第22話 波乱の幕開け
二年生が始まって、まだ数日。
はずなのに、俺の身体は、もう一ヶ月働き続けた新人医療スタッフみたいに疲れ切っていた。
講義に実習、レポートの山。
それに加えて、星輝の杖──学院が保管している特殊な医療デバイスの継承者として、毎晩研究室で訓練に追われている。
誇らしいはずの役目なのに、最近は「眠りたい」という欲求に毎回負けそうだ。
今日の病態生理学Ⅱ。
黒板を走るチョークの音が、まるで子守歌みたいに優しく聞こえたのが運の尽きだった。
気づいた時、俺の額は机に沈んでいた。
夢じゃなくて、現実だった。
やったな、俺。
前の席のテオと目が合うと、彼は「やばい」という意思を目全力で伝えてきた。
ただ、俺が寝たことより、テオが真面目にノートを取っていた事実のほうが驚きだ。
それほど今日の講義は難しかったらしい。
しかし、そのテオの努力はあっけなく砕かれる。
「では、次の質問。先ほど説明した病態と関連する臨床検査値を三つ挙げてください。……アルト君」
選ばれた瞬間、テオの肩が跳ねた。
周りもざわつき、俺も心の中で全力で祈る。
頼むぞテオ。今日こそは、普通に、ほんとに普通に答えてくれ。
だが、テオは胸を張って立ち上がった。
「えっと……まず、空腹度……ですかね」
教室の空気が凍った。
俺は無言で顔を覆った。
空腹度。
それは完全にお前個人の問題だ。
「アルト君、それは……まさかとは思いますが……」
「ち、違うんです先生! いや、違うのか? あれ……?」
自分で答えに迷い始めるテオ。
いや、迷う前に気づけ。
講師はため息をつきつつ、冷静に訂正を告げた。
そして講義後、俺たちは獅子寮の掲示板前で、原点のお知らせを見上げることとなった。
俺の居眠りと、テオの空腹発言のダブルパンチでの減点。
寮の名誉が序盤から傷ついた。
「……二人とも、開幕から飛ばすわね」
背後から聞こえる妙に落ち着いた声。
振り返るとエマが腕を組んで立っていた。
「ハヤト、あなたが居眠りなんて珍しいわね。どうしたの?」
「いや、研究続きで……ちょっと寝不足で」
「寝不足で倒れたら本末転倒よ。医療者の卵として自覚持ちなさい」
その横でテオが小さく手を挙げた。
「あの、エマ……俺も反省してるよ。えっと、その……お腹が減ってただけで……」
「減ってただけで講義崩壊させないで!」
「ご、ごめん!」
「テオ。ねえテオ。あなたはどうしてそんな……毎回“予想外の方向”から攻めるの?」
「え、いや、攻めてるつもりはないんだけど……自然と……?」
「自然と? その自然をまず矯正しなさい!」
エマの怒号が寮の廊下に響き、通りすがりの一年生がびくっと身を縮める。
テオが「ひぇ……」と小さくなっている姿に、思わず笑いそうになる。
エマも気づいていたのか、数秒後には視線をそらしながら、少しだけ声を落とした。
「……二年生は一年とは全然違うのよ。実習も近いし、一つの失敗が患者さんに繋がるようになるんだから。だから今のうちに引き締めておきたいの」
言葉は厳しいのに、その奥にある本気の心配が伝わってきた。
「ごめん。気をつけるよ」
「俺も……次は空腹度じゃなくて……なんか、ちゃんとしたの言う!」
「“なんか”じゃダメでしょ!」
またエマに怒鳴られたテオは、しょんぼり肩を落とす。
けれど、その横顔が妙に情けなくて、俺はつい笑ってしまった。
その笑いにつられたのか、エマも「はぁ……もう」と呆れたように目元を緩める。
こんな調子で、二年生は波乱の幕を開けた。
だけど、この二人がいれば、どんなに大変でも笑いながら進んでいける。
そう思えるだけの絆が、いつの間にか俺たちの間にはできていた。




