第59話 猫汎白血球減少症
ぼくが倒れてから、どれくらい時間が経ったのかな?
体が重くて、眠ることしか出来ない。
お父さんとお母さんは、集落の猫たちはどうなったんだろう?
ぼくを看病してくれている、グレイさんは?
肌寒さを感じて目を開けると、暗い洞窟の中にひとりぼっちだった。
周りを見回しても、誰もいない。
あれ? グレイさんは?
どこ行っちゃったんだろう?
重い体をどうにか動かして、ヨロヨロとゆっくり歩き出す。
ずっと眠っていて、水を飲んでいなかったから喉がカラカラだ。
とにかく、水が飲みたい。
体が上手く動かないから、川まで歩けそうにない。
そうだ! 長く雨が降っていたってことは、水たまりが出来ているはずだっ!
水たまりでもなんでも、飲めれば良い。
洞窟の外へ出れば、水たまりのひとつくらいはあるだろう。
よし、水たまりを探そう。
ピチョンピチョンと、洞窟内に水音が響いているのが聞こえる。
暗いから見えないけど、雨漏りでもしているのかな?
音が反響しているから、音で探すことも無理そうだ。
やっぱり、洞窟の外へ出るしかなさそうだ。
水を飲みたいという気持ちだけで、外へ向かって足を動かす。
かなり時間が掛かったけど、やっと洞窟の入り口まで辿り着いた。
洞窟の外は明るく、雨はすでに止んでいた。
雨の匂いを嗅げば、さらに喉が渇いて水を飲みたくなる。
洞窟の外へ出ると、すぐ近くに大きな水たまりが出来ていた。
やった、水だ!
水たまりに顔を突っ込んで、ガブガブと飲んだ。
土が混ざっていて美味しくはないけど、喉の渇きは収まった。
おなかも空いていたから飲みすぎちゃって、おなかがチャプチャプいっている。
でも水を飲んだら、ちょっとだけ元気になった気がする。
そこで、何かが近付いて来る足音に気が付いた。
今何かと出くわしたら、確実に食べられるっ!
洞窟の中へ戻ろうとしたら、聞き覚えのある声が聞こえてくる。
『シロちゃん、やっと起きたのか! ずっと起きないから、心配したぞっ!』
「グレイさん、どこへ行っていたミャ?」
振り向くと、そこにいたのはグレイさんだった。
狩りから戻ってきたところらしく、足元に|Hyracotherium(体長約50cmの小さいウマ)が置いてあった。
『ひとりぼっちにしてしまって、すまなかった。腹が減ったから、狩りへ行っていたんだ。シロちゃんも、食べるか?』
ぼくが返事をするよりも先に、「ぐ~きゅるる~っ」とおなかが鳴った。
おなかの音を聞いて、グレイさんが吹き出すように笑い出す。
『そうか、良かった。シロちゃんも、腹が減っているんだな。じゃあ、一緒に食べようか』
「ミャ!」
ぼくとグレイさんは、仲良くヒラコテリウムを食べた。
とてもおなかが空いていたから、いつもよりもずっと美味しかった。
病み上がりだから、たくさんは食べられなかった。
水を飲み過ぎたせいか、それとも胃が弱っているのに無理して食べたからか。
なんだか、おなかがゴロゴロして痛くなってきた。
おなかがいっぱいになったら、急に眠くなった。
うとうとし始めると、グレイさんが小さく笑ってぎゅっと抱っこしてくれる。
『シロちゃん、眠かったら寝てくれ。大丈夫だ、オレが側にいる。だから、安心して寝てくれ』
「ミャ……」
言われなくても、眠気には勝てない。
グレイさんの毛は、お父さんやお母さんの猫毛とは全然違うけど。
グレイさんのあったかい毛に埋もれると、とっても気持ちが良かった。
落とし穴に落ちるように、ストンと意識がなくなった。
ฅ^•ω•^ฅ
気が付くと、真っ白な場所にいた。
「死んでしまうとは何事だ? 少年」
脳内に直接、声じゃなくて言葉が流れ込んでくる。
この感覚は、覚えている。
あなたは、猫の神様ですか?
「そうだ。『次は、死なないように気を付けて生きろ』と言ったはずだがな、少年」
すみません、死んだ記憶がないんですが。
ぼく、また死んじゃったんですか?
