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第19話 絶望の淵で交わした、最後の約束

俺は朝の獅子寮の食堂で、いつもの席に座っていた。目の前ではテオが「今日のジャムは最高だぜ!」と叫びながらパンにベタベタ塗りたくって、エマが呆れた顔で「またそれ食べたら午後の実習で倒れるわよ」と小突いている。いつもの、平和で、温かくて、ちょっとバカバカしい朝。


でも、俺の胸の奥には、いつもエレナの笑顔が疼いていた。

昨夜も病室で、小さな手で俺の指を握って「ハヤトにぃに、早く一緒に外でお散歩したいな」って言ったあの声が、まだ耳に残っている。


そんな時だった。


食堂の重い扉が、まるで嵐でも巻き込んで開いた。


そこに立っていたのは――エレノア姫。


白いマントが朝の光を浴びて、神々しく輝いている。でも、姫の顔は……笑っていなかった。青白くて、唇をきゅっと結んで、まるで何かを堪えるように。


周りがざわめく。俺は反射的に立ち上がった。心臓が、喉まで跳ね上がる。


姫はまっすぐ俺たちのテーブルに向かって歩いてきた。靴音が、食堂の床を叩くたびに、俺の鼓動が早くなる。


「ハヤト・キサラギ」


名前を呼ばれた瞬間、背筋に電気が走った。


姫は食堂全体を見渡し、静かに、でもはっきりと告げた。


「闇の病が……もう、王都の外郭を飲み込もうとしている。隔離施設は満杯。死者の数は、昨日だけで三百を超えた」


三百……?


その数字が頭の中で爆発した。三百の命。三百の家族。三百の「助けて」が、もう届かなくなった。


俺の膝が震えた。エレナの病室の窓から見える街並みが、頭に浮かぶ。あの街が、今……。


姫は続けた。声が、かすかに震えていた。


「下級生の皆には、これまで以上に学業に没頭してほしい。上級生は、学業と並行して現場へ。……私も、今日から医療班の最前線に立つ」


そして、姫は俺だけを見た。


その瞳は、まるで氷のように冷たくて、同時に、燃えるように熱かった。


「ハヤト」


「……はい」


声が裏返った。情けない。


姫は一歩、また一歩と近づいてきて、俺のすぐ前で立ち止まった。ほんの三十センチ。姫の香り――いつもエレナが好きな花のような香りが、鼻をくすぐる。


「恋愛感情は……今は、置いておきなさい」


その一言で、世界が音を失った。


エレナの笑顔が、脳裏に焼き付く。

「ハヤトにぃに、大好きだよ」

小さな手。熱のある指。病室のベッドで、俺の手を握り返してくれた温もり。


全部、引き裂かれるような痛みが胸を貫いた。


姫は、俺の動揺を見抜いたように、静かに続けた。


「エレナは……まだ、持ちこたえている。でも、あなたが研究を止めたら。星輝の杖を完成させられなかったら。……彼女は、あなたを待てなくなるかもしれない」


待てなくなる。


その言葉が、俺の心臓を鷲掴みにして、ぎりぎりと締め上げた。


涙が、勝手に頰を伝った。熱い。恥ずかしい。でも、止められなかった。


姫の瞳も、かすかに赤くなってる。それでも王女として、俺に言わなきゃいけない。


「あなたは学年首席でしょう? なら、今は……それだけの覚悟を持って」


俺は、嗚咽を噛み殺しながら、必死に頷いた。


「……わかり、ました……っ」


姫は、ほんの一瞬だけ――ほんの一瞬だけ、俺の頰にそっと手を添れたような気がした。冷たくて、でも優しい感触。


そして、踵を返して、食堂を出て行った。


背中が、遠ざかっていく。白いマントが、朝の光に溶けていく。


エマが、震える声で俺の袖を掴んだ。


「ハヤト……」


テオまで、目を真っ赤にして黙ってる。


俺は、涙をぐっと拭って、二人に向き直った。


「……大丈夫だ。姫の言う通りだ」


でも、心の中では、叫んでいた。


(エレナ、ごめん……! ごめんよ……!)


(もう二度と、お前を泣かせない。もう「待ってて」なんて言わせない)


(俺は……俺は、お前を絶対に、絶対に助ける)


拳が、震えるほど強く握られた。爪が掌に食い込んで、血がにじんでも気づかない。


今日から、俺は研究室に籠もる。


星輝の杖を、完成させるまで。


エレナの笑顔を、もう一度――あの病室の外で、太陽の下で見せてやる。


約束だ。


俺の命にかけて。

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