第1話 はじまりの許可証
ルミエール王国の辺境。地図帳では点にしか見えないような、小さな外れの村だ。
霧に包まれた朝、埃っぽい土の道を馬車の軋む音がゆっくり通り過ぎていく。そんな静かな景色のなか、俺のもとへ一通の小包が届いた。
差出人は不明。ただ、封蝋には“E”のイニシャルと王家の紋章が深く刻まれている。指で触れると、冷たい革の感触が掌にじんわりと染み込んだ。
ーー ハヤト・キサラギ。王家の指示により、ルミエールアカデミー医療専門学校への入学を許可する。直ちに街へ行き、制服と学用品、生徒手帳を準備するように。E より。
心臓が、耳元でドクドクと跳ねた。息が浅くなり、視界の端がふわりと揺れる。
ルミエールアカデミー医療専門学校。
最新の医療設備がそろった白い大理石のホール。香る薬草、紙とインクの匂い。医者を目指す優秀な学生たちが集まる、あの学び舎。
医者としての知恵も、かけがえのない絆も、すべてが手に入る場所。
ーー 医者。
かつて余命5年と言われ、18歳まで生きられないと告げられた俺は、今こうして十八の誕生日を迎え、孤児院の小さな部屋でこの手紙を握りしめている。
朝陽が差し込み、舞い上がる埃が金色に輝く。冷たい木の床に伸びた、自分の影がやけに長く感じた。
子供の頃からの夢──誰かに光を与える人間になりたい。
その夢が、ようやく目の前まで来ている。
気づけば、手紙を皺になるほど強く握っていた。インクの匂いが鼻をくすぐる。
俺はすぐさま院長の部屋へ向かった。石畳の床が冷たく、素足にひんやりと伝わる。
「確かに、君が医者になりたいと言い続けてきたことは知っている。しかし、全寮制だ。この孤児院には二度と戻れない。覚悟はできているか?」
院長の視線が鋭い。蝋燭の揺れる炎みたいに、俺の心を探ろうとしてくる。古い本の匂いが部屋にこもり、喉の奥が少しつまる。
「俺は……ずっと誰かの希望の光になりたかった。特に、エレナと過ごした5年間で……彼女の光でありたかったんです」
自分でも驚くほど声が上ずった。エレナの笑顔が胸の奥でやさしく浮かび上がり、あの手の温もりの記憶が胸を締めつけた。
院長は指で机をトントンと叩いた。木の音が静かな部屋によく響く。
しばらくして、院長は重く口を開いた。
「ならば、その覚悟を示しなさい。明日、ルミエール王国の首都へ学用品を買いに行こう。首都は治安が悪いと言われている。君の嫌う争いに巻き込まれるかもしれない。それでも本気で行くのか?」
ーー 争い。
身体の弱い俺にとって、絶対に避けたいものだ。入院中、遠くで聞いた喧騒の記憶がよみがえり、背筋が冷たくなる。
それでも、心の奥で何かが燃えていた。
「はい、行きます」
そう言った瞬間、肺に新鮮な空気が流れ込み、弱々しいけれど確かな勇気が芽生えた。
翌日、俺は院長とともにルミエール王国の首都へ向けて旅に出た。馬車の揺れが体に染み込み、窓の外に広がる森の緑が風にざわめく。
初めての都会。未知の景色。胸が高鳴る。
澄み渡る空の下、遠くの城壁が朝陽にきらめいていた。
これが、俺の新しい試練と物語の始まりだと、この時の俺はまだ知らなかった。