「死んだ」
死因は、なんだったんですか?
「猫汎白血球減少症」
猫汎白血球減少症?
なんですか? それ。
「猫パルボウイルスに感染した猫や、その猫の排泄物から感染する伝染性胃腸炎だ。少年は、ウイルスが入った水を飲んで感染した」
ウイルスが入った水って、もしかしてあの水たまりですか?
「その通り。感染力が高く、野生の仔猫が突然死する原因のひとつだ」
うわ~……、マジか。
あの時は喉が渇いていて、飲めればなんでも良いと思っていたからなぁ。
まさか、その水が原因で死ぬとは思わなかった。
よりにもよって、グレイさんの腕の中で死んじゃうなんて……。
グレイさん、めちゃくちゃビックリしただろうな。
いや、ビックリなんてもんじゃないよね。
きっと今頃、めちゃくちゃ悲しんで泣いていると思う。
ごめんなさい、グレイさん。
「して、どうする? 少年」
どうするって……?
まさか、また生き返らせてくれるのですかっ?
「猫の命は、非常に短い。それに、少年はまだ若い。お前にもう一度、機会を与えよう」
ありがとうございます、猫の神様っ!
「私はいつでも、少年を見守っているからな。再びこのようなことが起こらぬことを祈っているぞ、少年」
その言葉を最後に、また意識が飛んだ。
ฅ^•ω•^ฅ
誰かの泣き声が聞こえる。
声を詰まらせながら、激しく泣きじゃくっている。
強く抱き締められていて、体が濡れていた。
誰かなんて、確かめるまでもない。
ぼくが死んでしまったから、グレイさんが泣いているんだ。
いつも凛々しくてカッコイイグレイさんが、こんなに泣くなんて。
ぼくが死んだことが、そんなに悲しかったんだね。
グレイさんは、ぼくのことが大好きだもんね。
ぼくも、グレイさんのことが大好きだよ。
死んじゃって、ごめんね。
でも悲しんでくれて、ありがとう。
人間のぼくが死んだ時も、悲しんでくれた人はいたのかな。
もし悲しんでくれる人がひとりもいなかったら、寂しいな。
泣きじゃくっているグレイさんを慰めようと、顔をペロペロと舐めた。
グレイさんはビクッと、大きく体を揺らした。
大粒の涙がボロボロ零れ落ちる目で、ぼくをじっと見つめる。
『シロちゃん……っ?』
「グレイさん、そんなに泣かないでミャ」
『死んだんじゃなかったのかっ?』
「死んじゃったミャ。だけど、猫の神様が生き返らせてくれたミャ」
『そうか! 良かった、本当に良かったっ! 猫の神様、シロちゃんを生き返らせてくれて、ありがとうっ!』
グレイさんは物凄い勢いでぼくを舐め始めて、しっぽも千切れんばかりにブンブン振りまくっている。
ぼくが生き返ったことを、こんなに喜んでくれるなんて。
やっぱり、生き返って良かった。
まだ、ぼくには帰れるところがあるんだ。
こんなに嬉しいことはない。
ぼくはグレイさんが落ち着くまで、よしよしと撫で続けた。
グレイさんの興奮が冷めるまで、ずいぶんと時間が掛かった。
しばらくして、グレイさんが落ち着いたところで話し掛ける。
「あれから、集落がどうなったか、グレイさんは知っているミャ?」
『オレはシロちゃんが倒れてから、ずっとここにいたからな。集落には、一度も行けていないんだ』
グレイさんは、申し訳なさそうに目を伏せた。
グレイさんは、ずっとここでぼくの看病をしてくれていた。
それに、グレイさんは猫の集落に入ることが出来ない。
お父さんとお母さんは、今頃、どうしているだろう?
どうなったかは、やっぱり自分の目で確かめるしかないか。
集落を見に行こうと体を起こそうとしたら、体が重くて動かなかった。
グレイさんが慌てて、ぼくをぎゅっと抱き締めて止める。
『シロちゃん、まだ無理しちゃダメだ。猫たちが心配なのは分かるが、まずは自分の体を治さないと』
「ミャ……」
「それもそうか」と思い直し、少しでも早く体を治そうと目を閉じた。




