第10話 朝日の絆、隠された影
ルミエールアカデミーの朝は、今日も活気に満ちていた。
獅子寮の食堂。銀色の食器が軽やかにぶつかる音、焼き立てパンの香ばしさ、スープの湯気――どれも日常の些細な音や匂いなのに、昨夜の胸のざわつきを思い出すと、どこか遠くの景色のように感じられた。
俺はいつもの席でスープを啜りながら、指先に残る紙の感触とインクの匂いを思い返す。
昨夜、旧研究資料を読み耽った時間――患者として守るべき義妹、エレナの病名。治療法の限界。克服できないかもしれない現実。
胸の奥が締め付けられる。心の奥でざわめく感情に、言葉にできない苛立ちと焦りが入り混じる。
「なぜ、もっと早く方法を見つけられないんだ……!」
思わず独り言が漏れそうになる。だが、誰にも見せられない。顔には平静を装うしかない。
そのとき、トレイを抱えたテオとエマが席につく。
テオの声が大きく響く。
「おいハヤト、昨夜どこ行ってたんだよ?! 寮に戻ったとき、部屋の明かりが朝までついてたぞ!」
周囲の視線を意識しながら、俺はスープの表面を見つめる。
言葉が喉まで出かかるが、声にはしっかりとした落ち着きを装った。
「疲れて寝てただけだ」
嘘だ。
あの後も、カルテを抱え、ページをめくる手は震え、夜が明けるまで眠れなかった。
心はざわつき、胸の奥で冷たい焦りが膨らんでいく。
――エレナを救いたい。どうしても、救いたい。
テオが目を細め、眉をひそめる。
「ふーん。寝てただけにしては目の下、クマがすごいけどな」
エマがそっと手を差し伸べる。
「ハヤト、無理はしないで。昨日の実習もハードだったし……疲労で判断を誤ったら、患者に迷惑がかかるわ」
彼女の言葉が、胸の奥に沁みる。
優しい声。細やかな心配。
――エマ、ありがとう。でも、こればかりは自分で乗り越えなければならない。誰にも頼れない。
目の前のスープを啜る指先がわずかに震える。
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■ゴールデントリオの絆
テオが胸を叩き、声を張る。
「ハヤト、俺らがついてる! 獅子寮のゴールデントリオだ。何でも一人で抱え込むな!」
勢い余ってパンを吹き出し、エマの皿に屑が飛ぶ。
慌ててフォークで押し返すエマ。
「……ドジね。だけど、そんな二人がいてくれるだけで、俺は……」
胸の奥で小さく感謝の熱が流れる。
孤児院で育った俺には、この「誰かが自分を支えてくれる感覚」が、まだ眩しすぎる。
テオの無邪気な笑顔、エマの優しい視線――
あの書庫の暗闇や旧資料の冷たさを、一瞬でかき消す。
「一人じゃない」
心の底からそう思えた。
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■忍び寄る医局の影
廊下を歩くと、蛇寮の生徒たちの視線が刺さる。
マルクスの取り巻きが壁にもたれ、冷ややかな目で囁き合う。
胸がぎゅっと締め付けられる。
――エレナの病に立ち向かうためには、この学内競争も乗り越えなければならない。
テオが肩を叩く。
「気にするな。俺がついてる」
エマが腕を組み、視線を鋭くする。
「何かあったら、すぐに講師に報告よ」
――盾のような存在。少しだけ心が安らぐ。
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■薬理学実習での葛藤
今日の実習は「希少疾患治療薬の成分抽出」。
手にした器具や溶液の重みが、手のひらに冷たく伝わる。
だが頭の中はエレナのことばかりで、集中できない。
――本当に、この方法で彼女を救えるのか。
もし失敗したら、あの弱々しい瞳をもう二度と見れなくなるかもしれない。
そんなとき、蛇寮の生徒が近づく。
「英雄さん、旧資料を読んで何になる? 患者は救えない」
胸がぎゅっと締め付けられる。
怒りと焦りが込み上げる。
――俺はまだ諦めない!
「黙れ、俺は……絶対にあきらめない!」
小声で自分に言い聞かせる。
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■昼休み、中庭にて
噴水の音が、耳に優しい。
木々の葉が揺れ、光と影が交錯する。
だが胸のざわつきは消えない。
――エレナの顔が浮かぶ。
手術後の弱々しい微笑み。
あの小さな手が袖を引っ張った感触。
「ハヤトにぃに、ずっと一緒だよね?」
その言葉が、胸の奥で熱く、痛いほど残っている。
テオとエマが近づいてくる。
「ハヤト、昼飯まだか?」
「お弁当、持ってきたわ」
笑顔を向ける二人に、少しだけ心が軽くなる。
――二人がいる。この絆があれば、たとえ試練が襲っても、負けない。
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■午後の講義、そして旧アーカイブ
午後は「先端医療と研究倫理」。
講師の声が胸を刺す。
「患者を救うのは、情熱だけではない。科学的根拠と倫理の両立が必要だ」
その言葉が、胸に突き刺さる。
正しさと優しさを天秤にかける瞬間――
医療の現実の重みを、改めて感じる。
講義後、俺は旧研究棟の奥に向かう。
許可証をかざすと重厚な扉が開き、冷たい空気が体を包む。
中央にはルミエール病初期症例の原資料。
手に取った瞬間、心臓が跳ねる。
ページをめくるたびに、胸の奥が締め付けられる。
――限界を知った者は諦める。でも、俺は違う。
エレナを救うためなら、限界も乗り越える。
扉を出ると、廊下でテオとエマが待っていた。
「顔色悪いぞ。大丈夫か?」
「何かあったんでしょ?」
俺は微笑む。だが心の中では、静かに誓った。
――エレナを救う。
――限界を超える。
――この絆を守る。
夕陽が廊下を赤く染め、俺の決意を照らす。




