第21話 3人で先へ
二年生への進級試験が近づくにつれ、学院の空気はゆっくりと、しかし確実に重くなっていった。
医療棟の廊下にはいつもより多くの学生が往来し、誰もが分厚い医学書を抱え、足早に自習室へと向かっていく。
白衣を着る学生もいれば、ジャージ姿のまま参考書を抱えて走り去る学生もいる。そのどれもが真剣で、張り詰めた空気が廊下の隅々まで染みついていた。
そんな雰囲気の中、俺たち三人も黙々と準備を続けていた。そして迎えた試験当日、大講義室へ足を踏み入れた瞬間、空気の密度がさらに一段階上がった気がした。
机は一つ一つ間隔を空けて整然と並び、教員が壁に沿って無言のまま立っている。話し声などまったくなく、紙の擦れる音や椅子がわずかに軋む音さえやけに大きく響いた。
自分の席に着き、配られた問題用紙を前にすると、胸の鼓動がひとつひとつ強く肩に響く。指先が冷たいのに、手のひらにはじっとり汗が浮いていた。
合図とともにページを開いた瞬間、視界の中で文字が波打つように見えた。
最初の問題は生理学の記述で、心拍出量が低下した際の代償反応を説明するものだった。頭の中で教科書の図を必死に辿り、順序立てて文章に落とし込んでいく。内容は理解しているはずなのに、言葉にしようとするとうまく形にならず、焦りが喉の奥で熱を帯びる。
続く解剖学の問題では、筋収縮の仕組みを分子の働きから説明するよう求められた。何度もノートに書いて覚えたはずだったが、細かい語句が一瞬霧に包まれるように遠のく。深呼吸をひとつしてから、頭の中の曖昧さを丁寧に拾い集めるようにして答案を埋めた。
ページをめくると、病理学の症例問題が現れた。発熱、血圧低下、意識混濁――典型症状とはいえ、付属した画像と検査データを読み解くには集中力が要る。白血球の増加、乳酸値の上昇。関与する臓器の推測を誤れば、結論は大きくずれる。慎重に、確実に、根拠を拾いながら答えを定めていく。
別のページでは薬理学で、β遮断薬の作用機序を図示する問題が出てきた。図を描き始めると少し手が震えたが、何度も練習した内容だ。受容体、効果器、矢印。描くほどに緊張が薄れ、呼吸が整ってくる。
最後は実技に関する知識問題で、急変時に行う初期評価の順番や、血圧測定の際に誤差が生じる理由を答えさせる内容が並んでいた。実習で何度も口に出してきた手順が、そのまま手を通して書かれていく。こうした問題に救われるような気持ちになった。
「そこまで」という監督の声が響いた瞬間、全身から力が抜けていった。答案を提出し席を立ったとき、ようやく呼吸が深くできるようになった気がした。合流したエマもテオも、同じように疲れた表情で、しばらくは言葉すら出なかった。
数日後の発表掲示板の前は、朝から人だかりができていた。壁に貼られた紙を前に、誰もが自分の番号を探して固まっている。俺は深呼吸をひとつし、番号の列をゆっくりと目で追った。
――あった。
その瞬間、力が抜けるのではなく、胸の奥がじわりと熱を帯びた。全身が軽くなるような、けれど涙がにじむような奇妙な感覚だった。
「ハヤト、エマ……! 俺、受かった……!」
テオが震えた声で言い、目を潤ませながら自分の番号を指差した。普段は控えめなやつが、感情の波に呑まれたように声を上げている姿に、俺の胸にも熱がこみ上げてくる。
エマも満面の笑顔で、「よかった……本当に、よかったね」と繰り返しながら、テオの肩を何度も叩いていた。
「二人とも、おめでとう。……俺も、なんとか通った」
声にしたとたん、ようやく実感が胸に落ちてきた。今まで積み上げてきた日々が確かに報われたのだと、ようやく心が納得した。
こうして俺たちは、三人そろって二年生へ進級した。
この先にはさらに重い専門科目や実習が待っているだろう。それでも、今はこの小さな成功をゆっくり胸に染み込ませておきたいと思った。
――この二人と共に進めるなら、どれほど厳しい道でもきっと乗り越えられる。




