第51話 愛猫家の献身
グレイさんを見送った後、ぼくは毛づくろいして臭いを消して集落へ戻った。
集落に戻る頃には、猫たちはみんな岩壁から降りてきていた。
ヒアエノドンの群れが去った後も、みんな落ち着かない様子でソワソワしている。
危うく、ヒアエノドンに食べられるところだったんだから無理もない。
「まだヒアエノドンたちが近くにいるかもしれない」と、不安と心配でいっぱいなんだ。
誰も巣穴に戻ろうとせず、みんなで身を寄せ合って震えている。
今夜はきっと、誰も眠れない。
集落へ戻って来たぼくに、ミケさんが呆れたような顔で話し掛けてくる。
「あのトマークトゥスとはお別れして、この地を立ち去ったと言ってなかったかにゃ?」
「はい、グレイさんとはお別れしましたミャ。ですが、グレイさんはヒアエノドンの群れが、イチモツの集落を襲うと気付いて助けに来てくれたそうですミャ」
「にゃんとっ?」
ぼくの説明を聞いたミケさんは、とても驚いた。
トマークトゥスが猫を助けるなんて、あり得ないことだから。
「ぼくのことが大好きすぎて、ここから離れられなかった」という話は、黙っておこう。
グレイさんが恥ずかしそうに、隠したがっていたからな。
ミケさんは、信じられないといった口調で聞き返してくる。
「なんでにゃ?」
「グレイさんは、猫が大好きだからですミャ。それに、ぼくの大事なお友達ですミャ。グレイさんは絶対にぼくたちを守ってくれるって、約束してくれましたミャ」
「そうにゃのか……。シロちゃんの話は、本当だったんだにゃ」
ミケさんは、しみじみとした顔で何度も頷いた。
集落の猫たちは、誰もグレイさんと会ったことがない。
グレイさんと話が出来るのは、『走査』を使えるぼくだけだし。
グレイさんと直接会ったのも、お父さんとお母さんだけ。
偵察部隊の猫たちが「トマークトゥスが集落の周りをウロウロしている」ってのを、遠目で確認したくらいか。
だから誰も、ぼくの話を信じてくれなかった。
だけど今夜、実際にグレイさんに助けられた。
集落の猫たちは、天敵であるトマークトゥスに助けられたことにかなり動揺しているらしい。
ミケさんは難しい顔をして、何やら悩んでいる。
しばらくして、ぼくに向かってこう言った。
「う~む……。そのトマークトゥス、グレイとやらに、今一度会って話をしてみたいにゃ。シロちゃん、お願い出来るかにゃ?」
ミケさんが、グレイさんと会いたいと言う日が来るなんて!
これはもしかすると、ぼくとグレイさんが一緒にいられることを許してもらえるかもしれないぞっ!
「分かりました、すぐにグレイさんを連れてきますミャ!」
ぼくは嬉しくなって、駆け出した。
グレイさんはさっき別れたばかりだから、そう遠くへは行っていないはず。
グレイさんがどこにいるか、教えて! 『走査』!
『対象:食肉目イヌ科イヌ属トマークトゥス』
『個体名:グレイ』
『位置情報:右折20m、直進100m先』
やっぱり、すぐ近くにいた。
『走査』の案内通りに走れば、グレイさんの後ろ姿を見つけた。
「グレイさん!」
『シロちゃん? まだ夜も明けていないのに、ひとりで集落を飛び出してきたら危ないじゃないか。まさか、オレに会いたくて来ちゃったのか?』
グレイさんは嬉しそうに、しっぽを振りながら振り向いた。
ぼくはにっこり笑って、グレイさんに飛び付いてスリスリと体をこすり付ける。
「そうミャ!」
『そうか! やはり、オレとシロちゃんは、離れられない運命なんだなっ!』
グレイさんもぼくを抱き締めて、体をすり寄せた。
お互いにスリスリしながら、ぼくはグレイさんに向かって明るく言う。
「あのね、ミケさんが……。集落の長老が、グレイさんと直接会ってお話ししてみたいって言っているミャ」
『何? 長老が、オレに会いたいだと? それはいったい、どういうことだ?』
「あ」
グレイさんは不思議そうな顔で、首を傾げている。
そういえば、なんでミケさんがグレイさんを呼んで欲しいのか。
理由を聞くのを、すっかり忘れていた。
「きっと良いことなんだろう」って、ちっとも疑わなかったんだよね。
「理由は分からないけど、とにかく一緒に来て欲しいミャ」
『分かった。何はともあれ、猫の集落に入るのはオレの夢だったからな。喜んで、お呼ばれしようじゃないか』
