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第26話 退学の危機?!

 生徒会室の前に立った瞬間、鼓動がひとつ強く跳ねた。

 冬の廊下は静まり返っていて、壁際の時計の秒針が妙に大きな音で刻まれている。


 「なあ……ほんとに、俺たち、何かした?」

 テオが袖を引っ張ってくる。声が裏返っている。普段の食いしん坊でお調子者の彼からすると珍しいほどの弱気だった。


 「“何か”どころじゃないでしょ。あなた、授業中に『心臓は二つあった方が便利だと思います!』って堂々と答えてたじゃない」

 エマが呆れたように言う。だが、その指先は教本を握りしめて、いつもより僅かに力が入っていた。


 「へ……あれ? でも便利じゃない? スペアとか……」

 「スペアって言うなよ」


 軽口を返しながらも、俺の呼吸だけは浅かった。

 生徒会長に呼び出される理由なんて、そう簡単に想像がつく。

 エレナとの距離――どれだけ気をつけていたつもりでも、周囲には“それ以上”に見えたのかもしれない。


 扉の向こうは、いつものように秩序立った世界が広がっていた。

 整頓された書類の並びさえ、裁判所の証拠品のように見えてしまうのは、俺の心の問題だろう。


 「来たまえ」


 生徒会長の低い声は、予想以上に重かった。



 「まず、キサラギ・ハヤト。君の件からだ」


 その瞬間、呼吸がぴたりと止まった。

 生徒会長の視線は鋭くも冷静で、そこに私情が入り込む余地は一切ない。


 「患者であるエレナ・インゼルと、個人的な交際関係にあることが確認された」


 ――言われた。


 胸の奥を直に掴まれたような痛みが走る。

 視界の中で、テオが驚いて目を丸くし、エマが「やっぱり……」と小さく息を呑むのがわかった。


 「俺は……そんなつもりじゃ……」


 言い訳のように聞こえるのが嫌で、途中で言葉が切れた。

 生徒会長は淡々とした声のまま、感情の波に一切巻き込まれない。


 「つもりではなく、立場の問題だ。医療者の卵として、看過できない」


 それは正論だった。

 正論だからこそ、胸の奥に突き刺さったまま抜けない。


 「以上を踏まえ、キサラギ・ハヤト。君は――退学相当と判断される」


 空気が変わった。


 重たく沈むように、部屋全体が落ちていく錯覚。

 冷気が足元から這い上がる。

 音という音が途絶えて、耳の奥に血流だけが響いた。


 隣のテオが、椅子を蹴るような勢いで立ち上がる。


 「は……ハヤトが退学って、いやいやいや、そんな、待ってよ、生徒会長! あいつ真面目だぞ?! 俺のほうが問題児なのに!」


 生徒会長は淡々と言う。


 「安心してほしい、アルト君。君の件も今から伝える」


 「安心できる要素どこにあるんだよ!!」


 叫びながら俺の袖にしがみついてくるテオが震えている。

 エマは驚愕に固まり、顔色を失っていた。


 「アルト・テオ。君は複数の担当教員から“説明不能な回答が多すぎる”と報告が上がっている」


 「いや、いやいや待って、説明不能って……俺、ちゃんと考えて……っ!」


 「退学相当と判断される」


 その言葉が落ちた瞬間、テオは椅子に尻もちをついた。

 目は大きく開き、口が半開きのまま――本人なりに状況を理解しようともがいているのが痛いほど伝わってくる。


 エマも同じだ。震える手で教本を抱きしめ、肩を縮こまらせている。

 普段の落ち着きはどこにもない。

 この二人が、俺以上に衝撃を受けている。


 そして俺は――不思議なほど冷静だった。

 まるで現実味が薄くなり、遠くから自分を眺めているような感覚。


 (ああ、やっぱり……こうなるのか)


 覚悟していたつもりだったのに、喉の奥が焼けるように痛い。

 エレナの顔が、浮かんでは消える。

 退学になれば、もうあの病室へ、俺は――。



 「待ってください!」


 エマの声が震えながら部屋に響いた。

 誰よりも衝撃を受けていたはずなのに、彼女は真っ直ぐ前に進み出る。


 「ハヤトもテオも、誰より真剣に医学を学んでいます!

 テオだって、たまにおかしいけど、必死でやってるんです!

 ハヤトは……エレナちゃんのために毎日努力して、この学校を誰より大切にしてるんです!」


 彼女の声は震え、涙がにじんでいた。

 エマがここまで声を荒げる姿を、俺は初めて見た。


 「二人を辞めさせるなんて……絶対に間違ってます!」


 生徒会長はしばらく沈黙した。

 その沈黙が逆に緊張を増幅させ、空気を張り詰めさせる。


 やがて、彼は静かに眼鏡を押し上げた。


 「……なるほど。確かに、私の認識以上に、君たちは強い絆で結ばれているようだ」


 そして、条件が告げられる。


 「退学処分を覆す方法が一つだけある。私との公開ディベートだ。そこで私に勝てれば――処分は撤回する」


 沈んでいた空気が、一気に揺れた。


 テオはがばっと起き上がり、肘を打って「いたっ」と言いながらも叫んだ。


 「ディベート?! ハヤト、これワンチャンあるぞ! 俺たち、口だけは強いし!」


 「口だけって言わないでくれ……」

 そう返す俺の声は、さっきより少しだけ力が戻っていた。


 エマは涙を拭い、小さく息を吸って気を引き締めた。


 「……仕方ないわね。本当に無茶苦茶だけど、ハヤトたちを守れるなら、全力でやる」


 俺は二人の顔を順に見た。

 退学を宣告されたのに、こんなふうに寄り添ってくれる仲間がいる。

 胸の奥で、じわりと熱が広がった。


 逃げたくない。

 この学校を、未来を、エレナとの時間を――自分の手で守りたい。


 「わかりました。俺たち三人で、あなたに勝ちます」


 生徒会長の口元が、かすかに笑ったように見えた。


 「期待しているよ、キサラギ。公開ディベートは一週間後だ」



 生徒会室を出た瞬間、テオが俺の肩に両手を置いた。


 「ハヤト! ディベート地獄、開幕だぞ!!」

 「地獄って言わないで、縁起でもない」

「いや、でもなんかワクワクしてこない?!」

 「……しないよ」

 「私はするわよ。どうせあなたたち放っといたら脱線しかしないし」


 エマのツッコミに、俺とテオは顔を見合わせ、思わず笑った。

 ほんの数分前まで退学を言い渡されて震えていたとは思えないほど、三人の空気が戻っていた。


 ――絶対に退学なんてさせない。

 不安はある。怖くもある。

 けれど、三人なら乗り越えられる気がした。


 そんな確信を胸に、俺たちは新たな一週間へ歩き出した。

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