第20話 恐怖の山脈にて
今ここで、ぼくに出来ることは何もない。
のんびりと旅の疲れを癒しながら、周辺の情報収集でもしよう。
旅をしている間は肉食動物が襲ってこないかと、いつも周囲に気を配らなきゃいけない。
ずっと緊張しっぱなしだから、寝ている時もちょっとした音ですぐ目が覚めちゃうんだよね。
どうしても眠りが浅くなって、睡眠不足になる。
猫も人間も、睡眠不足は体に悪い。
特に、猫の睡眠不足は命に関わる。
だから、たまにこうして猫がたくさんいる安全な場所に立ち寄ることにしている。
猫がたくさんいれば、安心してぐっすりと眠ることが出来る。
何かあれば、みんなで逃げられるからね。
何も考えずに、ゆっくりとお昼寝するのはいつ振りかな。
ぽかぽかのお日様の下で日向ぼっこしながらお昼寝するって、なんて気持ちが良いんだろう。
ぼくはお父さんとお母さんのふわふわの猫毛に包まれて、幸せな気持ちで眠りに就いた。
やっぱり、平和が一番。
ฅ^•ω•^ฅ
何日かゆっくりと寝て過ごして旅の疲れが癒えた頃、ぼくたちは旅立つことにした。
この縄張りでぼくは何も出来なかったけど、別れの挨拶くらいはしていこう。
今日も猫会議をしている猫たちに、声をかける。
「短い間でしたが、お世話になりましてありがとうございましたミャ」
「ああ、もう行くのニャァ? 元気でニャァ」
猫会議に参加していた猫たちもみんな、「じゃあね」と軽く挨拶してくれた。
今まで立ち寄った集落と比べると、ずいぶんあっさりとした別れだ。
ここでは何もしないで寝てただけだし、当然と言えば当然か。
草原を縄張りにする猫たちと別れ、ぼくたちは再び旅立った。
ฅ^•ω•^ฅ
それから数日後。
目的の山の麓に、辿り着いた。
見上げると草木がいっぱい生えていて、山は緑色に覆われている。
ひとつの山というより、いくつもの山が集まって大きく広がっている山脈といった感じ。
お父さんとお母さんが不安げな表情で山を見上げ、ぼくに話しかけてくる。
「この山を登るニャー?」
「とっても大きな山ニャ……。シロちゃんが登れるか、心配ニャ」
ぼくたちは、山登りに来たワケじゃない。
この山にケガや病気で苦しんでいる猫がいるなら、話は別だけど。
見た限り、この辺りに猫はいないようだ。
だったら危険を冒してまで、山に登る必要はない。
「登らないミャ」
「登らなくて良いニャー? 良かったニャー」
「山に登って、シロちゃんがケガでもしたら大変ニャ」
ぼくが首を横に振ると、ふたりはホッとした顏になった。
ぼくだって登らなくて済むなら、登りたくない。
ぼくは、登山家ではないからね。
それに、お父さんとお母さんにケガして欲しくない。
これまでもずっと、ぼくのワガママに付き合ってもらっているんだ。
これ以上、ふたりに無理をさせたくない。
出来る限り、安全第一で行こう。
山と山の間には谷があり、谷には川が流れている。
どうしても山の向こう側へ行かなければならない場合は、谷を抜ければ良い。
山には登らず、猫の縄張りを探すことにした。
「走査」で調べてみたら、この山には薬草となる雑草がたくさん生えていた。
アサガオ、アロエ、オオバコ、ゲンノショウコ、シソ、ドクダミ、ヨモギなどなど。
小学生の夏休みの宿題として、有名なアサガオ。
実は毒草で、食べるとおなかをこわすので注意。
薬としては、下剤や利尿薬になる。
アロエは、分厚い葉の中にある半透明の部分は便秘に効果がある。
アロエの汁には消炎作用があり、傷や火傷に良く効く。
オオバコダイエットで有名なオオバコは、風邪薬や胃腸薬になる。
ゲンノショウコは日本三大民間薬のひとつで、止血や消炎作用、胃腸薬になる。
赤ジソは、解熱、鎮痛、風邪、喘息、便秘、食欲不振などに効果がある。
塩をまぶすと防腐効果や殺菌作用があるので、梅干しと一緒に漬け込む。
青ジソは、「大葉」と呼ばれて薬味として有名。
青ジソの葉は魚の寄生虫アニサキスに対して殺虫作用があるので、魚の刺身に添えられていることが多い。
ドクダミは、万能薬なんだけど……。
めっちゃ臭いので、出来ればもう使いたくない。
ヨモギはぼくにとって、最も身近な万能薬。
やっぱり使い慣れているヨモギを見つけると、安心感がある。
「これさえあれば、なんとかなる」って、気がしてくるんだよね。
薬草がいっぱい生えている山は、ぼくには宝の山に見えた。
しかし、とても険しい山で登ろうという気は起こらない。
良く見ると黒っぽいヤギがいて、岩山を軽々と登っている。
ロッククライマーでもなければ登れないような崖を、どうしてあんなにヒョイヒョイ登れるんだヤギ。
お父さんがヤギを見て、残念そうな顔をする。
「あれは、パサンニャー。すばしっこくてとっても強いから、怖くて狩れないニャー……」
狩りが得意なお父さんでも、狩れない草食動物がいることを初めて知った。
ฅ^•ω•^ฅ
ハイキング気分で、山の麓に沿って歩いていると。
どこからともなく、か細い猫の鳴き声が聞こえてきた。
「痛いニャン、痛いニャン、死にたくないニャン……」
痛みに苦しんでいる猫が、この近くにいる!
