第29話 公開ディベート〜エマ編 暴かれる罠〜
――あの日ほど、講堂の空気が重たかったことは、俺の記憶にはほとんどない。
天井のシャンデリアが静かに揺れ、朝の光が差し込む。なのに、講堂いっぱいを満たしていたのは、光とは真逆の、ざらりとした不安とざわめきだった。
「エマ、ついにお前の番だな……」
俺がそっと声をかけると、エマは胸の前で教科書をきゅっと抱えたまま、小さく息を吐いた。
「うん……覚悟は決めてる。でも、やっぱり緊張するね。大丈夫、私?」
隣のテオが、なぜか自分が本番に戻るかのように、ぐっと拳を握っている。
「エマなら大丈夫だよ!だって、昨日の勉強会、蛇寮の誰よりも怖かったし!」
「……褒め言葉として受け取るね?」
エマがじと目になってテオを睨む。その表情すら、場の緊張をほぐす力があった。
俺はそんな二人の様子を見ながら、胸の奥がじわりと熱くなるのを感じていた。
――ここまで来たんだ。
三人で、足を引っ張り合うんじゃなく、支え合って。
そして今から、その努力が試される。
講堂の壇上へと進むエマの背中は、小柄なのにどこか大きく見えた。
◆ディベート開始
「それでは、三人目――エマ・リンデン。前へ」
生徒会長の声は、いつもよりわずかに震えていた。
蛇寮の後ろに控えている上級生たちが、鋭い視線で講堂の空気を刺してくる。
(……やっぱり、思ったとおりだ)
俺は胸の奥でつぶやいた。
どう見ても、生徒会長は彼らに怯えている。昨日から妙にそわそわしていた理由が、今ならはっきりわかる。
ハヤトとテオを退学に追い込むため、蛇寮が会長を脅していた。
それがエマの読みであり、俺たち三人の導き出した答えだった。
壇上に立ったエマが、静かに口を開く。
「では……今回の問題について、私の意見を述べさせていただきます」
エマの声は震えず、澄んでいた。
観客席の全員が、息を呑む。
◆エマの告発
「まず、生徒会長に確認したいことがあります」
エマは会長をまっすぐに見つめた。
「今回の公開ディベートの『問題文の改ざん』。これは……蛇寮の生徒に指示されたのではありませんか?」
講堂が、一瞬で色を変えた。
「なっ……!」
会長が椅子から跳ね起き、蛇寮の生徒たちがざわめき立つ。
テオが俺の袖をつかんだ。
「ハ、ハヤト……!ほんとに言っちゃったよ!?」
「ここで言わなきゃ意味がないだろ。……大丈夫、エマは覚悟してる」
俺は心臓の鼓動を押さえつけながら答えた。
エマが壇上で続ける。
「この三日間、私たちはほとんど寝ずに勉強してきました。
なのに……なぜか、ハヤトとテオの問題だけが、事前に渡されていた内容と“違っていた”。
そして、その変更は、生徒会長にしかできないはずです」
蛇寮側の席から、ついに怒声があがる。
「でまかせを言うな!証拠はあるのか!?」
エマは、すっと胸ポケットから小さなメモを取り出した。
「証拠はここにあります」
それは、数日前に会長がテオへ誤って渡そうとした
“最初の問題案” の控えだ。
テオがぼそりとつぶやく。
「……あれ、俺、落としたと思ってたけど……エマが拾ってたんだ……」
(気づいてなかったのか……!)
俺は頭を抱えたが、同時に胸が熱くなった。
――そうだよな。
エマはいつも、黙って俺たちのフォローをしてくれる。
エマが壇上で続ける。
「この原案には、ハヤトとテオの問題文は“正式な医療問題”として記されています。
でも、最終版の問題には、あり得ない項目が追加されていた。
患者を『虚言癖』『被害妄想』だなんて……そんな言葉、医療学生が、患者に対して書くわけがない」
観客席から、どよめきが起こる。
俺は拳を握った。
(……エマ、よく言ってくれた)
◆生徒会長の崩壊と告白
蛇寮の生徒が怒鳴り散らす。
「黙れ!そんな紙切れ、一体どこで拾ったんだ!」
だが、観客席の空気はもう変わっていた。
蛇寮ですら、一部はざわつき始めている。
会長が、ついに力尽きたように膝をついた。
「……ごめんなさい……!
蛇寮の……三年の上級生に……脅されて……。
断ったら、俺の家の……奨学金のことまで……!」
講堂に、長い沈黙が落ちた。
俺は胸の奥が痛んだ。
怒りではなく、彼の弱さへの哀しみに近い。
(会長……そんな理由で)
エマは壇上できゅっと拳を握り、でも優しい目で言った。
「……言わせた人が悪いだけです。
あなたは、これ以上苦しまなくていい」
◆蛇寮の崩落と、寮監の激怒
その瞬間、壇上横の扉が勢いよく開いた。
「何をしているんだ、君たちは!」
蛇寮の寮監がずかずかと歩み寄り、問題の上級生を吊り上げるように掴み上げた。
「医学生が患者を笑い者にするなど、絶対に許されん!
恥を知りなさい!」
蛇寮の上級生が青ざめて震える。
観客席から、ついに拍手が起こった。
最初は小さかったが、次第に大きな波になっていく。
テオがぼそりと呟いた。
「……なんか、俺たち勝った?」
「勝ったんじゃなくて、守れたんだよ。俺たちの、大事なものを」
そう言いながら、胸が熱くなった。
◆ポイント発表と逆転劇
寮監が壇上に立ち、声を張り上げる。
「今回の件を受け、蛇寮には“減点100”。
獅子寮には、“正当な訴えをした”として“加点100”を認める!」
講堂が揺れた。
「やったぁぁぁぁぁ!」
テオが飛び上がり、俺に抱きつく。
エマもほっとしたように笑う。
「ふぅ……これでようやく、胸を張って自慢できるね。
『私たち、正しいことをした』って」
◆静かな余韻の中で
講堂の熱気が少し落ち着いた頃、壇上のエマがこっちを向いた。
目が合った瞬間、俺は自然と笑っていた。
「エマ、お疲れ。……ありがとう」
「ううん。三人でやったんだよ。私一人じゃ、絶対に無理だった」
エマの声が少し震えていたのは、張り詰めた糸が切れたせいだろう。
テオがぽんとエマの肩を叩く。
「……エマ、泣いたらメガネ曇るよ?」
「泣いてない!」
拳でテオの頭を軽く叩く音が、講堂に響いた。
俺はその光景を見て、胸の奥に温かいものが広がる。
――これで終わりじゃない。
でも、今日の俺たちは確かに誇れる。
三人で勝ち取った、正しい答えだ。
公開ディベートシリーズ、完。
だが、俺たちの学生生活はまだ続いていく。
きっと、次はもっと騒がしくて、面倒で……そして楽しい事件が待っている。
それでも――
この仲間となら、何度だって立ち向かっていける気がした。