大喜びのグレイさんを連れて、集落へ戻った。
ฅ^•ω•^ฅ
集落の少し手前で、ミケさんが待っていた。
「シロちゃん、おかえりにゃ。そのトマークトゥスが、グレイとやらにゃ?」
「はい、そうですミャ。グレイさんは猫語が喋れないから、ぼくが通訳しますミャ」
「ではシロちゃん、よろしく頼むにゃ。トマークトゥス、いやグレイさん。ワシらの集落を助けてくれて大変感謝していると、伝えて欲しいにゃ」
「ミケさんは『ぼくたちの集落を守ってくれて、ありがとう』って、言っているミャ」
『いや、礼を言われるまでもない。オレは可愛い猫たちを、何よりもオレの運命の相手であるシロちゃんを、心から深く愛しているからな。愛するものを守るのは、当然のことだ』
グレイさん、愛が重すぎて通訳しにくいです……。
ミケさんには、「『どういたしまして』と言っている」と伝えた。
「集落の猫が1匹も食べられなかったのは、グレイさんのおかげにゃ。もしグレイさんさえよければ、これからもイチモツの集落を守って欲しいにゃ」
ミケさんの申し出に、グレイさんは信じられないという顔をしている。
グレイさんは、「猫の集落に入ることが夢だった」と言っていた。
トマークトゥスの群れは、猫を襲う目的で集落へ入ってくることがあるらしい。
だけどグレイさんは、純粋に猫と仲良くなりたくて集落に入りたいんだ。
集落の猫たちは、グレイさんを見てビビり散らかしている。
集落の猫たちは、ヒアエノドン(ハイエナに似た猛獣)から助けてもらったことは感謝している。
しかし、猫は本能的に天敵を恐れる。
理解はしていても、怖いものは怖い。
グレイさんは愛おしいものを見る目で、猫たちを見つめている。
『ああ、猫たちがオレを見て、怯えているじゃないか。可哀想だけど、怯えている姿もめちゃくちゃ可愛いな』
「グレイさん、その発言は変態ミャ」
ぼくが思わずツッコミを入れると、グレイさんはイタズラっぽく笑いながらぼくに体をすり寄せる。
『他の猫たちに見惚れてしまって、悪かったな。もしかして、嫉妬してくれたのか? ふふっ、嫉妬するシロちゃんも可愛いぞ。だが、オレが愛しているのはシロちゃんだけだから安心してくれ』
「嫉妬なんてしてないミャ」
『照れるな照れるな、分かっている。それで、長老。オレは、集落へ入ってもいいのか?』
グレイさんの質問に、ミケさんは首を横に振る。
「申し訳ないけど、ここから先はワシら猫の縄張りにゃ。集落に入ることは、許可出来ないにゃ」
「ミケさん、それはどういうことですミャ?」
グレイさんには、集落は守って欲しい。
でも、集落には入らせたくない。
そんな、一方的な要求があるか。
「ワシだって、むちゃくちゃな話をしていることは分かっているにゃ。だがワシは長老として、集落の猫たちを守らなくてはならないにゃ。分かってにゃ、シロちゃん」
ミケさんは、ぼくに優しく言い聞かせてきた。
でも、そんなことは納得出来ない。
ぼくは怒りながらも、グレイさんにミケさんの要求を伝えた。
グレイさんも、絶対怒ると思っていた。
だけどグレイさんは明らかにガッカリして、寂しそうな顔をしながらも小さく笑みを浮かべる。
『いや、いいんだ。オレも無茶を言って、すまなかった。トマークトゥスが猫の集落へ入れないことは、初めから分かっていたんだ。それでも、可愛い猫たちを守らせてもらえるだけでオレは幸せだよ』
優しすぎるグレイさんの深い愛情に、ぼくはやるせない気持ちになった。
「ミケさん、グレイさんはイチモツの集落へ入れないんですミャ? それでどうやって、グレイさんに集落を守ってもらうんですミャッ?」
「集落の外なら、どこにいてくれても良いにゃ。ただし出来る限り、猫たちの目に付かないところにいて欲しいにゃ。集落が襲われた時だけ、助けに来てにゃ」
『……分かった、その条件を呑もう』
グレイさんは悲しそうな笑みを浮かべて、力ない声で答えた。
返事を聞いて、ミケさんは満足げに笑う。
「物分かりが良いトマークトゥスで、良かったにゃ」
結局、ミケさんの一方的な要求だけが通ってしまった。
「近付けなくても見られるだけで良い」というささやかな願いすら、叶わなかった。
グレイさんの優しさにつけ込んだ形になってしまい、ぼくは納得がいかなかった。




