第9話 成猫の儀式
ぼくが「成猫の儀式」を受けると聞いて、集落の猫全員がイチモツの木の周りに集まってきた。
優しい猫たちが「落ちてもケガをしないように」と、木の根元に枯草の山を用意してくれた。
お父さんとお母さんもハラハラしながら、ぼくを励ましてくれる。
「シロちゃん、お父さんとお母さんが見守っているから、頑張るニャー」
「シロちゃんなら、きっと出来るニャ。シロちゃんが頑張れるように、いっぱい応援するニャ」
「ありがとう、頑張るミャ~!」
集まった猫たちもみんな、「シロちゃん、頑張れ!」と声援を送っている。
可愛い猫たちに応援されて、頑張らない訳にはいかない。
よし、やる気は充分。
この儀式を合格する為に、狩りや木登りの練習をして体を鍛えてきたんだ!
絶対に、合格してみせるっ!
もし、今回合格出来なくても合格するまで何度でも挑んでやる。
ぼくは大きく両手を振ってみんなの声援に応えた後、爪を出して木にしがみついた。
イチモツの木は、幹の太さが成猫4匹分くらいある。
高さは見上げるほど高く、緑色の葉が生い茂っている。
イチモツの実は、頂上まで登らないと取れない。
仔猫サイズのぼくが、この巨木を登るのはかなり大変だぞ。
でも、ここまで来たらやるしかない。
樹皮には細かい模様のような割れ目が入っているから、そこに爪を引っかけて両手両足を使って登っていく。
あまり時間を掛けると、筋肉に疲労がたまって体が重くなる。
かといって焦ると、手足を滑らせて落ちる。
「焦らず慎重に」と、心の中で自分に言い聞かせる。
集落の猫たちが「ニャーニャー」と、応援してくれる声に励まされる。
応援に応えて、下を見る余裕はない。
右爪を引っかけたら、樹皮の一部がボロリと剥がれ落ちた。
木も人間と同じで、古くなった外側の皮は、細かく割れて剥がれ落ちていくんだ。
下で見守っている猫たちから、大きな悲鳴が上がった。
慌てて左手と左足と右足でバランスを取り、なんとか危機を乗り越える。
ふ~……、セーフ。
こういうことは何度もあるだろうから、剥がれやすそうな部分に気を付けて登らないと。
落ちかけた恐怖でバクバクする心臓を抑え、息を整えながら別の部分に爪をかける。
今度は、剥がれ落ちなかった。
よし、この調子で行くぞ。
全身が燃えているように熱く、びっしょりと汗をかく。
手足が痛い、息が苦しい。
この身ひとつで、誰も助けてくれない、自分自身との戦い。
見下ろせば、高さに恐怖する。
見上げれば、頂上の遠さに絶望する。
ただひたすら、目の前の剥がれない樹皮を選んで、登ることだけを考えて登り続ける。
生死をかけて登り続ける緊張感が、何故か楽しくてワクワクドキドキした。
今なら、ロッククライマーの気持ちが分かる気がした。
落ちたら、ただでは済まない恐怖と戦い続ける。
そしてついにぼくはその恐怖を乗り越え、頂点にたどり着いた。
枝に生っているまんまるい実を掴み、くるりと回すと簡単にプチリと取れた。
やった!
でも、ここで気を抜いてはいけない。
無事に降りるまでが、木登りです。
実を手に持ったまま降りることは出来ないので、口に咥えた。
降りる時も慎重に、剥がれない部分を確認しながら降りていく。
地面まであともう少しとなったところで、手を離して飛び降り体をひねって空中回転。
体操選手のように、綺麗に着地。
イチモツの実を両手で掲げて、勝利の鳴き声を上げる。
「ミャーッ!」
同時に、集落の猫たちから大きな歓声が沸き起こった。
成猫の儀式を達成すると、お父さんとお母さんが駆け寄ってくる。
「シロちゃん、おめでとうニャー! シロちゃんなら、絶対出来るって、信じていたニャーッ!」
「シロちゃんがケガひとつなく、無事に降りてこられて良かったニャッ!」
お父さんとお母さんが、ぼくを抱き締めて喜んでくれた。
集落の猫たちからも、「おめでとう」の言葉が贈られた。
こんなにたくさん祝われて、褒められたのは初めてかもしれない。
嬉しすぎて、感動のあまり泣いてしまった。
これからはひとりで狩りに行くことも、旅へ出ることも出来るんだ。
長老のミケさんもニコニコ笑いながら、頭を撫でてくれる。
「シロちゃん、よく頑張ったにゃ。これで君も立派な成猫として、認められたにゃ。そうにゃ、シロちゃん、イチモツの実を食べるにゃ」
猫って、果物は食べられないんじゃなかったっけ?
