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倒れないでくれ! ――限界と選択を描く医療ヒューマンドラマ――  作者: 東雲 明
三年生編:ゴールデントリオの絆

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第56話 特殊車両免許〜ハヤト編〜

運転席に座った瞬間、背筋が自動的に伸びた。

 さっきまであれだけ騒いでいたテオも、エマも、今は静かに俺を見守っている。

 救急車のキャビンは広いはずなのに……妙に狭く感じた。


「キサラギ、まずは発進だ。焦らず、一つ一つ確認していけ」

 教官の落ち着いた声が、背中を押してくれた。


「……はい」


 アクセルを踏む前に、俺は深呼吸をした。

 救急車の前面ガラス越しに見える訓練コースは、ただの白線のはずなのに、どこか異常に複雑な迷路に見える。


(あぁ……俺、本当に運転するんだ)


 ワクワクよりも先に、責任の重さが胸を叩いてくる。

 でも、この緊張は嫌じゃない。ちゃんと向き合うべきものだ。


「ミラー、オーケー。サイド、よし……シート位置、よし。メーター問題なし」


 声に出すと、少し落ち着く。

 教官が小さくうなずいた。


「では……発進」


 ブレーキを踏み、ギアをDに入れ、アクセルをほんの少し踏む。

 車体がゆっくりと前に滑り出した瞬間——俺の心臓は、軽く跳ねた。


(動いた……! 本当に俺の操作で、この大きさが動くんだ……!)


 感動と緊張が入り混じり、手汗がハンドルを湿らせる。

 救急車の巨大な車体が、ミラーの中でゆっくりと揺れるのがわかる。


「ハヤト、すげぇ……動いてるぞ……!」

 後部席のテオが、まるで遊園地に来た子どもみたいな声を上げた。

 教官が鋭く振り返る。


「アルト、静かに。キサラギの集中が切れる」

「す、すみません!」


 エマは息をひそめながら、小さく笑って言った。

「でも……大したものよ、ハヤト。本当に落ち着いてる」


 落ち着いているように“見える”だけだ、と言おうとしたが、喉で言葉が止まった。

 今は運転に集中すべきだ。



「次は右折だ。救急車は内輪差が大きい。曲がり始めを早くしろ。焦るなよ」


「わかりました」


 右ウインカーをつけ、対向車のいない訓練コースで慎重にハンドルを切る。

 車体が想像以上に大きく膨らむ。

 左ミラーを見ると、後輪が白線ギリギリを通過していた。


「……っ、危な」

 息を詰めた俺に、教官が静かに言った。


「今の判断は良い。ちゃんと見ている証拠だ。次はもっと余裕を持てる」


 そう言われると、胸の緊張が少しほどけた。


(……見えてる。ちゃんと、自分で操作できてる)


 運転席から見える景色は、普段の救急車とは全然違う。

 患者さんの声も、サイレンも、焦りもない。

 ただ、俺自身の呼吸と、車体の振動だけだ。


「キサラギ、次はS字だ。救急車では最難関だと思え」

「……はい」


 S字。

 小型自動車でも難しいというあのクネクネしたコースを、この車体で通るのか。


(やるしかない……)


 ハンドルを切り返しながら進む。

 左ミラー、右ミラー、前方。

 まるで三つの視界が同時に脳に流れ込んでくるようだ。


 後輪がどこを通っているのか、常に想像し続けなきゃいけない。

 少しでもずれたら白線を踏む。


 息が自然と浅くなる。


「……いいぞ、キサラギ。そのままいけ」

 教官の低い声が、妙に心強い。


 ハンドルを切り戻し、車体がわずかに揺れながら出口に向かう。

 脱出の瞬間、俺は思わず息を吐いた。


「……ふぅ……!」

「やったな、ハヤト! 今の完璧じゃん!」

「ほんと……すごいわ、ハヤト。救急隊みたいだった」


 褒められると、逆に心臓がどっと熱くなった。

 でも、嫌じゃない。

 こんな褒められ方、初めてだ。



 最後の課題は縦列駐車だった。

 救急車は長い。ミラーの調整と角度の判断がすべてだ。


 教官が静かに言う。

「落ち着け。手順は覚えているはずだ」


 俺はうなずいた。

 ギアをRに入れ、アクセルではなくブレーキ主体でゆっくり下げる。

 右後方を見て、ミラーを見て、切り返しを判断して——


(……いける)


 車体がピタリと白線の内側に収まった瞬間、胸の奥が熱く跳ねた。


「——終了。キサラギ、よくやった」

 教官が初めて声に笑いを混ぜた。


「……本当に、乗りこなせてたわよ、ハヤト」

「ハヤト、マジですげぇよ! 俺、今ちょっと感動してる!」


 テオが目をキラキラさせて言う。

 エマも珍しく素直に褒めてくれた。


 俺は、深く息を吐いた。

 緊張で固まっていた肩が、少しだけ軽くなる。


(大丈夫だ。

 俺は……救急車を運転できる)


 そう思った瞬間、胸の奥で小さく火が灯った気がした。


 いつか本物の救急現場で——

 このハンドルを握る日が来るかもしれない。


 その時、迷わず前を向けるように。

 俺は、もっと上手くならなきゃいけない。


「キサラギ、明日はアルトの番だ」

「……あ、はい」


 隣を見ると、テオがすでに震えていた。


「は、ハヤト……頼む、明日俺の横にいてくれ……!」

「お、おう。……たぶん俺も緊張するけど」


 エマは小さくため息をつきながら言った。

「明日……コースが無事で済むことを祈るわね」


 その言葉に、一瞬だけ笑いが生まれた。

 緊張と不安の中でも、俺たちは——ちゃんと三人で進んでいる。

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