第28話 公開ディベート〜テオ編〜
俺のディベートが終わり、講堂の空気がようやく和らぎ始めた頃。
舞台袖で深く息を吐いていたのは──テオだった。
肩を上下させ、緊張と恐怖と少しの期待を混ぜたような顔をしている。
あれだけ食いしん坊でお気楽な彼が、今日ばかりは朝から一口も何も食べていない。
「ハヤト……俺、ほんとにやるのか……?」
「やるんだよ。ここまで準備したんだから」
俺が肩に手を置くと、テオはぐにゃっと情けない声を漏らしながらも頷いた。
昨日の夜。
俺とエマとテオの三人で、獅子寮の談話室にこもって徹夜の勉強会をした。
テオは噛みまくり、焦りまくり、途中で何度も「腹減った……」と言っていたが、それでも最後まで逃げなかった。
──あの努力を見てしまったら、今日の舞台を見守らずにはいられない。
◆
司会の先生が壇上に立ち、名前を呼ぶ。
「それでは次の登壇者。獅子寮二年──テオ・アルト君」
その瞬間、講堂に微妙なざわめきが広がった。
「……あの珍回答の?」
「今日もなんかやらかすんじゃない?」
「いや、むしろ見たいけど」
蛇寮あたりからは露骨に期待と嘲笑が混ざったような視線が飛んでくる。
テオはというと──
膝がわずかに震えている。それでも前に進んだ。
ゆっくり、ゆっくり。
逃げ出しそうな足を押しとどめるように、一歩一歩壇上へ登っていく。
俺は心臓を握られたような気持ちで、その背中を見送った。
◆
スクリーンに、最初の設問が映し出される。
「高熱と右下腹部痛を訴える患者。医学生として最優先で行う観察項目は?」
テオの表情が固まる。
が──次の瞬間、息を深く吸い込んだ。
「腹部の圧痛、反跳痛……それから歩行時痛の確認です!」
「正解!」
講堂がざわりと揺れる。
「え……普通にできてる……?」
「珍回答タイムじゃないの?」
「どうしたんだあいつ」
ざわめきは驚きへと変化していった。
テオは自分でも信じられないのか、目を丸くしていたが──
そのまま二問目、三問目と正確に答えていく。
声は震えているし噛みまくっているが、内容は完璧だ。
……ああ、本当に頑張ったんだな。
◆
しかし、蛇寮は簡単には諦めない。
「次でボロ出すんじゃない?」
「さすがに応用問題は無理だろ」
彼らが期待を込めたように囁く。
スクリーンに映るのは、今回の山場となる問題だった。
「急激な容態悪化が見られる若年患者に対し、看護学生としての適切な行動を述べよ」
テオは喉を鳴らした。
この問題は……昨夜、最後に復習した難問だ。
「て、テオ……落ち着いて……」
エマが祈るように手を組む。
俺も無意識に拳を握り締めていた。
テオは目を閉じ、ゆっくりと胸に手を当てて息を整えた。
まるで、昨日の自分に問いかけるように。
「……患者さんの不安を取り除くために、声をかけて状態を観察します。
その上で、速やかに担当医へ報告して……ひ、必要な処置につなげます。
患者さんが……ひとりで苦しまないようにすることが、大事……です」
講堂が静まり返った。
講師が、厳しい表情からゆっくりと柔らかい笑みに変わる。
「……とても良い回答だ。テオ・アルト君、成長しましたね」
次の瞬間──
拍手の嵐だった。
「すげえ!」
「テオってこんなにできたのか!」
「見直したぞ!」
蛇寮の方では、明らかに落胆の溜息が聞こえる。
「あーあ……今日は笑えなかったな……」
「普通に優秀じゃん……つまらん……」
◆
壇上から降りたテオは、俺を見るなり、ぐしゃっと泣き笑いの顔で抱きついてきた。
「ハヤトぉ……できた……俺、やれた……!」
「お、おい苦しいって……! でも、よく頑張ったよテオ」
エマも目元を拭いながら言う。
「努力がちゃんと報われたのよ……ほんとに立派だったわ」
「えへ……へへへ……」
テオは照れくさそうに笑った。
涙でぐしゃぐしゃなのに、誇らしさだけは隠しきれていない。
◆
こうして、テオは正式に退学を免れた。
ただのムードメーカーだった彼が、今日だけは堂々と胸を張れる医学生になった。
テオが走り抜けた姿を見て、講堂を後にする俺の胸にも、熱が残っていた。
さあ、次は──エマの番かもしれない。
獅子寮二年の公開ディベートは、まだまだ続く。




