第31話 ゴールデントリオは今日も健在
公開ディベートから数日。学園の空気は穏やかになったが、俺の胸の奥にはまだあの緊張と興奮がくすぶっている。
特に、エレナがベッドから身を乗り出して、手を振りながら笑ったあの瞬間――まるで太陽みたいに輝いていたあの顔を思い出すたび、心臓が跳ねる。
今日は、エレナの体調が比較的安定している日。医師からも、外気に触れる程度なら問題なし、と聞いていた。
テオとエマには、「病棟ピクニックだからな、軽めなやつだぞ」と釘を刺しておいたが、二人は案の定うきうきしている。
「ハヤト、やっとデートだろ、デート!」
「……うん、これぞデートだな、医学的にも」
「……お前ら、茶化すな!」
テオの馬鹿笑いとエマのニヤリに、思わず頬が緩む。こいつらがいると、どんなに緊張しても肩の力が抜ける。これが“ゴールデントリオ”の強みだ。
庭にレジャーシートを広げ、簡単なサンドイッチやスープを並べる。塩分やカロリーは医師監修済み。こうして俺の知識が日常に役立つ瞬間は、案外嬉しいものだ。
「わぁ……外、久しぶり……!」
エレナは車いすに座ったまま、目を輝かせて風を吸い込む。頬をかすめる冷たい風に、小さな声で「わっ、さむっ!」と叫び、両手で顔を覆う。まるで子供のような仕草に、俺は思わず胸を打たれる。
――こんな笑顔を守るために、俺はどれだけでも強くなる。
「寒くないか? 無理はするな」
「大丈夫だもん! ハヤトくんがいるから!」
その無邪気さに、心臓が跳ねる。胸の奥で、熱く、強く、決意がうねった。
スープを手渡すと、ふうふうと吹きながら両手で抱え込む。
そして突然、器を傾けながら「ハヤトくん、スープこぼれそう!」と叫び、慌てて器を支えようとする姿に、俺は思わず笑いをこらえる。
――守るべき人が、こんなにも可愛くて、危うくて……俺はもっと強くならなきゃ。
その時、硬い靴音が芝生を踏む。
「――なるほど、のんきなものだな」
顔を上げると、胃がきゅっと冷たくなる。
マルクス・ヴェルナー――俺を退学に追い込もうとした男だ。目は冷たく、口元には軽蔑しかない。
「お前……どうしてここに?」
「見舞いだよ。どんな病人か見ておこうと思ってね」
一歩、また一歩。彼はエレナを一瞥する。その目は好奇や関心ではなく、ただの侮蔑だ。
――俺は絶対、エレナを傷つけさせない。
「これが君の“救いたいヒロイン”か。ずいぶんと弱そうだな。首席という地位も、情けで保っているのでは?」
エレナは慌ててハヤトの袖をつかみ、目を大きく見開く。
「あの、あのね……ハヤトくん、こわい人……!」
小さく震える声。俺の胸は張り裂けそうだが、深呼吸をひとつ。目の前の相手に負けてはいけない。
「マルクス。医学生なら最低限の倫理ぐらい守れ」
マルクスは鼻で笑う。「事実を言っただけだ。心疾患? この年齢で? どうせ長く――」
「――マルクス」
低く、冷たい声。拳が自然と硬く握られる。
テオは思わず口を押さえ、エマは眉をひそめる。
「お前の言葉は医学的にも、人としても間違っている」
マルクスは挑発する。「感情論か?」
「感情だけじゃない。公開ディベートの資料を見ろ。俺の提示した症例は全て最新の国際ガイドライン準拠。お前の古いデータは既に修正済みだ」
――俺の声が震えないのは、守るべき人がここにいるからだ。
目の前で怯えるエレナの姿を思うと、全ての力が湧いてくる。
一瞬、マルクスの瞳が揺れる。言葉に詰まった瞬間、俺は小さく安堵した。
「首席でなければもっと批判してやれたが」
「関係ない。患者を前に可能性を否定するのは医者のすることじゃない」
マルクスは唇を引き結び、視線を逸らして去った。
庭に戻った静寂の中、エレナが小さく俺の袖をつまむ。
「……ハヤトくん、ありがと」
「当たり前だろ。お前を守ると決めたんだから」
――この子の笑顔を守るためなら、どんな困難も乗り越えられる。
テオは後ろで「ひゅ〜」と息を漏らし、エマは「もう付き合ってるでしょ」と小声で笑う。
俺は抗議しつつも、胸の奥がじんわり温かくなる。
「ハヤトくん、今日すごくかっこよかったよ」
「……そ、そうか?」
「うん。ああいう時のハヤトくん、胸がドキってする」
エレナは満面の笑みで指を指して冗談ぽく言う。
「ねぇ、ハヤトくん、もう一回守ってくれる? だって、また私、わるいこと言うかもしれないもん!」
俺は笑いながら、「もちろんだ」と答えた。心の奥で決意がさらに強くなる。
庭に差し込む午後の光の中、俺たちはスープを飲み、笑い、エレナの無邪気な声に包まれた。
――たとえどんな困難が待っていても、俺たちは一緒に乗り越えていける。
“ゴールデントリオ”は今日も、永久不滅だ。