そういえば、猫でも食べられる果物はあったな。
リンゴ、イチゴ、メロン、スイカ、ナシ、モモ、カキなんかは食べられたはず。
食べられると言っても、大さじ1杯くらいしか与えちゃダメだった気がする。
たくさん食べさせると、おなかを壊したり病気になったりするらしい。
「イチモツの実は、『食べると特別な力を授かる』という言い伝えがあるにゃ」
「特別な力ミャ?」
「食べる猫によって、何が与えられるかは違うにゃ」
「今まで食べた猫たちは、どんな力を与えられたミャ?」
「ほとんどの猫は、力が強くなって足が早くなったにゃ。頭が良くなったり、不思議な力を使えるようになったりする猫もいるらしいにゃ」
自分の力で登った猫だけに食べることが許された、特別な木の実か。
どうやらぼくは、「イチモツ」を卑猥な言葉と勘違いしていたようだ。
もちろん、ぼくだって強くなりたい。
頭が良くなれば、お医者さんになれる。
不思議な力っていうのは、魔法のことだろうか。
ぼくは、どんな力が与えられるのだろうか。
ぼくは迷わず、イチモツの実に齧りついた。
イチモツの実は、果物というより野菜に近い。
硬くて、噛むのが大変だ。
例えるなら、ダイコンやニンジンって感じかな。
それでも、久し振りに果物を食べられて嬉しかった。
猫に生まれ変わったら、植物がほとんど食べられなくなっちゃったからな。
食べると、ゴロゴロピーちゃんになる。
猫が安心して食べられる植物は、猫草くらい。
人間にも人それぞれ好き嫌いがあるように、猫草を好んで食べる猫もいれば全然食べない猫もいる。
ぼくも良く食べるんだけど、みんなから「仔猫は、ぽんぽんぺいんぺいんになるよ」と注意される。
これでも一応、成猫なんだけどなぁ。
そんなことを考えているうちに、イチモツの実を食べ終わった。
「どうにゃ? 何か変わったかにゃ?」
長老のミケさんを始め、集落中の猫たちがぼくに注目している。
どんな特別な力を授かったのか、みんな気になるようだ。
ぼくだってどんな力を得られたのか、楽しみで仕方がない。
見た感じでは何も変わっていないように見えるけど、何か力が宿った感覚はある。
試しに、走ってみたり、地面を殴ってみたりしたけど、以前と変わりなかった。
肉体強化ではなかったようだ。
ってことは?
もしかしたら、魔法が使えるかもしれない。
両手を前に出して「〇〇波」的なものが出ないか、気合を入れて意識を集中してみる。
「ミャーッ!」
が、何も出なかった。
代わりに、頭の中に言葉が浮かんだ。
『走査開始』
は? なんて?
突然のことに戸惑っていると、『走査完了。結果表示』に切り替わった。
『対象:食肉目ネコ科ネコ属リビアヤマネコ』
『症状:左大腿骨不全骨折』
『処置:必要なし。安静にしていれば、2週間で自然完治』
ぼくが両手を向けた先には、キョトンとしているクロネコのクロさんがいた。
【猫草とは?】
ペット用品店では、オーツ麦の若葉、小麦の若葉、大麦の若葉を、「Cat Grass」として売っている。
何故、肉食動物の猫が麦の若葉を食べるのかは分かっていない。
一般的に、「毛づくろいの時に、飲み込んでしまった毛を出す為」とか「体調を整える為」とか言われている。
単純に、「味と食感が好きで食べている」という説もある。
【走査とは?】
簡単に言えば、scanすること。
「詳しく調べる」
「検査する」
「分析する」といった意味がある。
【Libyan wildcatとは?】
猫の祖先。
肉食動物なので、小動物、虫、鳥、草食動物などを狩って食べる。
木登りが上手で、水は大の苦手。
ネズミを狩る目的で家畜化されたのが、現在の猫。
【イチモツとは?】
漢字で「一物」と書く場合は、以下の意味がある。
・いつまでも、心の中に解消されないで残っている不信や不満
・悪い計画を考えること
・ひとつのもの
・男の股間にあるアレ
※放送禁止用語ではないので、放送規制のピー音をかぶせたり○○にしたりする必要はない。
「逸物」と書く場合は、「特に優れているもの」という意味がある。
大きな一物は、逸物なのかもしれない。




