてる……! 救急車も生きてる……!! すごい!!」
たぶん、救急車は昨日より疲れていると思う。
◆
問題は最後。
“方向転換”。
途中までは順調だった。
だが——
「うわぁぁぁ待って!! ミラーに俺の顔が映ってる!! こ、これは……俺……!?」
「普通だよテオ!! 誰でも映るよ!!」
「えっそうなの!? なんで教えてくれなかったのそんな大事なこと!?」
「常識だよ!!」
パニックに陥りながらも、なんとか切り返し成功。
車体が綺麗に枠へ収まった瞬間、テオはハンドルに突っ伏した。
「ぼ、僕……やったぁぁぁぁ……死んだかと……思ったぁぁ……」
教官は小さく息をつき、ゆっくりと言った。
「アルト。……よく頑張った」
「ほ、本当ですか……? 俺……やれてましたか……?」
「声の騒がしさ以外は、合格レベルだ」
「えへへ……!!」
テオの顔は、今日一番の笑顔になった。
◆
「テオ、お疲れ」
「ハヤト……俺、今日で5歳老けた」
「エマは?」
「私は逆に若返った気がするわ。緊張を超えると逆に冷静になるのね」
俺たちは笑い合った。
カオスだったけど——
なんだかんだ、ちゃんと一歩前に進んだ気がする。
次はエマの番だ。
テオとは別ベクトルで緊張しそうだが……たぶん、俺たちなら大丈夫だ。




