第22話 受け継がれる医師
翌朝、患者さんは嬉しそうにニコニコ笑っていた。
「あんまり痛くなくなったニャン」
確認の為、捻挫した場所に触ってみると熱と腫れが引いていた。
猫の自然治癒力って、スゴい。
猫は軽い捻挫くらいなら、3日で治るって本当なんだ。
なんにしても、元気になってくれて良かった。
猫が苦しんでいる姿を見ると、とても切ない気持ちになるから。
「助けてくれたお礼に、ボクの縄張りへ招待するニャン」
患者さんはまだ歩き方がぎこちないけど、ゆっくりと歩いて自分の縄張りまで連れて行ってくれた。
縄張りでは、たくさんの猫たちがのんびりとくつろいでいた。
1匹の猫がこちらに気付いて、患者さんに声をかけてくる。
「おかえり。ずいぶんと帰って来るのが遅かったけど、どうしたニャオ?」
「パサン(野山羊)を狩ろうとしたら、崖から落ちてケガしちゃったニャン……」
しょんぼりする患者さんを、縄張りの猫が優しくなだめる。
「ケガしても、帰って来てくれて良かったニャオ。ところで、後ろにいるのは誰ニャオ?」
「ボクが死にそうだったところを、助けてくれたお医者さんたちニャン」
患者さんがぼくたちを紹介してくれると、縄張りの猫はニッコリ笑ってお礼を言ってくる。
「お医者さんニャオ? うちの子を助けてくれて、ありがとうございましたニャオ。良かったら、ゆっくりしていって下さいニャオ」
そう言って、ぼくたちを縄張りへ迎え入れてくれた。
新しい縄張りに来たら、必ず聞くことがある。
「ここには、お医者さんはいますミャ?」
「ハチ先生がいますニャオ」
やった! ついに茶トラ先生以外のお医者さんを見つけたぞっ!
「本当ですミャ? 同じお医者さんとしてぜひお話ししたいんで、会わせてもらえませんミャ?」
「では、ハチ先生をご紹介しますニャオ」
患者さんのお父さんが、お医者さんがいる場所まで案内してくれた。
案内された場所ではハチワレネコが、地面に寝そべった猫にアロエの汁を塗っていた。
ハチワレネコだから、ハチ先生なのか。
アロエを塗り終わると、ハチ先生は寝そべっている猫に説明する。
「お薬を舐めたらおなかが痛くなりますから、乾くまでは絶対に毛づくろいはしないで下さいニャフ」
「分かったナ~ォ」
治療が終わるまで待ってから、ハチ先生に話しかける。
「ハチ先生、初めましてミャ。ぼくは森の集落からやって来た、シロと言いますミャ。ぼくもあなたと同じ、お医者さんですミャ」
「おや、初めましてニャフ。仔猫の君も大きくなったら、お医者さんになりたいニャフ? 優しい良い子ニャフ」
ハチ先生は優しい笑顔で、ぼくの頭を撫で撫でしてくれた。
やっぱり仔猫だから、お医者さんだとは信じてもらえなかったようだ。
別に信じてもらえなくても、お医者さんと会えただけで充分だ。
「ハチ先生は、アロエを傷薬に使っているんですミャ」
「アロエの汁を傷に塗れば、すぐ治るニャフ。この辺りの猫たちは、みんなよくケガをするからアロエは欠かせないニャフ」
「ハチ先生は、薬草に詳しいんですミャ?」
「アロエとヨモギしか、知らないニャフ」
「そうですミャ……」
ちょっと、ガッカリ。
お医者さんなら、色んなことを知っていると思ったけど。
茶トラ先生なんか、ヨモギしか知らなかったもんな。
確かに、ヨモギとアロエがあれば、だいたいのケガや病気は治る。
この山には良い薬草がたくさん生えているのに、知らないなんてもったいないなぁ。
この世界では薬草に詳しくなくても、なろうと思えば誰でもお医者さんになれるのかもしれない。
でも、ほとんどの猫がお医者さんになる気がない。
野生生物は基本的に、自然治癒力で治らなければ死ぬだけ。
弱っていれば、天敵に襲われて食われる。
それが、自然の摂理なんだ。
今はちょうど治療が終わって患者さんがいなくなったみたいなので、ハチ先生とお話しすることにした。
