第24話 トマークトゥスの呼び声
ぼくたち8匹の猫は濡れた体を乾かしながら、お昼寝をしていた。
すると、低い唸り声とこちらへ近付いてくる足音が聞こえてくる。
慌てて目を覚ますと、数匹のオオカミみたいな動物が迫 って来ていた。
「ウニャァアァァアアア~! トマークトゥスニャーッ!」
猫たちは飛び上がって驚き、四方八方へ逃げ出した。
あれが、トマークトゥスかっ!
話には聞いていたけど、オオカミのことだったのか。
きっと血の臭いを、嗅ぎ付けて来たのだろう。
血は洗い流したけど、血の臭いは強く残っていたからな。
天敵に見つかったら、逃げるしかない。
生き残りたかったら、死ぬ気で逃げろ!
まだお医者さんとして、世界中を旅する夢を果たしていない。
それに、新しい夢が出来たんだ。
旅の途中でお医者さんがいない集落を訪れて、次の世代のお医者さんを育てていく。
お医者さんがいれば、ケガや病気で苦しむ猫たちを救える。
この世界を、少しでも苦しむ猫がいない世界にしたい。
だから、まだ死ねない。
っていうか、しつこいなトマークトゥス!
逃げても逃げても、追いかけてくるんだけどっ!
そうだ! イヌ科の動物は、木登りが苦手だったはずっ!
木に登れば、逃げ切れるに違いない!
走って走って走りまくって、高い木まで辿り着くと登れるところまで登った。
見下ろすと4匹のトマークトゥスがぼくを見上げて、吠え続けている。
トマークトゥス達は木の下でウロウロして、低く唸っている。
木に両前足を掛けて「降りて来い」とばかりに、何度も吠えてくるのが怖すぎる。
ぼくは枝にしがみついて恐怖に震えながら、トマークトゥス達が早く諦めてくれるのを待ち続けた。
やがてリーダーらしきヤツがひと鳴きすると、トマークトゥス達は立ち去った。
良かった、助かった……。
でも逃げるのに必死だったから、お父さんとお母さんとはぐれてしまった。
みんな、無事に逃げ切れただろうか?
トマークトゥス達が去った後も、ぼくは一歩も動けなかった。
また戻ってくるんじゃないかという恐怖で、木の上から降りれなかった。
天敵に追いかけられた恐怖で、心臓がバクバクして体の震えも止まらない。
必死に逃げまくったから、ヘトヘトに疲れ果てていた。
落ち着くまで、このまま休もう。
ここにいれば、木に登れない天敵に襲われる心配はない。
空から獲物を狙う、猛禽類が襲ってくる可能性はあるけど。
あと、ヘビも木を登れるから気を付けないと。
やっぱり、ひとりぼっちは怖いなぁ……。
どこから天敵に狙われるかと、恐ろしくて仕方がない。
そういえばこの世界に来てから、ひとりぼっちになったのは初めてかもしれない。
ひとりぼっちって、こんなに心細いんだな。
こんな気持ちになったのは、幼稚園児の頃に迷子になった時以来かもしれない。
おばあちゃんとはぐれた時は、絶望した。
迷子ごときで絶望って、大げさと思うかもしれないけど。
いくら見回しても知らない場所、知らない人々。
何も分からない不安と恐怖で、ずっと大声で泣き続けていた。
なんで「分からない」って、あんなに怖いんだろう。
ひとりぼっちって、なんでこんなに寂しいんだろう。
今のぼくは、あの時のように泣けない。
大声で泣いても誰も助けてくれないし、天敵を呼び寄せるだけだ。
悪いことに、雨まで降り出した。
生い茂る葉と葉の間から落ちて来た雨粒が、ぼくの体を叩く。
せっかく日向ぼっこで乾かした体が、濡れて冷えていく。
お父さんとお母さん、他の猫たちはちゃんと逃げ切れたかな?
