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倒れないでくれ! ――限界と選択を描く医療ヒューマンドラマ――  作者: 東雲 明
五年生編:守ると決めた日々

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第128話 明かされる真実と、試される覚悟

俺たちはルミエール王宮の外郭にある公共庭園で、小旅行を楽しんでいた。春の陽射しは柔らかく、木々の葉はまだ紅く残っている。エレナがヒカリを抱き上げて、噴水の縁に腰掛けた。ヒカリは小さな手を伸ばし、水しぶきを追いかけて笑う。その笑い声が、澄んだ空気に溶けていく。


「ハヤトにぃに、見て!ヒカリ、今日はずっとご機嫌だよ」


エレナの声はいつものように明るく、天真爛漫だ。十六歳の少女とは思えないほど、母親らしい落ち着きを帯びた口調で話す。


俺は隣に座り、ヒカリの頭をそっと撫でた。一週間しか生きられないと言われた子が、こうして元気に育っている。医学生の俺でも、時折その奇跡を信じられなくなる。


少し離れた芝生の上では、テオとエマがシートを広げていた。テオは弁当箱を三つも抱え、満足げにサンドイッチを頬張っている。エマが横で呆れたように肘をつつく。


「テオ、食べ方汚いわよ。口の周りにマヨネーズついてる」


「えへへ、美味いんだもん。エマも食えよ、これ俺が作った特製だぜ」


テオの声はいつものようにのんびりしていて、周囲の空気を和ませる。斜め上の発想で突っ走る奴だが、だからこそ憎めない。エマはため息をつきながらも、小さく笑ってサンドイッチを受け取った。二人は恋人同士で、俺が見ていても自然な距離感だ。


俺はそんな光景を眺めながら、胸の奥に温かいものが広がるのを感じていた。医学生五年生の俺たちは、来年にはそれぞれの道を歩き始める。獅子寮で過ごした日々、夜遅くまで勉強を教え合った時間、すべてが宝物のように思える。


そんな穏やかな時間が、突然破られた。


テオが急に立ち上がり、遠くの茂みを指差した。


「おお、あそこにすげえ美味しそうな実が生えてる!赤くてツヤツヤしてるやつ!ちょっと取ってくるわ!」


「ちょっとテオ、待ちなさいよ!あそこに立ち入り禁止の看板があるでしょ!」


エマの鋭い声が飛ぶ。でもテオはもう走り出していた。食いしん坊の本能が理性に勝ったらしい。低いフェンスを軽々と乗り越え、王宮の裏手へと消えていく。


俺たちは顔を見合わせた。エレナがくすくす笑う。


「テオさんらしいね。ハヤトにぃに、追いかけなくていいの?」


「いや、追いかけるよ。あいつ放っておくと本当に捕まる」


俺は立ち上がり、エマと一緒に後を追った。エレナはヒカリを抱いてついてくる。ヒカリは俺の腕にしがみつき、興味津々で周りを見回している。


王宮の裏手は、普段は一般人の立ち入りが厳しく禁じられている区域だ。高い生垣と、石畳の小道が続く。テオの姿はもう見えない。俺たちは小走りで進んだ。空気が少し冷たくなり、人の気配が薄れる。


やがて、角を曲がったところで、侍従たちに囲まれた。


「ここは立ち入り禁止です。すぐに引き返してください」


厳しい声。黒い制服の男たちが、数人で道を塞ぐ。エマが慌てて頭を下げる。


「すみません、友達が先に……」


その時、奥の扉が静かに開いた。現れたのはエレノア姫だった。三十代の優雅な佇まい、しかし今日はどこか疲れた表情を浮かべている。姫は侍従を手で制し、俺の顔を見て小さく息を吐いた。


「ハヤト・キサラギ君。ちょうど良かった。こちらへおいで」


姫の声は穏やかだが、どこか切迫した響きがあった。侍従の一人がテオを連れてきた。テオは両手に赤い実を抱え、申し訳なさそうに頭を掻いている。


「えへへ、すみません姫様……つい、美味しそうで……」


姫は小さく微笑み、侍従に目配せした。テオは一旦外へ連れ出され、エマとエレナ、ヒカリも一緒に待つよう促された。俺だけが、姫に導かれて簡素な応接室へと入った。


部屋は薄暗く、窓から差し込む光だけが頼りだ。重厚な木のテーブルと、数脚の椅子。贅沢とは言えない、機能的な空間。姫は俺に椅子を勧め、自分も向かいに座った。


「急に呼び出して、申し訳ない」


姫は静かに切り出した。俺は黙って頷いた。胸の奥に、かすかな不安が芽生える。


姫は少し間を置き、声を潜めた。


「ルミエール王国で、謎の疫病が流行り始めている。これは国家機密だ。まだ一般には一切発表していない」


一瞬、息が止まった。


「症状は……急激な衰弱、そして死に至る。発熱、呼吸困難、全身の脱力。既存の治療法では効果が薄い。まだ症例は少ないが、王都近郊で確実に増えている」


姫の瞳が、俺をまっすぐに見つめる。そこには、国の長として背負う重圧と、個人的な痛みが混じっていた。


「発表すればパニックになる。だから今は、極秘裏に調査と対策を進めている。だが……正直、限界が近い」


俺の喉が乾く。医学生として学んできた知識が、頭の中で渦を巻く。未知の疫病。治療法がない。死に至る。


姫はさらに続けた。


「ハヤト、君はもうすぐ医者になる。ルミエールアカデミーの優秀な学生だ。君のことを、以前から注目していた」


注目されていた? 俺は驚いて顔を上げた。


「君はただの知識や技術に満足しない。命と向き合う姿勢を持っている。だからこそ、今ここで伝える」


姫の声が、少し震えた。


「大切な人を失いたくなければ、医者として限界を超えろ。ただの医者では足りない。常識を超えた覚悟と、行動が必要だ。君は今、ここでその覚悟を試されていると思え」


言葉が、胸の奥深くに突き刺さった。


エレナの笑顔が浮かぶ。「ハヤトにぃに」と甘える声。天真爛漫で、無自覚に俺を振り回す天才少女。十六歳で母になり、ヒカリを産み、育てている。


ヒカリの小さな手。よちよち歩きで俺に駆け寄ってくる姿。一週間しか生きられないと言われた命が、今こうして元気に笑っている奇跡。


テオの馬鹿げた笑い声。食いしん坊でドジで、でもいつも周りを和ませる親友。


エマの鋭いツッコミ。高度な医学知識を持ち、俺を叱咤激励してくれる存在。


誰も、失いたくない。


誰も、倒れさせたくない。


俺はゆっくりと息を吸い、姫を見返した。


「……わかりました」


声は震えていなかった。むしろ、静かに燃えるような確かさがあった。


「俺は医者になります。必ず、誰も倒れさせません。限界を超えてでも、守ってみせます」


姫の目が、少し潤んだように見えた。僅かに微笑み、頷く。


「ありがとう、ハヤト。君ならできると、信じている」


部屋の外から、テオの声が聞こえてきた。


「果物没収されちゃったよ〜!エマ、慰めてくれ〜」


エマの「自業自得でしょ!」というツッコミが続く。エレナの笑い声と、ヒカリの「きゃー!」という歓声。


俺は小さく息を吐き、立ち上がった。拳を握りしめる。熱いものが胸に満ちていく。


これが、俺の覚悟だ。


医学生の俺にとって、放課後どころか、これからの人生すべてが地獄になるかもしれない。それでも、頼むから誰も倒れないでくれ。


俺は、必ず守る。

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