第32話 ゴールデントリオの恋愛事情
昼休みの講義室。
ざわめきは残っているのに、俺の周りだけ音が遠い。
エレナの顔が浮かぶたび、胸の奥がざわついた。
両思いだと分かっていても、年齢差がどうしても引っかかる。
十九歳と十三歳。
孤児院のときは自然だった距離が、今は妙に意識してしまう。
そんな俺の前に、テオがパンを抱えてどっかり腰を下ろした。
「ハヤト、顔が完全に“恋に悩む主人公”だぞ」
「……いや、そんなつもりじゃないんだけど」
「あるわよ」
エマが椅子を引き、静かに座る。
その横顔は、観察眼の鋭い研究者そのものだった。
「エレナちゃんのこと、でしょう?」
図星すぎて、俺は返事に窮した。
「歳の差が気になるって顔よね。でもさ――」
エマが一度、テオに視線を送る。「うちの家、かなり歳の差があるって話、ハヤトは知らないでしょう?」
「なにそれ」
「うん、実はな……話すと長いぞ?」
「聞く。今なら、むしろ聞きたい」
するとテオは、パンを置き、珍しく真面目な顔をした。
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■テオの父と母 ― 十歳差を越えた話
「うちの親父、村の診療所の若い研修医だったんだよ。二十一歳。
で、母さんは村の薬草採集の専門家で三十一歳。村じゃ結構有名な人だった」
テオは机に肘をつき、語り始めた。
「親父は母さんに一目惚れしたらしい。でも、母さんは仕事一筋で、しかも村のまとめ役みたいな立場だったから、親父なんて眼中にもない」
「らしいわね。お義母さん、かなりサバサバした人だから」
エマが補足する。
「親父は毎朝、診療所へ向かう途中にわざと薬草小屋を通ってさ。挨拶しては塩対応されて、でもめげずに声かけ続けて……」
「それ、ストーカーにならない?」
「ならないレベルでギリギリ頑張ったらしい」
「ギリギリは危ないだろ」
テオは笑いながら続ける。
「でもある日さ、村の子どもが山で怪我したとき、親父と母さんがたまたま一緒に処置したんだと。
そのとき母さんが、親父の手際を見てびっくりしたんだって。“若いのに、こんなに人を見てる眼をしてるのね”って」
「そこから母さんの態度が軟化したの。
でも、周囲の反対はすごかったわよ」
エマが懐かしむように言う。
「十歳差。村の実力者である母さんが、若造の研修医に……ってさ。うちの祖父母なんて、親父を門前払いしたらしいから」
「でも親父は毎回行った。“母さんを好きになった気持ちは消えないから、許してほしい”ってさ」
テオの言葉が、真剣味を帯びていく。
「あるとき母さんが村を離れて講義に参加することになった。親父は仕事休んでまで追いかけて、“帰ってくるまでに、反対を全部説得してみせます”って言ったんだ」
「……え、すげぇな」
「すごいでしょ? で、母さんが帰ってきたら、本当に周り全員を説得してた。
母さんは“そこまでされて嫌いになる理由がない”って、そのまま結婚したの」
テオは照れくさそうに笑う。
「歳の差なんて関係なかったんだよ。
“向き合う覚悟”があるかどうか、それだけだったって、母さんがよく言ってた」
隣でエマが小さく頷く。
「ね? ハヤト。年齢の問題じゃなく、自分がどうしたいかだと思うわ」
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■俺の中の、逃げていた理由
二人の話を聞いて、胸の奥が熱いような、痛いような感覚に変わっていく。
覚悟――
その言葉がずっと引っかかっていた。
本当は、俺は怖かっただけだ。
エレナの未来の重荷になりたくない。
周りに何か言われるかもしれない。
俺が間違った選択をしたら、彼女の心を傷つけるかもしれない。
全部言い訳だ。
俺は、あの子の前でだけは、逃げたくなかったはずなのに。
気づくと、孤児院での記憶がよみがえる。
『ハヤトにぃに! エレナ、ドレス着たい!』
安い布を縫って作った即席のドレスを、エレナは宝物のように抱えて笑った。
もうひとつ。
俺の誕生日に熱を出してしまったエレナが、布団の中で震えながら折り紙の花を差し出してきた。
『ごめんね……せっかくのお誕生日なのに……』
その花は、今も俺の財布に入っている。
――この子の気持ちを、俺が一番わかってやらなきゃいけないのに。
「……行こう」
俺はゆっくり立ち上がった。
「病院棟だろ?」
「うん、行ってあげて。今なら、きっとお互い素直に話せるわ」
テオとエマの声が、背中を押してくれる。
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■そして、マルクスの影
渡り廊下を進むと、胸の鼓動が速くなる。
怖さじゃない。
決心が形になっていく緊張だ。
病院棟の入り口に手をかけようとした、その瞬間。
「……どこへ行くつもりだ、ハヤト・キサラギ」
湿った空気を裂くような声が聞こえた。
マルクスが、腕を組んで通路を塞いでいた。
「悪いけど、今は通してくれ。エレナと話す」
「許可できない。あの子は――」
「誰に何を言われても行くよ。
俺は逃げない」
マルクスの表情がわずかに歪む。
その奥に、何か焦りのようなものが見えた。
でももう、迷うつもりはなかった。
――エレナと向き合うために、俺はここにいる。
その覚悟だけは、揺らがない。




