第43話 医療者として、恋人として
午後の光が薄く差し込む寮の部屋。普段なら、机に向かうエレナの背中に少し安心しながら夕焼けを眺められる時間だ。しかし、今日は違った。机に突っ伏し、肩が小刻みに揺れる彼女の姿に、胸の奥が冷たく締めつけられる。
違和感は小さい。しかし、医療者として、恋人としての俺の本能がすぐに警告を発した。脈を取る前から、彼女の呼吸の浅さ、肩の震えが何かを語っている。
「エレナ……しっかりして」
声をかけるだけで、心臓の鼓動が早くなる。しかし、動揺は表に出さない。腕を差し伸べ、そっと抱き上げる。体温は高く、指先は冷たい。脈拍は速く、不整。心疾患由来の危険信号が一瞬で頭を駆け巡る。
手早くベッドまで運ぶ。
慎重に――だが、ためらわない。
倒れることなく、絶対に彼女を守るために、体全体で支える。
ベッドに横たえた瞬間、手のひらで脈を取り、呼吸を確認し、体温と皮膚の色もチェックする。症状は明らかに悪化している。だが、俺は冷静だ。恐怖より先に判断が働く。
スマホでテオとエマに連絡を取り、すぐに行動を指示する。テオには水分補給と冷却、エマには応急処置の薬の準備だ。彼女の命を守るため、行動の一つ一つに無駄はない。
「テオ、冷たいタオルを用意。保健棟への連絡も急いで」
「分かった!」
すぐに動くテオ。頼もしい。俺の声に迷いはなく、的確な指示で二人の動きを最大限に活かす。
エマが息を切らして到着した。
「症状は?痛みはどこから?」
「胸の中央。昼過ぎから少し我慢してたらしい」
エマはすぐに応急薬を確認し、手際よく準備する。薬を手渡され、俺はその間も彼女の呼吸を整える。小さな体の胸が上下するたびに、俺は手のひらで心臓の鼓動を感じる。緊張感が走る。
「落ち着け。深呼吸して。吸って、吐いて、ゆっくり」
俺の声には、緊迫感より安心感を込める。呼吸のリズムに合わせ、薬を飲ませると、呼吸が少しずつ落ち着き、肩の震えも和らぐ。
手際よく応急処置を施す俺の姿に、エレナは小さく目を開けた。微かに涙を浮かべ、しかし安堵の色も混じっている。
「にぃ……また迷惑かけちゃった……」
「迷惑なんかじゃない」
即答だ。迷いもない。腕を差し伸べ、抱き寄せる。小さな体が胸の中で安心を求めるように縮こまる。これ以上ないくらい、全力で支える。
「俺の仕事は、お前を守ることだ。倒れる時は、俺が支える。それだけだ」
小さな背中を包み込む腕の力を緩めず、額に手を添え、呼吸を合わせる。心臓の鼓動を感じながら、俺は思う――この体が震えを止めるまで、絶対に離さない。
さらに踏み込む。薬の効果を確認しながら、追加の酸素や体位変換も考える。医療者としての知識と、恋人としての感覚が融合する瞬間だ。誰よりも冷静に、誰よりも的確に、誰よりも優しく。
応急処置を終え、部屋に静けさが戻る。エレナの目は半開きで、安心の色に変わっていた。俺はそっと抱きしめ、優しく肩を撫でる。
「もう泣かなくていい。大丈夫だ。俺が全部支える」
小さな体がゆっくり震えを止め、安堵で緩む。胸の中にあるのは、守る覚悟。医療者としても、恋人としても、揺るがない決意だ。
「今日だけじゃない、これからもずっとだ。俺は、お前の味方であり続ける」
エレナは微笑み、目を閉じる。安心したその表情を見ながら、俺は心の底から誓う――
守るべき存在がいる限り、絶対に、誰も倒れさせない。
この腕の中では、どんな困難も、どんな症状も――俺が必ず支える。
医療者としての知識、恋人としての愛情、全てを注ぎ込み、今日もまた彼女を守ったのだ。