「お父さんお母さん、苦しんでいる猫を探して欲しいミャ!」
「もちろん、探すニャーッ!」
「みんなで、手分けして探しましょうニャッ!」
ぼくたちは鳴き声を頼りに、苦しんでいる猫を探し始める。
行ったり来たりを繰り返して、あちこち探し回った。
そうしてようやく、谷底で倒れている猫を見つけた。
土の上をゴロゴロ転がったみたいに、全身の毛が土で汚れている。
ぼくは大急ぎで、倒れている猫に駆け寄る。
「大丈夫ですミャッ?」
「なんで、こんなところに仔猫がいるニャン……? もう、仔猫でもなんでも良いニャン。助けてニャン……」
ぐったりと横たわった猫は目に涙をためて、ぼくに助けを求めた。
「安心して下さいミャ、ぼくはお医者さんですミャ! どうにかして、あなたを助けてみせますミャッ!」
倒れている猫を『走査』
猫に向かって手をかざして意識を集中すると、頭の中に言葉が現れる。
『対象:食肉目ネコ科ネコ属リビアヤマネコ』
『病名:高所転落による、全身打撲。全身に擦り傷多数。および、細菌感染症』
『打撲の処置:患者を安静にする。患部をテープを巻いて固定。患部を冷却』
『擦り傷の処置:傷口を流水で洗浄後、直接圧迫により止血。傷口を創傷被覆材で覆って、保護。抗菌薬の投与』
うわっ、専門的な処置の仕方がずらずら出てきた。
専門用語だらけで、ところどころ分からないんだけど……。
でも何度も読み返すうちに、なんとなく分かって来たぞ。
この猫はたぶん、山に登って足を滑らせて落ちたんだ。
転がり落ちる時にあちこちぶつけて、全身にケガを負ってしまったんだ。
骨折をしていないのだけは、不幸中の幸いか。
しかし、困った……。
全身打撲。
患部を冷却。
全身に擦り傷。
傷口を流水で洗浄。
自然の中で冷やす手段なんて、川くらいしかない。
流水も、川しかない。
ひょっとして、猫を川の中へ入れるしかないんじゃないか……?
【蓬とは?】
みんな忘れていると思うので、軽くおさらい。
春の若葉は、草餅やヨモギパンなどにすると美味しく食べられる。
生の葉は、叩き潰してペースト状にすると傷薬になる。
抗菌化物質を含み、免疫力強化、抗ガン作用、造血作用、浄血作用など、たくさんの薬効がある。
【Anisakisとは?】
魚の体に、勝手に入り込んで棲みつく寄生虫。
アニサキスが入っている刺身を食べてしまうと、おなかがいたいいたいになる。
【Pasangとは?】
岩場や崖を好んで生息する、ヤギの祖先。
別名「野山羊」
草食性で、雑草をたくさん食べる。
すばしっこくて、超攻撃的。
牧場で飼育されている現在のヤギは、家畜化されて大人しくなったパサンの子孫。
推定体長約120~160cm
推定体重約80~110kg
【創傷被覆材とは?】
早い話が、絆創膏のこと。