お父さんとお母さんは足が早いから、逃げ切れたはず。
ただ、ケガをしていた猫たちが心配だ。
4匹のトマークトゥスはぼくを狙っていたけど、全部ぼくを追って来たとは限らない。
トマークトゥスが全部で何匹いたかなんて、数えている余裕はなかった。
「もしかしたら……」という悪い考えばかりが頭に浮かんで、胸がざわつく。
「どうかみんな無事でいて」と、心から祈った。
トマークトゥスたちが立ち去ってから、どれくらい時間が経ったのか。
雨が降りしきる中、これからどうすれば良いかずっと考えていた。
ここで、お父さんとお母さんが探しに来てくれるまで待つか。
それとも、自分から探しに行くか。
悩みに悩んで、探しに行く方を選んだ。
じっとしていたって、どうにもならない。
木の幹にしがみつき、足を滑らせないように気を付けながら少しずつ降りていく。
もう二度と、木から落ちて死にたくないからね。
ぬかるんだ土がぬるっとぐにゃっとしていて、気持ち悪い。
さて、どうやってみんなを探すかだけど。
猫は人間の数万~数十万倍の嗅覚を持っていると、言われている。
普段から猫吸いをしているから、お父さんとお母さんの匂いはしっかり覚えている。
愛猫家なら、猫吸いは基本だよね。
他の動物と違って、猫は獣臭くない。
お父さんとお母さんは、干したてのお布団みたいな匂いがするんだ。
日向ぼっこをするから、お日様の匂いがするのかな?
鼻に意識を集中させて、周囲の臭いを嗅ぐ。
雨の匂い、草木の匂い、土の臭い、獣の臭い、血の臭い。
雨が降ったから、いろんな臭いが混ざってしまっている。
この感じだと、お父さんとお母さんの匂いも雨で洗い流されていると思う。
困ったな、これじゃお父さんとお母さんを探せない。
イヤなことに、血の臭いが一番強い。
血の臭いを嗅ぐと、最悪の事態を考えてしまう。
悪い考えを振り払い、まずは川へ行ってみる。
綺麗な水が静かに流れていた川は、雨で増水して流れも激しくなり茶色く濁っている。
これじゃ、川は渡れない。
トマークトゥス達が、川の向こう側へ行ってくれていると良いんだけど。
周囲の音を探ろうにも、雨音がザアザアとうるさくて無理だ。
鼻と耳がダメなら、目だ!
――と思ったけど、猫は目があまり良くない。
猫は狩りをする動物なので、動体視力(動くものを見る力)は人間の約4倍。
夜行性なので、暗いところでも良く見える。
しかし、視力そのものは0.1~0.3しかないと言われている。
素早く動くものを目で追うのは得意だけど、ぼんやりとしか見えていないってことだ。
雨が降っているから、視界も悪くなっている。
目と耳と鼻が役に立たないなら、あとは勘で歩き回って探すしかないか。
ざっと見渡した感じ、動物の姿は1匹も見られない。
雨が降っているから、他の動物もみんな自分の巣へ帰ったのかな?
トマークトゥスがいたから、他の動物も逃げちゃったのかもしれない。
みんなも今頃、どこかで息をひそめて隠れているに違いない。
トマークトゥスが、完全に立ち去ったかどうかはまだ分からないし。
もしかしたら、まだ諦め切れずにぼくたちを狙っているかもしれない。
こうやって、ぼくがひとりで歩き回っているのも危険だよな。
でも見通しの良い場所にいれば、天敵が襲ってきたとしてもすぐ気付ける。
同時に、天敵からもぼくの姿が丸見えだけどね。
お父さんとお母さんを探して、当てもなくウロウロと歩き回る。
いくら探しても、どこへ行っても誰もいない。
ずっと雨に打たれていたら、モノスゴく惨めな気持ちになってきた。
びしょ濡れの体が、どんどん冷えていく。
体もだんだん重くなってきて、足もフラフラする。
目もかすみ、頭もぼんやりしてきた。
お父さんお母さん、どこにいるの?
どこに行けば、会えるの?
ぼくは、ここにいるよ。
とっても、おなかが空いたな。
猫草をたくさん食べたら、おなかいっぱいになるかな?
疲れたな、眠いな。
でも、ここで寝ちゃダメだよな。
せめて、安全な場所を探さないと。
安全な場所って、どこ?
寒いよ、眠いよ。
早く巣穴になる場所を探さないと、死んじゃう。
安全な場所はないかと探していると、近くの大きな木に小さな穴が開いていた。
あれはたぶん、鳥が掘った巣穴だ。
臭いを嗅いでみると、鳥臭かった。
耳を澄ませてみても、雛鳥の鳴き声は聞こえない。
鳥の巣立ちは、春~夏だったはず。
巣立った後、他の鳥が棲みついていなければ良いんだけど。
鳥の巣穴だから小さいけど、仔猫のぼくだったら入れそうだ。
どうにか木に登り、巣穴を覗き込む。
幸いなことに、中には誰もいなかった。
中には枯草や枯れ枝で組まれた、鳥の巣があった。
さっそく、鳥の巣に入って丸くなる。
巣穴の中は、ほんのりと暖かかった。
ここなら雨風が入ってこないし、危険生物に襲われる心配もない。
雨が止むまで、ここでゆっくりと休もう。