「この縄張りには、ハチ先生以外のお医者さんはいますミャ?」
「お医者さんではないけど、お手伝いをしてくれている茶ブチくんがいるニャフ。ほら、茶ブチくんご挨拶してニャフ」
「どうも~、茶ブチニィ~。いつも、ハチ先生のお手伝いをしているニィ~」
白毛に茶色い模様のある茶ブチネコが、明るく挨拶をしてきた。
「初めましてミャ、茶ブチさん。茶ブチさんは、どんなお手伝いをされているのですミャ?」
「ハチ先生は患者さんの手当で忙しいから、ボクが代わりにヨモギを潰して薬を作っているんだニィ~」
茶ブチさんは手を休めずに、石でヨモギをトントン潰しながら答えた。
茶ブチさんの両手はヨモギ色に染まって、緑の靴下猫になってしまっている。
ぼくもよくヨモギを使うから、靴下猫になるんだよね。
ハチ先生が、ニコニコ笑いながら頷く。
「茶ブチくんが薬を作ってくれるから、いつも助かっているニャフ」
「いえいえ~、どういたしましてニィ~」
ヨモギのペーストを手作りするって、地味に大変なんだよね。
ヨモギは繊維質が多いから、擦り潰すのに結構時間がかかるんだ。
ミキサーとかフードプロセッサーとかがあれば、簡単にペースト状に出来るんだろうけど。
この世界にはそんなもんないし、時間を掛けて擦り潰すしかない。
「薬の作り方や使い方は、誰から教わったのですミャ?」
「ワタシに、薬の使い方を教えてくれたお医者さんがいたニャフ。でももうずいぶん前に、亡くなってしまったニャフ」
ハチ先生は、悲しそうな顔で答えた。
そういえば茶トラ先生も、先代のお医者さんに教えてもらったと言っていた。
ぼくも茶トラ先生の助手になって、お医者さんの知識を学んだ。
お医者さんがいる集落や縄張りでは、こうして次の世代のお医者さんを育てているんだ。
今はお手伝いの茶ブチさんも、そのうちお医者さんになるのだろう。
人間だって医学を勉強しなければ、お医者さんにはなれない。
きっとお医者さんがいない集落や縄張りは、最初からお医者さんがいなかったんだ。
どんなに良い薬草が生えていたとしても、知らなければただの雑草だもんな。
今まで訪れた集落でもやってきたように、ぼくが薬草の使い方を教えて次のお医者さんを育てていけばいいんじゃないかっ!
この縄張りにはハチ先生と茶ブチさんがいるから、出来ることは何もない。
「ところでハチ先生は、山を登ったことはありますミャ?」
「登ったことは、あるニャフ。でも、途中で疲れて、降りてきちゃったニャフ」
「山の向こうには、何があるんでしょうミャ?」
「さぁ? 行ったことがないから、知らないニャフ。もしかしたら知っている猫がいるかもしれないから、他の猫に聞いてみると良いニャフ」
茶ブチさんは、知らないですか?
「ごめんニィ~。ボクもこの縄張りから出たことがないから、知らないニィ~」
ハチ先生も茶ブチさんも、聞けばなんでも答えてくれた。
でも縄張りから出ないから、外のことはあまり知らないそうだ。
猫は環境の変化を嫌う動物だから、基本的に縄張りの中で生活する。
何か事情がない限り、産まれて死ぬまで同じ縄張りに居付くだそうだ。
イチモツの集落の猫たちも、「狩り以外では集落の外へ出ない」と言っていたな。
例外は旅好きだったイチモツの集落のミケさんと、ぼくくらいだろうか。
話が途切れたところでケガをした患者さんが来たので、邪魔しないようにその場を離れた。
他の猫たちに話を聞いてみたけど、山を登った猫は1匹もいなかった。
山の上に何があるのか山の向こうに何があるのか、誰も知らない。
もしかしたら、あの山を登れば海が見えるかもしれない。
ますます、山の向こうへ行ってみたくなった。
だけど、山には登らずに山の麓に沿って歩いていくつもりだからな。
いつかきっと、山の向こうへ行けるはずだ。
ぼくたち家族は次の旅へ出る為に、たっぷりと眠って、体力を回復させることにした。




